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2005.10.06

Abortion(中絶)についての考察

 僕はもう永い間ずっと中絶容認派だったし、今も容認派ではあるのだけれど、でも以前とは中絶に関する考え方が少し違っている。その主な原因は医療技術の進歩だ。超音波診断、磁気共鳴映像法等の進化もあって、ごく早期から、胎児の状態がかなり精密・詳細に判る様になった。それらをTVで見ていて僕は確信した。胎児は一つの命だし、中絶は殺人だ。もちろん様々な理由で中絶を選ばざるを得ない人が存在するのも事実だけれど、それは本当に最後の選択肢だと思う。そして中絶を選んだ女性は殆ど全て、堕胎を選んだ自分に罪悪感を感じながら、苦しみながら残りの人生を生きているという事実を考えると、一人の人間として、大人の男として、とてもやりきれない思いになる。

 まず最初に、科学と医療技術の進歩にはめざましい物がある。それらはかつて知る事の出来なかった多くの物を観察・測定可能にした。超音波診断や磁気共鳴映像技術・機器の進化は、発達心理学に「胎児心理」の分野を生み出した程で、受精から89週目には胎児の心臓は脈打ち、手足を自分の意思で動かし、16週目には外界の光に反応している(参照 ナツメ社 心理学入門 より)。医学の進歩は、体重600g以下で生まれてくる超未熟児さえも簡単には死なせない社会を作り上げた。胎児の受精後何時間でそこに生命が宿るのか、僕にはそれを定義する事は出来ないけれど、間違いなく、胎児は一つの生命だ。

 しかしながら、様々な理由で苦しみ悩んだ末に苦渋の選択として、中絶を選ぶ人が存在するのも事実だ。本来、中絶という医療行為はそこにそれをせざるを得ない人がいたから生まれた医療行為でもある。例えば売春で生計を立てている女性にとっては妊娠するという事は長期に渡って生活の糧を失う事を意味する。職業としての売春はそんなもの無くなった方がいい職業の一つだか、それははるか昔から存在し、今も存在しているという現実を無視する事は出来ない。他にも、経済的・家庭的事情で子供を育てる事がとても困難な状況にある場合や、未婚の女性で妊娠発覚後に相手が逃げた場合と言った、望まない妊娠のケースでも、中絶を選ばざるを得ない場合があるんだと思う。そして犯罪被害者となった場合もだ。もし、自分の娘や恋人や妻がどこかの誰かにレイプされたとして、さらに妊娠してしまった場合、生まれてくる子供に愛情を注ぎ続ける事は容易ではないだろう。それで堕胎を選んだ人を、誰に責める事が出来ようか?

 もちろん、そこにどんな理由があろうとも、中絶なんか無い方がいいに決まっている。最初にも言っているけれど中絶は殺人だ。子宮内にいるというだけで、そこにいるのはまぎれもない一つの命なんだ。もし中絶されなければその胎児は将来、何か世の中に貢献する偉大な事をやってのけたかもしれないし、未来の誰かを助けたかもしれないし、そして間違いなく、その親に幸福を与える子供になるはずなのだ。中絶するという事は、一つの命が持つ可能性を永久に消し去る事なんだ。あるドキュメンタリー番組内で一人の産婦人科医が言っていた。中絶手術を受ける女性は皆、手術台で涙を流すと。中絶を選んだ、胎児を殺した自分を生涯責め続けると。

 避妊方法も、中絶手術も存在しなかった近世以前には、嬰児殺しは至る所でごく普通に行われていたらしい。今は嬰児殺しこそ無くなったけれど、殺される対象が嬰児から胎児に変わっただけで、中絶も児殺しである事に変わりは無い。医師や看護士といった医療スタッフを共犯者に巻き込んでいる分、中絶の方が罪が重いとも言えよう。医療に携わる人達は、誰かを助けたい・癒したいから医療の道に入るのであって、合法的殺人に加担する為に医の道に進んだのではない。完全に方法が確立し、高度に洗練された避妊方法がある21世紀の日本で、「望まない妊娠」なんて、存在する事自体おかしい筈なんだ。

 大人になるという事は、「自分のした事には自分で責任を取る」のが出来るという事で、それは裏を返せば、自分で責任の取れない事はしない、という事でもある。もちろんセックスはとても楽しいし気持ちのいい事だけれど、それは「大人になってから」にとっておいた方がいい数少ない楽しみの一つの筈で、自分の行為に責任も取れないような、避妊すらロクに出来ないような子供のする事じゃあない。僕は中絶容認派ではあるけれど、それはそれ以外に選ぶ方法が無い人が、その罪深さを自覚し、その罪を抱えて生きて行く覚悟をした場合にのみ、存在が許される医療行為の筈だ。いきおいや雰囲気やその場のノリ、抑制を失った性衝動の結果として中絶を選ばせるような奴は、児殺しの罪という名の下に地獄へ落ちるがいい。

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コメント

お初にコメントさせていただきます。
自分はプロチョイスではなく、中絶や嬰児殺は廃絶されるべきだとは思いますが、だからといって中絶や嬰児殺や幼児殺で女性に刑罰を課すことには絶対反対です。
すべては男性の責任なのですから。

で、“中絶を選ばせるような”とありますが、これは男性のみに刑罰を課すべきということでしょうか?
またあなたはガチ保守、似非保守プロライフ、似非リベラルプロチョイス、中間派、理想主義基地外のどれなのでしょうか?

投稿: abduluzza | 2010.08.20 19:50

> abduluzza さん

”すべては男性の責任なのですから。”
には、全く持ってその通り!とは私も思います。そして
「“中絶を選ばせるような”とありますが、これは男性のみに刑罰を課すべきということでしょうか?」
についてですが、私は刑罰を課せと言っているのではなく、「地獄へ落ちるがいい」と言ったのです。
最後に、「またあなたはガチ保守、似非保守プロライフ、似非リベラルプロチョイス、中間派、理想主義基地外のどれなのでしょうか?」に関してですが、私はそのどれにも該当しない、安全な位置から他者を貶める事でしかカタルシスを得られない種類の生物には理解はおろか想像すら出来ない種類の人間です。

投稿: mizzie | 2010.08.22 07:54

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