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2005.10.15

美醜について(その2)

 以前からよく言われていたのでうすうす感づいてはいたんだけど、僕の女性に対する評価基準は少し(かなり?)変わっているみたいだ。

 しかし、
100人が100

「この娘がイチバン!」

 っていう人にはまだ出会った事が無いし、程度の差こそあれども、皆、それぞれ少しづつ違った美的観念を持っているようにも感じます。


 
それで思うんだけど、網膜に映る映像と、後頭葉視覚野で認識されてる映像は違っているんじゃないのかな?

 見るのは眼球だけどそれを認知するのは脳でやってる訳で、眼球に映し出される事実と、大脳で認識される真実には個人毎にズレがあってもおかしくは無いんじゃないのかな?とか思います。


 
つまり、美醜に関してある人の認識している何かが、別の誰かには5割増し、或いは5割引きくらいで認識されている可能性もあるのではないかと?


 
僕はレース引退の引き金になった脳外傷で後頭葉と視神経に損傷を受けたんだけど、事故前と事故後では同じ景色でも少しだけ違って見えている訳で、同一人物でも大脳に損傷を受けるとそんな事がある位だから、一人一人が完璧に同じなんて筈の無い各個人の大脳で、認知される映像に個人差があってもおかしくないんじゃないのでは?とか思うわけで、皆が「あの娘可愛いよな?」って言ってるのに「ふ~ん、そう?」て気にもしないあいつが、「あんな女のどこが?」って問いに「イイやん!かわいいやん!!」って反論してたりするのも、そう考えると納得が出来ます。


 
さらに、視覚野で認識された映像をどう判断するかは、恐らく前頭葉で行われているはずで、美醜の基準はそこで独自の判断をされるんだと思います。つまり美醜の絶対基準はどこにもなくて、そこには固体の数だけの基準が存在するんだと思います。


 その多様性に富んだ価値観が、どのような過程を経て画一化されていくのかは文化人類学の領域になるんですけれど、こっちに話がいっちゃうととてもややこしくなるのでもう止めておきます。

それでは、また・・・。

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