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2006年1月

2006.01.31

おどかさないで下さいよ〜

 『日本で最も心霊が多い地域は四国』と言った類の文章を、心霊現象が流行っていた頃に何かの本で読んだ事があるが、僕はその四国に生まれ、31年間(アメリカ滞在が約3年あるので)そこで生きてきたが、そういった体験をした事は一度も無い。
 特にしたいとも思わないが。

 そんなある日の出来事。

 昼休み中に休憩室で談話していたベテラン職員と看護士の会話。

 「あの件からずっと、この風邪が治らんがちや。もう、お祓いでも行った方がえいがやないろうか?」

 「お祓いちどういたぜよ?」

 「こないだの夜勤の時に、男の人の幽霊見たがちや。それから風邪ひいてずっとこれよぇ。全然治らん。」

 なんでもこの方の話によると、夜勤中に休憩室で小休止していた時、詰所を男の足だけが歩いて行くのを目撃したらしい。
 しかもその時それを目撃したのはその人だけではなく、その日夜勤だった別の看護士も目撃しているのだ。
 同じ職場に勤める、ちょ~ベテランの看護士さんに言わせると、病院での幽霊話は珍しい事ではないらしく、その方も数十年に渡る看護士としてのキャリアの中で、何度もそういった経験があるらしい。その人曰く、

 「あたしらぁもう慣れたもんよ。見掛けても“また来たかえ?ここはあんたがおる所やないき、早よう行きや”言うていなすちや。」

 と言って、その方はなんと、幽霊相手に成仏するように諭してしまうらしい。(宣保 I 子かあんたは!?)

 その方に言わせると、「死に方がきちんとしてなかった人は彷徨うがやないろうかねぇ?」との事だったが、確かに、死ぬ人の数だけそこには死に方があるので、病院で医療処置を施された末の死だとは言え、(ホスピス病棟以外では)その死を納得出来ずに死んだ人がいてもおかしくは無い。

 これが酒席等で出た会話なら、僕も軽く流してしまう所だが、病院ベースの医療介護施設で、ベテラン看護士の口から出た言葉なので、

 「もぉ~!僕が新人だからって、からかわないで下さいよぉ。 /笑」

 と言って、受け流す事が出来ないmizzieなのでした。

 って僕、今週末に夜勤が入ってるんですけど・・・。
  ガクガク(((( ;゚Д
))))ブルブル



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2006.01.30

まだまだ鈴木祥子

 メジャーレーベルからは離れてしまった鈴木祥子さん、新譜が出てもそれが大手メディアを通じて宣伝される事は皆無なので、高知のような田舎で暮らしていると、新譜情報を入手する事も簡単にライブに行く事も出来ないし、今は一体何処で何をやっているのか、それを知る事は、IT革命以前ならばとても難しい事だったのだろう。

 「ネット社会は境界を無くした」と言われるが、確かにその通りだと思う。

 広告費用に多額の投資をする事が物理的に困難なインディーズレーベルでも、ウェブサイトを立ち上げる事で、世界中に向けて情報を発信する事は可能で、逆に、世界のどこにいてもネット接続環境さえあれば、求める情報にアクセス出来る。

 今、私は祥子さんが活動拠点としているインディーズレーベルのウェブサイトで得た情報を元に、ネット通販で入手した祥子さんのライブアルバムを聴きながらこの文を作成しているのだが、これが20年前なら、都市部で地道に活動を続けるアーティストの作品について、その存在を四国の片田舎で知り、そこに居ながらにしてそれを入手する事など、ほぼ不可能な事だったであろう。

 ネットの普及は、都会と田舎に情報のバリアフリーをもたらした。

 送料・税込みで\3200だったそのCDは私にとって、金額に見合うだけの価値は十分過ぎる程にあった。例えばこれが20年前だったら、高知に住む私がそれに触れる為には、交通費等も含めて数万円の出費を強いられた筈だが、情報通信技術の進歩のお陰で、地方出身者と、都市生活者の差は確実に縮まったのだろう。

 だらだらと書いているが、要するに鈴木祥子さんのライブアルバムはとても良かった。と、そんなお話でした♪

 しかし、ネットがさらに普及して消費者の好みが多様化すると、メディアと組んで流行を人為的に作り出す事で利益を上げているメジャーレーベルやレコード会社は、その利益を縮小させられる事になる(広告等の投資に対する、CD売上げ等の利益減少が生じる)のだが、その対抗策としてどんな案を持っているのか、興味をそそられる所ではある。



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2006.01.29

その灯火を消すな・あいつを迎えに行こう

 今回のライブドア絡みの事件で、この件に関連して自殺したと見られている(僕個人は“消された”と思っている /注)、ライブドア関連企業の副社長だった野口英明氏の葬儀には、当のライブドア社長、堀江氏は出席しなかったのだそうだ。確かに、逮捕直前ではあったし、報道陣の事も気にはなったのだろう。しかし、如何に自分の会社で会計に虚数を用いたり、己の利益最大化の為に偽情報を流したりした。といった疑惑の渦中にあったとは言え、それに関して自殺したとされている関連企業の副社長でもある自分の部下に対し、その葬儀にすら出席しなかった。“金”に支配された関係の、何と脆弱な事だろうか。

 成績不良で放校処分になる日本人留学生達を尻目に、奨学金受給資格を満たす成績を維持しながら、アメリカの拝金主義的、物質至上主義的な側面に絶望し、市民権取得資格を得るまであと二年の所で帰国を決意したのだが、いざ帰国してみると、日本も“一発当たれば”的な、“イチかバチか”的な、「お金こそ全て」で、「利益こそ全て」の「自分さえよければ」な思想が主流を占める社会になっていた。
 それは上に挙げた偶像化された新興成金や、マンション強度偽造事件の当事者達に象徴されているだろう。

 其処に行けば不快な思いをする事が明白だから、例え腹心の葬儀と言えども出席拒否をしたり、自分の利益を最大化させる為、自分にとって有利な偽情報を流して株価を釣り上げ、自分は高値で売り抜けて利益を手にする。それで損害を被る人がどれだけいようが関係無い。自分さえ儲かればそれでいい。
 また、自分の生活レベルを維持する為に、強度計算を偽造して検査をすり抜け低コストの書類を作成したり、それが偽造された物である事を知りながら、『コスト低減』という、市場主義での王道を貫く為、使用ノ耐えない住居を一般庶民に売りつけ、居住者の生命を危機にさらし、財産に著しい損害を与える。そこにあるのは、「自分さえ良ければ」の価値観と、「利益こそ全て」の資本主義哲学だ。

 私は渡米前、日本でサービス業に従事していた時期もあるが、そこでは常に、「顧客満足の追求」が第一義として掲げられていた。技術者だった頃も、同じ事を言われていた。いい仕事をして、いいサービスを提供して、いい製品を造って、それで顧客からの満足を得る。それがまともな大人の仕事だと、私はずっとそう言われ、そう行動してきた。
 レーサー時代も、メカニック時代も、レーストラック上では命の遣り取りをするような闘いを演じ、パドックでも罵り合ってばかりの様なレース仲間でも、その葬儀には絶対に駆けつけた。それは、そいつも同じ道を歩く『仲間』だからだ。お互いレースに殆ど全ての稼ぎをつぎ込み、普段はつましい貧乏な暮らしをしていたが、レース仲間の誰かが困っていたら助けるし、こちらも困っている時には助けられた。例えそれがライバル相手だったとしても、“人間関係”と言う物は、仲間が困っていたら手を差し伸べる、それが当然なんだと思っていた。
 自分の利益の為なら顧客が不幸になっても構わない、という哲学や、自分にとって不快になる事が明白ならば、例え戦友(彼にとっては“部下”も金銭で売買可能・交換可能なパーツの一つに過ぎなかったのかもしれないが)の葬式でも、人生最後の別れの儀式にすら、出席する価値など見出せない。
 日本は、そこまで精神性の醜い・貧しい・幼い国になってしまったのだろうか?

 しかし最近、『昭和』をテーマにした書物や映画がそれなりに好評を博しているらしい。それらが扱っているのは、高度成長が終わる前には確かにあった、“普通”とか“平凡”とか“共感”といった類の事を扱い、今はいなくなってしまった、いわゆる”熱い”、“濃い”人達が描かれた本、映画らしい。(私はまだ読んでも観てもいないので判らない)
 バブル崩壊後の長い経済低迷期の後に来た、投機ブームとそれにのった新興成金達、お金で買える物は殆ど全て手にした彼等は、私にはどこか寂しそうに見える。そして、偶像化された彼等に対する熱狂が冷めつつある今、一部の日本人達は、自分達が捨ててしまった、失くしてしまった物を、もう一度再評価し始めている様にも感じる。
 自己正当化の為にマスコミを巧みに活用し、それに洗脳された結果、自ら思考する事を忘れてしまった多数派からは一歩下がって、落ち着いて・自分の頭で、本当に大切な物は何なのか?本当に大好きな物は何なのか?本当に欲しい物は何なのか?を考え始めた少数派が、この国でも再生しつつある。と言う事なのだろう。


 快楽主義に伴われた、拝金主義と物質至上主義に満ち溢れた世界で、自分の足元にある、小さな幸せに目をやる事は難しいのかもしれない。

 だけど、その灯火はまだ消えてはいない。小さいけれど、今にも消えそうだけれど、だけどそれは、まだ確実にそこにある。
 決して諦めてはいけない。
 拝金主義者達に奪い取られた、私達の美しい国を、社会を、私達の手に取り戻そう。
 あの精神性の美しさを世界から賞賛された、『日本』という国は、まだ死に絶えてはいない。それは窓の外で、私達が迎えに来てくれる事を、じっと待っている筈なのだから。



注;妻も子もある一家の主が、会社の為に家族を残して死を選ぶ事などするだろうか?そして、彼が死んだ事で最大の利益を得ている人は誰なのか?その事を一度じっくり考えて欲しい。



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2006.01.28

職員<利用者

 組織。というものは色んな人達で構成されているのだが、私は今の職場で、どうしても馴染めない先輩職員がいた。

 私が他人にとって「言い易い人」だろうと言う事もあるが、そのおばちゃんはいつも僕に対して、物凄く細かい事まで、すっげーキツい言い方で厳しく指摘してくる。
 もちろん、こちらの物覚えと要領の悪さに、一緒に仕事をしていてイラつく事もあるのだろうが、その指摘はとことん細かく、キツい。

 その日、僕はその方と組んで業務をする事になっていたが、やはり至る所で、まるで『重箱の隅をマチ針でつつく』ような指摘を受け、
 冒涜すれすれ。
 ってくらいにキツい小言を言われ、(俺を怒鳴る事でストレス発散してるんじゃないよな?)とか感じ始めていたその時、

 「まったくもう!そんなやり方じゃダメでしょう?」

 の言葉に、
 (え?こっちはずっとそうやって来たんですけど・・・)
 と思っているとその方は僕からそれを奪い取り、僕が初めて見るやりかたでそれをやり始めた。

 だがそれは僕が(おお!)ってなっちゃうような、実にきめ細やかな対応で、(次から僕もそうやろう)って即決してしまう程だった。

 で、早速次からそのやり方を試すのだが、僕がそれをやると、何故かイマイチ上手く行かない・・・。モタモタしてたらもちろん怒号が飛んでくる。

 「何やってんの!?そんなのじゃ時間が掛るだけでしょ?」
 「はぁ・・・どうやればいいか良く判らなくて・・・。」
 「もうちょっとアタマを使いなさいよ!それをそうやってされる利用者の立場になって考えて見なさい!あんた、自分が人からそんなやり方されて、好い気持ちがするかね!?」

 この嫌味なおばちゃんから出たこの言葉で、これまでこの方から言われていた指摘が全て、一つのキーワードで繋がった。それは、


 『利用者満足』

 業務に追われがちな我が職場において、マチ針で重箱の隅をつつく様な指摘も全て、
「時間内で、効率良く、そして利用者にとって心地良く」
 業務を仕上げる為だったのだ。

 利用者中心に仕事を進めるのは簡単だ。人的資源を増やして一つ一つに手間と時間を掛ければいい。
 現に今も存在している、お金持ち高齢者を相手にした高級ホテルの様な養護施設では、サれが実行されている。

 業務中心に仕事を進めるのもそれ程難しい事ではない。効率最優先で手順を決めて、それに従ってさえいればいい。
 情動を排した効率優先のそんな仕事なら、ロボットにだって出来る。

 その、相反する二つの要素を組み合わせて、Betterを求めて(Bestは存在し得ない)プロとして仕事をする。

 その職業人としての姿を垣間見た時、この嫌味なおばちゃんが(も?)、「尊敬する先達」に変わった。

 職員である僕には徹底的に厳しく当たる。絶対に妥協は許さない。それで職員から怨まれようがどうなろうが関係無い。全ては利用者満足の為。『利用者満足の追求』は、サービス提供者としての必要最低条件であるので、それが受け入れられないのなら、静かにこの業界から立ち去るしかない。
 介護業界のmain clause(主節)はあくまで利用者であって、職員はsubordinate clause(従属節)に過ぎないのだ。

 業務を終えて後片付けをしているその時、

 「あたしやって、もっと利用者に満足してもらえるような仕事をしたいよ。けどそれをやったら時間内に仕事が終わらんきに、そらジレンマはあらあねぇ。」

 土佐弁を交えてそう呟いたそのおばちゃん先輩の後姿に、後光が差しているように見えたのは気のせいか?



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2006.01.27

輸入牛肉

 何でも、また米国産輸入牛肉が禁輸になったんだそうで、それの理由が、輸入再開条件の一つだった

 『特定危険部位の除去』

 がゼンゼン出来ていなかった事が発覚したからで、その上、牛肉を処理した施設では特定危険部位除去義務について知らなかったらしく、それが検査機関すらをもパスしてしまったからという事もあるんだそうです。

 僕は栄養学的観点から、蓄肉を食する事は非常に稀なのですが、アメリカ暮らしで彼の国に対する信頼度はゼロどころかマイナスになっている僕は、米国産食品はなるべく避けるようにしていて、さらに社会的・心理的理由からも、米国産蓄肉は拒否しています。

 まず、栄養学的にはレースをやっていた頃に

「スポーツ選手に対する蓄肉食の影響」

 を学び、蓄肉食後に採血された血液と、蓄肉を摂らなかった場合の食後に採血された血液との比較例や、蓄肉生育過程での飼料への汚染や、成長促進に投与される薬剤の影響、BSEの危険性等で、蓄肉食のリスクの大きさを知り、蓄肉を口にしようという気を失ってしまいました。

 また、約3年のアメリカ暮らしで彼の国に対する信頼感を失くし、その無責任体質や、責任転嫁能力、自己正当化技術の高さ、拝金・物質至上主義的な人達の多さには呆れかえり、またBSE問題に関しても、元・米国農務省の高官だった人が、街に出掛けた際に、国内チェーン店でハンバーガーを食べる親子連れを見て、「なんて危険は事をしているのだろうと思った。」的な発言をしていた。という記事を読み、さらに、拝金主義で安全や信頼よりも目先の金を選ぶ、中・低所得者層についても知る機会を得て、『Made in USA』に対する見解が、「いい加減でテキトーな物」から、「買うと被害を被るもの」へと代わりました。

 僕個人にとっては、情報関連商品や学習教材以外で、お金を払って入手する価値を、アメリカ製品には見出せません。

 最後の社会的・心理的観点に関してですが、これは過去記事でも触れていますが、サハラ以南のアフリカ貧困国で、本来ならば、自国で飢える国民の食料として地元農家によって生産されるはずの食用穀物は、アメリカの農業多国籍企業群によって家畜飼料用穀物に転作させられ、それらは低価格飼料として米国産蓄肉飼料として使用されている訳で、貧困国に対する彼の国の処遇に反対する意味も込めて、アメリカ製品・産品は極力、非買するように努めています。

 禁輸が解除されようが、再び禁輸になろうが関係無しに、私は米国産牛肉を食する気持ちは皆無だった訳で、メーカーのお客様相談室に電話をして、その企業製品に使われている肉の産地確認をしていた位(グリコとハウスのカレーはオーストラリア産だそうです)で、小泉も「自己責任」がどーたらこーたら言ってるんだから、「安ければ良い」と言っている連中は危険性など関係無しに買うし、買わない奴は購入を法律で義務化しない限り買わない(僕は義務化されても買わないけれど)んだから、

 全ての商品情報を開示して、「こういう経緯で生産された物で、これだけの危険があります。買う人はその危険性等を充分に認識した上で買って下さい。但し、その結果に政府は一切の責任を負いません」と公表して、全ての選択権と責任を国民に任せてしまえばいいのに。

 などど私などは思うのだが、「国民の生命と財産を守る事」は政府の義務でもあるので、そういう訳にはいかないのであろう。



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2006.01.26

先輩、凄すぎです!Vol.2

 過去記事で触れた事もあるチョー仕事師な先輩、久し振りにその方と組んで仕事をする事になっていたのですが、前に組んで仕事した時から少し期間が開いていましたがやっぱり凄かったです、その仕事師ぶり。

 どれくらい凄いかと言うと、完全寝たきりな入所者が殆どを占める我が職場ですが、その先輩は、『食事介助の達人』で、『排泄介助の達人』でもあり、『超速業務』の技を使いこなし、空いた時間で、業務にてこずっている他の職員の仕事もやっちゃう。

 っていう、第7艦隊のイージス巡洋艦のよう(つまり、ブルーリッジ(旗艦)でもキティホーク(航空母艦)でも無いけれど、攻撃力と防御力を合わせた総合力は最強)な方です。

 凄かったのは、早出出勤の方達が帰宅して職員が手薄になる夕方以降。

 4時半までにやらなきゃいけない業務も、この方ともう1人の仕事師な先輩であっという間に終わらせちゃって、結果生じた空白時間で、夜勤さんの仕事に掛かってる!!
 看護士2人、介護員1人の夜勤体制で、52人の入所者を切り盛りする我が職場、夜勤業務では休憩時間を削りながら働かなければならない事もある、って位のシビアさが要求される我が職場において、夜勤の仕事を日勤や居残り出勤組が仕上げてくれるとめちゃくちゃに助かります。

 居残り組は夕食の食事介助をして、それの後片付けをしてから、寝たきりの方達のオムツ交換をしてお終い。なのですが、食事介助の達人であるこの先輩のお陰で、いつもよりも数分早く次の業務に移る事が出来、さらに、いつもなら時間内では2部屋分が限界。なオムツ交換、この先輩のお陰で3部屋終了。

 この日の夜勤さん、先輩に感謝しっぱなし。

 いつもなら居残り勤務の時、一緒に組んだ方から「・・・を一人でやらせる気なの!?」って怒鳴られてる僕ですが、その先輩は「・・・は一人でやっておくから、その間に~を仕上げておいて。」

 と言い、僕がそれを終えて先輩の所に戻ると、もう2部屋目のオムツ交換までが終わっていて、そのお陰で、普段の5割増しの業務を時間内に終えてしまったのでした。

 これだけの仕事量を残業無しで仕上げてしまったのはもちろん初めてだし、その手際の良さと技術力には驚きです。
 今日は(も?)助けてもらう局面が多かったので、終業前に一言あいさつぐらいはしておかないと、と思うともうその姿は無く、代わりにエレベーターが更衣室のある階に止まっていて、「うわ!帰り支度まで超速だ!!」って思ってこちらもすぐさま荷物をまとめて更衣室に上がると既に帰社した後で。業務だけでなく、それ以外も超速な方なのでした。



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2006.01.25

健やかなる魂は、不健全なる身体にだって宿ってる

 私の働く施設に入所している、脳梗塞で半身麻痺になってしまったある方は、僕が何かの介助でその方の部屋を訪れるといつも、まだ動く方の手で祈りを捧げる素振りを見せ、僕に感謝の意を示し、そして片麻痺になってしまった自分を否定し、責める。

 そんなその方に僕は、ごく少しではあるけれど、リハビリで回復した、或いは機能向上した麻痺していない側の事について述べ、そして、人は生きている限り進歩し続けるし、この世に生きている全ての人には、不可抗力による生活不能には保障を受ける権利がある事を、判りやすく噛み砕いた土佐弁で話す。

 そんな僕にその方は笑顔で、時にはその瞳に感謝or感動の涙を浮かべ、そして今も理学療法士のプランに沿って、機能回復訓練に励んでいる。

 片麻痺になってしまったその方は確かに、健やかなる身体を所有しているとは言えないのだろう。
 けれども、常に周囲に感謝の念を持ち、足るを知り、謙譲と柔和に満ちたその精神は、健やかなる魂が持つそれである事に、私には一片の疑念も無い。

 この世の中には、健やかなる身体に、不健全なる魂を宿した輩が多すぎる。その不健全なる魂を持つ健やかな身体が、自由に大手を振って、お天道様の下を闊歩しているその時、健やかなる魂を宿した不健全なるその身体は今日も、周りの全てに感謝しながら、リハビリ室で機能回復訓練に励んでいる。

 そしてそんな人達の失われた機能を、僕達介護職者がサポートしている。職業人として、自覚と誇りを持って。

 うん。僕は人の役に立つ事をするのは好きだよ。
 もちろん、それで感謝されるのはもっともっと大好きさ。
 だけどね、健やかなる魂を持つあなたには、それを受ける正当な権利があるんですよ。

 法的にも、社会学的にも、
 そしてもちろん、その人間性的にも。



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2006.01.24

ぜったい鈴木祥子 ぬけがけVer.

凄い

   凄い!

         凄い!!

                すっご〜い!!!


 流通の関係で全国一斉発売の商品は、地方では一日前には商品が店舗に到着するので、新譜は予約してたmizzie、発売日一日前の今、これを書いているこの瞬間、25日発売の鈴木祥子さんの新譜を聴いています。

 5年振りのオリジナルアルバムだと言う点を差し引いても、全曲が珠玉(この言葉すら軽い・・・)の名曲揃い。

 綺麗で、
 美しい程に切なく
て、
 しびれるくらいに格好よくて、

・・・すいません、これを形容するに相応しい日本語を、見つける事が出来ません・・・。

 祥子さんの詩も曲もアレンジもコーラスもピアノもステキだけど、ドラムとベースとギターがめっちゃくちゃに格好いいです。

 リマスタリングされてる曲達もすっごく良くって、「ラジオのように」なんか、「え?この曲ってこんな風になるんだ!」って感じに、いい意味で裏切られちゃいます。格好いいです。このアルバムの「ラジオのように」

 色んな事・物・人を失ってきた34歳の僕には、祥子さんの書く歌詞には凄く共感できちゃうんだけど、もし、あなたが祥子さんの言葉に何も共感出来ないとしたら、もしかしたらそれは、幸せなのかもしれない。

 だってそれは、これまでの人生で一度も、(それを失った事で死んでしまいたくなるくらいの)”大切な物”を失った経験など無い。と言う事だから。

 もう、何も言わないからとにかく聴いてみて!!
まだ祥子さんファンじゃないあなた、
下のURLをクリックすると、新譜の紹介って事で曲の一部と、祥子さん本人のインタビューが聴けます。

http://www.voiceblog.jp/wonderground/

じゃ、mizzieは続きを聴きま〜す♪
今日の予定は全てパス!
もう今日は何にもし〜ないっと。

明日が公休日になってて良かった。



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2006.01.23

ポジティブ信金 or mizzie@鍛えなおされちゅうVol.2

 師長;「もう3ヶ月目だからね。そろそろ結果出してもらわないと困るのですよ。いい?期限切るわよ。次の1週間で、全ての業務を完全に覚えて、他の職員に悪影響が出る事の無いようにしなさい。」
 先週、師長と主任に直々に呼び出され、上の訓示を賜った。以後、主任からの教導は厳しさと激しさを増し、至る所で問題点の指摘と修正を浴びる事となった。実際、仕事に関しては手際の悪さ等で先輩職員達に迷惑を掛ける事がまだまだ沢山あるので、歴戦のベテラン職員から実務に基づいた効率的業務の手順等を教わるのだが、未経験・実務12週目の私にとって、それらをすぐに習得するのは至難の技で、結果、「あんなに教えたのにまだ出来ないの?」と言った類の叱責を浴びる事になる。そんなある日、
 主任;「あなた、この仕事やって行ける自信ある?」
 mizzie;「不安はありますが、やります。」
 主任;「その気持ちは買うけど、今のままじゃ全然ダメですよ。それにあなた、皆からここまで言われて悔しくないの?競争心はあるの?」

 『競争心』

 その言葉で、僕の中で何かのスイッチが切り替わった。こっちだって、腐っても元国際ライセンスレーサーだい!負けん気と競争心の固まり。な連中の中で揉まれて来てるんだから。上の発言をした主任の意図が、僕に発奮材料を与えるつもりならそれは見事に的中した事になるのだろう。
 一日の殆どを教導と叱責が占め、毎日打ちのめされ(入所者の笑顔には救われます)て帰宅していたけれど、この日から、僕の仕事に対する姿勢がまた少し変わった。さらに、帰宅後に読んでいた新聞のコラムに、吉田松陰の、
 『志士は溝ガクにあるを忘れず(志ある人は、その実現の為には溝や谷に落ちて屍をさらしても構わないと常に覚悟している)』
 と、
 『天のまさに大任をこの人にくださんとするや、必ずまず心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ(天が人に大任を与える際には必ず苦境に立たせて、大任を負うに足る人物にしようとする)』の二つの言葉を見つけ、
 「そっか〜☆そう言う事か〜♪」
 なんて、脳天気に自分の置かれている現状を捉えていた僕なのでした。もちろん、帰宅後には業務行程リストへ、この日新たに学んだ・教わった事を加えて修正し、それを復習していたけどね。



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2006.01.22

やっぱり鈴木祥子Vol.3

 一昨日(だったかな?)にも紹介した鈴木祥子さんの新譜紹介のサイト、

 第3回で「忘却」という曲が紹介されていて、曲自体も結構イイ曲なのですが、この誌を書く背景となった、祥子さん自身の祖母のアルツハイマー発症と、それによる徘徊や妄想・せん妄(?)行動とかについて語られるインタビューもサイトでは公開されていて、そちらを聞いてから曲を聴くと、また視点が少し違って聴けたりもします。

 祥子さん自身が語るアルツハイマーについてのお話は、介護職者の視点から見ると「間違ってないけど少しズレてる?」って所もあって、でも、認知症の知識が無い普通の人から見たら、そういう風に感じてしまうのかもしれないな。などと考えた、介護職者で祥子さんファンのmizzieだったりします。

 実際の話、認知症患者の心的内面世界は、当の本人以外には全く判らない訳で、僕がズレてると思った祥子さんの捉え方も、それが祥子さんの祖母にとっては完全に適用出来るのかもしれないし、もしかしたら、認知症患者に現れる症状には発症前の生き方が現れるのかもしれない。と思った今宵のmizzieでした。

 その楽曲とインタビューは、下のアドレスでダウンロード出来ますから、興味があれば聴いてみてね。

http://www.voiceblog.jp/wonderground/

 タバコ嫌いのmizzieをして、「祥子さんの吸うタバコならイイ」って位な超ファンのmizzie、

 でも、そんな祥子さんも認知症患者のご家族として何年も闘ってきて、そして今も闘っている。という事実に深く共感出来るのはきっと、今の仕事が介護職だから。

 ああもうっ!!

 帰国決意前くらいからずっと、僕の周りの全てが、僕が介護職を選ぶように流れていたけれど、それは職に就いてからも続くんですね。

そうなんでしょ、ねぇ神様?



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Excuse me, may I ask you…

    Hi, I’m mizzie!! You’re reading to “Web Mizzie”s Cafe” issue#140. Today’s topic is “For the World”. Before we start it, let me ask you some questions. How many questions can you answer? Ready? "Which country has the most numbers of mass destravt weapon?" Next, "Which country have  surpported to terrorist groups or military dictatorships the most? I give you a clue to solve it. All question has the same answer! Which country did you imagine? Russia? Iraq? Or North korea? Well, the answer is “Unnited States of America”!!
     Yeah!! Our “the leader of democratic countries” has two faces. There are big differences between the country’s principle and it real intention. The U.S. has invaded to Iraq due to Iraq’s mass destruct weapon. However, the U.S. has the most amount of nuclear weapons in the world. How do you think about that a country which has the most amount of mass destruct weapon has a right to criticize other country(s) which might have mass destruct weapon? But they’ve always done it.
     Resent years, the U.S. has announced to the world that “countries which support to terrorist(s) or terrorist group(s)” must be panished even by using military power. The U.S. insisted that Afganistan gave shelter to terrorist group, and they droped bombs and massacred innocent citizens in  Afganistan. However, I’d like to say that the U.S. supported to terrorist groups the most, they’ve given incredibly amount of money and weapon to terrorists and/or military dictatorshils, and they trained diabolically tactics and the way of torture to terrorist groups in central and south America. The U.N. shoule better to send Peace Keeping Forces to White House immidiately if a country must eliminate by their support to terrorists. However, the U.N. have never criticized to the U.S. since born it. Why? Because the U.S. has the power and veto in U.N. The U.S. has always used its veto to block a subject which against their economically or politically interests. As a result, the U.N. can never pass a subject which against the U.S. interests.
     A famous linguist Noam Chomsky mentioned that the U.S. always dicided to their policy for priviliaged classes in the U.S. In other word, the U.S. has behaved for capitalizm commercial company(s) and super rich people in the U.S. If a country has a risk to the U.S. company’s profit or government interests, the country must be destroyed, even if the country has completely free democratic politically system. Moreover, a military dictatorship(s) or terrorist(s) surpport country(s) should be surpported by the U.S. government if the country givr profit to the U.S. company, even if they killed 100,000 innocent citizens.
     The U.S. has officially said that the U.S. is the gurad of free democratic world, but they've actually brhaved that they work for the priviliaged classes.

[日本語訳]
 ハーイ!mizzieです。Web Mizzie’s Cafe”に、ようこそ!!第140

回の今日のトピックは、“世界の為に”。じゃあ、始める前に少し質問してもいいかな?用意はいい?何問答えられるかな?じゃ、

「世界で最も大量破壊兵器を保有している国は?」

「世界で最もテロリストや軍事独裁政権を支持してきた国は?」

 ちょっとヒントを出そうか。その国はどちらも同じ国だよ。どんな国を思い浮かべたかな?ロシア?イラク?それとも北朝鮮?うん。その答えはね、『アメリカ合衆国』さ!
 俺達の民主国家のリーダーには二面性があるんだぜ、イェィ! 本音と建前には大きな相違があるって事さ。アメリカはイラクが大量破壊兵器を持ってるからと言って侵攻したけれど、世界で最も核兵器を保有している国はアメリカなんだ。そんな国が他国の兵器保有に文句を言う権利を持ってるのってさ、それどう思う?でもあいつらはそれをずっとやってきたんだ。
 ここ数年、アメリカは世界に“テロ支援国家は軍事力を持ってしてでも処罰されなければならない”とか言ってさ、それを理由に、アフガニスタンはテログループをかくまっているって言ってアフガニスタン空爆をして無垢の市民を大量に巻き添えにしてさ、でも、言わせて貰うけどさ、アメリカだって中南米で軍事独裁政権とか、反政府テログループの資金・武器・技術供与をずっとやって来た訳じゃない。もし、テロ支援国家が軍事力を持ってしてでも処罰されなければ。っていうのなら、国連は平和維持群をホワイトハウスに派遣しなきゃ!だよ。でもやった事なんか一度も無い。なぜか?それはアメリカが権力と拒否権を持っているから。
 有名な言語学者でもあるノーム・チョムスキー氏も言ってるけどさ、アメリカは国家政策を特権階級層の為に都合のいいように決めてる。つまり、アメリカは資本主義営利企業の為に出来てるって事さ。企業の利益に障害となる民主国家は排除されるし、企業に利益をもたらす軍事独裁政権や反体制テログループは、アメリカによって支援を受けるんだ。
 アメリカって国は公的には“自由民主国家の守護”として振舞ってるけど、その実、あいつらは特権階級層の為だけに行動してるんだから。


PS
しかし夜勤明けは眠い・・・。





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2006.01.19

とどかないもの

理想とするものはいつも、とても遠くにある様に見えて、

霧の中にぼんやりと浮かぶ望楼のようで、

でも、僕の心の奥深い所で求めているそれは、

とてもとても美しく、尊く、矜高く健やかで、

僕はいつも、それに近付こうと、そこに辿り着こうと、それを掴み取ろうと、夢中でそれに向かって駆け抜けてきて、

今もその途上にあり、きっとこれからもずっと、それを追い続けて行くのだろう。

必死で走り続け、あと少しでそこに辿り着くと、

それをこの手に出来ると、そう感じる事が出来る所まで来ると、

それは実は幻に過ぎず、眼前で突然掻き消える。

そうして、失望でうなだれた視線を再び上げた時、

視線の先で遥か遠くに、またそれが霞んで見えて、

流れを遡って行く魚達の様に、再び僕は歩きだす。

進めば進むほど、道は厳しく・険しく、足取りは重くなるばかりだと言うのに。

まるで痩せこけながらでも上って行く、魚達の様に。

 “理想”

それは傷付かない夢だったり。
終わらない愛だったり。

或いは、厳しい試練を要する自己実現。

客観的な意見でも無く、でも主観的な物でも無く。

そんなものはどこにも無い様にも思えて、でも、どこかにあるはずだと信じて、それを求めて歩き続けて行く。

しっかりと存在する、そして誰にでも手に出来る

“現実”と、

あるのか無いのか、届くのか届かないのか判らない

“理想”

冷酷で残酷な、そしてある面快くて甘美な“現実”に流されそうになる身体と、

暖かくて優しく、しかし、いばらの道を越えた者にしか触れられない“理想”を追い求めている精神(こころ)。

その二つの狭間で揺れながら、時には、狭間を歩く事の曖昧さに耐えながら、

実体の見えない、あるのかないのかすら判らない、名前すらも知らないそれを、僕は追い続けている。

そんな物はどこにも見付からないのかもしれないけれど、

それを今も探し続けている。

そしてきっと、これからもずっと。



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2006.01.18

知らされない事、知らせるべきでない事

 今日は仕事が休みだったので、一日家に籠って調べ物。

 で、何気に見つけたこのサイト、メディアには絶対に出てこない写真に、作者の意見を添えて載せてますけれど、写真が物語る事実が衝撃的過ぎて、言葉を失ってしまいます。


http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/8479/index15.html

 文章とか管理人の意見とかには様々な意見があると思うけれど、とにかく写真を見て欲しい。これが現実です。

 なぜメディアは事実を報じないのか?
 それは、『とまどえる群れ』である大衆を自分達の意図する方向に進ませる為。

 重要なのは、単純化させる事、考えさせない事、立ち止まらせない事。

 奴等に操られないようにする唯一の方法は、知る事。考え続ける事。疑う事。そして、立ち上がる事。




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2006.01.17

やっぱり鈴木祥子 Vol.2

 最近はクラシックとかばっかり聴いてるmizzieですけど、チョー鈴木祥子ファンでもある僕は、5年ぶりにリリースされる祥子さんのNewアルバム、めっちゃ楽しみにしていたりもします。

 大手レコード会社からは離れて、今はインディーズレーベルからCD出してる事もあって、当然の様に宣伝は皆無。
 コアなファンで、祥子さんのウェブサイトを頻繁に訪れている人くらいしか、CDを買う事はおろか、それが発売される事すら知る事は無いのですけれど、発売元のサイトに行けば、新譜についてのインタビューと収録曲の一部を、ダウンロードして聴く事が出来るんですよね。

 
mizzieは既に新譜は予約済みで、発売日を首をキリンの様にして待っているのですが、発売元がファン向けに開設してるブログ
http://www.voiceblog.jp/wonderground/
で聴いた『愛の名前』、女性が愛について歌った曲なのに、男のmizzieの心をがっちりキャッチ。

 ブロードバンドじゃないとちょっと重いけど、機会があれば上記のサイトで、『愛の名前』についての記事からダウンロードして聴いてみて下さい。

 レーベル、メディア、プロダクションの合作で、意図的に製造されるポップスと、それの流行。
 そう言った商業主義的音楽とは一線を画した”音楽”を地道にやっているこの方、一聴の価値ありです。
guarantied by mizzie!!



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前線の勇将

 私の職場を軍隊に例えると、院長が艦隊司令長官で、戦隊司令官が各部署の病棟長に当たる。

 で、我が戦隊司令官は、フィクションに出てくる平均的な、口は出すけど手は出さない、指示は出すけど責任は取らない、な中間管理職とは違い、司令官として指揮下の全員に責任を持ち、指揮下の要員に指示を出し、さらに人材の管理、配置と教育を行い、その上、自分も最前線でヘルパーとして仕事をこなす事もある。と言う、『前線の勇将』な側面がある方でもある。

 つまり、ケアマネとして指示を出し、サービス提供責任者として部下を統括し、時には1ヘルパーとして最前線にも立つ訳だ。

 私は収入の事もあって、ケアマネをキャリア・パスの通過点の一つとして見ているが、常に前線に立っていたい。という思いのあった私にとって、それを目の前で実践してくれている人がいる。というのは、己のキャリア・パスにレファレンスポイントを与えられた様な物で、それはそれで勇気付けられたりもする。

 知識も技術も抜群で、さらに利用者はもちろん、職員に対する心使いも実に細やか、それでいて中間管理職の辛さをポロっとこぼしたりもする、上官として信頼するに足る、そして愛嬌もある将官なのでした。




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2006.01.15

兄弟という物は

 私には兄が一人いる。
 同じ街に住んでいるのでほぼ毎日顔を合わすのだが、お互い忙しい身分なので、じっくり会話を持つ機会はそれほど無い。
 弟にとって兄と言う存在は、人生で最初の友人だと思うのだが、私の場合も兄弟仲が悪いと言う事は皆無だ。
 それ程仲が悪い訳でも無い世間一般の兄弟達は、一体どんな会話をしているのだろうか?

 先日、兄と『死刑廃止論』について議論していた時、ふとそんな事を考えた。
 もちろん、と言うか、弟の私が言うのも何だが、私の兄は私よりもさらに個性的で、シニカルで、クールで、知的で、フィジカル面も優れ、さらに哲学的で論理的で詩的だ。

 そんな兄と私が何かについて議論する時は、お互いが自分の知識をフルに動員して熱い議論になる事が多いのだが、時流や時勢に流されず、歴史、宗教や哲学、倫理学、社会科学的側面にまで渡った議論を闘わせる事が出来る相手と言うのは、私にはこの兄しかいない。

 我が兄弟の議論と言うものは、Debate(討論)をしている訳では無いので、議論の目的が相手を言い負かす事に置かれない分、どこかの深夜TV討論番組などとは違い、静かな、しかし説得力に満ちた議論となる。

 先日の『死刑廃止論』に関しての議論では結論として、「理想論(死刑など無い方がいい・死刑を許容する事は人間性向上の放棄だ)と現実論(でも被害者家族の心情を考えると、極刑以外に選択し得ない犯罪者が存在する)の中間で、どちらに振れる事もなく曖昧さに耐えてゆくしかない」と言う結論に達したのだが、そこに至るまでの熱い論争の中で、「さて、世間一般の兄弟話にそんな話題が出て、ここまで深く論じる事があるのだろうか?」といった考えがふと頭をよぎった。

 私はこの兄と、(お互いが芸能に無関心だと言う事もあるが)芸能や娯楽に関する話をする事が殆ど無い。
 たまに会ってじっくり会話する機会がある時、その内容は科学、天文学や量子力学だったり、国際政治や社会科学に関する話題だったりと言う事が過半以上だ。もちろん、スポーツや音楽などの芸術(ポップスは芸能であって芸術ではない)だったりもするが、釣りやゴルフ、パチンコや競馬、レジャーやナイトレジャーが話題が上る事が無い。

 お互いがそれらに関心が無いのはもちろんだが、それだけでは無いような気もする。

 ただ一つだけ、確信を持って言えるのは、お互いが、

 『平均的日本人男性』

 としてマスメディアでアナウンスされているそれとは、恐ろしくかけ離れている。と言う事だろう。そして、お互いがそれに全く悪びれていない事も共通している。マスメディアがアナウンスするそれが本当の多数派なのか、多数派になる事を期待してアナウンスしているのかは判らないが。

 どれだけ変わっているのかは判らないけれど、私達兄弟は間違いなく、『変わった人』にカテゴライズされるのだろう。
 私は自分が個性的だと思っているが、私には、その私よりもさらに強烈な個性を持った、そんな兄がいる。


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2006.01.14

無条件肯定

 今年になってから新しく入って来た入所者に、中程度の認知症が認められる方が数名いる。一人は既に寝たきりになってしまっているが、どちらも会話量だけならばどの職員よりも活発な位で、記憶障害と妄想・せん妄がある事を除けば、他の入所者との差は殆ど無い。
 ただ、在宅からの環境変化はやはりそれなりのストレスがあった様で、ここ数日は、こちらに対する感情的反応が増えてきていたし、寝たきりになっている方は、職員にかまってもらおうとする頻度が増えてきていた。

 ナースコールに応じてこちらが駆けつけると、それは全く緊急度の無い事で、「・・・を探して」とか、「・・・の説明をして」又は「・・・をしてくれ」と言った類の事が殆どで、しかもその「・・・」は自分の妄想から生じた全く実在しない、或いは脈絡の無い事物や人に対する事だったりするので、こちらはその実現不可能な要求に応える事はもちろん出来ないので、その会話を横にそらせつつ、別の話題に話を振り向け、その場をしのいで業務に戻る。という日々が続いていた。
 これは見舞いに頻繁に訪れて下さっていた御家族に対しても同じだったようで、私も、御家族からそれについての相談を受けたりもしていた。(まだ新人なのに・・・)認知症高齢者への接し方に対しては、間違いをしかったり訂正したり、説得や強制的な指導は無意味で、それは症状を進行させる事にも繋がる(参照 ホームヘルパー養成研修テキスト1級課程;介護の展開と技術の向上・認知症高齢者の介護の実際 より)ので、その事を家族に伝え、こちらも接し方には気を付けるので・・・、とお願いしていたが、その方の認識している心理世界と現実世界の乖離を、話を逸らせる事で切り抜けるのにも限界があり、そうして、当人が周りの全てに猜疑心を抱くようになってしまい、御家族はもちろん、認知症高齢者には慣れない他の職員(含む僕)も、手に負えなくなりつつあった。

 その日(も?)、私はいつもの様に業務に追われながら、結局いくつかの業務を時間内に終える事が出来ず、いくつかは先輩達に助けてもらいながら、さらに残業もして、それらをようやく終え、「さて、帰るか・・・。」と立ち上がりかけた所でナースコールが鳴った。就業時間は過ぎていたが、応答ボタンの一番近くにいた自分は反射的にそれを取ってしまい、出るとそれは例の入所者。それが緊急性の低い用件なのは想像出来たので、「残業ついでだ」ってそのままその方の所に駆けつけた。
 私の予想通り、それは全く緊急性の無い用事で、これをいつもの様に受け流してその場をやり過ごしても、直ぐにまたコールのボタンを押して、業務に追われている居残り勤務の先輩達の業務に支障が出ると推測し、「もうこの際、一度とことん聞いてやれ!」と思い、相手の話に頷き、横に座ってとことん聞き役に徹する事にした。
 滞米中はクリニカル・ソーシャルワーカーを目指し、それに関して学んでいた事もある私が心掛けていたのは、C・ロジャース式の「Unconditional Positive Regard(無条件肯定配慮と訳せばいいのかな?)」で、相手の全てを受け入れる、徹底的に肯定する。と言う姿勢で聞き役に周った。と言っても、もちろん無茶苦茶で脈絡の無い要求を叶える事は不可能なので、相手の言った事に頷き、相槌を打ち、言った事を言葉を言い換えて言い返し、それをひたすら繰り返す。と言うのを延々と続けていた。
 この、C・ロジャースの開発した「Unconditional・・・」と言うのは人間性心理学者でもある彼が唱える『依頼者中心型アプローチ』で使われる方法の一つで、聞き役であるセラピストは、発言者である相談者の言う事を(何ら判断を下さず)ひたすら聞き、それを受け入れ、また、相手の発言を言い換えによって伝える事で、全ての答えは相談者の心の中にある事を、相談者に気付かせる。と言う手法だ。
 自己の認識している心的世界と、現実の世界に大きな乖離がある認知症高齢者に、この方法を使うのが適切なのかは判らないが、とにかく私はこの方に、一度自分の心の中で溜め込まれているのであろう思いを、とことん話させてあげようと思い、そしてそれを実行した。

 それを数十分程続けていた所で、別の用事で部屋に入って来た先輩が「何してんの?」と言って私を見ていたが、「いや、ちょっと話に捕まっちゃって・・・。」と言って、私はそのまま入所者との対話を続けていた。さらに30分程して同じ先輩が部屋に入って来て、「まだやってんの?」と問い、「もうこの際とことん聞いてやろうと思って・・・。」と答えると、私はそのまま部屋の外に呼ばれ、そうやってやるのは勝手だけど、自分の業務すら時間内にこなせないのに、そんな事してる場合では無いでしょう?と言われ、そのまま、その入所者との話はそこで打ち切りとなり、私はそのまま家路に付いた

 翌日、その入所者は昨日までの落ち着きの無さが嘘の様に、一日何の問題も無く落ち着いて過ごされていた。話が途中で打ち切られたとは言え、1時間近く話を聞いた事に効果があったのかもしれない。結果としてスタンドプレーになってしまったそれは、方法としては決して褒められる物では無いのだが



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坂道ズルズル

 郵政が民営化されたアメリカに住んでいた私は、個人的には日本の“郵政民営化”には反対だった。アメリカの郵政事業を行うUSPS(30年前に公社化)の仕事は本当に酷くて、配達先は間違う、折り曲げられたら困る物は折り曲げる、融通は利かない、仕事はいい加減。そのうち、「USPSの仕事だから・・・。」って感じで諦めてしまって、逆にキチンと普通の仕事をする職員がいると、感動してしまっていた位で、公社なのにそこまで酷くは無い上に、完全独立採算制で、国庫を食いつぶすどころか国に金を貸しているくらいな郵政公社を民営化する事と、公益性が高くても不採算部門は切り捨てる、残酷な市場主義システムに『通信事業』を投げ込む事には同意が出来なかった。
 確かに、民営化前の郵便局員にも酷い奴は沢山いた。しかし、そいつらが民営化したら全ていなくなるのか?と言うと、絶対にそんな事はないと思う。職員の職業倫理なんてものは民営化したらよくなるなんて簡単な物では無い事は、民営化した鉄道会社や電話会社、利益優先で市民を欺き暴利を得ていた、得ている私企業や私設検査機関を、引き合いに出すまでも無く判ると思う。
 郵政事業の民営化は、簡易保険事業で儲けたかったアメリカ保険業界と、彼等を支持基盤とするアメリカ政府の要求に、小泉自民党が応えた。と言う面が大だが、私は他にも、自民党政府は心理学で言う所の「Foot in the door phenomena」(一旦ある方向に転がり始めたら、とどまる事無く転がり続けてしまう現象)を利用しているのかもしれない、と考えている。「Foot in・・・」の特徴として、最初は簡単で受け入れやすい物事から始めて、少しずつそれのレベルを上げて行き、最終的には最初の一歩を踏み出した頃には絶対に受け入れられなかったような事まで受け入れてしまうという働きがあって、これは、詐欺師や悪徳商法セールスマンも悪用する心理学的手法でもある。
 IMFWTOG8の所業を考慮に入れると、現政府がやりたがっている事は明瞭で、それは、選ばれた上位だけの利益を最大化し、それ以外の多数派を搾取対象として、しかし彼等が搾取される以外に選択肢が無い状況を確立・永続化させる事にある。
 そして、その事を念頭に再考慮した場合、小泉政権の言っていた「郵政民営化は改革の本丸」と言うのは国民を欺く大きな罠で、郵政民営化は「Foot in the door phenomena」の最初の1ステップに過ぎず、この後、少しずつ、しかし確実に、私達庶民にとってはより重大で、受け入れ難い改革が次々と断行される可能性が考えられる。これまでも既に自民党政権は、「小さな政府」と言いながら、公益性の必要な分野を次々と営利企業に丸投げしてきた。各部門での検査や、通信、交通は既に営利企業のハゲタカどもの餌場と化したが、これから、さらに公共サービスが営利企業に売り渡されるかもしれない。例えば、水道事業が民営化されて、蛇口から出る水が、飲める水と飲めない水に分けられてしまうかもしれない。もちろん飲める水はミネラルウォーター並みの値段になるだろうし、飲めない水でも、雨水よりはマシ。と言う事で、可能な限り高価になるだろう。医療や教育も、良質のそれは高額所得者以外は受けられない世の中になるかもしれない。(既になりつつあるが・・・)
 郵政民営化は決して“改革の本丸”などでは無く、それはこれから始まる大改悪時代への最初の一歩に過ぎず、“改革”という名の大衆支配作戦上に立ちはだかる、小さな砦の一つに過ぎなかったのかもしれない。

 非営利のしっかりとした検査機関に実権を持たせ、それをきちんと機能させてさえいれば、公的機関でもサービスの質を維持する事は可能な筈だ。医療・教育・福祉や、他にも公益性の高い分野は、営利企業に任せてはいけない。私はそう考えている。


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2006.01.12

口腔ケア

 今日の業務では、僕は午後から入所者全員の口腔ケアを担当する事になっていた。
 介護の基本は、『自分で出来る事は、自分でやってもらう』なので、歯磨きが自分で出来る人には、どんなに時間が掛ってもいいから自分でやってもらうのだが、四肢マヒ、完全寝たきり、経管栄養での栄養摂取をされている方は、介助無しでは口腔内の清潔を維持する事が不可能なので、訪問介護ではまず無いと思われる、ディスポ(使い捨て)手袋の上から湿らせたガーゼを巻いて、口腔内清拭をする。

 認知症が重度まで進行し、様々な面での理解力に著しい低下が見られる入所者にとって、見ず知らずな人からいきなり口の中に指を突っ込まれて口の中をかき回されるのは、不快だし抵抗もあるのだろう。
 しかし、全く意思表示の無い人でも、こちらからの事前の声掛けには反応してくれて、自分から口を開けてこちらがケアをやり易いように体に位置を変えたりもしてくれる。
 しかし、入所してからもう何年も経っている方や、認識・理解・表現能力がとても低い方は、どんな方法で事前説明をしても、中々に理解してくれず、ケアを嫌がり抵抗する。例えばこんな感じ。
 
 「○×さ~ん、お口の中拭かせて下さいね~♪(努めて明るく・陽気に)」

(入所者、声に反応してこちらを見る)

 「はい、お口開けて下さいね~」

 (でも口は堅く閉じたまま、で、一瞬の隙を見て素早く口腔内にガーゼを巻いた指を入れ、注意深く、しかし丁寧に口腔内を拭く)

 「はい、顎の上も拭かせてね」

(また、一瞬の『タイミングを掴んで上顎に指を持って行く)

 「痛たたたっ!○×さん、そんなに噛んだら、僕の指が無くなりますよぅ。」

 歯が全て無くなっている人が殆どだが、それでも結構痛い。がしかし、人間が本来持っている顎の力なら、本気で噛めば、指を噛み切る事など容易だろう。
 咀嚼機能を使う事が無くなってしまった、経管栄養を受けている方には、あの痛さの程度が、こちらに見せる事の出来る最大の抵抗なのかもしれない。

 回数を重ねる毎に、少しずつ協力的な方が増えているとは言え、そんな事を少しだけ考えさせられた、今日の口腔ケアでした。

PS 
 30数人にそれをしていて、80分程掛ってしまった私に、それを40分程度で仕上げてしまうベテランの先輩(美人♪)が一言。

「mizzie君、時間掛りすぎ。」

 つうこんのいちげき!!
 みずぃ の はあと は くだけちった


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2006.01.11

苦しみを突き抜けて、歓喜へと至れ


 「・・・と言うわけで、現状では症状は安定していますが、今後は緩やかに様々な能力が失われてゆく事と思われます。」

 医療介護施設である私の職場では3ヶ月毎に、入所者(患者)の家族、主治医、介護病棟師長、入所者を担当する理学療法士、栄養士、看護士又は介護員が一同に会し、介護評価と説明の為の会議(ケアカンファレンス)が行われる。

 全職員が入所者の誰かを担当する事になっている我が職場において、私は2名の入所者を担当しており、その二人共が生活全介助・要介護度5の完全寝たきりで、発語も反応も殆ど無く、鼻腔から通されたチューブから、生命維持に必要な栄養素を摂取している。
 私は今日、自分が受け持ちになっているその2名の入所者のうち、1名が会議を行う日となっており、その場で主治医から出た言葉が、冒頭の言葉だった。

 介護職に就いて10週目の私だが、残念な事に、”一日の内で一度も・誰からも、怒られる事も責められる事も無かった。”と言う日はまだ一度も無い。自分の知識と技術と要領の悪さに打ちのめされ、打ちひしがれ、精神的にボロボロになって家路につく。と言う、耐え忍ぶ日々が続いている。
 そんな私の知識と経験の少なさ故か、先輩達が「その人には何を言っても無駄だよ。判らないんだから。」と言っている人も含め、全ての入所者に対して常に、何をする時でも、しつこいくらいに声掛けをしてから業務を行っていた。例えその人が決して回復する事なく、冒頭で挙げた方の様に、緩やかとは言え、様々な能力が失われて行くだけ。の過程にある人だったとしても。

 私は今日、最初に挙げた会議の前に、通常業務として入浴介助を行う事になっており、午前中はストレッチャーを使って浴室までの送迎、午後は浴室内での入浴介助となっていた。

 午前中、入浴を終えた入所者を迎えに行き、病室に戻る途上のエレベーター内で、普段はこちらからの声掛けにも殆ど反応が無いその人が、私からの「お風呂気持ち良かった?」という問い掛けに対してその日は、目を細めてにっこりと、とても気持ちの良さそうにした笑顔を返してくれた。
 いつもは殆ど無反応で、反応がある時でも訝しそうにするか、不快感を表す表情しか見せなかったその方が、この時はしっかりと、はっきりと、しかしこれまで見た事も無いような、快い笑顔を見せてくれたのだった。

 「うん、そう。気持ち良かったんや。良かったねぇ。」

 そう、ゆっくり、はっきり、くっきりと応えながら、僕はエレベーターの中で、小さくガッツポーズをしていた。

 午後は浴室内での入浴介助で、ストレッチャーに載ってやってきた入所者を浴室用ストレッチャーに移し換え、シャワーを使って2人掛りで全身をくまなく洗って行く。この日は発語の出来ない人が多い入浴日だったので、先輩と2人、静かに、もくもくと送迎されてくる人達を洗い続けていた。
 そして、ある入所者の入浴が終わり、体の水気を拭き取って浴室用ストレッチャーからストレッチャーに戻すその時、いつもは殆ど反応が無く、また、あった時でも「アー」とか「ウー」としか言わないその人が、不明瞭ではあるが、しかし、はっきりと聞き取れる声で、「あ・り・が・と。」と言った。


 「あらー!○×さん声が出たねぇー!!」
 「どういたしまして!ありがとう!!」

 一緒に入浴介助をしていた先輩と二人、その声が聴けた事に、思わず歓喜の声を上げた。

 その一言には、物凄い数の障害や苦痛・苦悩を乗り越えた末に得た、絶大なる達成感と充実感があった。緩やかに、しかし確実に、人としての機能を失われて行く途上にある人が見せた、機能回復の瞬間。
 しかもそれは、こちらに対する感謝の言葉。
 介護職に就く者として、これ以上の歓喜があるだろうか!

 私の頭の中でその時、“喜びは力強いバネだ・・・喜びよ、喜びこそが歯車を回す・・・堪え忍べ、勇気を持って、・・・おおいなる神が報いてくれるだろう・・・苦悩には不屈の勇気を・・・功績には栄冠を”のフレーズが鳴り響いていた。

 上の歌詞の原文と和訳の全文は、歌詞の解説付きで下のHPで読めます。1時間以上聴き続けた後に来る圧倒的なカタルシス、ポップスとかじゃ絶対に味わえないそれを、機会があればお試しあれ。有名な指揮者が率いた有名な楽団のそれだと、物凄い快感があるよ
(^^)

http://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html


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2006.01.10

実技スタート

 ホームヘルパー1級講習の、実技講習が始まった。

 2級取得時と同じ学校・教室での講習なので、2級取得時に使用したアイテムがそのまま活用出来るので、その点だけでも少し得した気分なのだが、2級取得時に共に学んだ仲間達とは、資格取得後連絡を取る事が無く、また、私自身が資格取得直後に就職が決まり、そちらの激務に追われる日々だったので、今の職場以外の介護業界を取り巻く状況を、このサイトを訪れて下さっている、ごく限られた人からしか得られなかったので、職場の異なる同業者と知り合う機会を得た事は、情報収集の面でも得る物は多かった。

 実習内容自体も、まだ本格的な実技には入っていないとはいえ、そこには色々な発見や自己覚知のきっかけになる事も多く、この業界が日々研鑽を必要とする業界である事を再認識すると共に、常にマンネリズムに陥る危険を孕む“仕事”という物の現実に対し、自分自身に警鐘を鳴らす好機ともなった。

 また、自分が今働いている療養型医療介護施設が、他の職場と比較した場合、より高度な知識と技術と経験が求められている事も、知る結果となった。

 1級講習では2級と違い、授業のシラバスが事前にはっきりと決められており、予習課題もキチンと与えられている点も、私にとってはとても良いのだった。自宅学習課題は既に全て修了済みなので、仕事をこなしながらの学業との両立も、シラバスがはっきりしている以上、問題の起きようは無いと思われ、講習を修了して無事に1級取得出来た際には、私自身の介護技術と知識が1ノッチは(可能なら3ノッチか4ノッチ位は)、上がった状態になっているだろう。

 2級取得時と同じ学校での講座なので、教室・講師・その他色んな事が全く変わらないのだが、年配の女性受講者受けがとても良い事も、2級受講時と変化が無いmizzieなのでした。(^^ゞ


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2006.01.08

あなたも子供を殺している

TBスパムに該当するのを覚悟の上で、一人でも多くの人にこの事実を知って欲しいと思いTBさせて頂きました。

 あなたがこれを読んでいる今も、約3秒に一人の割合で、貧困を原因として子供達がその命を落としている。

 そして子供達が貧困による飢えで死んで行く事に、あなたも間接的に、しかし間違いなく手を貸している。
 何の罪も無い子供が目の前で死んで行くのを見て、平気でいられる人はそういないと思うが、それは何処か遠くの、自分達とは全く違う世界で起きている現実なので、今この瞬間、新たに死者の列に加わったアフリカの幼児の事など、あなたにとってはどうでも良い事になるのだろう。

 そう問われたあなたはきっと、

 「遠い異国の地で飢えて死ぬ子供の為に、私に何が出来るというのだ!?」

 とか、

 「私がその子供を殺す為に何かしたとでも言うのか!?」

 と考えると思う。
 でも、これだけは覚えておいて欲しい。世界の貧困国のほぼ全てが、経済のグローバル化とそれを推し進めてきたG8(日本・アメリカ・イギリス・イタリア・フランス・ドイツ・カナダ・ロシア)によって産み出され、その凄惨さを増してきたのだという事を。
 そして、G8国に住む私達は、貧困拡大を推し進めてきたG8の多国籍企業群と政府を支持して来た、彼等の共犯者でもあると言う事を。

 G8、IMF、WTO、WB(世界銀行)の罪状を挙げていたら、500万文字を軽く超えてしまいそうな勢いなので、ある一点にだけ絞って話そう。

 サハラ砂漠以南のアフリカ諸国(南アフリカを除く)では、殆どが貧困と飢えに苦しめられているが、彼の国々では、食料自体は増産されている。
 ただそれが、一般国民の口に届かないだけだ。
 何故届かないのかは、もちろん貧困が原因だが、ではその貧困層には手が出せない作物は何処に行っているのか?と言うと、先進国(主にアメリカ)の蓄肉用飼料として輸出されているのである。
[,参照;Noam Chomsky, ARGUMENT AGAINST G8 “Food security, Caroline Lucas and Michel Woodin”]

 あなたが次にスーパーマーケットで、米国産輸入牛肉のパックをカゴに入れたその瞬間、それは狂牛病へのリスクを取ったのと同時に、貧困国の子供を飢え死なせるのに手を貸した事にもなるのだ。
 「知らない事」は「知ろうとしない事」と同義だ。

 知らなかった私も、昨日までは子供を飢え死にさせる共犯者だった。私は今日、その事実を上に挙げたノーム・チョムスキー氏の著書で知り、早速行動に移した。
 グローバリゼーションに反対し、米国産蓄肉を非買し、米国産蓄肉を使用する外食産業を利用せず、食品は極力、地元産品購入に努め、米国産品・米国企業製品は、余程の価値ある物で無い限り非買する。

 このブログの左側に、「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンがすすめている、『「日本政府がG8で約束した、アフリカに援助する100億ドルは約束どおり、アフリカで援助を最も必要としている貧しい人のために使ってください」と、 小泉総理に求めるメールを、あなたも、送ってください。』 Web署名サイトへリンクを貼っておいたので、これを読んだあなたも、最初の一歩を踏み出して欲しい。

 世界を支配している一部の(強欲で利己的な)エリート達が最も恐れているのは、『世論』だ。

 デモや政治活動は抵抗が大き過ぎるけれど、先ずは署名から、意思表示をする所から始めてみよう。

 私達の手から奪い取られた“本当の民主主義”を、私達の手に取り戻そう。強欲な資本主義エリート達の世界支配に、“No!!”を言おう。


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2006.01.07

中年女性と“おばさん”は違う

 朝、出勤してから、その日に割り振られた業務が書かれたボードを見ると、僕は入浴介助になっていた。で、一緒に組んでそれをする事になったのが、いつもすっげーキツい言い方してくる、ちょっと苦手な介護福祉士の方。詰所裏の休憩室で談話中のその方に恐る恐る話し掛け、業務の流れとかを確認していたら質問攻めにされて、答えに窮したらすかさず、「もう2ヶ月目なのに、まだ覚えてないの!?」ってカンジに責められてタジタジ・・・。(うわ、シビアな一日になりそう・・・)とか思っていたら予感的中。午前中はずっと、「次は何を・どうするの?」ってカンジの質問の嵐。キチンと答えられた局面ではこちらは安堵、窮した局面では即座にカミナリ。
 昼休みでホッと一息入れつつ、いつも通りさっさと食事を切り上げて食堂から休憩室に戻ると、その方は他の職員と談話中。男一人、その輪に入れずノートで午後の業務行程と手順を確認しながら、(怒られる前に質問攻めにしちゃおう)って考えてたら、先手を打たれて「休憩後の業務の流れを説明してごらんなさい」と来た。で、そこにもいくつか間違いのあった僕はそれを指摘され、もうついでだからって質問しようと思った所を全て確認。でも、こちらからの質問には可能な限り詳しく・細かく説明して下さって、お陰で休憩直後の業務は問題無しにクリアー。
 卒業と同時に介護福祉士になれる学校を出てきた介護福祉士が圧倒的に多い我が職場において、この方は数少ない、実務を積んで国家試験をパスして介護福祉士になった方ですが、その経験豊富さ故か、その仕事は実に効率的・実践的で、それでいて利用者への心配りも抜群。原則、勤務中の私語厳禁な我が職場において、会話する事が殆ど無かった方でしたが、話してみると結構イイ人で、しかも苦労人で、自己啓発意欲に富み、向上心が高く、仕事師としてのプライドも持っている、同業者としてRespect(どころか、Admireかも?)するに足る、いい先達なのでした。

 いままでずっと、「キツいおばちゃんやなぁ・・・。」って思っていたけれど、その実、自分と仕事にプライドを持った、そーとーにイイ人なのでした。全く、人間って難しい・・・。

PS
さらに翌日もこの方と組んでの仕事で、得る物は多く、さらに有用な情報を沢山教えて頂き、「この人只者じゃない!」感を、ますます強くしたのでした。世の“おばさん”達も、この方を見習って欲しいと強く思う・・・。



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2006.01.06

それは醜い

 今日、何気に読んでいた雑誌に、
「公共マナーの低下」
 について書かれた記事が載っていた。

 それによると、最近の日本では若い人達を中心に、公共マナーの低下が著しく、また、それを注意した人が逆恨みで傷害事件に巻き込まれたり、殺害されてしまうケースなども起きているらしい。
 その記事によると、公共スペースでの携帯電話、電車等での高齢者・妊婦等への優先席に座り、決して席を譲らない人、電車内での化粧・飲食、ヘッドフォンからの音漏れ。が公共マナー違反として挙げられていた。

 健康な大人が優先席に座り、目の前に立つ妊婦や高齢者に対しても決して席を譲らない。と言うこれは、言語道断のマナー違反だ。高齢者の中にはヘタな若者よりも元気な人がいるのも事実だが、妊婦に席を譲らないというのは、マナー以前として、人間として最低だと思う。
 ただ、席を譲らない若者に関しては、「異世代との交流が無くなり、限定された仲間内でしかつきあいの無い彼等には、そういった人達とどう接したらいいのか判らないのであろう。」という意見もあり、これは、「高齢者や妊婦に席を譲る事はカッコいい事だよ。」という例を示せなかった僕等の世代にも責任の一端はあるのでは?とも思う。

 携帯電話については、蛭子能収氏のコメントで「携帯電話は緊急連絡の場合もあるから、禁止するのはどうかな?と思う」的な事を言っていて、確かにそれも一理あるとは思う。
 どこでも連絡が取れるのが携帯電話の利点でもあるので、車内では電源を切れ。はちょっと傲慢が過ぎるだろう。周りを無視して大声で話したり、写メをカシャカシャ取られたりするのは困るが。

 電車内での化粧・飲食だが、食べカスを捨てて行くのはマナー以前に軽犯罪法違反に該当したと思うのだが、そうでなければ、他人に何か実害を及ぼしていない限り、これは本人の美意識の問題だと私などは思う。
 「物食う姿」と言うのは、ある程度の条件が整わない限り、基本的に醜い行為でもあるので、それを公衆に晒しても構わない。というのは、本人の美意識の低さを象徴しているだけで、誰かが損害を受けたり損失したりしている訳では無いのだから、そう目くじら立てる事でも無いとも思う。
 化粧も同じで、人前でそれをしなくてはならない状況まで追い詰められた当人の、自己管理能力の低さを心の中で笑って、或いは憐れんであげるのが、正しい接し方だと私は思う。

 ヘッドフォンの音漏れだが、私など、ヘッドフォンで音楽を聴こうにも、音楽を聴く時はそれなりに集中して聴くので、他の事が出来なくなるか、音楽が耳に入らなくなる(BGMとしてクラシックを聴く時は除く)かのどちらかなので、音楽を聴きながら電車に乗っていられる。というのは、ある意味凄いな。とも思ってしまう。
 単に危機意識が欠損しているか、聴いている対象が、集中して聴く価値も無いような音楽なのかもしれないが。

 記事では最後に精神科医の香山リカさんが、「意識や価値観が共有できない相手に、いまさら注意しても意味がないと思います。」と結んでいたが、確かに、何をもって不快とするかも各人各様な訳で、マナーに対する価値観も多様になっているのだから、誰かや何かを傷つけたり、法律を犯す行為は論外だが、そうでなければ、いちいち目くじらを立てているのは時間とエネルギーの無駄なのかもしれない。

 公共マナーの低下に関しては、他人をいたわり、周りを気遣い、弱者に優しく、自己を厳しく律する、そういった事がカッコいいんだと示してこなかった、私達にも責任があるのかもしれない。

 と言う事で、次から公共交通機関を利用する時は、妊婦さんや高齢者に席を譲る時、目一杯かっこつけて譲る事にしようっと。

 って言っても高知に帰った最近は、公共交通機関は飛行機くらいしか使ってないんだけど・・・。

参照 通販生活2006春号 ”電車内の目に余る不作法”より



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2006.01.05

「介助」と「Spoil」を履き違えてはいけない

 Spoil;(人・物を)甘やかしてだめにすること

 私が働いているのは、寝たきりの人が殆どを占める、療養型の医療介護施設だが、リハビリに励んで自立度を回復させ、車イスでの行動は自由にこなせるようになった方や、そうなる過程にいる方が20名程いる。

 そのような方達を相手にする時には、「自分で出来る事は、極力自分でやってもらう」という接し方が基本となる。人間の体と言う物は、使わない部分はどんどん衰えて行くように出来ているので、出来る事まで介助してしまうと、その為に使われる筈の筋肉を衰えさせる結果になってしまい、最悪の場合、「廃用症候群」という、その機能が失われてしまう状態になってしまう。

 その事は介護職に就くからには充分承知の上で、私も被介護者に対する場合、出来る事は極力自力でやってもらうようにしていたのだが、今の職場で働き始めてから、ずっと介助をしていたある事柄について今日、それを横から見ていた先輩が私が介助していた相手に対し、「○×さん、それはあなた自分で出来る事でしょう?出来る事は自分でやらないとダメですよ。」と、横から忠告が入った。

 それは、とても些細な事でもあったので、私自身も、特に気にする事も無くこれまでずっと介助(そう呼ぶ事すら大げさでもある)していたのだが、自分が気付かなかっただけで、それは相手をスポイルさせる行為に該当していたようだった。

 あぶないあぶない・・・。被介護者の自立度を上げる事を目的にしているはずなのに、知らないうちに相手をスポイルさせてしまう所だった。自力で出来る事でも余程意志が強い人か、偏屈な性格の人で無い限り、してもらえる事は頼ろうとする傾向を人間は本質的に持っている。とかく、水は低きに流れがちだ。これからは、もっと気を引き締めなければっ!!


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2006.01.04

資格アップグレード

 『ホームヘルパー1級講習』を受ける事が決まって、最近は休日は必ず、仕事がある日でも帰宅後には少しずつ、1級講座の家庭学習テキストを解いている。ホームヘルパー2級の時のそれは、本当にファンダメンタルな事ばかりで、しかも居宅老人への訪問介護を対象にしてのそれだった為に、医療介護施設に就職した私にとっては、見る事聞く事の全てが未知な事ばかりで、自分の無知と未熟さに打ちのめされる日々だったが、1級も訪問介護が主戦場とはいえ、そこでは在宅でも繊細・高度な介護技術を必要とするケースや、医療や看護との連携を想定しての教育が行われている。
 法律的問題でホームヘルパーには手の出せない領域も、
1級では医療職者との連携を前提にしたケースを教わるので、今の職場で普通に見ている、私が全く無知だった医療関係の事柄についても、かなり詳細に説明されていて、このテキストをこつこつとやり続けてきたこの数週間で、自分の介護における様々な技術と知識が向上した実感がある。

 今週末から実技講習が始まるのだが、どんな事を習得する事が出来るのか、楽しみでもある。仕事をこなしながらのそれは相当にハードな物になるのだろうが。
 来年度以降はホームヘルパーと言う資格は無くなって、介護職員基礎研修と言うものが出来るらしく、介護福祉士か、介護職員基礎研修終了者でないと、介護職には就けなくなるそうなのだが、自分の技術と知識に磨きを掛ける。と言う意味でも、この投資は私にとっては、かなり有効な、理にかなった投資だった。



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2006.01.03

年越し花火大会

 去年の年越しは、サンフランシスコ恒例の、年越し花火大会を観に行った。
 一昨年はそれには行かず、ホームステイ先で静かな年越しをしていた。
 そこで仲良しになったドイツ人の女の子からの手紙によると、エディンバラ(イギリス)にも、年越しの花火大会があるらしい。

 医療介護施設で介護助手となった今年は、31日まで仕事をして、仕事始めは1日からだった。ここ何年かでは、最も多忙な年越しだったと思う。
 クタクタになって帰宅して、N響の第九演奏会を見ようと思っていたら、母が一方的に、高度成長期の遺物と化した『紅白歌合戦』にチャンネルを変えてしまった。我が家にはTVが2台あるが、もう一方では父が何か格闘技を見ていた。

 実家での相関関係では、最弱の位置に私がいる。時々、猫よりも下なのではないかと思うほどだ。
 生活の様々な面で、自由を失う。実家暮らしの最大のデメリットだが、しかし現状では、メリットの方が圧倒的に大きいので、我慢して暮らしている。
 しかし母よ。紅白を見たいのは判る。
 しかし、生中継のそれを見ながら、ビデオに録画するとはどういう事だ?
 毎年同じ事をやっているが、録画したそれを見ているのを目撃した事は皆無だぞ。
 もしかしたら彼女は、脅迫不安神経症なのかもしれない・・・。
 それはそれで、また心配でもある。
 そんな年越しを過ごした、mizzieなのでした。

 話は戻るが、日本で年越し花火大会をやっている所はあるのだろうか?



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すばらしきアメリカ

 今、旧年中は忙しくて読みかけだった本を読んでいる。
 Noam Chomskyの、「What Uncle Sam Really Wants (アメリカが本当に望んでいること)だ。
 20世紀を通して、アメリカが取ってきた外交政策、そしてそれを支える国内政策。
 それが一体どういった物で、誰が、誰の為に、何の為に、それらを行ってきたのか、アメリカはとても開かれた国でもあるので、機密文書も30年(50年だったかな?)を経ると請求すれば閲覧する事が出来るので、それらを元にして、このMITの言語学者でもある著者が暴き出した、アメリカ政府と特権階級達の暗躍ぶりを書いた本だ。
 結果としてこの本は、私が滞米中に感じていたアメリカに対する思いを、より強固な物にする事となったが、外交政策に関するそれは、違和感を通り越して嫌悪へと変わった。

 アメリカ政府が反米的な政権を持つ国家の、反政府組織にCIA等を通じて資金や武器の供与をしているのは、ベネズエラの例もあって知っていたが、他にも、中南米のほぼ全ての国でそれをしていた。と言う事実は特に驚く程の事も無かったが、その内容はそれはそれはひどい物だった。

 反米政権や反米・反政府組織を支持する国民を実力で排除する為に、CIA等政府組織は現地ゲリラやテログループを訓練し、そうしてアメリカによって訓練されたゲリラやテログループは、それがとても人間の仕業とは思えないような残虐・非道な方法で反米組織や政府を支持する民衆を殺戮する。例えば、ニカラグアで米国の傀儡だったコントラは、独立民族主義の民衆勢力を粉砕する為、そういった民族を襲撃し、幼児を岩に叩きつけて殺し、女性を木から逆さ吊りして胸を切り取り頭の皮膚を剥ぎ、出血多量で殺したり、頭を切り取って杭に刺すといった、サディスティックな方法の拷問を行っている事である。

 これらは全て、アメリカ政府の支持の下、アメリカ政府とアメリカ企業の利益確保にとって、それらの障害となり得る可能性を排除する為、行われてきた、そして今も行われている事なのである。

 アメリカ合衆国政府は、軍事的に自分達よりも圧倒的に弱い幾つかの国家を「テロ支援国家」として敵視し、世界中に「それらは諸悪の根源」とアナウンスしているが、この地上で最大・最強・最凶のテロ支援国家は、

アメリカ合衆国

 なのである。
 彼等は、自分達特権階級の最大幸福の為には、諸外国はおろか、自国民さえもどうなろうが一向にかまわない。という哲学で行動しているのである。
 なんとすばらしい国なのだろうか。
 恐らく現在の日本の政治家達は、彼等を模範しているのであろう。
 



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2006.01.01

12月32日

 12月31日も、いつもと同じ様に仕事をしていた。いつもと同じ土曜日の、いつもと同じ業務内容な一日。
 そして一日が過ぎた今日も、僕は仕事だった。
 昨日の続きの今日。いつもと同じ日曜日。いつもと同じ日曜日の業務内容。食事が少しゴーカだったけど、それ以外は特にこれといった変化も無い、毎日の延長上にある日曜日の介護施設での一日。
 日程表では、僕は明日と明後日が休暇日になっている事もあって、だから、僕の中では新しい一年は明日から始まるような感覚がある。
 じゃあ今日は何?
 もう一人の自分がその問いに答える。
 「今日はね、12月32日だよ。」

 30歳を過ぎた辺りから、自分の誕生日を聞かれたら大抵は、「僕の誕生日?12月32日だよ。」と答えて、「僕は歳を取らない」をアピールしていましたが、どうやら今年はその僕が、さらに一つ歳を取る事になったようです。

 仕方が無い、次から誕生日を聞かれたら、「13月32日」と答える事にしよう。


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