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2006.01.15

兄弟という物は

 私には兄が一人いる。
 同じ街に住んでいるのでほぼ毎日顔を合わすのだが、お互い忙しい身分なので、じっくり会話を持つ機会はそれほど無い。
 弟にとって兄と言う存在は、人生で最初の友人だと思うのだが、私の場合も兄弟仲が悪いと言う事は皆無だ。
 それ程仲が悪い訳でも無い世間一般の兄弟達は、一体どんな会話をしているのだろうか?

 先日、兄と『死刑廃止論』について議論していた時、ふとそんな事を考えた。
 もちろん、と言うか、弟の私が言うのも何だが、私の兄は私よりもさらに個性的で、シニカルで、クールで、知的で、フィジカル面も優れ、さらに哲学的で論理的で詩的だ。

 そんな兄と私が何かについて議論する時は、お互いが自分の知識をフルに動員して熱い議論になる事が多いのだが、時流や時勢に流されず、歴史、宗教や哲学、倫理学、社会科学的側面にまで渡った議論を闘わせる事が出来る相手と言うのは、私にはこの兄しかいない。

 我が兄弟の議論と言うものは、Debate(討論)をしている訳では無いので、議論の目的が相手を言い負かす事に置かれない分、どこかの深夜TV討論番組などとは違い、静かな、しかし説得力に満ちた議論となる。

 先日の『死刑廃止論』に関しての議論では結論として、「理想論(死刑など無い方がいい・死刑を許容する事は人間性向上の放棄だ)と現実論(でも被害者家族の心情を考えると、極刑以外に選択し得ない犯罪者が存在する)の中間で、どちらに振れる事もなく曖昧さに耐えてゆくしかない」と言う結論に達したのだが、そこに至るまでの熱い論争の中で、「さて、世間一般の兄弟話にそんな話題が出て、ここまで深く論じる事があるのだろうか?」といった考えがふと頭をよぎった。

 私はこの兄と、(お互いが芸能に無関心だと言う事もあるが)芸能や娯楽に関する話をする事が殆ど無い。
 たまに会ってじっくり会話する機会がある時、その内容は科学、天文学や量子力学だったり、国際政治や社会科学に関する話題だったりと言う事が過半以上だ。もちろん、スポーツや音楽などの芸術(ポップスは芸能であって芸術ではない)だったりもするが、釣りやゴルフ、パチンコや競馬、レジャーやナイトレジャーが話題が上る事が無い。

 お互いがそれらに関心が無いのはもちろんだが、それだけでは無いような気もする。

 ただ一つだけ、確信を持って言えるのは、お互いが、

 『平均的日本人男性』

 としてマスメディアでアナウンスされているそれとは、恐ろしくかけ離れている。と言う事だろう。そして、お互いがそれに全く悪びれていない事も共通している。マスメディアがアナウンスするそれが本当の多数派なのか、多数派になる事を期待してアナウンスしているのかは判らないが。

 どれだけ変わっているのかは判らないけれど、私達兄弟は間違いなく、『変わった人』にカテゴライズされるのだろう。
 私は自分が個性的だと思っているが、私には、その私よりもさらに強烈な個性を持った、そんな兄がいる。


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