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2006年2月

2006.02.28

男女共同参画の罠

“男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。”
(男女共同参画社会基本法 第二条一項 より抜粋)

 我が国の政府は、雇用を始めとする様々な局面で男女が均等な扱いを受けられるように、こんな法律まで用意したらしい。
 確かに、日本社会では(実は世界中同じなのだが・・・)女性であるが故に直面させられるGlass ceiling(見えない壁)が存在するのは事実だ。嘘だと思うなら、国会議員や内閣の男女構成比を調べてみたらいい。(あえてそれをする必要も無い程に明らかだが)
 また、あなたの会社の従業員と役員の男女比を比べてみるのもいいかもしれない。個人的意見として言わせて貰えば、実力差での不公平は容認出来るけれど、性別を理由とした不平等待遇は、優秀な女性が、その性別故に実力の劣る男性の下で低待遇を受けると言うのは、どう考えてもフェアじゃない。日本が貴族制度を維持した専制君主国家や、軍事独裁国家ならいざ知らず、建前上は民主共和制を取る自由主義国である以上は、アンフェアな状態を放置しておくのは許されるべき事では無い。

 しかしながら、今の政府が進めている“男女共同参画”には、大きな欺瞞がある。
 男女平等といっておきながら、平等になったのは義務の方ばかりで、機会と権利は一向に平等になってはいない。一般企業の管理職は依然として男性が圧倒的に多いし、会社社長も女性は新興企業か規模の小さい会社ばかりで、東証一部上場企業に、一体何人の女性社長がいるのだろうか?もちろん、女性の防衛庁長官や警視総監、内閣総理大臣も一向に出そうな気配が無い。

 この国の特権階級層は女性達に対して、

 「頑張れば、それに見合った待遇が勝ち取れますよ」
 と言って夢を見させておいて、その言葉を信じて、オヤジどもの嫌味や冷遇にも、じっと耐え忍んで這い上がって来た女性達は皆、ある所まで辿り着くと必ず、Glass ceiling(見えない上昇限界)に突き当たる。
 政府が音頭を取って法律まで準備して、それでも現実はこの有様だ。
 もちろん、法律を施行した側だってそんな事は判っている。彼等の目的は真に平等な社会を構築する事などでは無く、女性も労働力とする事で、夫婦共働きじゃないと世帯が維持できないような低所得層が、多数派国民となる社会を容認させる為なんだから。
 国際競争力の強化。と言う大義名分の下で、人件費抑圧は国家のお墨付きを得て、結果、非正規雇用社員は急増し、被雇用者の賃金は低下したが、夫婦が共働きになる事で、世帯辺り収入はかろうじて微減で抑えられている。しかし、正社員が減少してパートやバイト、派遣などの非正規雇用が増え、多数派庶民の一人当たり収入は確実に減少した。

 それなのに、“男も女も平等なんだから”などと言って、共働き家庭に対する扶養者手当てや優遇税制は打ち切られ、働かざるを得ないから働いている女性達にも、平等に義務を課して応分負担を求めるというのは、アコギにも程がある。と言うのは言い過ぎだろうか?

 男女平等を憲法で規定した現憲法が制定されてから約60年。男女雇用機会均等法が公布されてから35年、依然として性差別は存在するが、政府は“差別のあるなし”に関係無く、女性も(だけでなく、引退するはずの65歳以上高齢者までも!)働かざるを得ない社会を作り上げ、そうして労働力となった女性達に、働く男性達と同じ義務を課し、徴税対象とした。

 この国の特権階級層は、本心では完全に男女平等な社会など望んではいない。もし本当に望んでいるのならば、役員や管理職員の男女比率を1:1にする事を義務化する法律を作ってしまえばいいのだ。特権階級層が本心で望んでいるのは自分達の利益最大化だけで、それ以外はどうだっていいのだ。欲しいのは平等な租税負担者であって、平等な権利享受者ではない。
 奴等にだまされてはいけない。

 男女は平等であるべきだって?
 勘違いをしちゃあいけないよ。
 男女は平等でなければならない。なんだ。
 ShouldMustじゃ、意味が全然違うんだからね!



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2006.02.27

比べてみると

 ハードな一日を終えて帰宅しようと更衣室に入ると、先月入社した新人さんで一般病棟に配属された方がすぐ後から入ってきた。お互いが着替えながら雑談や仕事談義を交わしていたのだが、話によるとこの人は、我が職場に来る前は老健で働いていたのだそうだ。

 「どうですか、老健と比べてここは?」

 「いや〜、こっちの方が仕事がめちゃキツいですよ。業務の量が多いしハードだし・・・。」

 この方の話では、覚えなければならない事物の量やそれの複雑さ、繊細さは前職とここでは相当違うらしい。

 一般病棟と介護病棟でどれくらい違うのかは判らないが、とにかく、仕事の量と質が多くて重いとその方は語られていた。
 資格を取って最初に就職した所がここである私にとって、他所がどうなのか、比較対照を持たないので判らないのだが、確かに、幾人かの先輩職員達も、ここはキツい職場だとは語っていたが、そんな環境で鍛えまくられている私は、もしかしたら凄く幸運なのかもしれない。

 だって、これを上手くくぐり抜ける事が出来たら、その後は、まるでメモリを増設したPCみたいに、自分の処理能力と対処能力が上がった。となる筈なんだから。



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2006.02.26

大失態・・・

 更新操作を間違えて、昨日の記事を消してしまった・・・
 って事で、下の記事は『前回の続き』と書いているけど、前回分は消えてありません・・・。
 コメントくれていたhanaさん、本当にごめんなさい・・・。m(__)m

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なんじゃこりゃあ!!(松田優作風に)

 前回からの続き

 スーパーの雑誌コーナーでアンアンを立ち読みしていたmizzie、(彼女とか奥さんと一緒ならまだ理解も出来ただろうに)30過ぎた男が一人で女性誌を立ち読みしている時点で、既に異様なのだが、

 その、「何あれ?」状態だったであろう自分の、
 
ジーンズ、それもお尻の部分に、

 大きな穴 
(↓サンタが顔出してる部分が穴。手前にもあるのが判るかな?)

IMG_0138

が空いているではないですか!!
穴の部分をさらに拡大

IMG_0136






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2006.02.24

やるなMcAfee!!

 “McAfee”

 > とあるアメリカのメーカーによって開発・販売されている、アンチウィルスソフトだ。> 
 niftyがまだアメリカではネットの定額接続サービスをしていなかった頃に、アメリカ滞在中に試したAOLの無料試用CDに一緒について来たのだが、最初は無料で利用出来るのだが、ある時点からアップグレードだ何だと有料使用させようとするポップアップが出まくりでうっとおしい上に、niftyがアメリカでの定額サービスを開始してAOLにする必要も無くなったので、知人の知人であるPCに詳しいKoreanの好青年に、隠しファイル?的な扱いにして封印してもらっていた。

 完全に封じ込めていたこいつに、実は最近また悩ませられている。

 と言っても、その知人の処置がマズかったのではない。
 こーゆー事を言うのは自分の恥を晒す様で恥ずかしくもあるのだが、ネタとしては面白いのでバラしてしまおう。

 実は数日前、地元(高知)の情報をネットで収集していて、風俗情報検索サイトを見つけてしまった。
 で、好奇心年齢が小学生以下な私は、試しにどんな物かそこを訪れてみた。何の事は無い、単なる風俗店と其処で働く女の子達の紹介サイトだ。

「Sexはお金を払って遣り取りするものではない」

が自論の僕にとっては、「この娘達もタイヘンねぇ・・・。」と、完全に別世界、と言うか別の星での出来事だ。

 風俗全般に渡っての情報検索サイトだから、風俗店舗だけではなく、そこには出会い系サイトの広告なんかもあって、それに体験談を載せているバカもいた。

「こいつ自分の顔出して、それを娘とか妻に見られたらどうするつもりだ?」

 と思ってリンクを辿ると、それは単なる客引きで、法治国家日本では違法とされている、アダルト映像販売のサイトに誘導されるシステムになっていた。

 で、ここにも無料サンプルムービーと言う物があって、出てくる女の子がちょっとタイプでもあったので、「無料なんだから」と、ちょっとダウンロードしてみた。

 が、これが罠。

 無料サンプルをダウンロードするボタンをクリックすると、90日間\39000の視聴料契約を結ばされるシステムになっていたのだった。
 これはどう考えても違法性が高いので、すぐさま管理者に抗議のメールを送信し(もちろんフリーメールからだ)、ダウンロードしたファイルは即刻破棄したのだが、PCの電源を入れると支払い要求のウィンドウが立ち上がるシステムになっていて、一旦現れたそいつは、PCの電源が入っている限り消えないし、ネット常時接続の私のPCでは電源が入っている間は常に、強制的にそいつのサイトへ接続させられるし、うっとおしい事この上ない。

 HDDに書き込まれたそれ関係のソフトを全てpick upして削除を試みるが、ファイルにはプロテクトが掛けられていて削除不能だ。そしてサイト運営者からは、
 入金すれば支払請求ポップアップウィンドウ解除のパスワードを教える。
 とのメールが返信されて来た。

 「ふん。そう来たか。」

 基本姿勢としての“素直である事”と“言い訳をしない事”を自らに課している私だが、納得がいかない事は断固として拒否・抵抗するという、ちょっとねじくれた性格なので、このファイルに施されたプロテクトを外す為に、HDDの奥底に仕舞い込まれていた、例のMcAfeeを呼び出し、件のアダルトサイト支払請求に関するプログラムを全て“unwanted fail”と認識させてプロテクトを破壊、それ用に新規作成したフォルダにぶち込み、フォルダごと全消去してやった。

 結果、この支払請求ウィンドウは二度と現れる事がなくなったのだが、代わりにMcAfeeのアップグレード通知が立ち上がるようになった。
 こちらは合法的なソフトなので、1クリックで画面からは消えるのだが、お金を払ってアップグレードさせるまでは、これは出続けるようだ。
 仕方が無いのでMcAfeeにも消えてもらおうと思ったのだが、さすがと言うべきか、私レベルでは全く歯が立たない。

 件のアダルトサイト支払請求とは違って、こちらは役にも立つし害も無いし、もう私の負けだ。本当にどうしようもなくなったら重要なファイルをDVDにでも書き込んで、HDDを初期化するという奥の手もあるし、しばらくこのままで置いておくとするか・・・。





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2006.02.23

Mizzie、筋トレします・・・

 介護は肉体労働だ。

 介護者は被介護者の生活介助だけではなく、移乗や体位変換で被介護者を持ち上げたり抱きかかえたり、施設や訪問先で使用する様々な器具を運んだり、エレベーターを待つ時間がもったいないので荷物を抱えたまま階段を駆け上がったり、一日の運動量は結構な量になると思う。

 実際、先週から新しく入ってきた新人さんが、休憩時間前にクタクタになって息を切らせているのを見ていると、本当に肉体的にハードな仕事なんだろうと思う。

 ただ僕の場合、レースをやっていた頃は習慣的に筋肉トレーニングをしていたし、レース資金を稼ぐ為に平時は鉄工所で働いていたので、これまでは肉体的なキツさを自覚する事はそんなには無かった。

 しかしながら、レーサー時代、転倒後に後続車両にはねられて背骨を折った事のある僕は腰痛持ちでもあるので、今の仕事についてからはずっと、習慣的な腰痛に悩まされてもいた。その腰痛もいよいよ、腰痛体操やストレッチでは対処できないレベルにまで達し、それで先週、以前働いていた工場でクレーンに自分の足を引っ掛けて、それを巻き上げて自分を逆さ吊り状態にして、自重で腰椎を伸ばすという荒療治(でも効きます)を施しに行った。

 しかし現場では、以前は簡単に出来た「クレーンに両足を掛けて逆さ吊り」が出来ない。体力が落ちて、自力で足をクレーンに引っ掛ける事が出来ないのだ。
 かつては60kg以上の鉄骨を振り回していた僕が、体重40kg台のおばあちゃんを抱えるのにも苦労して、体力低下を感じてはいた。
 そして、かつての職場で過去に獲得した体力を失っている自分と出会い、体力低下への疑問は確信へと変わった。

 それから数日後、家から自転車で15分程の位置にあるスポーツクラブで、期間限定の新規会員優待キャンペーンが行われている事を折り込みチラシで見掛け、休日を利用して、見学と無料身体成分検査というのをやってみようと思い、そこへと出掛けた。

 施設と設備自体は、まぁ、高知の平均よりは良く出来た施設だ。9:00~24:00の利用時間に、充実したマシントレーニング群とエアロビクススタジオ、プールを備え、そこにサウナ&大浴場付きシャワールームと、付帯設備も充実している。月会費は\8000弱だが、付帯設備の事を考えたら決して高いとは言えないだろう。

 で、関心もあった身体成分検査。さすがに骨塩定量(骨密度の事)までは計測不可だったが、脂肪量、タンパク質量、骨量、体水分量、身体部位別水分分布まで計測してくれる。
 年齢と性別、身長を入力し、裸足になって測定機械の上に乗り、両手にセンサーを握って測定開始。

 インストラクター;「とてもいい結果ですね。何かスポーツでもおやりになられていますか?」
 mizzie;「今はやっていませんが、昔モータースポーツを少し・・・。」
 インストラクター:「そうですか。でも、とてもいい結果ですよ。どうぞご覧下さい。」

 そう言われて結果をプリントされた紙を渡され、その測定結果表を見て、元・国際ライセンスレーサーの私は驚いた!!
 体力は落ちているのに、体重が増えているではないか!!!
 しかも、『体脂肪率:11.9%』だとぉっ!!!!!

 バイクの、しかも軽量級である125ccクラスに参戦していた私にとって、この数値は屈辱的と言わざるを得ない。
 「体脂肪率2桁はデブ」な、ロードレース125ccクラス。そのクラスへの参戦者だった私は、現役時代の体脂肪率は7〜8%だったのだ。つまり、私の脂肪量は引退後60%近い増加をしている事になる。

 自覚するほどに体力が低下し、数値ではっきりと「脂肪量のみ増加」を示された私は、翌週からそのスポーツクラブに通う事にした。鍛えたい筋肉部位と、それを鍛える方法は判っているから、その部分だけに的を絞ったトレーニングの出来る機器があるというのは、効率的なトレーニングが可能なのでとてもありがたい。

 新規入会特典を受ける条件に、「3ヶ月以上継続」とあるのだが、3ヵ月後にもう一度身体成分測定をしてみようと思っている。効果が思ったほど上がらなければメニューを変えるか、施設を変えるかである。これからのトレーニングで、知らない内に蓄積された脂肪を上手く筋肉に変える事が出来るのか?少し楽しみでもある。

 筋肉量が増えて体力が付けば、基礎代謝量が上がって肥り難くなるのはもちろん、介護をする上でも色んな面で有効だろうし、腰痛予防にも効果があるから、腹筋・背筋・腰部筋の強化もメニューに組み込む事にしよう。


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2006.02.22

ちょっとだけ自慢♪

 今日はお仕事が休みだったので久し振りに部屋を片付けていたら、渡米前に使っていたスキャナが出てきた。で、さらに片付けを進めると、ドライバCDとスキャナ用のUSBケーブルも出てきたので、今使っているPCにインストールして使えるようにしてみた。
 でも、スキャナで取り込まなきゃいけないような画像なんか無いよな〜・・・。
(僕は紙幣をスキャンしたりなんかしませんよ)
 とか思っていたら、片付けの過程で僕がレースをやっていた頃の写真も何枚か出てきたので、そいつらをスキャンしてみた。

 僕はこのブログ上でも、いちおー、
 『元・国際ライセンスレーサー』
 を公言している事だし、
 「ホントにレースやってたんだよ〜っ♪(^^)」
 って事を、ちょっと自慢しちゃおう。なんていう、おちゃめ
(「目立ちがり」とも言う)
 な事を思いついちゃった訳です。


 まず最初は予選出走直前の写真。
 これは地方選手権時代。
 結構緊張感出てるでしょ?


fe21_001






 まだ闘士の瞳を持ってた頃の僕はこんなでした。

 で、コース上を走行している時は、こんな感じです。

fe21_005








 んで、走行終了後。
 結果が良かったのかな?結構安心した顔してます。

fe21_003













 転倒もマシントラブルも無く、そのセッションを気持ちよく走行出来た時は、こんな表情が出ます。でも、楽しみで走っている訳では無いので、そんな事はめったに無いんですけどね・・・。


 で、気持ちよく走って・勝って、表彰台の上。

fe21_004







 ここで貰っている英田町長賞、何か果物だったような記憶が・・・。

 エリア選手権(全日本選手権の一つ下のレベル)なので、優勝賞金は10万円でした。


 僕が現役選手だった頃は、こんな事してました。
 88年から98年まで、自分の人生全て、収入はもちろん、その命までをも賭けのテーブルに乗せた、そんなギャンブラーな人生を送っていた頃。
 レースに捧げた、投資した、時間・労力・資金に対しての、物質的な見返りはとてもとても小さかったけれど、さらに、失った物は本当に沢山あるのだけれど、引退後、心に残ったのは後悔ではなく、充実感と自信と矜り。そして思い出す度に心地よさを感じる記憶達。

 それと、レースを失った事による(ちいさな)心の痛み。

 and so long, my dear friends...



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2006.02.21

健忘体験


 僕はレースが出来なくなった精神的衝撃で、酷いdepressed状態だった時期が合って、その頃は睡眠障害にもなって睡眠薬を処方されていて、その頃の影響で今も睡眠薬を処方され続けているんだけれど、睡眠薬に含まれるベンゾジアゼピン誘導体という物質は、耐性を生じる薬物の代表でもあるので、服薬を続けているうちに効き目の弱い薬はどんどん効かなくなって、今ではベンゾ・・・系の薬としてはハルシオンの次。って位に強力な、ロヒプノールと言う薬を処方されている。

 ハルシオンがそうであるように、この薬も『健忘』をその副作用として持つ薬であり、アルコール類との同時服用は控える様に処方箋にも書かれている。

 その夜は、翌日が休みで寝坊してもOKだったので、いつもよりも服用量を増やして飲んだ。僕はいつも、これを寝る直前に服用し、眠気を感じるまで雑用をしたり本を読んだりするのだが、この夜は、PCで文書作成をしていた。

 で、眠気を感じた所で
PCを置いて布団に入ったような記憶があるのだが、翌日、PCを起動して書きかけだった文書を開いて驚いた!

 途中までは確かに、昨夜作成した文書だったが、途中から文が乱れ始め(もちろん記憶には無い)、最後のページに至っては「え?これって一体何語
??」な状態。

 どうやら、ロヒプノールで健忘を起こしてムキョーツ
!!になってウピャー!!な文を作成していた様だ。そんなピミャー!!な文章でも漢字が混じっているから、どうやら健忘状態になった私は、その滅茶苦茶な文字を漢字変換しようとしていたらしい。

 酒に酔って悪さをした時でも、翌朝はおぼろげでも事の顛末を断片的に回想できたりするのだが、薬での健忘は完全に記憶から欠落しているので、それはそれで怖くもある。
 何を書こうとしていたんだ!?健忘状態の僕は??





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2006.02.20

実は相当面白い、カーリング

 TVでも新聞でも雑誌でも、niftyのHPまでもが、トリノ・オリンピックの話題で賑わっている。ウィンタースポーツとはほぼ無縁な高知なんかに住んでいると、スキーもスノボもスケートも興味の対象外で、事前のマスコミの騒ぎっぷりなんかにも「”W杯で勝った!”なんて騒いでも、X Gameの選手が出てない大会で勝っても意味ないっしょ?」なんて風に、かなり冷ややかな視線で見ていたし、スケートは一番応援していた娘が、年齢制限で出られなかった事もあって、僕はオリンピック自体にはあんまり関心は無かった。
 でも、NHKは地上波かBSかハイビジョンのどこかで、民法も含めたらほぼ一日中、どこかでオリンピックの競技中継をやっていて、それ以外のTVプログラムが失神するほどに下らないので、ヒマつぶし程度にオリンピックは観戦していた。
 95年からずっとESPNを視聴している僕は、スノボ系の競技はX Gameのトップ選手達の独壇場になる。と予想していたから、マスコミで騒がれていた日本勢の結果が振るわないのは想像していたし(好結果を期待もしていたけれど・・・)、メダルは取れなかったけどモーグルの上村愛子はカッコ良かった。
 「期待外れ日本」とかも言われてる今回の五輪だけど、僕は今、期待はおろか知名度すら在って無いような競技に、めちゃくちゃにハマっている。愛好する種目が皆無なウィンタースポーツだが、こと“観戦”する事なら、こんなに面白い競技はちょっと無いぞ。って断言してしまうくらいに面白い。その種目は、

 カーリング

である。
 ウィンタースポーツは、ジャンプもスケートもスノボもモーグルもアルペンもリュージュもその他諸々の競技も、基本的に“動”のスポーツだが、このカーリングと言う競技は間違い無く、“静”のスポーツだ。
 “動”のスポーツが基本的に戦技で勝敗が決まるのに対し、
 “静”のスポーツでは戦技にプラスして、戦術と戦略が勝敗の重要な要素を占める。その戦略的な奥深さが、僕の様に「ちょっとひねくれちゃった大人」までをも、十分にのめり込ませる程の魅力を持ち得るのだ。

 見た目の派手さ、いわゆる戦技で勝負が決まる短絡さは、X Gameになってる事でも判るくらいで、アメリカ的「おこちゃま」向け観戦スポーツだ。あっちは「おこちゃま」がのめり込んでくれるからビジネスとして成り立ち(「おこちゃま」は金離れがいいので)、だからあれだけの資本が動いてくれるのでもあって、それはそれで「ふ〜ん、でもどうでもいいや。」って感じなんだけど、相手との駆け引きも含めた戦術と戦略が勝負に大きなウェイトを占める、このカーリングと言う競技は、観戦者にとってはその奥深さをも楽しめる、”Cool”な競技だと思う。
 日本勢は、女子が予選リーグで強敵を下しながらベスト4進出の最後の席を奪い合う闘いを演じていて、ベテラン選手が占める強豪国の選手達と違って、若くて可愛い女の子達で構成されている日本チームはそれだけでも十分に魅力がある。しかも、そのカワイイ女の子達がシビれるようなショットを決めて強豪国を負かしちゃったりするのだから、見ていて、とても気持ちがいい。
 1試合が90分以上掛る長丁場で神経戦を演じるのは、精神的にも物凄くタフなんだろうけれど、その戦場で“闘士”の瞳をした美人を見るのはそれだけでも、こっちまでインスパイアされちゃう訳で、結果、深夜までTVに釘付けになっています。

 開催されて競技が始まって金星を複数挙げるまで、全く無名だった女子カーリングは、そのマイナーさ故にプロモーション企業が入ってはいないようで、商業的に飾り付けられていない分、その魅力がさらに輝くのでした。

 プロモ企業の入った競技と選手は、その”競技と選手のレベルアップ”よりも、プロモ企業の”利益”が優先(プロモーション企業は、所属選手の為に獲得したスポンサー料から、その何割かを報酬として受け取る事を自分達の収益とする)されるのだと思われ、それで、強豪の出ていないW杯に出て勝ち星を挙げさせてもらって、そうやって箔をつけてスポンサーを取ってきたり、国内大会だけでも広告効果のある種目なら、間違い無く負ける国際大会に出すよりも、国内大会で勝ちを重ねさせた方がスポンサー企画書の見栄えがいい訳で、彼等はより高みを目指す事でのレベルアップ機会を金で売り、結果、その取り巻き達にスポイルされてしまったんだろうな。とか、穿った見方をしてしまいます。
 本当のアスリートなら、勝ち目のある国際大会や楽勝の国内大会に出続けるよりは、最高峰の選手権に出たかっただろうに。かわいそうな選手達だ・・・。

 マネージメント企業に支配されている訳でもなく、収入の為に競技をしている訳でも無く、ただ、「好きだから」カーリングをやってきて、「好き」を極めて芸術の域にまで持っていった彼女達は、見ていてとても気持ちがいいのでした。
 競技自体が玄人好みで奥深くて面白く、選手達がカワイイ“女子カーリング”。
 今回のオリンピックで一番面白いのかもしれないその競技を、僕は毎晩ハラハラしながら応援してます。





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2006.02.19

出会い系サイトをからかってみた

 過去記事で、出会い系サイトに男性・女性の二重登録をして・・・と言った類の事を書いたが、その後ほったらかしにしていた、二重登録に使ったフリーメールのアカウントを、仕事が休みで予定も無かった時に久し振りに開いてチェックしてみた。

 今回は、女性で登録した側のアカウントも整理しようとして開いたのだが、そこには予想以上に大量の、男性からのメールが舞い込んでいた。女性で登録した時にはさすがに写真は使えなかったのだが、『mie 19歳学生、彼氏無し。小柄・細身、趣味は音楽鑑賞。コメント;こういう所は初めてなのでキンチョーしてます!ステキな人と逢えたらいいな♪』なんて悪ノリしたプロフィール登録をしてしまっていたのだが、やはり、と言うべきか、そこには相当数の邪まな性欲に満ちた中年男性からのメールが届いていた。

 主な発信者は
50代で、中には30代もチラホラと混じってはいたが、私が女性で登録したように、オンライン上ではどんな嘘だってつき放題なので、それが本当の年齢なのかはかなり怪しい。

 
20代が皆無だったのは、彼等にはこんなサイトを利用しなくても、若くて可愛い女の子と知り合う機会は無数にある訳で、コストとベネフィットが釣り合わないから利用をしない事くらいは、容易に想像が付く。
 また、男性雑誌等にも書かれているが、出会い系サイトに登録されている女性の
8~9割はサクラ(サクラ募集の広告をネットで見つけました)なのは既にバレているので、その1~2割のシロウトを見付ける為に、サイトを利用し続けるような資金力は彼等には無いのだろう。

 逆に、若くて可愛い女性と仲良くなる事はおろか、知り合う機会すらほぼ皆無な、しかし資金的には余裕のある中年男達が、こういった場所を使って若い女を漁っているのだろう。


 彼等はその資金力にモノを言わせ、サクラの群れに交じったシロウト探しをしている訳で、それが上手く行けば儲け。ぐらいに思っているのかもしれない。そして、そういったサイトを定期的に利用している男達というのはきっと、実際にそこで過去に美味しい思いをした経験のある、或いはそう言った経験をした者が身近にいる連中なのだろう。

 そんな男達の中にははっきりと、援助交際とその金額を提示している奴もいて、それはとてもとても醜悪なものだった。


 日本も一応、建前上は思想・信条の自由が保障された国なんだから、(成人した)若い女性が、仲介業者を通さずに身体を売って金を稼ごうとしたとしても、本人がそれに付いて来るリスク等のマイナス面を全て納得ずくでしているのなら、それはそれでいいとも思うが、もし、出会い系サイトでステキな男を探そうと本気で思っている女性がいたら、それは絶対不可能な事だと思った方がいい。


 そして、お金の為に身体を売っている若い女の子達へ、

 もし、僕の恋人か妻、妹か姉、親族、友人知人の誰かが、それをしていたとしたら、間違いなく僕は、死ぬほど悲しい思いをするだろう。
 それが僕では無いというだけで、君がそれをしているその時、それをとてもとても悲しむ人がいる事を、記憶にとどめて置いて欲しい。




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2006.02.18

睡眠薬の様な音楽

> 音楽の力って本当に凄いと思う。間違いなく、“音楽”と“楽器”は人類が生み出した物の中でも、最も素晴らしい物の一つだ。
 こと“音楽”と“楽曲”に関しては、自他共に認める超コアな鈴木祥子ファンでもある私だが、50代以上の方がいるカラオケの座に行く機会があれば(めったにない)、演歌や軍歌だって歌うし、ポップスもロックもジャズもクラシックも好きだし聴くし、本当に気に入った曲や歌手やグループや楽団や指揮者の演奏を聴く機会があれば、躊躇う事無くチェックを切る(つまり金を払う)。
 私は一部の、自分とは価値観の圧倒的相違が明白な、特殊で限定されたファンにのみアピールする音楽は聴かないが、それ以外なら色んな曲を聴くし、好む。その好みの範囲は『ノーベルやんちゃで賞』から『Symphony Nr.9 “Choral”』までという、とんでもない幅広さだ。

 僕の好むそう言った音楽達は、ある曲は僕を奮い立たせ、別の曲は慰め、また別の曲は癒し、と言った風に、その心象風景に様々ないろどりを添える。また、同じ曲でも聴く時の心境次第でそれは変わった感慨をもたらせ、癒しの曲で勇気付けられたり、陽気な曲で心に痛みを覚える事もある。

 で、タイトルにもあるのだが、私が肉体的に少しでも疲労が残っている時に聴くと必ず眠ってしまう。という物凄い曲がある。

 モーツァルトの
『アイネ・クライネ・ナハトム・ジーク』
 だ。

 私の持っているこの曲のCDは、ベルリンフィルにフォン・カラヤン指揮と言う、クラシックとしては恐らく最上質の構成だと言う事もあるのだろうが、この曲をこの楽団とこの指揮者で演奏したCDを仕事から帰って来て聴いていると、とにかく心地良くて猛烈に眠くなってしまい、そしていつの間にか寝ているのだ。
 私が読んでいると強烈に眠たくなる本として、不眠で悩む知人がいたら必ず勧めていた物に『カンタベリー物語』と現代語訳版で無い『神曲』があるが、退屈and/or難解で眠くなるそれらと違い、心地よさで眠りに落ちてしまうこの『アイネ・クライネ・ナハトム・ジーク』は、睡眠障害治療法としては、副作用のあるベンゾジアゼピン(だったっけ?)誘導体やバルビツール酸系睡眠薬よりも、遥かに健康的で快適だと思うのだが、どうだろうか?
 私個人の経験に基づいて話せば、『アイネ・クライネ・・・』は間違いなく、レンドルミンやユーロジン、リスミーよりも良く効く。


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2006.02.17

ごめんね。

 「・・・の事やけんど、明日ほんまにきちんと看てくれるがやろうか?」

 「うん。心配せんでもえいきねぇ。明日の朝に、ナースさんと一緒にワーカーさん(我が職場では、介護職員は「ケアワーカー」とカテゴライズされるので、職場内では自分達の呼称を「ワーカーさん」としている)が○×さんの所に来るきにねぇ。安心しちょいて♪」

 「言うたきねぇ。約束やきねぇ。mizzieくん明日は絶対に来てよ。」

 「ごめんよぉ。僕は明日がお休みになっちゅうきにねぇ、申し送りで明日の担当さんにキチンと伝えちょくきに。」

 「なんと!明日はあんたお休みかぇ!!そらイカン。」

 「どういてぇ?明日の人はみんなぁベテランの凄腕さんばっかりでぇ。」

 「でもあんたが一番ようしてくれるも。あんたが一番安心して頼めるがやったに。あんたが休みの時に限って・・・かえ。まっことツイて無いちや。そりゃいかん、心配になってきたちや・・・(脅)」


____________________________________________________________



 今日は一緒に組んだ相手にかなり助けられていた事もあって、珍しく全ての業務を時間内に終えて余裕時間まで出来たので、終業前に各部屋を巡視までしていて、で、上の会話は最後に訪れた部屋で、翌日に予定されていた処置に関して不安気にされていた入所者とのやりとりの一幕です。

 丁度日勤と夜勤の入れ替わりの、夕食まで業務が開く時間帯でもあったので、この方とは少しゆっくり話をして翌日の処置についての説明と、翌日勤務の職員達と担当医の優秀さをアピールして納得してもらいましたが、最初は「あんたが出てきてくれなきゃヤダ!」って感じで、それは個人的には嬉しくもあるけれど、しかし特定の職員しか受け付けないというのは仕事上ではとても問題でもあるし、何とも言えない複雑な気分でした・・・。
(でも、やっぱり、ちょっとは嬉しい♪)

 その方の話では、ベテランの凄腕職員さん(ホントに凄腕です)達には冷たさがあって、とても何かを頼める様な状況ではなく、僕には言える事でも他の職員達には言えないのだそうだ。

 恐らく、業務を時間内で終える為にフル稼働状態の先輩達にはスキが無く、新人でおどおどしながら仕事を進めている僕には隙があるのを、この方は直感的に見抜いているのだろう。

 加えて、残酷な現実だが、50人以上の入所者を6人(時には4人、夜勤時は3人)で対応しなければならないので、時間毎に起こる全ての出来事にその場で優先順位を素早く決断し、後回しにしても可能な要求は後回しにせざるを得ない。と言う現実があるのだが、まだ、その優先順位の決定を間違ったり躊躇ったりする事が多々ある僕は、先輩達が後回しにしていた事でも即座に対応してしまう事が何度もあったので、結果、「この人は待たしたりせずに応対してくれる優しい人だ」と曲解されているのだろう。

 勤務も4ヶ月目に突入して、緊急時以外は最優先の『絶対優先事項』は掴んでいるし、優先事項とその順位もかなり把握しつつあるので、これからはそういった「(組織としては)間違った利用者中心」は無くなると思われるが、それでもこの方は僕を信頼し続けてくれるのだろうか?

 ナースコール対応に専属の職員を置き、その職員が業務から完全に開放された状態でいられるのならば、利用者毎・時間毎に発生する需要にもかなり細かく対応できるのだろうが、それでも日に一度は起こる、瞬間的に同時発生する要望全てに応えるのは不可能だし、そんな職員を置くような人的余裕も資本的余裕も無い。

 人口30万弱の中核都市に位置する、収容人員60人の中規模介護施設でもそうなのだから、それよりも財政基盤と収益率の弱い施設ではどうなるのだろうか?

 純ちゃんさぁ、新型護衛艦とか言ってVTOL空母造る予算があったらさぁ、介護保険の方にももう少しまわしてくんないかなぁ?
(我ながら、昨日と言ってる事が矛盾しすぎているとは思うが・・・)


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2006.02.15

ニーズを掘り起こせ!繋ぎあわせろ!!

 過疎に悩む中山間地域で、高齢者の足として病院等への送迎を行い、それに対しての謝礼を受け取っていた人が、無許可での旅客運送、いわゆる『白タク行為』を行っているとして、逮捕された。

 白タク行為それ自体は確かに法律違反の悪しき行為なのだが、彼が逮捕された事で、移動手段を失った過疎地の高齢者達が著しい損害を被る結果となった。

 高知の様な深刻な(一部地域は「激甚」と言っても言い過ぎではない)過疎・高齢化に悩む地域では、人口の殆どが65歳以上で、それらは殆どが独居、さらに隣近所と言う物が存在せず、最も近い家まで歩いて10分以上掛る。と言った地域が無数にあり、高知には、そういった地区で暮らす独り暮らしの高齢者が相当数存在している。

 さらに、そういった高齢者はかなりの割合で年金収入が拠り所。と言った場合が多く、上で挙げた白タク行為をしていた人が逮捕された結果、タクシーを利用する経済力などない彼等(最も近い病院まで、車で30分掛かるそうだ)は、社会的引きこもりにならざるを得ないという事になっている。白タク行為で逮捕された彼の元には、逮捕後の今もそういった過去の利用者からの依頼がひっきりなしにあるのだそうで、しかし彼にも生活がある為、ボランティアでの無償支援をするような余裕は無く、赤字財政と国庫からの補助金廃止で財政難に喘ぐ自治体はおろか、地域のニーズを掘り起こそうと試みたNPO法人すらも手が出せない現状で、地域住民、自治体、NPO法人によって開かれた対策会議でも、何ら有効な具体案を見い出せないままに終わった。

 しかし、例え密度が低いとは言え、そこには確かに需要がある。

 「自分の手で選んだ食材で調理がしたい」
 「自分の手で品質を確認した物を買いたい」

 そう言った文化的な生活を営みたいと言う欲求は、極端に情報が制限された北朝鮮のような国ならいざ知らず、情報供給方法が高度に洗練された日本に暮らす限り、誰もが必ず持つものだ。

 しかしながら、現行の法制度と社会福祉政策下では、過疎に悩む中山間地域の年金生活者にとって、そう言ったニーズを満たすサービスは存在を許されていない。

 もちろん私だって高度成長期の様な、資本の再分配システムが復活不可能なのは判っているし、それを全肯定するつもりなどさらさら無いが、地方・弱者切り捨てを財政基盤とする現政権のやり方には、マイノリティーとして切り捨てられる側に立つ地方出身者の私としては、ちょっと受け入れ難いのも事実だ。特にこのような現実に直面すると、とても強くそう思う。

 地方切り捨て、弱者切り捨て、格差容認、利益・効率最優先の現・小泉政権は、就任以来ずっとそれらの政策を変化する事無く継続しているが、こと過疎地の高齢者対策に限って見れば、政府は『切り捨て』だけではなく、『逃げ切り』を狙っているのではないのだろうか?とも感じる。

 政府は、本音では地方対策とか弱者救済なんか、これっぽっちもやりたくなんかないんだ。

 今、過疎に悩む中山間地域の高齢者も、放っておけばあと15~20年もすれば殆ど死んでいなくなるのだ。ここでヘタに情をかけて彼等を救済してしまうと、せっかく死に掛けた地方・弱者が持ち直って、また彼等の面倒を見続けなくてはならないかもしれない。

 じゃあ、ほったらかしにして奴等が死に絶えるのを待とう。
 従軍慰安婦や、在日の被爆者に対して取った政策と同じ手だ。
 私達地方出身者にとって都合が悪い事に、この作戦は多数派国民(都市生活者の事だ)からの支持を得てまでいる。過去記事でも取り上げたが、東京は地方の為にはもう何にもしたくない、ビタ一文払いたくなんかないんだ。

 多数派日本人がそう考えているのだからもう仕方が無い。我々地方出身者は何とかして、自力で生き残る方法を考え出さなければならない。

 需要の密度が低くてビジネスとして成立させる仕組みを構築できないだけで、そこには間違いなく需要はあるんだ。

 後は、知識と人材を出し合って、試行錯誤を繰り返してでも、システムを作り上げるしかない。

 俺達にはもう後が無い。
 だって政府が、東京が狙っているのは、

 
地方絶滅

 
なんだから。

 とにかくこの難局を乗り切って、地方の自立を確立させて奴等を見返してやろう。そして俺達を切り捨てた奴等には、そのまま切り離れてもらおう。

 僕等は地産地消で安全で美味しい物を飲み食いするけど、彼らには残留農薬で出来た輸入汚染食物と、高度に濾過された高価な飲料水で生きてもらおう。

 あいつらは金だけは持ってるんだから、僕等の安全で美味しい食物や飲料水(含む酒)は、目一杯高値で売りつけてやろう。

 そして地方移住希望者は、最大の歓待を持ってもてなそう。


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要介護のペットと、尊厳死を選ぶ動物達

 ペット産業が高度に洗練され、ペット達の衣食住に関する物事が劇的に向上した結果、ペット達の寿命が飛躍的に伸び、最近では介護を必要とするペット達が増えているらしい。具体的には、排泄コントロール不能となって排泄援助を必要としたり、食事もそれ専用の食事しか受け付けなかったり、動物医による定期的な観察を必要とする様になり、ペットの介護産業も生まれつつあるようだ。
 私がドキュメントで見たのは犬だったが、私が過去に飼っていた猫は、私が渡米してすぐに、自力での食事が困難な程に老衰し、家族が勧めても自ら食事を取る事を拒否し、まるで自ら死を選んだかの様に、皆が寝静まった深夜、静かに息を引き取ったらしい。
 シートン動物記に書かれた動物達を引き合いに出すまでも無く、一部の動物達はある時点で、まるで尊厳死を選んだとしか思えないような死に方をする。ある者は群れから離れ、またある者は自発呼吸以外の全てを拒否し、そして衰弱死をするのだ。まるで、野生動物や一部のペット達には、醜態をさらす。という概念が存在しないかの様に。
 醜態をさらしながらもその地位にしがみつく、巨大組織や政府の長老達と対極に位置するそれらの野生動物達にとっては、醜態をさらす位なら矜りを保ったまま死ぬ方が尊いのかもしれない。もちろん、加齢による生活不能は不可抗力なので、それに対する生活保障は、全ての生きとし生ける者にそれを受ける権利があるのだが、しかしながら、保身と自己満足の為に、如何にそれが醜かろうが、自分の地位に固執する組織の長老達には、悪弊を放出しながら組織を道連れにするよりは、狼王と呼ばれたあの高貴な、矜持を保つ為に死を選んだあの狼の様に、引くべき時には潔く身を引いて頂きたいのだが、恐らく彼等の矜りは、野生動物のそれにも劣るのであろう。


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2006.02.14

AuthoritarianとAuthoritative

 Authoritarian権威主義の、独裁主義の
 Authoritative
;権威ある、信頼すべき

 この二つはの言葉とても似ているけれど、その意味する所とその本質は、全く異なっている。

 介護の世界でも利用者に対する接し方で、この二つを履き違えてしまったり、いつもはAuthoritativeに接しているのに、業務に追われている内に気が付けばAuthoritarianになっている時が、先輩達に見受けられたりする事もある。

 利用者に対して・・・tativeに接しているのは理想ではあるが、それは常に、・・・tarianになってしまう危険性を孕んでいるのも事実だ。
 実際、難聴気味の利用者に行動の意味をきちんと説明するのは簡単では無いし、認知症が進行している相手に対して、論理的な説明が理解してもらえない局面は無数にある。

 また、発達心理学でも老人心理学の分野は最近急速に進歩している分野ではあるが、そこでも、儒教的思考が染み付いている東アジアの高齢者には、理論的説明をする若年介護者よりも、それなりの年齢の介護者からの、ある程度権威を持たせた、父親や教師のような接し方をした方が、反発も少なく受け入れ易い。という事実もある。

 また、介護者と被介護者の力関係では、理論上は被介護者が強者だが、実際は介護者側が強者になる。という側面もあり、権威主義的に接した方が業務を進めるのが簡単だし効率的だ。という悲しい現実もある。

 肉体的、精神的にタフな仕事でもある介護業界は、そのタフさの割にはRewardが小さいので、介護者のストレスが溜まり易く、吐き出し難いという事もあるのだろう。

 しかし、現実がそうだからと言って、理想を追うのを止めてもいいのだろうか?シビアでタフでハードな現実に耐えつつ、理想を追う姿勢を保ち続け、理想と現実の狭間で曖昧さに耐えながら、より良い物を目指して行く。
 まだ始まったばかりの介護保険制度の下、その曖昧さと居心地の悪さに耐えながらそうして行くしか無いのではないだろうか?

 今はまだ介護職者の志で辛うじて支えられている、介護業界の社会的・経済的地位だが、政府が今後も介護業界で生きる事に対して、インセンティブを何も設定出来なかった場合、介護業界自体が荒廃してしまう危険性を孕んでいると私などは思うのだが、小泉政権は、弱肉強食の競争社会と、拝金主義の格差社会を現出させ、その、全人口の9割が下流になる社会で、将来下流になる9割が受けられる介護が、荒んだ物しかなかったとなると、この国はどんどん不安定な社会になってしまうと思うのだが、一体どうするつもりなのか?一度政権政党の政策担当者に聞いてみたいものだ。


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2006.02.13

誰も否定しない

 僕は、自分が誰かからされて嫌だった事は、絶対に他人にはしたくないと思っている。

 酔っ払って誰かに絡んだりなんかした事が無い(それ以前に今は酒が飲めない)し、「殴ってくれ!そうしないと俺の気が済まない!!」と言われて殴った事が一度あるだけで、誰かを肉体的に傷つけた事も無い。

 誰かを騙して経済的損失を与えた事も無いし、自分一人の利益の為に、誰かを巻き込んだ経験も無い。

 陰口を言われるのも嫌だから、思った事は直接言うし(それで随分損もした・・・)、「これは言われたら傷付く」と思った事は、誰にも言わずに胸にしまってきた。

 そんな態度で他人と接し続けていると、確かにストレスが貯まる時もあるのだけれど、「自分が誰かにしてもらって嬉しかった事は、時々は他人にもしてあげよう」と言う事も自分に課している僕は、時々それで誰かから感謝されたりして、時には物凄く深く感謝されたりもして、それをストレス解消に役立ててもいる。

 この、「嫌がる事はしない。嬉しい事はしてあげよう」な僕が極力避けている事が、タイトルにもある、「誰かを否定・誹謗・中傷する事」です。

 「完全・完璧・絶対なる物は、この宇宙には存在し得ない」と考える僕にとって、如何に異端or極端な考えであろうとも、それが完全な間違いと言う事はあり得ないと思っているし、100人が100人「それは正しい」と言ったとしても、そこには常に別の可能性が存在すると思っている。

 そう思っている僕だから、正確には「誰も否定しない」では無く、「誰も否定出来ない」んだとも思う。

 いじめられっ子だった小学生の頃に芽生え、マイノリティーとして冷遇されていた高校生時代に膨らんだ、僕の中に漠然とあったその心の許容度の広さは、全米で最もリベラルな街でもあるサンフランシスコで暮らし、その街で大学に通って、心理学や天文学等、様々な知識を得ながらCritical thinking skillを鍛えられまくって、自分自身を含めた全てに対して様々な側面から考える姿勢が染み付いてしまって、その許容度は広さ深みを増し、結果、皆が非難するするような事物や相手に対しても、「でも」、「だけど」、「しかしながら」と考えるクセがついてしまって、どんな対象にも、その対象のいい点を探し出す技術を身に付けてしまいました♪

 誰かを非難している欠席裁判の場面に出くわした時、その場で出ている“曲解”や“拡大解釈”には、柔らかく別方行からの視点を展開し、ネガティブな“事実”は受け入れますが「でも、・・・なトコもあるよ。」と言った類の、視点を変えた解釈を加えるのが染み付いてしまったようです。

 ただ、こんな姿勢で他人や物事に当たる僕を、「いい人ぶってる」とか、「八方美人」と言って(それは確かにある面では真実だ)極端に嫌がる人もいるようで、僕は人から嫌われる事よりも好かれる事の方が多いし、好かれなくても嫌われる事も無い。というのが多いのですが、ごく一部の人には、強力に・圧倒的に嫌われてしまいます・・・。困っちゃうなぁ・・・。

 個人の否定・非難・誹謗・中傷は徹底的に避ける僕ですが、圧倒的強者の側にいて、自分の事のみに専念して弱者を欺いたり虐げたり搾取したるする公人や組織や国家や、自分は絶対安全な場所にいて、己の言行に対しては決して責任を取る事も無いクセに、他人を誹謗・中傷するような輩は徹底的に非難し、圧倒的に否定します。


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2006.02.12

戦術論・戦略論・戦争論

 戦闘機大好きな、ちょっと濃い目なミリタリーマニアでもある僕だが、戦争それ自体は大嫌いだ。理由も無く誰かに殺されるなんんて真っ平ごめんだし、敵だから。と言う理由だけで誰かを殺すなんてしたくもない。もちろん、どこかの誰かが僕や僕の家族・友人を殺そうとしたりなんかしたら、僕だってもちろん全力で反撃をするだろうけれど。
 世界から争いごとが永久になくなるのは、地球人類にとって究極の理想(除く軍産複合体)だけれど、現実として人類史上争いが絶えた事は無く、憲法で交戦権を放棄し軍備を禁止している日本でさえ、国土防衛を建前にした『自衛隊』と言う、世界第3位の予算規模を持つ軍隊が存在する。
 この、世界3位の予算規模を持つ『自衛隊』というのはとても可哀想な軍隊で、『専守防衛』が課せられている為、やられた後の反撃にしかその軍事力を使う事が出来ない。軍事力行使を純粋に戦術面から考察した場合、先制攻撃で相手に打撃を与え、特に現代戦ではそれで相手に致命的打撃を与えるのは常道になっているので、この「攻撃を受けてからでないと攻撃が出来ない」という制約は、軍隊としては既に終わっていると言ってもいいと思う。
 そもそも、戦争という外交戦略は国家にとってとても不合理な行為だ。戦闘とは、相手の戦力を減らせ、こちらの戦力損耗を最低限に抑える事を前提として行われるので、兵器も、兵員も、最初から損失する事を前提にしているのだ。1機百億円超の戦闘機や、1隻数千億円の巡洋艦はもちろん、それらを操縦する要員も、一度戦端が開かれると必ず、幾らかは消耗するのだ。
 ハードとしての兵器はもちろん高価だが、優秀なパイロットやオペレーターを育成するのにも相当なコストを必要とし、さらにそうやって育てた要員の質を維持するのにも莫大な予算を必要とし、そしてそれらは戦場で損耗する事を前提にして建造・育成されるのだ。戦争という行為が、如何に不経済で非合理な行為か、少し考えれば誰にだって判ると思う。
 しかしながら、今だ世界から争いの火種が絶えた日は無く、自分に直接関係した事など一度も無いような人を、「敵だから」という理由で殺させる『国家』という非情な組織と、それをしてしまう人間の残虐性。そして、仲間を殺された事で生じる憎悪と報復の連鎖は終わる事無く続いているが、この悪循環を断ち切り、憎しみを乗り越える手段は無いのだろうか?

 我々日本人は60年前、不幸な過去から学び取った教訓を基本に、この問いへの答えを国権の最高法規で規定していた。これを改正しようとする風潮が強い昨今ではあるが、ここでもう一度、その崇高な理想を確認しておきたいと思う。


“日本国憲法”
前文
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従う事は、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する事を誓う。

 第二章 戦争の放棄
 第9
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

[English Translation]
THE CONSTITUTION OF JAPAN

    We, Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
    We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
    We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

CHAPTER2
RENUNCIATION OF WAR
    Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
    In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

参照;『日本国憲法』小学館





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2006.02.11

そこには多様なケースがある

 レース用マシンの整備はとても複雑で繊細な物が要求されるのだが、一旦コツさえ飲み込んでしまえば、後は整備用マニュアルに従ってさえいれば、どんなマシンでもあるレベルまでは維持・管理・運用が出来る。

 戦闘力のあるマシンをライダー毎のクセに合わせてセッティングするには、高度な技術力と経験が要求されるが、ローカルレース・
レベルのマシンを維持・管理するのならば、ただ純粋にマニュアルに従っていればいい。

 人間を相手にする“介護”という仕事はそうはいかない。
 大まかな事を教える教本の類はあるが、そこで習得出来るのはファンダメンタルな技術と対処法だけで、現場で要求されるのはそこからの応用技術と発想の柔軟性だ。現在50人以上の入所者がいる我が職場でもそれは同じで、一人一人微妙に異なるクセや対処法をマスターしないと、業務を効率的に進める事はおろか、一歩間違えれば相手を肉体的・精神的に傷つけ、最悪の場合死に至らしめてしまう事にもなり得る。

 各個人が微妙に異なる対処法を必要とする上に、時間毎、曜日毎、季節毎にそれらへの違った対処が要求されるので、それら全てを習得するのは、簡単な仕事では決して無い。
 もちろん、情動を排除して利用者を画一的・効率的に扱い、こちらもロボットの様なサービスしか提供しないのであれば、そう言った難度からは開放されるのだが、そんな接し方では、この仕事で充実感や達成感を得るのは無理だろう。

 充実感と達成感がこの仕事でモチベーションを維持する最大の要素だと考える私にとって、それ無しだとこの仕事に対しては不満しか生まれないであろう事は、容易に想像がつく。

 もちろん私も、要求される物が高度で難易度が高い割には、報酬が少ない事には疑問も感じるのだが、この点に関しては、知識と情報とそれらのネットワークを構築し、色んな知恵をより多くの人が出し合って、改善に向かわせる以外に解決方法が無いのでは?とも思っている。



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2006.02.10

持つべき物は、良き上司

 

「今日の昼休みは、45分休憩とします。」

 休憩直前に、病棟長から全職員にそう告げられた。

 それは私の職場で不定期だが頻繁に開催される、研究会や会議の開催通知でもある。
 業務遂行の為に最低限必要とされる職員を残し、残りの職員は全員参加だ。(業務に回って参加出来なかった職員は、会議後に議事録閲覧義務が生じる)

 この日のテーマは、『接遇技術』

 何でも、職員の入所者に対する接し方で、他のセクションに勤務する職員からクレームが出たらしい。
 一般の老人福祉施設や居宅介護と違い、総合病院内に設けられた療養型医療介護施設である我が職場は、外来部がある関係で接遇技術はそれなりに重要視されている。

 外来部、一般病棟、介護病棟等、複数のセクションに分かれている我が職場で、他のセクションに属する職員が介護病棟を通った際、介護職員の入所者への接し方に問題があった。とクレームが上がったそうだ。

 今の職場ではペーペーの新人である私は、いつでもどこでも誰にでも、自分を相手よりも低頭に落として接するように心掛けているが、恐らく、ベテランの職員のだれかが、仕事への慣れと、業務に追われる過程で、権威主義的に接してしまった所を目撃されてしまったのだと思う。

 当の本人は病棟長からその議題が出た時にそれに気付いていたようだが、また病棟長自身、誰の事を指摘されていたのか判っていた様なのだが、病棟長は決して犯人探しをしてその人を責める事をせず、問題を全員に共有させて全職員にモラル向上を促し、結果としてそれを、全職員の職業倫理啓発に結び付けてしまった。

 他セクションからとは言え、同じ職場からの内部告発に対し、それで指摘された問題の犯人探しをしてその犯人に自責を促すのはそれ程難しい事では無い。
 ただその場合、指摘された本人に「なぜ私だけが?」と言った類の疑問や不満が残るであろう事は、容易に想像が出来る。しかし今回の様に、全員で問題を共有し、犯人探しをしない事で、当の本人には無言の圧力と自発的自己反省が芽生え、該当しなかった者にも、その事例に対する問題意識が植え付けられた。

 見方によっては『それほど大した事では無い』と解釈されかねないが、全体の職業倫理低下へ確実に繋がる可能性を秘めた些末事を、15分の会議で職員全体の自己覚知へと結びつけたこの病棟長は、組織の責任者としては中々に優れた技量を持っていると言えるだろう。





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2006.02.09

道州制賛成派

 道州制に関する論議がかなり現実的な物となって来た昨今だが、私は道州制に反対はしない。

 むしろ、現在の地方自治の現状を見た場合、現行の都道府県制よりも、道州制の方がより効率的な行政政策が出来るのでは?と考えている。

 もちろんそれには幾つかの理由がある。

 それは、現在の都道府県制が出来た頃と比較した場合、交通網と情報網がここまで整備された現在では、より広範囲の管轄が容易になった事と、人口の過疎化・過密化で、県単位で行える事業が財政的に制約を受けている事、そして、道州制を導入する事で、現在の都道府県制よりもより強固な権限を自治体に持たせ、官僚の地方支配体制を打破する道を拓く事にある。

 まず最初の論点について言えば、高速道路網が一部地域以外にはほぼ行き届き、行政の管轄可能な地域は劇的に広域化した。

 考えてみれば、現在の都道府県制になったのは明治時代の話で、2時間で到達可能な距離はその当時とは比較にならない程に広がっている。
 また、情報網の発達は、高速インターネットにより、高度医療を在宅で受けられる事を可能にするまでになった。
 現在研究中の送電線を利用してのインターネット利用が実用化されれば、ブロードバンドが導入されていない過疎地域でも、高速インターネットの利用が可能になり、それは僻地医療問題を劇的に解決させる事を可能とするだろう。
 また、その高速通信設備を活用し、市町村単位で行っている行政サービスを州政府で一括管理する事も、難しくは無いと私は考える。

 それに関連する事になるのだが、地方自治の集約・一括管理が可能になると、現在、財政的に危機に陥っている幾つかの自治体を、道州単位に集約する事によって組織のスリム化が可能になり、人員削減によって無駄な予算や事業をカットする事が出来るので、現在の県単位では行えない人員整理や事業計画の見直しが可能になったり、財政的に不可能だが重要な幾つかの事業が、州単位だと施行出来るようになる余地が生まれる。

 そうなると、現在の国からの交付金頼りな地方自治体が、国家の管理から独立出来る可能性が生まれ、また、国会議員も自分の出身地への利益誘導から解放される為に、国政に専念出来るというメリットか生まれる。

 本来、政治家の仕事とは利害の調整と資本の再分配、対外交渉と国益の確保だった筈なのに、いつの間にか、与党議員の仕事の大部分が地元への利益誘導になっている訳で、さらにそこへ官僚による地方支配が加わり、結果として、資本の不平等・非効率な分配システムが出来上がり、さらに癒着と汚職の素地が形成されている。

 これらを、道州制を導入し、さらにそこに財源委譲を行う事によって地方自治体を財政的に独立させ、国政を地方管理(支配)から開放させ、彼等には国益確保に専念してもらい、市民への行政サービスは地方自治体に任せる方が、より公平な、効率的な、行政運営が可能になると私などは思うのだが。

 話は少し逸れるが、仮に道州制が導入されて四国四県が「四国州」となった場合、過去にあった異常渇水時の様に、“水不足に苦しむ香川県の為に”と言って当時の高知県知事が、早明浦ダムの発電用予備貯水分を放水させた時、早明浦の水は高知から徳島を経て香川用水に流れるのだが、徳島県が「徳島に入ったらウチの水だ」と言って一滴も香川用水に廻さなかったのだが、そういった事は無くなると思われる。

 言っておくけれど!

 高知は四国全体の為に村を一つ沈めてまでして巨大ダムを建設したのであって、徳島に水を安定供給する為や、建設補助金が欲しくてしたんじゃないんだからね。


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2006.02.08

Uncle Sam, the worst and strongest scoundrel

   The US and some EU countries insist that Iran has a plan to develop nuclear weapon. In addition, we can watch the news everyday on TV about that. However, IAEA investigation concluded that they couldn’t find a proof of nuclea bomb in Iran. In addition, IAEA, Britain, Israel, and a US government agency called NIE[National Intelligence Estimate] reached the same result of analysis. Iran is required 10 years or more to obtain the developmental technology of uclear bomb. Neverthless, Bush administration insists that Iran already has nuclear weapon or it development program. It seems that the US try to make public opinion to Iran invasion like Iraq.
     In view of the Middle East history, the US had put a puppet government in Iran until Iran revolution in 1979. The US has been hostile and threat to Iran after the revolution. In other word, Iran has been threatened by the US for long long years. The US threaten Iran off. So, it’s natural result if Iran try to get the power to self defence. However, Iran insists that their nuclear development program only for purpose for peace, not weapon.
Furthermore, Iran has accept to IAEA investigation frequently. I think that there is no reason for invasion to Iran.
     However, the US must be invading to Iran. Because John R. Bolton, temporarity appointed U.N. ambassador said that “If we permit Iran’s deception to go on much longer, it will be too late. Iran will have nuclear weapons”. The US doubt a country and the country insists untrue about it. But, the US invade the country. It’s pretty close to a case of Iraq.
     Unfortunately, only the US has superpower in the world now, and there are no country to give US candid advice. Therefore, US behave outrageously.


    
US has break CTBT[Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty], and US has reject to Kyoto Protocol. Moreover, US wants to use their military power to all over the world. If US leave itself as it stands, US must destroy the planet of earth.

[原文]
アメリカ。最悪で最強のならず者

 欧米はイランが核兵器開発をしていると主張しており、連日それらのニュースをテレビで見るが、IAEAの査察では、イランで核兵器開発の証拠を発見する事は出来なかったとされ、加えて、IAEA、イギリス、イスラエル、そしてアメリカの政府機関であるNIEも、「イランが核兵器を持つまでには10年は掛る」との意見で一致した。にもかかわらず、ブッシュ政権はイランが核兵器開発計画を持っていると主張し続けており、それはイラン侵攻への世論形成をしようとしているかのようだ。イラクの時にやったように。
 中東の歴史を鑑みるに、アメリカはイランに傀儡政権を置き、その反動でイスラム革命でイランにイスラム国家が出来て以来、アメリカはイランを敵視し、脅し続けてきた。アメリカに「殺すぞ」と脅され続けて来たイランが、もし、自衛の為に力を得ようとしたのなら、それは当然の結果ではないのだろうか?だが、イランは自国での核開発を平和目的だと主張し、IAEAの査察を受け入れ続けており、そんな国に侵攻する理由などないように私には思える。
 しかしながら、アメリカの国連大使でもあるジョンR・ボルトン氏は、「イランにこれ以上欺かれ続けるのを許せば、いずれイランは核兵器を持つだろう」と語っているくらいなので、いずれアメリカはイランにも侵攻する事になるのだろう。アメリカがどこかに国に難癖を付け、事実無根を主張するその国に軍事侵攻をするというのは、イラクのケースと酷似しているが、世界唯一の超大国であるアメリカに苦言を呈する事の出来る国は、世界の何処にも無い。だから、アメリカはあんなに傍若無人な振る舞いが出来るのだろう。
 包括的核実験禁止条約を破棄し、地球温暖化防止会議京都議定書の批准を拒否し、世界中でその軍事力を使いたがるアメリカは、もしアメリカそれ自体に現状からの変化が無ければ、きっと世界を破壊してしまうに違いない。



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2006.02.07

Passion to Compassion

“Compassion”
  僕は
自分が所有する英語力を、日本人の平均よりも優れたスキルだと思っている訳ですが、僕が一番好きな英単語は何?と聞かれたとしたら、その答えは「Dream」でも「Love」でも「Justice」でもなく、この「Compassion(思いやり)」です。で、このブログ上でも強力にリコメンドしまくりなアーティスト、鈴木祥子さんの詩にもありますけれど、CompassionPassion(情熱)から生まれる。はある面真実だよな〜・・・。って感じます。

 「人の役に立つ事」が大好きで、「誰かの役に立ちたい!」っていう強烈なPassionから、不可抗力による生活不能に陥った人を助ける、Compassionに依拠する介護職を生業と選んだ僕など、Passion→(to)→Compassionを実践しているような物ですよね。
 でも祥子さんの言葉を借りると、Passionは時としてDestruction(破壊)にも繋がるんだそうで、僕自身が、強すぎるPassion、その心に従って全てを壊してしまった経験もあるので、それもまた真なり。とも自覚しています。度を越えたPassionSelf-defeating(=Destruction)的傾向を生じさせてしまう事があるので、それを上手くCompassionに向かわせつつ、Passionをコントロールするクールさが、介護には(夢には、愛には、人生には)求められるんだと思います。
 
Passion & CompassionFair & Justice、それとLove & Dreamは、いつも心にとどめていたいと心がけている僕ですけれど、祥子さんの『Love is a sweat harmony』の歌詞に“LOVE IS AN ART, it always in your heart(愛、は一つのアートで、それはいつもあなたの心の中にあるの)って節があって、mizzie共感しまくりなのでした。


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2006.02.06

バイク乗りの血が・・・

 98年、鈴鹿サーキットでの事故で、レースを身体的理由で参戦不可になって以来、僕は意識的にバイクからは離れていた。「もう乗られない」と言う悔しさと、「乗ることが出来ても、レースレベルで走る事が出来ない」と言う事実に、物凄いストレスを感じる事が明白だったからだ。もちろん、僕だって全日本選手権参戦資格を持っていた国際ライセンスのレーシングライダーだった訳だから、平衡感覚異常がほぼ完治している今なら、レース経験者以外には絶対に負けない自信がある。ただ、僕の要求を満たす様な走りをさせてくれる場所がサーキット以外には皆無なのも知っているので、資金的。時間的制約から、自分の中にある「また乗りたい」と言った思いは、心の底に押し込めて封印していた。

 そんなある日、職場の先輩介護士の一人が、かなりコアなバイクマニアでもある事が判り、雑談程度にバイク談義をしていたのだが、その内容は僕が封印していた、バイクへの思いを呼び起こすには充分なモノだった。

 これはマズい。ひっじょーにマズい。

 折角押し殺し続けて来た、自分のバイクへの思いが燃え上がってしまう。もっと突っ込んだコアなバイク談義に進みそうなのを自制しつつ、その話題を切り上げて仕事に戻ったのだが、“過去の想い出”で受け流す事が出来るレース仲間との話題と違い、その方との話は私に、自分が唯のバイク好きから、好きが高じてレースの世界に身を置く事になった事実を思い出す結果になった。

 ハイスピードライディングに魅せられていた私だが、のんびりツーリングに行くのも大好きだ。レース参戦中は資金的事情からレース用バイク以外の所有が不可能だったが、時々、バイクに乗ってどこかに行きたくなる時があったのも事実だ。

 公道走行可能なバイクで、魅力を感じるのはレーサーレプリカの600ccクラス、ドカティの900クラス、後は2ストマシンだが、どれも今の私には高価過ぎて手が出ないが、資金的余裕が出来たら買ってしまいそうで怖い。

 現役選手時代から8年を経た今も、体型に全く変化が無い(168cm58kg)私は、現役時代のレーシングギア(レーシングスーツ・メット等)がそのまま使用出来るので、マシンさえあればすぐにでも走り出す事が出来るのだが・・・。


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2006.02.05

それは試合放棄です。

 これは昔、僕がミニバイクレースに参戦していた頃の話。
 当時は受付順でグリッドを決められた、“予選レース”の順位で決勝のスターティング・グリッドを決める。という方式が取られていたのだが、その予選レースで、トップを独走していた僕は周回数を間違えて、チェッカーを受けずにコースを離れてレースを終えてしまった事があった。結果はもちろん最下位だ。
 その日は運良く参加台数が少なく予選落ちは無く、またライダーもマシンも絶好調だったので、決勝では最後尾からスタートして、全員を抜き去って優勝したのだが、この時は予選落ちが無かったので決勝を走る事が出来たが、参加台数によっては、トップを独走しながら予選落ちする所だった。
 この経験から学んだ事は、“チェッカーが振り下ろされるまでは、どんな状況でも手を抜いては、諦めてはならない”である。
 そして僕は98年のクラッシュにより、レース活動継続不可となってレースを引退したのだが、引退後数年して米国永住権を得て渡米後、「その歳で渡米とは、また思い切った事をしたねえ」という知人に対し、僕は言った。

 「レースは、チェッカーが振り下ろされた時点で勝敗が決まるけど、人生は、こっちが負けを認めるまで敗者にはならんのやで。」

 競技としてのモータースポーツは残酷だ。過去に“機械判定でも判定不可(つまり、その差は1000分の1秒以下)な為、特別に同着優勝とする”という例が一例あっただけで、100km以上の距離を走り、チェッカーフラッグが振り下ろされた時、2位との差が10cmだったとしても、勝つのは10cm前にいたその一人だけで、そいつより後ろにいる奴は全員が敗者だ。トラブルで後退した後に持ち直し、後方からファステストラップを連発しながら追い上げて来ても、チェッカーに間に合わなければ負けなのだ。例えあと1周あれば余裕で逆転が出来たのだとしても。

 僕はレースが出来なくなって、自殺未遂をするほどの心身耗弱から立ち直った後もずっと、挑戦者で居続けた。挑戦する対象を換えた事はあるが、挑戦する事を止めた事は無い。何故かって?そりゃもちろん、

僕の人生にはまだ、チェッカーフラッグが振り下ろされていないからさ

 つまずいたり、ころんだり、ぶつかったり、身体もココロもすっかり傷だらけになっちゃったけれど、挑戦を止めるつもりはさらさらない。
 
だってまだチェッカーは出て無いんだから。
 確かに、全てを一からやり直すにはちょっと難しい歳にはなっちゃったけれど、まだ、ルーティンをこなすだけ、惰性で流れていくだけ。そんな人生を送るつもりなんか無いんだ。

 今の日本では全ての人が“勝ち組”と“負け組”に二分化されて、僕は収入では負け組にカテゴライズされるらしいんだけれど、こっちはまだ“挑戦中”で、負けを認めた事など一瞬だって無いのだから、そうやってカテゴライズされる事には強い違和感があるんだ。
 “自分は勝ち組”、“あの人は負け組”と、言いたい人は勝手に言っておいたらいいとは思うが、“ただ今挑戦真っ最中”な僕は、例え収入が負け組でも、こっちはまだ負けを認めてなんかいないんだから、“挑戦組”とでもしておいて欲しいと思う。

 僕の人生が“勝ちに”なるのか、“負け”で終わるのか。それはきっと、人生の最後、棺桶に足を突っ込む時に判るのだろう。「中々に楽しい人生だったな」が言えたら「勝ち人生」で、「俺の人生って一体何だったんだろう?」と言った思いしか残らなければ、それは「負け人生」だ。




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2006.02.04

更新頻度について

 夜勤明けでめちゃくちゃに眠いので、今日は書き溜めてた記事を放出します。

 ネット接続環境が常時接続になって以来、ほぼ毎日更新しているこのブログだけど、確かに、住む環境が激変し、職種も職場も激変した私にとって、毎日が発見の連続で、書く事が後から後から噴出している。元々が中学校時代のクラス日誌の当番だった時に、備考欄に連作小説を書いていた程なので、『書く事』が大好きだと言う事もあるが、自分でも、「よくこんなに書く事が出てくるよな」とか思ってしまう。
 日々の暮らしで発見の連続な今の職場で、私が仕事に慣れて新たな発見が殆ど無くなってしまえば、仕事と介護に関する記事は減るだろう。しかし、社会的に“アンフェアな事”が大嫌いなmizzieにとって、この地上から不公平と不公正が無くならない限り、疑問や憤慨をエネルギーにして生み出される文章が途絶える事は無いと思う。

 だから、このブログの更新が長期間途絶えたとしたら、それは、僕が介護員としての仕事を完全に把握し、さらに、この地上から差別と貧困と偏狭と圧迫と迫害と搾取が消え去ったか、僕が身体的に書く事が出来なくなった時だ。
 私は、前者が先に訪れてくれる事を、心の底から願っている。

 しかし眠い・・・。



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2006.02.03

独身浪人 独身難民

 私がまだ子供の頃、独身者は『独身貴族』とか言われて、既婚者から羨ましがられたりしたものだった。

 確かに、家庭に縛られない分、自由で経済的にも余裕があるように見えた彼等は、家庭があるが故に行動が規制・制限されていた者達には羨ましがられた事だろう。

 性別に関係無く、20代後半になると「・・・は婚期が遅れている。」とか言って縁談を持ち込み、独身者を半強制的に家庭に入らせる事には、強い違和感がある私だが、そうやって家庭を持たされる事になった者からすれば、妻が、子供がいるが故に出来ない事が増える事が、強いストレッサー(ストレスを与える原因)になったのであろう。

 しかし、そうやって半強制的に家庭を持つ事になった人達が、権威主義的な親になって子供の性格を歪めてしまったり、ギャンブルや浮気に溺れて家庭を崩壊させる現実を豊富に見てきた世代の私など、「家庭を持って社会的に落ち着かせる為に結婚させるより、本人にそうしたい意思が芽生えるまで放っておいた方がマシ」だと思えてしまうし、実際、私自身はそうして来た。
 (本音を言っちゃうと、私にも“この人と結婚したい”と思った事が数回あるが、全て失恋で終わった・・・)

 私は今年で35歳になるが、この歳になって独身でいると、確かに時間と資金は同世代の妻帯者よりも余裕があるが、妻帯者が手にしている種類の幸福を全く味わう事が出来ず、そしてそれらは、とてもとても大きな幸福感である事に気付く。

 20代後半の独身者には、『独身貴族』と言う言葉が適応出来るのだろうが、色んな物事を得たり失ったりしながら生きて来た30代中盤以降の私には、その言葉は適応出来そうにない。

 恋愛と結婚は“タイミングと、フィーリング”だと思っているが、35歳まで独身で来た私など、それなりにエゴイストな面もあるので、妥協点がとても我儘な設定になっている為、恐らく結婚は物凄く難しいだろうと思う。

 私もかつては貴族だったのかもしれないが、その貴族ぶりも落ちぶれる一方で、気が付けば没落貴族を通り越して、素浪人を経て難民レベルにまで達してしまっているような気もする・・・。

 以前、職場の忘年会で「どんな女性が好みなの?」と聞かれた際に、「学問を身に付けていて、僕が一人の人間として尊敬出来る部分もあって、意思が強くて優しい人です。」と言い、「僕よりも多くの面で優れていれば完璧ですね。」と答えたが、2度目の失恋以降、それを満たした独身女性には1度しか会っていないし、日本帰国後には皆無だ。

 サヴァイブするスキルに関しては高度な物を持ち、環境適応能力もゴキブリ並みな私には、妥協をしてまで結婚する必要も意志も皆無なので、恐らく死ぬまで一人で生きて行く事になるのだろう。



 結局、僕は一人でいるのがいちばんいいのさ、だって、誰からもさよならを言われなくて済むから。(寂し~・・・)



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2006.02.02

今時の若い奴等

 集団への帰属性や同調圧力がとんでもなく強い(恐らく世界最強)日本社会で、子供の頃からどちらかと言えば異端に属していた私にとって、majority(多数派)な同世代の児童や学生達は嫌悪の対象だった。そして私は高校卒業後すぐに、多数派日本人で構成された共同体から飛び出し、モーターサイクルロードレースの世界へと飛び込んだが、レースの世界はある意味、異端児達の集団でもあるので、そこはそれまで異端児として強い、無言の、同調圧力に悩まされていた私にとって、とても居心地の良い世界だった。参加するカテゴリーのレベルが上がる毎に、ライバル達の向上心と自己啓発意欲、その時点での優先事項を素早く決断し実行する決断力と行動力が上がって行き、ライセンスが上級になる毎に、私もその中で鍛え、磨かれて行ったものだった。
 そうして私は1829歳の間を、“モーターサイクルロードレース”と言う、日本社会では異端に属する人間達で構成された集団の中で過ごしたが、その中でいる時もずっと、多数派の若い連中には呆れていたし、絶望していた。具体的に言うと、自分からは何もしない。常に何かを待って・期待していて、しかし決して自分からは動こうとも考えようともしない。集団を批判するくせに、その集団から保護される事を望み、その為に集団に迎合してそこで角を丸くさせながら歳を取っていった連中。生きる為に必要な物は全て持っているくせに、常に何かを欲しがっていて、でもその欲しがっている物は、メディアで“それを所有する事はカッコいい・カワイイ”とされている物。「欲しい」とか「探している」とか口では言うクセに、その為に今持っているモノを手放したり、我慢したりする事を絶対にしない連中。自分から動かないと絶対に何もかわらないのに、自分の何かを犠牲にしてまで何かを得ようなんて絶対にやらない。とんがっている訳でも何かに打ち込んでいる訳でもなく、絶望すらもしていない。どこにも引っ掛かりがなくてツルンとしていて、ただ日々を生きているだけのクソみたいな連中。時代がそうさせていたのかもしれないが、90年代の20代以下はそんな奴等ばかりだった。
 私の場合、98年に鈴鹿でのクラッシュでレーサー生命を絶たれた後、日本社会におけるminorityとしての居心地の悪さに耐え切れず、米国永住権を得て渡米し、しかしそこで異国から故郷を見つめ直した時、日本のシステム以外全てを再評価する事になり、またアメリカの現実に失望、異国で特権階級者達に搾取される為に生きる位なら、生まれ故郷で「人の役に立つ事」を仕事にする方にやりがいを感じて帰国を決意し、収入や地位よりも充実感と達成感に基準を置く私は、そうして介護業界で働くという今に至っている訳だ。

 21世紀になった今でも、多数派の若い連中はクソみたいな奴等ばかりだが、数年前辺りから、瓦礫の中で輝くゴールデンリングの様に、物凄いポテンシャルを持った10代が目につく様になってきた。その凄い若い子達、最初に出て来たのは女の子からだった。社会的に根強く女性差別が残る日本社会においては、彼女達が絶望を起点にしてのステップを踏み出さずに得ない境遇に置かれる事が多かった分、日本社会の暗部を目にする事も多かったのかもしれない。

 女の子達が絶望と言う名の養殖場から、“諦め”と言う名の網を、身を捩って振り切っていったその時、男達は一体何をしていたのだろう?
 男達が中々出てこなかったのはきっと、様々な面で社会的に優遇されている男にとって、自己啓発・向上の為にリスクを取ってまでして、最初の一歩を踏み出すよりは、例えそこには自己向上の機会が皆無だとしても、集団の中に踏みとどまり、そこで利益を保証してもらう方が合理的だった。と言う事もあったのだろう。


 もちろん、私だって今時の若い男の子全員に絶望している訳では無く、「こいつみたいな奴が多数派になれば面白いのにな」と思う男もいる。
 その男の子は、最初に見た時はちょっとチャラい奴だな。と思っていたが、少し話してみて、「ん?こいつ外見よりも骨あるぞ」と感じた。そしてそいつは、10代後半〜20代前半と言う、人間が一番劇的に成長する可能性を秘めているその時期に、どんどん漢(おとこ)の顔になっていった。まだ20代の入り口をくぐったばかりのそいつは、これからの生き方次第でBreakthroughするか、spoilされてダメになるかの分岐点にいる様に私には思えた。

 私が、成長したあの男の子とまた合う機会があるのか、それはさっぱり判らないが、もし会う事があればその時、あいつはどんなに変わっているのだろう?私に一目置いていてくれたそいつが、その私をさらに超えて、本物の漢になっているのか、それとも私を失望させてしまうのか、私の“今時の若い奴等”感を変えてしまったそいつが、私を驚かせてくれる事を密かに期待している。

 私が誰の事を書いているのか、当の本人は既に気付いていると思う。
 サンフランシスコのダウンタウンにあるアパートメントで、リサーチやタームペーパーやエッセイに追われながら、このブログをチェックしてるそこの君!City Collage of SanFranciscoで学生やってる藤I君、あなたの事ですよ!!(^^)




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駄菓子大人買い

> 70年代生まれの僕が小学生の頃はまだ、携帯電話もTVゲームも無くって、遊び仲間達と公園で遊んだり、野山や水辺で虫を追ったり魚を釣ったりして遊んでいた。お金の掛かる遊びが子供には手の届かない時代だったから、親から貰った小遣いを握り締めて駄菓子屋に行く時は、それなりの高揚感があった物だった。1個が10円から30円程度の駄菓子を、限られた小遣いで如何に巧みに買うか。クジ付きで運を試すのか、確実に無難なお菓子を買うのか。
 あの頃、子供心に思った物だった。いつか大人になったら、あのお菓子を箱ごと買い占めたいって。
 70年代の何処かで日本の高度成長が終わって、その後、斜陽のアメリカ経済を救う為に導入された、円高を背景にしたバブル景気があって、同時に、80年代初頭に始まった家庭用ゲーム機の爆発的普及と、少子化による顧客減少もあり、利益率の低い駄菓子屋は経済的に自立できなくなり、下町の駄菓子屋は次々と閉店に追い込まれて行った。
 下町の駄菓子屋が絶滅危惧種になった後、駄菓子屋で子供時代を過ごした子供達が大人になって、それらを顧客対象とする店舗が、郊外型大規模店等に店を構えるようになった。先日、その中にある一店舗を訪れた私は、今は親となって子供達と店の中を歩く人達の中を縫って、箱単位で駄菓子を買いまくった。でも総額1700円弱。
 箱買いした12個入りのそれを眺めながら、「俺も大人になったなぁ・・・。」と、そんな事をぼんやりと考えていた。

PS
 如何に箱買いとは言え、駄菓子にクレジットカードは使えなかった。相変わらず駄菓子の利益率は低いままなのだろう。




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2006.02.01

日本国憲法第二十五条

 *日本国憲法第二十五条*
 “すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。”

 私の職場に入所している入所者の中で、脳梗塞等で身体機能に障害を持ち、しかし脳機能の情動領域には問題が少ない・或いは皆無な高齢者は殆ど全ての方が、介護者からの介助に対して感謝の意を表すだけでは無く、それを受けながら生きている(それなしでは生命が成り立たない)自分を責め、自己否定的な発言を繰り返す。そう言った入所者に対して、私は上に挙げた憲法二十五条を物凄く判り易い土佐弁に言い換えて説明し、“あなた達にはそれを受ける正当な、また当然の権利”があって、“私達はただ、その権利行使のお手伝いを生業にしているだけです”と応えている。
 世界人権宣言でも謳われてもいる(そして日本国政府はそれを批准している)様に、加齢による生活能力の低下は不可抗力なのだ。そこには個人の自己責任など皆無だ。日本は憲法で基本的人権を保障し、世界人権宣言にも批准しておきながら、この事実を公的にアナウンスする事が殆ど無いのは、恐らく、現政権と彼等の支持基盤である一部の特権階級層にとっては、加齢による能力低下に対する公的扶助を、国民全てが主張し始めると困る事になると、特権階級層(富裕層)の利益が減少するからと言う事なのであろう。米・英の二大国よりはまだマシだとは言え、日本にも(富裕層の利潤最大化の為には)「言うべきでは無い事」が存在すると言う事なのだろう。建前上では国民は全て、法の下での平等が憲法でも謳われているのだが、実際には、日本の社会システムは富裕層の幸福追求の為に機能している。
 例えば、整備新幹線建設の為に建設会社に支払った・支払う予定の予算総額があれば、介護保険の赤字分など一瞬で吹き飛ぶのだ。日本の年間防衛予算の約半分もあれば、3秒に1人の割合で死んでいる世界の貧困国の子供達の内の2億人に、一年間の食料援助が出来るのだ。昔、赤字に苦しむ大銀行を救う為に使った公的資金があれば、世界中の貧困国に住む子供達に義務教育を施し、混同ワクチンを接種して感染症による死亡率を減らす事も出来るのだ。つまり、日本国憲法に、世界人権宣言に、国家がそれらに則った行動を取ると、富裕層への福祉予算(納税者の税金を彼等の為に使う事)が減る事になるのだ。
 基本的人権に関する知識は、為政者・特定の富裕層(いわゆる“勝ち組”)が、最も国民に知識を得て欲しくない分野でもある。その政策が変わらない限り、加齢による生活自立度低下によって必要な介護を自己資金だけで賄えない者は“負け組”として”怠け者・無能者”と定義される事になるだろうし、加齢による能力低下を、自己否定に繋げる高齢者が減る事はないだろう。
 そしてそれは長期的に見て、日本と言う国自体が不安定な方向に向かう事になるのではないのだろうか?最も、たとえ日本がそうなったとしても、富裕層は国外に移住(潤沢な資金があれば”投資移民制度”を利用して永住権を買う事が出来る)してしまうだろうから彼等にとってはどうでもいい事なのだろうが。


 最後に、世界人権宣言の第二十五条をここに載せておく。

 *世界人権宣言第二十五条*
 “すべての人は、衣食住と医療および必要な社会的施設等により、自己的および家族の健康と福祉に十分な生活水準を保持する権利を有し、失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他の不可抗力による生活不能の場合は、保証を受ける権利を有する。

 繰り返して言うが、日本政府はこれを批准している。つまり、これらは全ての日本人に適用されて当然の権利
なのである。



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