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2006.02.05

それは試合放棄です。

 これは昔、僕がミニバイクレースに参戦していた頃の話。
 当時は受付順でグリッドを決められた、“予選レース”の順位で決勝のスターティング・グリッドを決める。という方式が取られていたのだが、その予選レースで、トップを独走していた僕は周回数を間違えて、チェッカーを受けずにコースを離れてレースを終えてしまった事があった。結果はもちろん最下位だ。
 その日は運良く参加台数が少なく予選落ちは無く、またライダーもマシンも絶好調だったので、決勝では最後尾からスタートして、全員を抜き去って優勝したのだが、この時は予選落ちが無かったので決勝を走る事が出来たが、参加台数によっては、トップを独走しながら予選落ちする所だった。
 この経験から学んだ事は、“チェッカーが振り下ろされるまでは、どんな状況でも手を抜いては、諦めてはならない”である。
 そして僕は98年のクラッシュにより、レース活動継続不可となってレースを引退したのだが、引退後数年して米国永住権を得て渡米後、「その歳で渡米とは、また思い切った事をしたねえ」という知人に対し、僕は言った。

 「レースは、チェッカーが振り下ろされた時点で勝敗が決まるけど、人生は、こっちが負けを認めるまで敗者にはならんのやで。」

 競技としてのモータースポーツは残酷だ。過去に“機械判定でも判定不可(つまり、その差は1000分の1秒以下)な為、特別に同着優勝とする”という例が一例あっただけで、100km以上の距離を走り、チェッカーフラッグが振り下ろされた時、2位との差が10cmだったとしても、勝つのは10cm前にいたその一人だけで、そいつより後ろにいる奴は全員が敗者だ。トラブルで後退した後に持ち直し、後方からファステストラップを連発しながら追い上げて来ても、チェッカーに間に合わなければ負けなのだ。例えあと1周あれば余裕で逆転が出来たのだとしても。

 僕はレースが出来なくなって、自殺未遂をするほどの心身耗弱から立ち直った後もずっと、挑戦者で居続けた。挑戦する対象を換えた事はあるが、挑戦する事を止めた事は無い。何故かって?そりゃもちろん、

僕の人生にはまだ、チェッカーフラッグが振り下ろされていないからさ

 つまずいたり、ころんだり、ぶつかったり、身体もココロもすっかり傷だらけになっちゃったけれど、挑戦を止めるつもりはさらさらない。
 
だってまだチェッカーは出て無いんだから。
 確かに、全てを一からやり直すにはちょっと難しい歳にはなっちゃったけれど、まだ、ルーティンをこなすだけ、惰性で流れていくだけ。そんな人生を送るつもりなんか無いんだ。

 今の日本では全ての人が“勝ち組”と“負け組”に二分化されて、僕は収入では負け組にカテゴライズされるらしいんだけれど、こっちはまだ“挑戦中”で、負けを認めた事など一瞬だって無いのだから、そうやってカテゴライズされる事には強い違和感があるんだ。
 “自分は勝ち組”、“あの人は負け組”と、言いたい人は勝手に言っておいたらいいとは思うが、“ただ今挑戦真っ最中”な僕は、例え収入が負け組でも、こっちはまだ負けを認めてなんかいないんだから、“挑戦組”とでもしておいて欲しいと思う。

 僕の人生が“勝ちに”なるのか、“負け”で終わるのか。それはきっと、人生の最後、棺桶に足を突っ込む時に判るのだろう。「中々に楽しい人生だったな」が言えたら「勝ち人生」で、「俺の人生って一体何だったんだろう?」と言った思いしか残らなければ、それは「負け人生」だ。




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