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2006.03.08

存在証明 

 自分の存在証明ってなんだろう?mizzieがこのブログ上でRecommendしまくっているアーティスト、鈴木祥子さんのウェブサイトで、新譜に関する祥子さん自身のセルフライナーノーツ、

http://syokosuzuki.sakura.ne.jp/2006notes.html

を読んでいて、ふとそんな事を思った。
 98年まで、僕にとっての存在証明はレースをする事、サーキットを10000分の1秒でも速く走る事、走り続ける事だった。あまりにも強く望み続けたそれは、それを失った時、私は自己を維持する事すら出来なくなり、その手で自分自身を破壊しかけた程だった。
 祥子さんのコラムでは、“恋愛”を存在証明にしてしまった祥子さんの祖母の話が綴られていて、そこでは、自分の存在証明でもあった恋愛対象を亡くしてしまった時、その人は現実と向き合う事を止めてしまったようだ。と言った類の事が書かれている。
 “愛”とか、“夢”とか、そう言った物事を存在証明にしてしまう事は、とても危険な事なのかもしれない。それらは往々にして、現実との関わりを誤らせる結果を招きやすいのだと思う。祥子さんがコラムで触れられている様に、また私自身の経験からも。
 今、僕は自分の好きな「人の役に立つ事」を、自分が充実感と達成感を感じられる介護業を、自分の生業として生きているのだが、それは、私にとっての新しい存在証明なのだろうか?

 98年のあの日、鈴鹿サーキットのレーストラック上で失った自分の存在証明。その後私は、自分で自分を壊そうとする程の精神的などん底まで堕ちた後、ぶつかったり、ころんだり、時には突き飛ばされたりしながらここまで生きて来たけれど、それは、レースを無くした後、それに変わる存在証明を探していただけだったのかもしれない。
 約8年間の漂流で、遠くは海の向こう、言葉も文化も違う異国の土地にまでそれを求めたけれど、最後に辿り着いたのは、生まれ育った国の、生まれ育った街で、故郷で暮らす人達の為に働く事だった。

 色んな土地に行って、色んな人に会って、色んな事を知って・学んで、色んな経験をしてきて、全部取り戻したよ。
 ここからは、もうだいじょうぶ。
 もう、ひとりでもいけるよ。
 さよなら。美しくて、少しせつない想い出達。
 また、いつかね。

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コメント

最後のブロックを読んで、私の大好きなマンガ(またマンガかよ~!と思わないでくださいね)「D-ASH」を思い出しました。青春マンガ(また青春かよ~!と思わないでくださいね)なんですけど、壁にぶち当たったときはいつも読んでしまいます。(ちなみに大人の汚さにうんざりしたときはいつも楳図かずおを読みます)
存在証明・・・私にはそんなものないんだろうなぁ・・・。水のように空気のように、いてもいなくてもまわりのひとには何の影響もない、そんな人間でいたいのです。

投稿: hana | 2006.03.08 21:09

日本のマンガはめっちゃレベル高いですよぅ!!絵が上手いだけじゃ無くって、ストーリーとか練りまくってるし、テーマやメッセージが熱かったり深かったり、僕もマンガに人生訓を見出すくらいですもん。

個人的には、世界的に影響力を持つまでになった宮崎駿監督に、アメリカ的帝国主義・覇権主義を続けると世界がダメになるよ。ってアニメを作って欲しいです。

投稿: mizzie | 2006.03.08 22:34

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