« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

2006.05.31

本心をさらす認知症

 心理学の世界にはまだまだ解明されていない所が沢山あって、十年前に言われていた事がその後の新たな発見で覆されて、とかがあるみたいだけれど、それは認知症に関しても同じ事が言えるみたいだ。
 認知症は、そのケースの種類と数が増えて、否応なしに理解が進んだ面もあるのだろうが、ちょっと前に定説とされていた事が全く使い物にならない理論だったり、全く無知・無理解だった領域が幾つも解明されたりしている。

 例えば、昔は「認知症が進むのは精神的に子供になって行くようなものだ。」とか言われていたそうだが、どうやらそれとは少し違うらしい。と言う事が判ってきたらしい。
 真っ白の状態から様々な知識や経験を獲得していく子供と違い、過去に獲得した知識や経験、そしてそれらから得た生きる力、自分を守る盾を、失っていく過程でもある認知症は、人生を上手く生きる為に必要だった、「本心を隠す」と言う技術を失わせ、言ってしまえば真っ正直な人格に変えてしまうらしい。

 本心を隠さない、抑えない、我慢しない、とても判りやすい人になってしまうのだそうだ。

 本心を隠す事をしないので、心に思い描く自分と現実の自分の乖離によるストレスが、妄想や攻撃や俳諧といった、問題行動への逃避となってダイレクトに現れるらしい。
 この状態を周囲の家族や介護者が上手く受け止め、当人がその状態を受け入れる事が出来ると、とても落ち着いた状態になるらしい。

 これはある意味、末期ガン患者の初期に似ているとも言えよう。

 不安→怒り→取引→抑鬱→受容

 と言う心理的変化を遂げる末期ガン患者だが、認知症の場合、不安と怒りが妄想や俳諧や攻撃になって現れ、取引の過程を経る事無く(経ているのかもしれないが・・・)受容へと至る。
 この、「受容」の段階になった認知症高齢者は皆、実に気持ちの良い笑顔を見せるのだそうだ。

 人生最後の時を笑顔で送られる、そんな介護を僕は提供出来ているのだろうか?
 これまで何人か見てきた認知症高齢者は皆、医療介護施設からグループホームや特養、老健へと移っていった。残っているのは延命治療で生命維持しているような人ばかりだ。

 移っていった彼女達が皆、そこで笑顔で日々を送っている事を願わずにはいられない。



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006.05.30

だらだらする

 夜勤明け日の今日は、

 しておきたい事がいくつかあったんだけど、

 な~んもしたくな~い。

 な~んもいら~ん。

 もうだらだらするぅ・・・。

 

”時間を無駄にする魔法”をかけられたみたいだ。

 おやすみなさい。

 だらだら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.29

それは無駄なのか?


 『・・・能力主義と社会的役割の選別機能の高進、達成価値と生産的人間の再生産・・・発達診断、カリキュラムの規格化と画一化などを含む、管理教育の普及。こうした特長を持つ教育が(以下省略)』
(栗原彬著;人間学「現代の教育の特徴」より抜粋)

 高度に洗練された市場主義社会である日本では、学童の段階で市場経済システムにとっての、効率的で能率的な人間の選別作業が行われる。
 これについては20年ほど前に、一部の知識人達が、
 「12歳の成績で60年先の人生まで見通せてしまうシステムは、社会の閉塞と不安定化を招くだけではないのか?」
 と疑問を呈したりもしていたが、その直後から始まったプラザ合意以降の円高と過熱景気の前に、いつの間にかそういった声は掻き消えてしまったように記憶している。

 極西にある超大国の愚直な模倣者である日本は、あの国が辿った道をバカ正直にトレースし、大企業の利潤追求・最大化活動。国内工場海外移転による国内産業空洞化を、政府の支持基盤への見返りとして実行している。
 国内産業空洞化によって消失させられるのは、独占資本主義という経済的奴隷制度において、高待遇の奴隷とされてきた中産階級と、そしてそれ以下の少数派、つまり、非効率的、非生産的とカテゴライズされたマイノリティー達だ。

 中産階級は、それを占めるかなりの人が現政権を支持している、つまり、自分達がそれでいいと承認した訳なのだから、(僕は全然してないぞ!!)それはそれで仕方が無いとも思う。

 でも、そうではない少数派達はどうなのだろうか?

 確かに、効率という面だけを考えるならば、彼等は確かに効率的でもなければ能率的でもない。
 発達障害を抱えた人や、様々な機能障害・喪失、心身のDisabilityを抱える人達を、一部の特例を除けば、効率的で生産的な労働資源とする事は難しいだろう。

 現代日本的な、効率主義、能力主義、利潤追求社会にとっては、彼等は役に立たないのかもしれない。

 では、彼等は無駄な存在なのだろうか?
 この社会にいていけない存在なのだろうか?

 私はそうは思わない。

 そもそも、この利潤追求至上の効率社会で有能だとされた人々は、本当に有能な人なのだろうか?
 ビジネスエリートとされる人の中で一体何人が、金融資産を増やす以外に一体どんな、後世に残る様な事をしたのだろうか?

 反対に、様々な障害を克服し、後世に伝わる芸術作品を生み出した人は決して少なくない。作家となって多くの人に影響(もちろん良い影響だ)を与え続けている人もいれば、健常とされる人々が見過ごしがちな事象や現象に斬新かつ大胆な視点から光をあて、その表現で人を感動させる人も、同じ様に沢山いる。

 この、健常である事を前提とした社会で、ハンディキャップを負って生きる事はそれだけでも心身に苦痛を伴うものなのに、それらのバリアに抗いながら必死で生きている、それだけでも既に、壁に突き当たって苦しむ人達をinspireしていると言えるだろう。

 それでも、まだ彼等は無益で非効率で非生産的で、国家の福祉予算を食いつぶす無駄な存在だと言えるだろうか?

 もし言えるのなら、その理由を聞かせてもらいたいものだ。



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.28

いぢめてオーラ

 「mizzieくん集中攻撃やねぇ・・・。」
 我が職場、夜勤は看護士2人に介護員1人なので、過日の夜勤中にシフトが一緒だった看護士さんからそう言われた。
 超強力な自己奉仕バイアス(良い結果は自分の功績に、悪い結果は他人の不備や状況のせいにする思考システム)が掛かっているベテラン介護員から、連日イジメすれすれ(っ手言うかイジメだ)な口撃・攻撃を受けている僕に同情したのか、他に介護員がいない夜勤中、そういってこちらにさりげなく同情・共感してくれていた。

 「そうですね。僕は絶対に感情的にならないし、言い易いんじゃないですか?」
  「にしても、あれはちょっとあんまりやないかえ?聞かされる方もいい気がせんちや。」

 しかし、口撃の原因を作っているこちらにも非がある訳だし、僕自身は、相手に付け入る隙が無いくらいの仕事をして、仕事で見返してやろうと思っていたので傷付く事も(少ししか)無かったが、客観的に見ていると、イジメにしか見えないのだそうだ。

 しかもその看護士さん曰く、僕は他のベテランからの攻撃までをも一身に集めているらしい。まるで避雷針の様に。
 次々と矢継ぎ早に複数のベテランから違う事を言われて、身動きが取れなくなってしまっている僕には心底同情するんだそうだ。

 こちらがそれにふて腐れて仕事の質が落ちたりする事も無く、淡々と仕事をしているから余計にそう思うらしい。

 この日夜勤で組んだ看護士さん達は皆、優しくて仕事もテキパキとこなす方達だったので、また容態急変者も無く、何の問題もなく夜勤を終えた。

 そして終業直前、朝食を食べに休憩室に入ろうとする僕を看護主任が見つけ、「mizzieくん、○×の☆εが抜かってますよ。確認してから帰るように」と一言。
(あれ?○×の☆εは看護士の担当だったよな?)
 とか思いながら、夜勤者用の朝食を食べに休憩室に入るなり夜勤の看護士さん、
 「あれどうよ?○×の☆εはナースの仕事やっちゅーに!すぐ側にあたしがおるのに主任、mizzie見るなりあたし避けてmizzieに言いゆうがちや!」
 他のナース達も、
 「そんな事までmizzieくんに言う事はないろう?それはナースの仕事ながやき。」
 と続ける。その看護士さん達に僕が一言。

 「これはもう絶対、僕からは『いぢめてオーラ』か何かが出てるんですよ・・・。」

 「そうで!mizzieくん絶対に背中辺りからそいつが出ゆうがちや!!それがみんなを惹きつけよらあえ。ほんで皆があんたを見たらいじめずにようおらんなるがちや!!」

 夜勤者全員(含む僕)大爆笑


(注;土佐弁は「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を言い分けます。英語覚えるときは便利♪)


人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.27

Defensive smile(防御用笑顔)

 「mizzieくんはある所までは誰でも親しくなれるけど、ある一定以上には絶対に入れない、心の壁があるよね。」

 僕は昔、友人だった女の子からそう言われた事がある。

 表面上はオープンマインドで、誰に対してもにこにこと笑顔を振りまいている僕だが、実際、表層での僕と深層での僕には、自覚出来るほどの乖離がある。
 そしてそのどちらが本当の僕かと言えば、それは絶対に深層での僕が本物の僕だ。強欲で残酷で自己中で快楽主義なそいつを他人に悟らせない為、そして自身すらも嫌悪するそいつを、多重構造の僕が誰にも気付かせる事無く、自我の制御下に置けるように、しっかりとガードしている。

 表層の直下には偽りの深層が用意されていて、「あんたの正体は見破ったよ」とか言う人に、「・・・さんはごまかせませんね」と照れ笑いしながら言う為の、デコイ(囮)として使用している。

 表に出ている自分と、その下にいる自分を演じている僕は、大した演技者だと思う。真の深層が自分自身にとってもharmfulな事が判っているから、自分を演じている事に対する罪悪感は無い。

 むしろ、「自分」というファンタジーを生きる事に、楽しみを感じてすらいる。

 こんな僕は悪党だろうか?


人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.26

嘔吐テロ

 我が家では猫を二匹飼っているが、基本的に食事はキャットフードで育てている。
 缶のそれはコストが掛かるので、袋入りのカリカリしたあれだ。
 今飼っている2匹の親猫だった奴は賢い猫で、猫のクセにカステラは食う、ほうれん草は食う、典型的な雑食ネコだったが、外でカエルだネズミだと捕まえて食ってるもう一匹と違い、出不精で家に籠りっきりのもう一匹はキャットフードしか食べていない。

 母乳→缶→ドライフード、と経て育てられてきたこいつらだが、コストが掛かるので途中からカリカリに変えた時はやはり、中々に馴染んでくれずに苦労したが、カリカリも食べる様になってからはそちらしかあげてないので、「心の中では絶対に猫缶にして欲しいと思っているはずだ」と思っていた。

 エサをくれと鳴く。カリカリをあげる。鳴く、カリカリ。鳴く、カリカリ。鳴く、カリカリ。それを数年続けて来たが、その課程で無力感を学んだ?そいつが、絶望から自爆テロに走る第三国貧困層の様な行動に出た。

 ある日、何も言わずにもくもくとカリカリを食べていたそいつは、とどまる事無くカリカリを食べ続けた。食べた。食べまくった。

 そして突然、それらを全て
嘔吐した。

  僕のお気に入りバスタオルの上へ!!

 半分消化されてふやけたカリカリは、胃液と共に僕のお気に入りバスタオルに突撃し、そしてそれを完膚なきまでに破壊した。まるでWTCビルに突っ込んだジェット旅客機の様に。

 これはテロだ・・・。



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.25

努力→能力

 アイススケートのインストラクターは主張する。
 「歩き方を覚えられた人ならば、スケートも覚えられる」と。

 確かに、この世の中には凡庸な素質・才能を、物凄い量の努力で克服して名を成した人が沢山いる。僕がかつていたレースの世界にもいた。優れた才能を浪費して消えていった人はもっと沢山いたが。

 上手くいかない事や失敗の原因を、運や周囲の状況や自己の素質の無さにしてしまう事は簡単だ。失敗を自分ではどうしようもないそれらのせいにしてしまえば、少なくとも自分の自尊心は保たれる。

 でも、そこには進歩や向上の可能性はゼロだ。

 レースの世界で僕は、「もうできない」と思った時、そいつのレーサー人生は終わる。と言われた。そうして、ミニバイクレースでさえも予選落ちしていた僕は、国際ライセンスを得て全日本選手権に参戦するまでになった。

 努力は続けているうちに能力になり得る。と説く心理学者がいる。
 それは事実だと、僕は身をもって経験している。

 意識は、変えられる。自分も、周囲も、環境も、変えられる。そいつが変えることは可能だと思っている限り。

 その努力は報われないかもしれないが、そのリスクを取らない限り、何かの能力を身に付けると言う報酬を得る事も無い。



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

言葉が浮かばない・・・夜勤明けで脳味噌が機能不全だ・・・。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.05.24

憎きアメリカ合衆国(とアメリカ企業群)

 広島の原爆資料館を訪れた、あのキューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、彼を案内した広島県職員に対し、
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて腹が立たないのか」
 と英語で言った(キューバの公用語はスペイン語)のだそうだ。


 自由と平等の国、全ての人にチャンスが与えられている国、
 それが、渡米以前の僕が抱いていた、アメリカ合衆国に対するイメージだった。

 永住権を得て渡米し、最初の数ヶ月はその「お客様向けアメリカ」を堪能していた。

 しかし、永住外国人として生活し、働き、納税しながら大学で学んでいく内に、(僕がいたのが全米一リベラルな都市だったという事もあるが)表からは見えない(見せない)、欺瞞と虚飾に満ちたアメリカ像が見えてきた。

 そのアメリカの現状を強く憂い、警鐘を鳴らし続ける知識人もいて、また、表向きはとても開かれた国家でもあるアメリカは、彼等の言論には全く規制も弾圧もかけてはいないのだが、国内全ての主要メディアが一部の支配者階層に牛耳られているアメリカでは、こちらから求めない限り、それらの情報に触れる事は出来ない。

 難しい事を考えたり、物事を深く追求したりする事が、マジョリティにとって“ちょっと恥ずかしい事”になっているのは、アメリカも日本も同じだが、その為、一般庶民は支配者にとって都合のいいように誘導させられるだけの“とまどえる群れ”になっていて、結果、全てがどんどん悪い方向に転がり続けている。

 その、”ごく少数の支配者階層“の固定化と利益最大化の為にしか、市民の存在が許されない国に居続ける事に意味を見出せず、僕は帰国を決意し、実際に帰国した。

 滞米中も学んでいたが、帰国後は時間に少しだけゆとりが出来たので、さらに突っ込んでアメリカのダークサイドについて学んでみた。

 結果、さらにアメリカが嫌いになった。

 アメリカの基本的外交政策として、
 ”我々の人口は世界の6.3%に過ぎないが、世界の富の半分を所有している・・・今後本当に我々がしなくてはならない事は。この均衡の取れない位置を維持できるような国際関係の様式を作る事で・・・人権や生活水準の向上、民主化といった曖昧で非現実的な目標について語る事をやめなければならない・・・理想主義のスローガンに邪魔されなければされないほど好ましいのだ”
(ノーム・チョムスキー著;アメリカが本当にのぞんでいること より)
 と言うのがあるらしい。

 国内政策も、巨大企業の利益を最優先にする仕組みが機能していて、国家は法律をさだめたり法廷を味方で固めたりメディアを支配して意図的な情報しか流さなかったりして、個人の自由を制限し、(巨大企業にとって)無用なる市民による無制限の視察から国家を守るシステムを作りあげた。

 アメリカの民主主義は本来の民主主義とは懸け離れ、一般の人々が政策決定に参加する事は無く、ただ自分達より偉い人達の決定のどちらかを指示したり、それを承認する事だけが許されている。

 意思決定が巨大企業に属するビジネス集団とそれに付随するエリート達によって行われる体制。それがアメリカの民主主義だ。

 確かに、アメリカは魅力とチャンスに満ちた国だ。
 アメリカでしか出来ない事や、アメリカなら可能な事が、まだまだ世界には沢山ある。そういった事に関わる人達にとっては、アメリカは魅力に溢れた国になり、彼等を強く引き付け続けるだろう。

 しかし、そうでない僕にとっては、アメリカには全く価値が無い。

 むしろ、アメリカ企業の利益を減じさせかねない民主国家を、その国のテログループを支援する事で武力的に転覆させたり、第三世界を搾取の対象としてしか扱わない、その傲慢で横柄で残酷なやり方には、怒りと憎しみしか感じない。

 日米安保条約に基づいた協定で、日本政府は毎年7000億円近い金額を駐留する在日米軍の為に支払っている。米兵1人辺り換算だと、僕の年収の3倍以上だ。

 そしてその金の出所は、僕達の払った税金だ。

 死んだ僕のじーちゃんは、戦争中の話を絶対にしてはくれなかった。
 ばーちゃん曰く、戦場での体験が悲惨すぎて、語る気になれないのだろうと言っていた。

 日本は先の大戦で数百万人の市民を殺された。
 殺されたのは兵士ではなく、女や子供やお年寄り達だ。
 広島と長崎では、一瞬の内に15万人が焼き殺された。

 終戦直後、マッカーサーは日本の民主化に努めたが、途中からアメリカの対アジア政策の変化に合わせて、旧帝国をアメリカの統制下で復活させ、日本の石油輸入と精製を支配する事で日本がアメリカの方針から逸脱する事を不可能にした。

 アメリカ抜きの国家戦略を打ち立てようとした田中角栄は、アメリカ企業からの汚職情報リークにより政治的に消され、アメリカは以後、日本の自民党政権がアメリカ政府に盲従するしかない仕組みを作り上げた。


 戦争の事はもう遠い昔の話になってしまった。
 政治の事も、付け込む隙を与えている自民党の汚職議員達も悪い。

 でもでも

 駐留する軍隊の経費に、俺が払った税金を使うのは許せん!!
 奴等の為に払った金があれば、日本中に1000ヶ所の育児支援施設を作ったとしても、まだ2000億円近くのおつりがくるのだ。
 駐留地で女の子をレイプしまくってる人殺し集団の為に使う税金はあっても、少子化対策の為に使える税金は無い。と言うのは、ちょっとおかしくないか?

参照
 ノーム・チョムスキー 著;アメリカが本当に望んでいること
 村上龍 著;あの金で何が買えたか


人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.23

訪問看護同行実習

 在宅支援と言う視点から見た場合、介護ではカヴァーし切れないケースに対応する訪問看護には、個人的にもちょっと興味があった。
 また、今の職場にいる凄腕の先輩介護福祉士さんからも、「訪問看護には得る物が多いから、しっかり見てきなさい」と言われていた事もあり、それは実習の中では楽しみにしていた分野でもあった。
 医療的措置が必要な重度の利用者で、しかし施設に行く事無く在宅で頑張っている方達を、実際この目で見ておきたいという思いもあった。

 しかし、介護福祉の世界に身を置く私にとって、看護職は近くて遠い存在だ。
 一緒に仕事をするけれど、特に医療介護の現場では介護は看護の指揮下に入る事が殆どなので、チームを構成する多職種間の中で最も接する時間の長い職種だけど、しかしその専門性の高さ故に敷居を感じてしまう事もある、それが僕の看護士さんに対するイメージだ。

 実習当日、実習先ではいつも通り、カルテを通した情報収集と確認。
 当日訪問を予定している方達のカルテから、氏名と年齢、家族構成等の個人情報。介護度や自立度、病名と症状、その他患者情報を得る。

 資料から得た症状や介護度、ADL等から判断するに私は彼等に対し、医療介護施設入所者と、在宅生活者の中間くらいの状態だろうと想像していた。

 簡単なブリーフィングを済ませてから、最初の訪問先へと向かう。
 閑静な郊外にある、比較的裕福な一戸建て住宅。

 玄関をくぐって利用者の居室に入り、いきなりカウンターパンチを食らった。

 医療介護と在宅の中間?

 平均的な老健の入所者よりも、ずっとADL低いやん!
 この人よりも元気な人が何人も、ウチの医療介護病棟にいるよ!!

 (ここまでADL下がっても在宅でいけるんや・・・)

 って呆然としてる僕を尻目に、看護士さんは容態鑑札と同時にコミュニケーションを図りながら、淡々とバイタルを取り
SpO2
を測り、排泄確認と摘便を済ませ、四肢と体幹にリハビリを施していく。

 100歳に近付こうかというこの利用者さん、発語も殆ど無く、日常生活の殆どに介助を要する状態だと言うのに、介護・看護スタッフと、御家族の手厚い介護もあって、半介助ながらも僕の面前で自力で座位から立位へと移行し、ベッドサイドから縁側までを歩き、縁側にある安楽イスに腰掛け、強い日差しの下、五月の涼風が薫る庭を眺め、心地良さげに過ごされていた。

 最初の訪問者は何の問題も無く全ての予定を終え、しかし余った時間を主介護者でもある御家族も含めたコミュニケーションに充て、予定通りの時間に次の訪問先へと向かった。

 移動の車中、指導担当の看護士さんからの「”寝たきり”はなるんじゃない。作られるものなのよ」の言葉に、『絶対に寝たきりにはさせない!!』と言う、プロフェッショナル意識を垣間見た気がした。

 2件目の利用者は比較的介護度が低く、ADLも高い。ただ家族が共働きな為に昼間は独居状態になるようで、こちらの訪問を楽しみにしていた様子。
 この方も最初の方と同様に、看護士さんは淡々とバイタルを取りリハビリを施して行く。それらの作業を行いながらも、巧みに利用者とのコミュニケーションを取っているが、それらは一見すると何の変哲も無い日常会話のようでもあるが、しかし、実に見事な会話の取り方で利用者のモニタリングをしているではないか!!その、利用者に関する情報を熟知しているとしか思えない、巧みな話術たるや脱帽である。

 この利用者はプランに近所の公園での歩行訓練が組み込まれていて、僕も看護士さんと利用者さんについて、近所の公園に出掛けた。
 平日の昼間、授業をサボってきたと思われる女子高生数人が、公園内の休憩所にあるベンチに腰掛けて笑いあっている側を、杖をついてゆっくりと歩く老女と看護士と実習介護助手。
 屋根の下で日差しを避けながら、友達同士でケラケラと笑い合いながら、『若さ』と言う光を放つ少女達と、日差しの下でベンチに腰掛け、"曇り無き笑顔"を浮かべながら冗談に笑い、上空を飛ぶ飛行機を眺める老女と介護&看護士。
 5月の空の下、どちらもお互いの話に笑いあいながら、まぶしい光と穏やかな光を放っていた。

 未来の幸福を疑う兆しすら無く、キラキラとした笑顔を見せる女子高生達は魅力的だったし、ゆっくりと歩きながら、曇り無き穏やかな笑み浮かべる老女には心癒された。
 そんな、平日の昼下がりだった。


 公園での歩行訓練も終えて利用者を自宅に送り届け、しかし帰る際もドアを閉めた後にも注意を怠らない看護士の姿に、またもやプロの流儀を見た気がした。

 2件目終了後はセンターに戻って一旦食事休憩となり、午後は14時から最後の3件目に向かう。
 こちらは予定では入浴介助を行う事になっていた。

 3件目は車が入っていけない場所にある為、そのお宅にはバイクでの移動となる。

 3件目は要介護度5だが自立度は高く、認知症も認められず四肢ともに良好なのだが、肺気腫を患っており在宅酸素療法を受けている。
 その為、入浴等の活動前後での心肺機能観察を必要とする為、介護ではカヴァー出来なくて看護の出番となっているようだった。
 で、これまでと同様にバイタルを取りパルスオキシメーターで
SpO2経皮的動脈血酸素飽和度
)を測り、リハビリを施している。が、(体幹に変わったリハビリしてるな)って思っていたら、排痰のマッサージだったようで、数分後に肺気腫のこの方、結構な量の痰を自力で排出された。

 サクション(吸引器)を使う事無く、呼吸法とマッサージで自力排痰をさせてしまうこの看護士さん、やっぱり只者ではありませんでした。

 酸素療法の機器と酸素を管理しながら、
SpO2
を監視し容態観察も行い、入浴介助に平行しての皮膚観察、軟膏の塗布や薬剤発布をこなし、離床を促し歩行訓練もこなした上で、家族からの相談援助も行うこの看護士さんは、さすがに実習生の指導担当をするだけの事はあり、それはそれは学ぶ所、見習う所の多い方なのでした。

 時間に比較的余裕を持たせて組まれていた実習スケジュール、何も問題なく終えたので少し早目に訪問看護センターに戻る事が出来、戻った後は実習のリポートをまとめる時間に充てられていたのだが、昼休み中にリポートを半分終わらせていた僕は時間が余ってしまい、指導担当の看護士さんから、「もう帰ってもいいよ」と言われ、予定よりも1.5時間程早く、実習先を後にして帰宅の途に着いたのでした。


 この日は五月晴れのとても良い天気で、親から借りたスクーターをのんびり走らせているとバイクのりの血が蠢きだし・・・。

 プチ・ツーリング
(おばちゃんスクーター編)

 行ってきちゃいました!!(^^)v

 最近ハマってる、高知市から25km程離れた位置にあるケーキ屋さんにケーキを食べに行き、帰り道に高知の海岸沿いを流すっていう、往復60kmちょいの小旅行。

 美味しい(ホントに美味しい♪)ケーキと、雄大な太平洋を見て、最近溜まり気味だったストレスを掃き出して来ましたっ!!

 明日からまた、お仕事頑張ろうっと♪




人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.22

ライフプランシミュレーション

 N村証券に証券口座を持っている僕は、野M証券の会員専用ウェブサイトが提供する様々なサービスが利用出来る。
 それらは主に、株式投資に関した情報収集に使われる事を前提にしているのだが、その中に『ライフプランシミュレーション』と言う項目があって、ちょっと試しにやってみた。

 自分の年齢、現在の職業に就いた年齢と、税込みの年収、それ以外の収入の有無や、手持ちの金融資産、家族構成や将来の支出予定(住宅、教育資金など)等、色んな事を入力すると、それらについての財政状況変化や良否を診断してくれて、将来の見込み収入なんかまで出してくれる。

 それによると、私の財政状況は概ね良好らしく、将来もそれが維持されるだろうとの診断だった。

 がしかし、

 バランスシートに示された将来予想では、私が毎年昇給していく事が前提になっていた。だが、現在の職業での雇用契約では、私は昇給も退職金も無しと言うことになっている。

 シミュレーション上では、退職間際の年収が現在の3倍近くになっていたが、雇用形態が変わらない限り、これは実現不可能な金額だ。

 つまり、私が安定した将来を送りたければ、スキルアップの機会を確実に掴み、出世するしかない。と言う事だ。

 ちなみに、シミュレーション上では私は、2036年から毎年180万円の年金がもらえる事になっていた。
 年金制度がパンクしない事を願うとしようか。


おまけ;シミュレーション上では、私の人生は
83歳で終わっていた・・・。

人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.21

自分リセット

 こなせる仕事量は増えた。
 要領もかなり掴めてきた。
 利用者さんのハートはがっちりだぃっ!!

 でも、こっちの向上にあわせて、求められる物がより高度になってきた。
 天国にだってケチをつけるようなケチつけ屋達は、こっちのあら捜しに余念が無い。

 アカン、もう焼切れそうや・・・。

 辛い時、苦しい時、何かに行き詰ってしまった時、自信をなくしてしまった時、ココロの底から笑えなくなった時、僕は自分の心にリセットを掛ける。
 好きな音楽を聴いたり、何かアートに触れたり、本を読んだり詩を読んだり。時にはそれは映画だったり、ただぼんやりと海を見てるだけ。って時もある。
 そして今の僕に、一番ピッタリくるリセット装置はこの詩だ。

Don’t quit”

When things go wrong
as they sometimes will,
When the road you’re trudging
seems all uphill,

When the fund are low,
and debt are high,
And you want to smile,
but you have to sigh,
When care is pressing
you down a bit,
Rest if you must,
but don’t you quit

Success is failure
turned inside out,
The silver tint of
the cloud of doubt,
And you never can tell
how close to you are,
it maybe near
When it seems afar,

So, stick to the fight
when you’re hardest hit,
It’s when things go wrong.
that you mustn’t quit.

[和訳;mizzie]
「止めんな」
「まるで果てなく続く上り坂、
そこを足引きずって歩いてるみたいだ。」

上手く行ってない時に
はさ、誰だってそう感じるのさ。

支払いは高く、でも財布は空。
笑顔の一つも見せたいのに、ため息しか出ないや。
もう座り込んじゃったよ、悩みに押しつぶされてさ。
休もう。もしそれが必要なら。
でも、まだ諦めんな。

成功と失敗は表裏一体でさ、
まるで雲の中にばら撒いた銀貨だ。

それがどこにあるのかなんて、誰にも判らないのさ。
それって案外遠くにあるように見えてさ、
実は結構間近に着てたりもするんだ。

そうだ、立ち上がれよ。
例えそいつがお前を粉々に打ち砕くような、
痛恨の一撃だったとしてもな。

どんなに上手く行かない時だって、
絶対にそいつは諦めんな。



 ちっくしょう!負けるもんかっ!!
 ぜってーに投げださね~ぞっ!!


人気ブログランキングです。クリックして下さいね
♪気が付けば78位・・・とほほ

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.05.20

在宅同行訪問実習

 ホームヘルパー1級講習も、老健施設実習、デイサービス実習とこなしてきて、『在宅介護支援センター同行訪問実習』段階まで来た。今日の実習先は、自宅からバイクで30分程の位置(高知市と隣接する市)にある、在宅介護支援センターだ。

 ここは2級の時も実習で来ていて、訪問介護同行実習をやったのだが、1級では2級の時とは違い、「チームケアの実際を学ぶ」と言うテーマが掲げられていて、訪問介護の現場で、サービス提供責任者さんがチームの介護職員を指導する現場を見たり、介護支援計画作成にあたって、ケアマネさんと一緒に利用者宅を訪問し、利用者のモニタリングをしたりするのを見学する。

 一日目はそうしてケアマネと同行してのモニタリングに費やし、二日目はサービス提供責任者の方と共に、身体援助、生活援助等の一般業務への同行訪問となった。

 今回訪問した家庭のうち幾つかは、2級の時に実習で訪れた所と同じ場所で、約半年ぶりなので相手はこちらの事を覚えてはいなかったが、ADLが向上して介護度が下がった方もおられて、そういうのを見るのは中々に佳いものでありました。そして、老老介護だった家庭の一方が、体調悪化で施設に入った事を知るのは、やはり悲しかったです。

 1級実習では2級の時とは違い、他職種との連携。とか、チームケアーの実際。とかがテーマに設定されていて、実践的な連絡ノート活用術とか、福祉用具レンタル業者や、訪問受診での医療機関との連携や、その家庭に入る他のヘルパー達との共有情報と、そういった情報の伝達等についても実地で見学させて頂いた。
 また2級の時とは違い、1級の実習ではもっと実地に即した介助業務にも入らせて頂いた。
 医療介護勤務でオムツ交換とか入浴介助とかは慣れたものだが、実家暮らしになって調理や洗濯からは長い事離れていたので、そういった生活援助の類は、おせじにも上手く言ったとは言えなかったが・・・。

 二日間の実習を通して感じたのだが、やはり、高齢者が暮らしていく生活の場所として、在宅に勝る物は無いと思う。
 勝手知ったる場所で、馴染んだ人や物に囲まれて、自分のペースで暮らしていけるという事は、本当に幸せな事だと思う。

 医療介護施設に勤務する僕は、理想と現実の乖離にいつもジレンマを感じながら働いている。

 実習先の老健で指導担当だった介護福祉士さんも、施設介護の現実に疑問を感じ、悩んでいた。

 しかし訪問介護を受けている在宅の方々は皆、施設にいる人に見る事がまず無い、そう言った種類の表情を、目をしていた。

 もちろん、彼等の方が施設にいる方達よりも介護度が低く、ADLも高いと言う事実も見逃せないが、それだけが理由とは思えない、何か大きな違いがある。そんな思いが、今の私の中にはある。
 ただ、在宅が一番マシというだけで、介護保険制度は在宅でも穴だらけ、問題だらけだ。

 見切り発車の介護保険制度、現場を知らない役人達が勝手に決めた制度に、利用者も職員も振り回されているのが現実だ。
 ただ、介護保険制度に関して、僕が一つだけ自信を持って言えるのは、
 『絶対に寝たきりになってはならない』
 と言う事だ。



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.19

武士は食わねど高楊枝

 戦後最長に迫ろうかと言う景気拡大を続けているらしい日本経済だが、財政基盤の脆弱な地方である高知は、90年のバブル崩壊以来ずっと続く、史上最長の不景気にあえいでいる。

 その、低迷する地元経済を憂慮した高知県出身自民党国会議員が、高知のさらに僻地にある、綺麗な海と山に囲まれた小さな町に、東京電力の使用済み核燃料貯蔵庫の誘致話を持ってきた。

 建設費だけでも数百億規模のその事業を誘致する事が出来れば、低迷する県経済を救う事が出来ると考えたらしい。

 この誘致話は、知事、町長共に「誘致はありえない」と公言して立ち消えになったが、景気回復から置き去りにされた地方には、迷惑施設を受け入れるしか地域を潤わせる方法が用意されていない。と言う残酷な現実が浮き彫りになった。

 折角誘致話を持ち掛けたのに、地元首長からあっさり拒否された自民党議員は、「高知はこのまま『武士は食わねど高楊枝』で行くのか!」と公言していたそうだ。

 自民党政権の景気浮揚政策で、死に掛けた銀行は一命を取り留め、大企業の業績は回復し、東京は潤った。

 そして、そこから置き去りにされた地方には、迷惑施設を受け入れるしか生き残る道が無いというシステムが完成した。

 東京で使用される電力の大部分は、福島の原子力発電所で生み出されている。
 厚木にあった米空母艦載機(米軍のF/A18は、ジャンボジェットの2倍はやまかしい)部隊は、山口の岩国基地に移転する事になった。

 次は、どこの疲弊した地方自治体が、どんな迷惑施設を東京の繁栄を支える為に受け入れなければならないのだろうか?

 ただ高知には、東京のケツを拭く気なんかこれっぽっちも無い。
 それをやるくらいなら、貧乏なままでいた方がいい。

 高知は食わねど高楊枝。だ。


 美味いカツオや野菜(国産高級園芸作物には、高知県産が多い)は、たらふく食ってるけどね♪

参照;高知新聞5月17日付夕刊「懸念」記者;浜田成和


人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.18

刑務所以上軍隊未満

 施設介護ってどこかがおかしいと、間違っていると思う。
 働き始めた頃からずっと、僕はそう感じ続けてきた。

 仕事にも随分と慣れて来て、業務がスムーズに進められるようになればなるほど、この思いは強くなっていく。効率良く仕事を進める自分が、どんどん嫌いになっていく。

 そもそも、多様な個性を持った、生活習慣も嗜好も違う、しかもそれで数十年と生きて来た高齢者達数十人に、一単位で区切ったサービスで満足を提供する事なんか絶対に不可能だと思う。

 起床、食事、入浴、(医療施設なので更衣は無い)、消灯、全てが一律に時間管理され、皆が同じ時間に一斉に起こされ、食事をさせられ、入浴させられ、寝かされる。ルーティン化した一週間が淡々とこなされていく。

 食事一つにしたって、ゆっくり食べたい人もいるだろうに、「~分まで!」って感じでほぼ固定されていて、その~分からは次の業務が待っているので、各個人に合わせて・・・なんてとても出来ない。
 それをやると先輩達の眼が「まだ終わってないの?食事介助一つにいつまで掛けるつもり!?」と釣り上がり、食事を作り回収する部署(栄養科)もいい顔をしてはくれない。
 複数回それをやると確実に嫌われる。

 まるで全てがUnit(部隊)規模で一律・一斉・一様に展開される軍隊の様で、そこには多様性や個性と言った物が介入する余地は皆無だ。
 Cell(独房)に押し込められている服役囚よりはマシ。という体たらくで、どう良く見積もった所でも軍隊以下だ。



 こんなんまるで北朝鮮じゃーっ!!

人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.17

心臓を貫かれて

 ある程度仕事にも慣れてきて、勤め始めの頃よりは幾許かはマシ、って程度には仕事を進められるようになってきた。僕は相当に運がいい様で、勤め始めの頃には絶対にハンドル出来なかっただろうな。ってぐらいに忙しく、援助困難な方が増えた昨今だが、仕事の要領が良くなった分で、なんとかそれらをこなしている。
 ただ、業務の優先順位を見極められる様になった分、胸が痛む事が確実に増えた。
 重要度の高い業務の最中に、重要度の低い事例で呼ばれたそれを先送りにする時や、時間で区切られた業務で、時間内に終えられなかった方に対して、「もういいですか?」と尋ねる時、僕はいつも胸に痛みを覚える。
 それは時として、心臓をえぐられるような痛みを伴う時もある。

 様々なタイプの患者がいる我が職場にも、当然のように、自立心の強い方と依存性の強い方がいる。そして後者は、物凄く頻繁にナースコールで僕等を呼び、そして駆け付けると本当に些細な、どうでもいいような事と言う場合が殆どだ。

 「出来る事は手伝わない」

 は、この業界では鉄則だと思うが、自立心とは遠い地平に位置するそれらの方々は、どんなに些細な事でも介護者の手を借りようとする。
 呼ばれて出向いてもそういった要望だった場合は、こちらは決して手を出さず、自分でやってもらうように説明する。すがる様に懇願するそれらにも決して応えず、自分でやるように説くその光景は、残酷ですらある。

 でも、そういった事例ならまだいい。

自分の事が一番嫌いになるのは、重要度の高い業務に係わっている時、ナースコールに応えるとそれは緊急度・重要度の低い事で、
 「只今○×をやっている最中で御座いまして、あと○分程したらお伺いしますから、それまでお待ち頂けますか?」
 と言って、その事例を先送りにする時だ。
 もちろん、緊急度や重要度が判別できない時はそのまま駆けつけるが、そうでない、要望の内容がはっきりしていて、それが緊急度・重要度の低い物であれば、それは確実に先送りにされる。
 「頂けますか?」と尋ねておきながら、その問いには拒否を受け入れる余地が無いのだ。

 勤め始めの頃は、僕はそれらにもマメに応じていた。もちろん、出来る事は手伝わないが、呼ばれたら即応していた。そしてそれは職場の先輩達からのクレーム対象となり、かなり強く非難された。「優先度の低い事にいちいち関わるな」と言われて。

 胸が痛む事はまだある。

 「~分まで」と時間が区切られた業務で、時間がギリギリになった時に「もういいですか?」と聞く時だ。
 そう聞かれる方だって、周りが次に向けてバタバタと動き回っている状況でのそれに、「まだです」が受け入れられる余地が無い事など理解しているのだろう。
 入浴介助で体をこすってもらっている時、そう聞かれて「いいから血が出るまでもっとこすって下さい」と言う人にはまだ会っていない。
 食事介助にしたって、食べる速度なんて百人百様なのに、散々急かされた挙句、時間が迫ったからと食事を途中で中断させられてしまう。
 「もういいですか?」と尋ねる時、僕はいつも、胸に痛みを覚える。
 本当はもっと満足を提供してあげたい。次の業務なんかすっとばかしてゆっくりと入浴させてあげたり、ゴハンを食べさせてあげたい。でも施設介護はチームワークだ。僕がそれをやれば、あっという間に組織からはじき出されてしまうだろう。


 ああ、また誰かが僕を呼んでいる。
 判ってる。あの人達はきっと寂しいんだ。誰かに関わっていて、側にいて欲しいんだ。だから、どうでもいい事で呼びつけたり、駆けつけても何の為に呼んだのか言わなかったりするんだろう。

 右往左往しながら朱に交わって来た昨今、
 焼きつきそうなっている自分に気付く事が増えた。



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.16

勝手に値上げしてんじゃね~よっ!!

~医療制度改革にもの申す~

 何でも今回の景気拡大は、いざなぎ景気につぐ戦後二番目の長さになったそうです。でもあなたにはその、政府が言う好景気と言うものが実感出来ていますか?
 小泉政権が取り組んできた景気回復への取り組み。その中身は大企業への公的資金投入や、銀行の不良債権処理といった金融再生が主だった物で、彼等は未だに、私達庶民の為には何一つしてくれてはいません。
 昨年の衆議院選挙で、郵政民営化を掲げて大勝利を収めた小泉政権ですが、「不採算局の閉鎖はしません」と約束した彼等は先頃、全国にある4700の郵便局の内、1000局を無集配局とする案を提示しました。確かに閉鎖されてはいませんが、窓口業務以外を取りやめる事による、地域住民へのサービス低下は避けられないでしょう。
 そして無集配局化される1000局はもちろん、人口密度の低い過疎地域に存在する不採算局です。

 そもそも、立場上は公務員だけど郵政事業は独立採算制で、国民の税金を食い潰すどころか、財政投融資の資金源となる事で国家の金主でもあった郵政事業を民営化した所で、財政再建には何のメリットも無かったのですが、これはまた別の物語なので別の機会に・・・。

 郵政民営化で成功を収めた小泉政権は今、医療制度で同じ事をやろうとしています。世界に誇る”国民皆保険制度”を持つ我が国ですが、私達から集めた税金は全て、自分達の支持基盤である大企業の為だけに使いたい自民党政権は、保険制度を変える事によって、国民が気軽に医療を受ける事が出来ないような制度にしようとしています。政府のこの動きに、昨年私達医療関係従事者はこれ対する反対の意思表示として、『国民皆保険制度を守る署名運動』に参加。結果、幾つかの改正案が撤回されました。

 この夏には、参議院議員選挙が行われます。支持基盤への利益誘導を生業とする政治家達が、私達有権者の声に耳を傾ける数少ない機会です。

政治家は、私達の希望には絶対に応えません。私達の票にだけ応えるのです。

 一体誰が、どの政党が、私達のような一般庶民の実情を理解してくれているのか?
 それをよく見極め、『投票』という公平な方法で、私達と共に、あなたの意志を国政に伝えましょう。

 最後に、マサチューセッツ工科大学の言語学者、ノーム・チョムスキー氏の言葉を引用して、この話を締めくくりたいと思います。

“・・・次に、自由企業という言葉を考えてみよう。実際にはこの言葉は、私的利潤のために公共の補助金を提供し、金持ちのための福祉国家を維持するために政府が大規模に経済介入するような体制をさす。”
(Noam Chomsky 著;“What Uncle Sam Really Wants”より抜粋)



人気ブログランキングです。クリックして下さいね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.15

音楽の力

 仕事中、集中力や観察力を高度に高める必要の無い状況にある時(もちろんめったに無い)には、僕はよく鼻歌を口ずさみながら仕事をするのだが、日本語の歌は鈴木祥子とか「何それ?」って見られちゃうし、英語の歌なんかヘタに職員に聞かれちゃうと嫌味に取られてしまうようで、他人に聴かれてもべつに構わない、問題の無い様な、無難な歌を選んで口ずさむようにしている。
 が、今日、食堂で夕食の準備(お茶やお絞りを準備したり等)をしながら下の歌を口ずさんでいた時、ふと気が付けば、既に席に付いていた皆が、とても明るい表情をして僕を見ていた。

 以前に故・坂本九氏の『上を向いて歩こう』を口ずさんでいた時も、似たような反応があった。ある種の音楽には間違いなく、聴き手の心を震わせる力があるのだと思う。そしてこの歌も上の歌と同様に、その歌詞にとても強い力がある。
 何気に口ずさんでいた僕だが、皆の表情を見て、歌詞を噛み砕く様に吟味しながら歌い続けた。

 途中から、涙が出そうになった。


『手のひらを太陽に』作詞;やなせたかし


 ぼくらは みんな 生きている

 生きているから 歌うんだ
 ぼくらは みんな 生きている
 生きているから 悲しいんだ
 手のひらを太陽に 透かして見れば
 真っ赤に流れる ぼくの血潮
 みみずだって おけらだって あめんぼだって
 みんなみんな 生きているんだ
 友達なんだ


 
ぼくらは みんな 生きている
  生きているから 笑うんだ
  ぼくらは みんな 生きている
  生きているから 嬉しいんだ
  手のひらを太陽に 透かして見れば
  真っ赤に流れる ぼくの血潮
  とんぼだって かえるだって みつばちだって
  みんなみんな 生きているんだ
  友達なんだ



 やなせたかし氏(高知出身だよ!!)によって紡ぎだされたこの歌詞は、そこに生きている全てを、生きている事それ自体を全肯定し祝福する、とても慈愛に満ちた素晴らしい歌詞だと思う。


人気ブログランキングです。クリックしてね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283
気が付けばランク急降下中・・・
もっと面白い記事書かなきゃね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.14

自由と言う名の不自由

 依存と支配が対になっているのと同様に、自由と責任も対になっている。何かに依存していると全ての責任と判断を相手任せに出来るので、気楽な事この上ないが、依存者は被依存者に支配されるという面も併せ持つ。
 同様に、自由でいるという事は、全ての決断・判断を自分で行える代わりに、自分で決めたそれらについての全責任を負う事になる。

 子は親に依存している限り、親の支配下に入る。
 食事の献立に意見を述べる事は出来ても、それらの食材をどこでいくらに値切って買うか、ソコまでは口出し出来ないだろう。(ハンガーストライキくらいは出来るかもしれないが)
 進学や就職、家族によっては子供の友達付き合いや趣味にまで干渉するが、その代わりに子供は自力で収入を得る責務と、必要な家事の内、かなりの部分から解放される。

 社長は自分の判断で物事に対する決断を下せるが、下したその決断に対しての全責任を負う。(東アジアにあるちいさな島国は恥ずかしい例外)
 部下に意見を求める事はあっても、それを採用、または参考にする、最終判断を下すのは自分だ。企画、立案、計画、実行、全て自分の裁量でコストと人材と時間を配分し、得た利益の大部分を手にする。しかし、失敗した時はその責任の全てを負う義務が生じる。(東アジアにある対米追従の某国は情けない例外)

 独立したり昇進したり、自由が増えれば増える程、義務と責任も増えていく。数が減ればその一つ一つが重くなり、その総量は自由度と確実に比例する。

 ある種類の人達は、その拡大する義務と責任を背負い込む事が出来ず、責任を恐れて身動きが取れなくなり、組織を硬直化させてしまう。そうで無い人も確実に、自由度と比例して増えた義務と責任を背負って生きている。この世界には「完全な不自由」も無ければ、「完全なる自由」も無い。

 この世界には、オンリーワンになる人、ナンバーワンが相応しい人がいて、そしてナンバー2で居る時に最も輝く人、大衆の中に埋もれる事で、自分らしさを取り戻せる人、実に様々な人がいる。

 でも、そこにはどれが正しくてどれが間違っているか。とか、どれが偉くてどっちが劣っているか。も無いと思う。依存と支配、従属と独立との配合比率に違いがあるだけだ。



人気ブログランキングです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.13

全てあるがままに

 もし、人間に『標準規格』と言うものがあるならば、僕は間違いなく規格外製品だ。自分がそんな感じだから、僕は基本的にどんなアイデアも行動も存在も否定する事無く、それをあるがままに受け入れる。
 それで不利益を被る人がいなければ、少しくらい他人と違っていたって、それはそれでいいじゃないか。
 僕はいつも、そう思っている。

 『壮健な健常者である事』を前提に全てが機能している日本社会において、加齢による身体機能低下をきたした人を相手にする、介護福祉という現場にいると、その身体機能低下を負い目に感じ、自己否定的になっている人と常時接する事になる。

 四肢のうちどれか一つ、或いは二つ以上を失った人。
 麻痺により、運動機能に著しい制約をきたしている人。

 自己否定的になっている高齢者は、大抵がこの二つのうちのどちらかだ。
 認知症がかなり進んだ人は否定する自己すら失っているし、発語能力を失った人には、その思いを他者に伝える機能それ自体が既にない。

 自立しての日常生活維持が困難になってしまった人は皆が、その事実に申し訳無さそうな態度を見せる。そして僕はいつも「それでいいじゃないですか。」的な、今のあなたでいいんですよ、的な事を言う。

 彼等、彼女達は、誰も傷付けていないし、誰も損ねていないし、欺いたりも搾取したりもしていない。
 それどころか、介護については僕にとっての先生ですらある。
 だったらそれでいいと、否定的になる要素なんてどこにも無いと思う。
 リハビリに励んで機能を回復させたり、残存機能の維持・向上に努めたり、失った四肢の代わりに残った部分と義手・義足でそれらをカヴァーしたり、それらだって、こちらはそうする事を勧めるけれども、強制はしない。
 する、しないは自分の意志で決める事だし、その決定は尊重されるべきだと思う。

 体調不良以外でリハビリを拒否する人にはまだ会った事が無いが、もし拒否するのなら、それはそれでいいと思う。

 職業上での、僕の基本姿勢はいつだって、
「そこに居る人を、そのまま丸ごと受け入れる」だ。



人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.12

放送視聴課題 

 通信制高専に通っている関係で、まとまった時間が空くとビデオ録画しておいた「放送視聴課題」なるものを見ているが、介護者として、福祉事業に携わる者として、これが結構興味深くて面白い。
 録画しているおかげで、興味深いトピックは何度でも見返せるし、日々の業務に流されて、「こなす仕事」に堕ちかねない危険性を常に意識している私にとって、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれたりもする。

 ビデオ録画出来るという点から、私が録画視聴しているのは『福祉ネットワーク』(NHK教育;月~木20:0020:30)だが、老人福祉、障害者福祉、精神保健福祉、その他、様々なトピックについて語られるその番組は、高齢者への身体援助業務を生業とする私にとって有益なのはもちろん、多様な現代社会において、日頃触れる機会の無い世界を知る上でも大変有意義だ。

 831日までに、15回分の放送を視聴してレポートを書かなくてはならないが、介護職者として、福祉に関わる物として、15回分を全て終えた後もこの番組は継続的にウォッチし続けようと思っている。

人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.11

笑顔の使用場所

 基本的に、僕はよく笑う方だと思う。
 「いつも笑顔で朗らかに♪」をモットーにしてる位で、シビアでシリアスな局面いる時も、その局面にいる自分をユーモラスに客観視して、自分自身を笑い飛ばしてしまう。自分だけでなく状況や事態まで、見方を変えてユーモア精神で眺めてしまう傾向があって、それで気分が沈んで行くのを食い止めたり、沈んでいこうとする友人、知人を元気付けたりしてきた。

 常に笑顔を絶やさない事を心掛けて生きて来た僕だが、今の職場では、
 「へらへらしない!!」
 と叱責を食らう事が何度もあった。だから、職員相手にはなるべく笑顔を見せない様にしている。
 仕事とプライベートを完全に分ける主義の僕は、職場以外では職員との交流を持たないので、打ち解けるのに時間が掛かるが、お陰で馴れ合いからは遠く離れた位置にいる。
 しかし、特に親しい訳でもない、しかも新入りで、どんな事にも絶対に感情を表に出さない僕なのだが、それはあくまで対職員のみで、患者(医療介護施設では“入所者”よりも”患者“の方が合っていると思う)に対してはいつでも笑顔だ。

 体位返還、移乗、食事介助、水分補給、入浴介助、更衣介助、排泄介助、オムツ交換、どんな時でも常に笑顔でいる事を心掛けているし、会話があれば、それを相手が笑える方向に向かうように持って行く。

 技術的に稚拙で経験が未熟で、要領が悪くどんくさくて物覚えが悪くて注意集中力不足な僕だけど、早くそれらを克服して一人前の仕事師になって、バリバリ仕事をこなす上に、常に患者を笑顔にさせる事が出来る、そんな介護人に私はなりたい。

 うん。もちろんなるよ。



人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.05.10

売春が日本から無くならない理由

 この国は建前上は『売春防止法』という法律まで作って、対価と引き換えにセックスを供する事を禁じている。
 売春防止法では、セックスを対価に金銭を得る事、金銭と引き換えにセックスをする事、その為の場所を提供する事、それらの全てが禁止されている。これは日本には、全く正常に機能しない法律があるという事の実例であろう。

 個々のケースを引き合いに出すまでも無いが、この国にはソープランドと言う、金銭と引き換えにセックスを提供する場所と、そこで働く女性が相当数おり、そしてその客も同様に相当数が存在する。この国のおかしな所は、売春防止法で売春を禁止しておきながら、風俗営業法で性風俗店舗の存在を認めている点だ。

 これは一体何なのか?

 これはつまり、日本の政治はヤクザと繋がりがある事の証明でもある。
 江戸時代以前から、売春はヤクザの資金源だった。売春はヤクザにとって、強大な既得権益だったのだ。

 明治維新以後、西欧へのキャッチアップを国家目標として、そして戦後は民主主義を掲げて先進工業国家へと驀進する日本にとって、文化的洗練の為にも(そして性感染症予防の意味からも)売春防止法は必要だったのだろうが、それは既得権益にしがみつくヤクザにとっては邪魔な動きだった。

 恐らく売春防止法施行当時のヤクザ達は、自分達の既得権益を守る為、政治介入を試みたのだろう。若しくはそれ以前から、ヤクザと政治家には癒着構造があったのかもしれないが。
 叩いても埃の出ない政治家なんて、共産党くらいにしかいないだろうから、裏社会に住む者達にしてみれば、政治家の懐に飛び込み、共に美味しい汁を啜る様にルールを作らせる事は、それ程難しい事ではなかったのだろう。そして風俗営業法と、それに性風俗店に関する細則を盛り込ませたルールを作らせて、自分達が既得権益で甘い汁を啜り続けるのを可能にさせた。

 政治家とヤクザの繋がりはそのまま二世議員に受け継がれたようで、売春を本気で禁止するような動きが政府と行政から出そうな動きは全く無く、彼等が取締りを受ける事も規制される事も無く、そして、潤沢な収入源を持つヤクザが日本社会から無くなる日も、世襲する国会議員がいる限りなくならない。

 売春がヤクザの資金源であり、ヤクザが政治家とつるんでいるのだから、日本がオランダの様に売春を合法化して、売春婦を課税対象としたり、彼女達に健康保険を適用させたり公的年金を支払わせたりする事も無い。

 つまり、自民党政権を支持するという事は、間接的に売春制度とヤクザを支持するという事だ。投票棄権も同様に、売春とヤクザを支持するという事だ。




人気ブログランキングです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006.05.09

アクセス解析

 僕がこのブログを始めて、もう3年近くになる。
 最初は、当時高知の地方誌で連載していた、”サンフランシスコ滞在記”の記事やコラムが、原稿は誌面の都合で編集されるのだが、書く側としては編集前の文に思い入れがあるので、未編集Ver.を残しておきたくて始めたものだった。ときどきは日記的な記事を載せてもいたが、基本的に更新ペースは遅く、大体、多くても月数回ぐらいのペースだった。

 ‘05の9月で日本に帰国し、以後、日記や日々の雑感等、頭に浮かんだ事を書き綴るようになった(だから2005年9月以前は滞米中の記事です)のだが、そうなると更新頻度が劇的に増えた。それはきっと、滞米中は昼間は大学の授業に、夜は膨大な量の宿題(アメリカの大学は宿題が凄いです)に追われ、頭脳が酷使されて書きたい事が言語化されなかったから、更新が滞っていたのだと思う。滞米中は日常生活もフル英語で、脳は常時相当に酷使されていた訳だし。
 帰国後は更新頻度が劇的に向上し、記事数は既に250を超えている。
 それだけ更新頻度が増えると反応もそれなりに増える訳で、記事へのコメントやトラックバックも増えている。

 で、何気にそれらを見ていたのだが、ここに常連として訪れてくれている方々の他にも、どこから来たのか足跡を残していってくれる方やトラックバックを下さる方もいて、その反応は受ける側からすれば有難かったりもする。もちろんトラックバックスパムもあるのだが、僕は基本的にTBスパムと判断したIPからは、TBを消去して以後のアクセス拒否をする事に決めている。そうでない、純粋にこちらの記事に反応してコメントやTBを下さる方の中には、時々だがとんでもなく難しい主張をブログでされている方もいる。

 僕自身が、ちょっと難解なトピックに関した記事を書く事があるので、そういったTBやコメントは、その手の政治・社会・国際情勢に関して書いた時に頂く。
 そうしてもらったTB、コメントを辿ってみると、それらのブログでは皆が正論を述べている。
 彼等の意見は、全く非の打ち所も無い正論だ。
 少なくともそこには一理ある。

 ただ、絶対に多数派が目を向けないだろう。と言う書き方をしている。
 この事実は、僕自身にとっての強烈な示唆となった。

 時々、物凄く硬いテーマについて書く事もある僕だが、そうやって書いた記事にTBを下さる方々と同様に私も、この世界を少しでもいい方向に向かわせたいと思っている。
 そしてその為には、先ず自分の意見に耳を貸してもらう必要がある。
 しかしながら、ただ正論を吐いているだけでは、多数派は絶対に耳を貸してはくれないのだ。その理論がどんなに正しく美しいとしてもだ。
 恐らくこの国の多数派に属する人は皆、自分の事で精一杯で、世界の事を考えている余裕など無い。少なくとも彼等はそう考えている(自分達は忙しくて時事問題に目を向ける余裕など無いと感じている)のだと思う。

 正論を唱えてそれに耳を貸してもらう為には、小学生でも「面白い!!」って思えるような内容で、でも読み終えた後に「しん」と考えさせられる点が残る、そんな文章を書かないといけない。
 私が書いた硬い内容の記事にTBやコメントを下さる方々の記事を見ていて、強く思った。
 すらすら読み進められて、面白くて、そして考えさせられる文章。
  それは文章を書く上で、とてもとても難しい物だ。

・・・・・。


 こーゆー事はプロに任せて、僕はこれからものんびり、アタマに浮かんだ事を書き綴っていく事にしよう。




人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.08

世界の終わり~支配者とリンクする情報科学~

 世界の終わり。という題で管理社会と再生医療について語ってきたが、最後に、そのどちらにも関わっている、情報科学について話そうと思う。

 この十数年の間に、情報科学(情報技術ではない)は劇的に進歩した。それは脳科学と結びつき、人間の知覚システムにより深い理解をもたらし、知覚心理学という分野を生み出したくらいだ。
 脳から発せられて脊髄を経由した命令が神経に伝わり、骨格筋を動かすそれが、神経線維を伝わる電気信号のやりとりで行われている事は大抵の人が知っているが、その、どういった電気信号がどの部分の筋肉をどういう風に動かすのか、そして、感覚器官で感知した熱や圧力や痛みと言った情報を脳に伝える信号、それらの解析が進んでいる。情報科学の進歩は、そうやって拾い出した脳からの、そして脳への電気信号を、デジタル信号に変換してインターネット上に乗せ、遠く数千キロ離れた所にある義手を、自分の手として動かす事が可能な所にまで来ている。

 デジタル化できるという事は、遠隔地への高速伝達を可能にするだけではなく、複製、拡散が容易に出来ると言う事でもある。前回書いた義体技術が進歩すれば、1人の脳があれば、数千人、数万人を動かす事が可能になるかもしれない。

 一つの脳で数千人の兵士を動かす事は合理的では無いが、神経伝達信号をデジタル化させて遠隔操作を可能にする事を軍事技術転用すると、兵士損耗率0、つまり戦死者0の戦争が可能になる。実際に前線に出るのは兵士とリンクしたサイボーグで、兵士は基地でサイボーグと情報の遣り取りをするだけだ。そこでは流れる血もなければ痛みも無い、無味乾燥な消耗戦が繰り広げられるだろう。

 話は少し変わるが、情報科学は脳科学とリンクして、記憶や判断、思考や想像を解析する所にまで来ているらしい。
 感覚器官を通して認識された情報が、どういったプロセスを経て記憶されるのかはほぼ完全に解析されているそうだが、もし、その記憶や思考が外部から制御可能になったとしたら、(そして必ずその技術は開発される)これほど恐ろしい事は無い。

 始めはきっと、異言語や学問と言った知識や、特定の技術習得についての、安価で効率的な手段として、開発・市販・普及するだろう。しかしながら、記憶や思考、判断を第三者が制御可能になったとしたら、為政者達は必ず、それを自分達の立場をより強固に、永続化させる為に利用するはずだ。

 大衆の個性化は、効率的な納税者の大量生産にとっては不必要な物だ。脳の外部制御技術は、そんな物は簡単に消してしまえるようになるだろう。万人の個性が多様化し、それら全てがCritical thinking skill(批判的思考能力)を身に付けたりしたら、特権階級の大衆支配制度を維持する事が難しくなるかも、ヘタをすれば革命なぞを起こされて自分達の不利益に繋がる事になるかもしれない。

 脳機能の外部制御が可能になれば、大衆がそういった判断力や思考力を持つ事無く、ドラマやスポーツや有名人のスキャンダルでカタルシスを得てそれで満足して居続けられるように、感情や思想を統制する事が可能になるだろう。

 そしてそういった情報科学と脳科学の結合は、将来的には人工衛星を利用した高速大量広範伝送技術に結びつき、特権階級者による世界支配へと結びつくだろう。

 宇宙から送られるコマンドに従い、自分でも気付かない内に支配される大衆達。
 そこでは競争も敗北も無く、争いも犯罪も差別も偏見も略奪も無いのかもしれないが、個性を奪われ、従順な消費者という特権階級者の家畜としてしか存在を許されない人間。そんな存在として生きて行く事しか許されない世界に、本当の意味の幸福などあるのだろうか?


 田舎の介護職員の疑問などお構いなしに、それへの流れは静かに、しかし確実に進行しているのだろう。



人気ブログランキングです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.07

はやっ!!

 今日の高知市は3時近くまで雨が降っていて、久し振りの休日だというのに何にも出来ず、仕方が無いから睡眠赤字解消に努めていた。

 で、雨が上がったのだが、そんな中途半端な時間に上がられたって、こっちだって都合と言うものがあるってもんだ。出来る事なんか殆ど無いじゃないか。

 とりあえず、読みたいと思っていた本を注文しに、街へと出掛けた。

 雨の上がった高知の5月、その日差しはもう夏のそれだ。

 暑い。

 喉乾いた。

 しかし、何でもカード払いが染み付いている僕は、サイフの中に小銭が無い。食品業界に身を置いた事もある僕としては、たかが飲み物ごときに金払うのもヤだ。原価率なんて2割以下のクセに。

 で、近くにあった献血センターに飛び込んだ。

 今は手続きも電子化されているので、過去に献血前歴があって献血手帳があれば、あっという間に手続きが済んで問診表渡されて、その問診もタッチパネルを次々と押していくだけの、チョー速攻。

 今日は全血200ml。

 血圧とか測って、採血して、それ用の台に寝転んで、腕にあの釘みたいなぶっとい針を刺して、採血されていく。

 「はい、ちょっと痛いですけどすみませんね。」

 僕は献血をかなり頻繁にする方なので、痛みには慣れているし、採血する看護士さんも腕がいいみたいで、痛みは殆ど無い。

 献血している間に、読みかけの本を読もうと取り出しページを開いた。


「はい。終わりました。」

え?

ちょっと早くない!?

まだ1ページも読んでないんですけど・・・。

記録に、採血開始時間が残っていて、そこから逆算した採血時間は2分未満。

献血ってもっと時間掛かるものだと思ってたけど・・・。

200mlだとそんなものなのかなぁ…?


で、記念品貰って、ポカリもたらふく飲んで、ついでにお菓子もちょっと食べて、献血センターを後にしたmizzieさんなのでした。



人気ブログランキングです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

世界の終わり ~洗練する再生医療~

 再生医療の進歩には物凄いものがある。再生医療に対する工学的アプローチである義肢技術は、情報科学、ロボット工学、医学、脳科学等とリンクして、10年前とは比較にならない位の進歩を遂げている。

 例えば義手。

 第一間接から切断された腕への義手。
 残存した腕に伝わる神経線維を胸部筋に移植し、そこに義手からの情報レセプターを取り付け、移植された神経線維を伝わる電気信号を検知して、それを義手を動かす為の情報に変換し、腕を動かすのと同じ要領で義手を可動させる。
 また、義手に埋め込まれた圧力センサーや熱センサーの情報を神経線維に伝える技術も開発されて、義手と握手をすると、握手された側はまるで自分の腕で握手をされているような感覚を、脳では感じるらしい。

 最先端の義手・義足技術は、自分の意のままに動かせて、それをまるで自分の体の一部のように感じる事が出来るようになっている。
 まだ「攻殻機動隊」ほどではないが、あの漫画で描かれている世界が、ファンタジーとは定義出来ない世界に現在の僕等はいる。


 歴史を紐解くまでもなく、先端技術は常に、軍事技術として利用されるという悲しい運命を背負っている。この領域でも最先端を走るアメリカ合衆国は、軍が再生医療の研究に巨額の資金を投じているらしい。

 義手、義足、そしてそのうち必ず「義体」が実用化されると思うが、もし、壊れても交換可能で、そして痛覚をカットした体(つまり痛みが無い)で出来た兵士がいたら、兵器として、これほど恐ろしい物は無い。
 体を機械化出来るなら、激しい鍛錬など無しに、低コストで強力で優秀な兵士を大量生産出来るだろう。
 9Gの急旋回でも失神しない戦闘機パイロット、同時に音速で飛ぶ500機をさばく航空管制官、3000m先の一円玉を打ち抜く狙撃兵、片手を吹き飛ばされても向かってくる突撃兵。
 2006年時点での義手・義足技術を洗練させるだけで、それらは実用可能な段階に来ている。

 ここで忘れてはならない事実は、軍隊とは敵から国民を守る為。と言う大義名分の下に組織されるが、大抵の場合、それらの銃口は自国民を抑圧する為に用いられてきた事だ。

 再生医療技術の進歩によって、強化サイボーグと化した特殊部隊員や公安調査員達が、特権階級による大衆搾取体制維持の為に働く、一般庶民が特権階級者に隷属し続ける社会が永続する、そしてそれに気付き、反対の声を挙げようとした者は、その思想を宿した時点で政府によって消される。そんな時代が来るかもしれない。

 もし、僕等が考える事を止めてしまったら、それはあっという間に押し寄せて、そして永久に拭い去る事が出来なくなるだろう。


人気ブログランキングです。クリックしてね♪ 

http://blog.with2.net/link.php?268283
気が付けば34位!!皆ありがとね♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.06

世界の終わり~超・管理社会~

 アメリカ合衆国に、観光で短期滞在した人や留学した人と違い、移民として住み、働き、学び、税金も払っていた僕には、ソーシャルセキュリティーナンバー(以下SSN)と言う、9桁の番号が割り当てられている。住基ネットの住民票コード、それのアメリカ版みたいな物だ。
 アメリカ市民と永住外国人は、大学に入学する時も、就職する時も、銀行口座を開く時も、クレジットカードを作る時も、電話会社と契約する時も、アパートを借りる時も、常にこのSSNが必要になる。
 留学生や不法移民には出来ない事のほぼ全てが、これがあると出来るようになってとても便利なのだが、個人情報流出とか以前に、この「番号で管理されている」というのはある意味居心地が悪い。

 そいつがどんな過去を持っているのか、SSNを頼りに照会すれば全て簡単に判るのだ。つまり、SSNのある者は常に国家から監視されている事になる。例えば僕のSSNを使って照会をすれば、僕がいつ大学に入学し、そこでの成績はどうで、どういった会社にいつからいつまで在籍し、申告した収入が何ドルあったか、なんて事が一瞬で判ってしまうらしい。

 クレジットカードもSSNを使って契約するから、恐らく、いつ何処で何を買ったのかも、SSNを使って調べればたちどころに判ってしまうと思う。だから僕はずっと、アメリカで作ったBank of AmericaのVISAカードは、支払い滞納が無い事の証明としてのみ使い、通常の買い物は全て、住友VISAでしていた。住友VISAのホストコンピューターにハッキングを掛ければ、僕の購買物品やその嗜好等は簡単に判ると思うが、僕は昔から、あまり他人に知られたくない支払い(ラブホの支払いとか避妊具とかえっちなDVDとか・・・)は全て現金でするので、そーゆー超・個人的情報は判明出来ないように気を付けてはいる。

 確かに、個人情報を番号管理させるシステムは、物凄い利便性を持つ。しかし、デジタル化による記憶装置の技術進歩で、膨大なデータを記録しておく事が可能になった現代社会において、この、番号による管理システムはとても危険な諸刃の剣でもある。

 各個人一人一人が、何時何処で何をしていたのかが、完全に記録されてそれが為政者の必要に応じて一瞬で照会されてしまうのだ。
 そうなると、犯罪防止の名の下で、「反体制抑圧」が簡単に可能になるだろう。独自の検索方法を使う検索ソフトを駆使し、公安が特定のキーワードに引っ掛かる「政府にとっての危険人物」を一瞬で探し出し、適当な罪名を被せてそれらを一掃する事など、実に容易になるだろう。

 為政者にとって不都合な動きをする者を封じ込める、実に効率的で便利なシステムだ。そこでは国民は常に監視され、国家の意に沿わぬ者は様々な機会から疎外されるようになって、(特定の番号を持った者を、特定の職業に就けなくするとか)為政者による大衆支配がよりやり易くなるだろう。

 民主主義と自由主義の水を飲んで育った僕には、ちょっと受け入れ難いシステムなのだが、住基ネットは特に話題になる事も無く、あっさりと日本社会に受け入れられた。アメリカではSSNの問題点が多数指摘されていたというのに。

 そう遠くない未来、恐らく今世紀前半には、全ての国民が何時、何処で、何をしていたのか、それらが全て記憶され、電子データとして国家にファイルされる日が訪れるだろう。



人気ブログランキングです。クリックしてね♪ 

http://blog.with2.net/link.php?268283 

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006.05.05

アメリカ、世界一下劣な国

久し振りの英語更新だい!!文法ミスとかはご勘弁を(^^ゞ

 米軍再編制計画では、世界中に駐屯している米軍を整理・統合し、大規模な部隊展開を少数精鋭の機動力に富んだ部隊に編制しようとしているらしい。高度にハイテク化された現在の米軍は、覇権維持の為に大規模な部隊を前線に展開するよりも、そちらの方がコスト的により効率的なのだそうだ。
 欧州や大西洋地域ではどうなのか知らないが、アジア、北太平洋地域では在韓、在日の米軍を整理・縮小し、幾つかの部隊は引き上げる事になるらしい。
 世界中で女の子達をレイプしまくって来たアメリカ軍がいなくなるのはとても好ましい事で、整理縮小の動き自体は歓迎する事だろう。
 だがしかし、その部隊整理に関わる部隊移転経費を、アメリカ政府は日本に払えと言ってきた。その額何と3兆円。

 どうしてアメリカ軍の移転経費を、独立国家である日本が負担しなければならないのか?アメリカ政府は色々ともっともらしい事を言い立ててはいるが、イラク戦泥沼化で国家財政が火の車になったアメリカ政府には、自力で自国の軍隊を維持する余裕が無いのだろう。
 金持ちをさらに金持ちにする為にのみ政府が機能する、独占資本主義の最終進化形であるアメリカでは、国内企業は利益最大化の為に国内工場を閉鎖して貧困国に低賃金労力を求めて移転し、結果、軍需産業以外の国内工業が死滅してしまった。『幸せな中産階級の国』だったアメリカは、『少数の超金持ちと、貧乏人と超貧乏人の国』に成り果てた。金はあれども品位は無く、力はあれども正義は無く、活力はあるが矜持は無い。それが現代アメリカだ。

 力と金はあるが品位と道理が無いアメリカ合衆国は、それが如何に客観的に見た場合にあさましかろうが、それをする事に躊躇いは無い。意地汚くて浅ましくて恥ずかしい国、それが今のアメリカ合衆国だ。

[Transelated by mizzie; Plese forgive me if I made mistranslation. :-p]


The U.S., the most ignoble country in the world

    Uncle Sam has been planning to reorganize the military. The plan makes the military change huge scale unit to small elite soldier troops by rearranging and combining their units. The U.S. government announced that recent high technologies the U.S. military can financially make more efficient for maintain supremacy of the U.S. than using huge unit’s deployment all over the world.
     I don
t know anything about Europe and Atlantic, but in Asia and Pacific region, The U.S. will reorganize and/or scale-down, and withdraw some of their units in Korea and Japan.

     As a Japanese, I think that the U.S. soldier disappearing all over the world should gratify due to their terrible behaves such as raped countless women, made silly crimes, and so on. However, the
U.S. pressed Japan government to pay the cost of moving their troops. They claimed the total cost is approximately 3, 000, 000, 000, 000, yen!!

     Why we, Japanese need to pay the
U.S. military's moving cost? Japan is an independent country, not a slave of the U.S. Uncle Sam has declared many specious reasons sound like truth, but probably they can
t pay the cost because of U.S. government financial crisis due to bogged down in war on Iraq.

     The
U.S., final evolutional style of monopoly-controlled capitalist country, functionally makes super rich people become much richer. Because of the reason, in the U.S. domestic industry except military industrial has already disappeared in the country due to domestic factories closed and moved to third countries for pursuing cheap labors. The U.S. became rich but ungraceful, powerful but injustice, energetic but non-pride due to that recent the U.S. had changedhappy middle-class country of the U.S. to a few super rich people and poor and/or super poor people of the U.S..

     Uncle Sam, powerful, rich but ungraceful, injustice country doesn’t hesitate to do anything to which they want things even if how shameful, contemptible, and/or miserable them. Be greedy, disgraceful, and shameful country, it
s latest the United States of America


人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.04

フランス製品も買わない

 政治的姿勢が気に入らないから、アメリカ製品非買を貫いている(移民として渡米する程に親米派だった僕に、そこまでさせてしまうのがあの国だ)僕だが、アメリカ製品非買とほぼ同じ理由で、フランス製品も非買している。
 これは僕がまだレースをやっていた頃、1995年以来ずっとだ。
 それまでは、特に好きでも嫌いでも無い、そんな国だったフランスだが、その事件以来ずっと、フランス製品は非買している。

 その頃僕は、新しいリュックを買いたくてあちこちのお店を下見して回っていて、最終候補に残ったのがアニエスbのリュックだった。素材、デザイン、機能性、全てに満足し、給料が出たら買う決心がついた頃、フランス大統領になったシラク大統領は、それまでの核実験禁止措置を撤廃し、世界中の反対を押し切ってムルロア環礁で水爆実験を実行した。

 ブラウン管に映し出された巨大なキノコ雲を見た時、僕の中にある「見逃せないものを、見逃してはいけない」な、例の土佐人魂なるものが、僕に指令を下した。
 「フランス製品永久非買決定」だ。

 あのカッコいいリュックは、どこかの誰かが買うか、不良在庫で廃棄されるかという運命が決定し、翌月、僕の背中に乗っていたのは、2番候補だった別のリュックだった。

 その年は、広島と長崎に原爆が投下されて50年目の年であり、この年に核実験を強行したシラク大統領は、あの「裏・ノーベル賞」とも言われる「イグ・ノーベル賞」で、イグ・ノーベル平和賞を受賞した程だ。

注;
イグノーベル賞の選考基準は、「人を笑わせ、そして考えさせた」研究や、「真似が出来ない、するべきではない」業績、又は「「目を見張るほどバカげているか、刺激的である業績」に対して授与される
(阪急コミュニケーションズ刊;『イグ・ノーベル賞』より抜粋)

 世界唯一の、そして最後の被爆国国民として、この暴挙を看過する訳にはいかない。それはとてもとても小さな抵抗だけれど、この一件以来、僕はフランス製品を購入していない。
 ミネラルウォーターが欲しくてコンビニに入っても、海老餡(誤字)は絶対に買わない。タマに買い物とかしてていい物を見つけても、タグを確認して製造国か原産国がフランスか、フランス企業製品だった場合は買わない。元レーサーとして、モエ・シャンドンは憧れのシャンパンだったが、今はスペイン産の「セグロ・ビュータス」が憧れの酒だ(ってもう飲めないけど)。WRCでプジョーがスバルに勝つと本気で腹が立つ。飛行機移動も時間に余裕があれば、使用機材がエアバス機の便は避ける。

 アメリカと違ってフランスは、食べ物もお酒も美味しいし、工業製品はとても優秀だし、センスのいい物をどんどん作り出してくる国なので、これを貫くのは時として、僕にとっても有害でもあるのだが、それでも、僕はフランス製品非買を継続している。

 ささいな事でもしょっちゅうギャーギャー言ってるどっかの大都市を、すぐに沸騰するけどすぐ冷めるお茶瓶だとすると、簡単には動かないけど一旦決めたらとことんやり抜く土佐っ子は、例えて言うなら巨大なヤカンだ。

 水爆で沸騰した僕のヤカンは、まだ当分の間は冷めそうにはない。


人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.05.03

技術革新

 まだ全国的に見ても珍しい、『創傷ケア院』でもある我が職場だが、その治療手順や栄養指導や医薬品の洗練と技術進歩のお陰で、一昔前だったら切除以外に治療法のなかった様な傷や病気でも、現代医学は治療してしまう事が可能になっているようだ。
 介護病棟である私の職場にも、第Ⅳ度まで進行してしまったようなじょく瘡を治癒させた方が何名もいて、オムツ交換時や入浴時にそれらの傷跡を見たり、治療過程にある方の処置を日常的に目にしている。
 医学の進歩ってホントに凄いと思う。じょく瘡で組織が壊死して骨まで見えているような、しかも高齢で治癒能力とか新陳代謝機能が低下している人でも、現代医学は傷を塞いで治癒させてしまうのだ。

 だがしかし、

 治るからと言っても、「じょく瘡作るは介護者の恥」は紛れも無い事実だ。体位変換等の介護が上手く行かないと、手順を手抜きしたりポイントを外した介護をすると、その結果は直ぐに発赤になって現れる。

 発赤を見逃せば、後は表皮壊死まで一直線だ。

 そして、一旦発赤が出てしまうと、その人は毎体位変換時に特別な除圧措置が必要になり、ただでさえ忙しい業務に、さらに時間が掛かる事になる。

 どんなに技術が進歩しても、方法や器具・道具が進歩しても、それを扱うのは人間で、その優れた・洗練された技術や道具や方法を、生かすも殺すも全ては使う人次第だ。


人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪

http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.02

合法的殺人

 このブログでも何度か書いたような気もするが、僕は死刑廃止論者だ。
 死刑という刑罰は、殺人に対する最高刑として下されるが、死刑それ自体が既に、合法的な殺人に過ぎない。加えて、そこには常に冤罪の危険性が存在し、また、犯罪加害者の更正と贖罪に期待したいという人道的観点からも、僕は死刑制度には反対している。

 そもそも、「殺したんだから殺されて当然だ」は、合理的な論理なのだろうか?「真珠湾攻撃で二千数百人のアメリカ人を殺したんだから、広島と長崎の25万人は殺されて当然だ。」は、合理的だろうか?

 また、ここに、高度に計算された手順である人物を、残虐な方法で殺した殺人犯がいたとする。上の論理が合理的ならば、この犯人は死刑になって当然だと言う理論が成立するが、そうやって残虐な方法で人を殺したのは、犯人の個人的要因に基づいた行為だったのだろうか?それに至った状況要因と言うものにも、目を向けるべきではなかろうか?

 「やられたから、やりかえせ。」は憎しみの連鎖を肯定する事になる。政府の仕事とは、国民を幸福にする事だ。ならば、暴力に暴力で報いるという行為を国家が率先してやる事には、幸福の追求という政府の本来の業務とは、反対のベクトルが掛かっているのではなかろうか?

 上記の理由から、私は戦争から極刑に至るまで、政府が行う全ての暴力行為に反対している。

 次に、その犯人は本当に犯人なのだろうか?
 現行犯逮捕以外は常に、冤罪の可能性が存在するし、何かの理由で、真犯人の代わりに罪を被って死のうとしている可能性も否定出来ない。警察史には冤罪史が山積みされているし、無実の罪で権力によって殺された人の数なんて、実数を完全に把握している人など何処にもいないだろう。
 また、何らかの理由で他人の罪を被って死刑になった人が、歴史上1人もいないなんて言い切れる人は何処にもいないだろう。

 最後に更正と贖罪についてだが、
 極刑になる事で、その犯人は犯した罪を反省するだろうか?
 殺した人に対する、償いの思いを持つだろうか?
 犯した罪に、悔恨の念を抱くだろうか?

 死刑に処された後、そいつが(もしそんなものがあるとして)地獄に行ってくれるのだとしても、どうせ地獄に堕ちるのなら、反省し悔恨し贖罪してからでも遅くは無いのではなかろうか?
 そしてもし、地獄なるものが何処にも存在しないとしたら、犯人を極刑にした後、その犯人に訪れるのは圧倒的な無。と言う名の、飢えも痛みも苦しみも悩みも、恥かしさすら無い、「完全なる平穏」なのだ。
 身勝手な理由で他人の命を奪った者に与えられる罰が
 「完全なる平穏」
 だとしたら、こんなに不公平な話は無い。
 極刑は、コスト面から考えたら最も安価な刑罰だ。懲役刑なら収監中の食費や雑費は、国民の血税から払われる事になる。懲役7年なら7年分の食費と雑費は決して安価とは言えない額になるだろうが、殺してしまえば必要コストは遺体処理費くらいだ。
 でも、死刑にされる犯人にとって、殺される事に対する恐怖はあっても、犯した罪に対する悔恨と反省、殺した被害者に対する謝罪の念が一体どれくらいあるだろうか?

 理想論が過ぎるかもしれないが、僕は人間の持つ善意に期待したい。
 生まれた時から悪魔的な性向の人間なんてどこにもいない(と僕は信じている)。成長過程で悪魔的人格を身に付けたり、欲望を制御する事を学び損ねたり、その能力を失った人間が罪を犯すのだ。後天的に身に付いた人格なら、後天的に矯正する事だって出来ると信じたい。

 生きる事は、それだけでも既に何らかの意味がある。僕はそう考えているし、この世に死んだ方がいい人なんて、存在してはいけない筈なんだ。

 もちろん、人を殺すことはいけない事だ。
 それは人間が、絶対にしてはならない事の一つだ。

 しかし死刑を肯定するという事は、死刑を言い渡す裁判官と、刑を執行する死刑執行人という、新たな殺人者を(合法的に)作り出すという事でもある。


 悲しい、そして悔しい現実だが、この社会には「貴様には死すらなまぬるい」と言いたくなるような罪を犯す、もはや人とすら呼べないような犯罪者もいる。そして、服役し出所後全く同じ、或いはさらに酷い罪を犯す(特に性犯罪者)者もいる。死刑制度が機能している現状でのそれらは、死刑制度が有効な犯罪抑止力としては機能していない事の象徴でもある。

 犯罪の苗床となった社会システムそれ自体を変え、そしてより強力で有効な矯正システムを作り上げない限り、残虐で凄惨な犯罪と再犯がなくなる事はないだろう。
 犯罪被害者遺族の心情を考慮した場合、Death penalty以外の刑罰など考えられない事件が存在するのも事実だが、そういう種類の犯罪者に対して僕個人的には、死刑ではない、死刑よりも厳しい刑罰が必要だと考えている。

 もちろん、死刑になる人もする人も、この世からなくなって欲しい。



人気ブログランキングです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.05.01

利用者中心主義

 過日の夜勤中、定時のオムツ交換中にラバーシーツまで全交換。って位の凄い奴に遭遇し、夜中にバタバタとオムツと病衣とシーツの交換をしていた時その方から、

 「忙しい時にごめんねぇ・・・。」

 と言われた。
 オムツ交換では会話の出来る人はかなりの確立で、そして排便に当たった時は全員がほぼ間違いなく、僕にこの言葉を口にする。そしてその時はいつも必ず、僕は同じ言葉を返す。

 「○×さんは何ちゃあ悪い事らぁしちゃあせんがやき、謝らいでもえいがでぇ。僕らぁは、お便が出てない時の方が心配やもん。出ん日が続いたら薬を飲まないかんなるろう?出てよかったやいか。」

 そう言うと皆、申し訳なさそうな顔が少し照れの混じった笑顔に変わり、そうして僕は苦闘しながらも作業を進めて行くのだが、しかしこの日この方からは、いつもと違う反応が返ってきた。

 「そうやって言うてくれるんは、mizzieちゃんだけちや。」

 これは意外だ。僕はこう対処するのを、僕の教育係だった主任と、尊敬しているベテラン介護福祉士さんの背中から学んだのだから。

 「えぇ~? ☆△さんもそうやって言うろうがぇ?」
 「うん。Mizzieちゃんと☆△さんだけちや。」

 軽度の認知症も入っているこの方は恐らく、僕と同じ対処をする方の名前が咄嗟には出てこなかったのだろう。
 ただこの方の話では、オムツ交換で排便にあたった時、あからさまに嫌そうな対応をする職員もいるのだそうで、それで僕等介護職員に対して「申し訳なく」感じてしまうと言う事だった。
 この日は似たようなケースが幾つかあり、自分が担当しているフロア19人のオムツ交換を終えるまでに、1時間弱も掛かってしまった。

 だが、時間が余計に掛かった事よりも、利用者中心の対応が出来ていない同僚が居るらしい。という事実には、哀しみの交じった衝撃を受けた。

 確かに、四肢麻痺、言語理解不可、経管栄養、なんて方が多数を占める医療介護の現場では、「尊厳」を意識した仕事が困難な局面に出くわすときも多々ある。時々刻々と変わる状況要因も、無視出来ないだろう。

 でもでも、

 少なくとも自分よりも長い時を生きてきた方が、その時を巡り終えた時に、「ありがとう」って言ってもらえるような、そんな介護を提供したいと、僕はそう思っている。

 きっと、これからもずっと。





人気ブログランキングだそうです。クリックしてね♪
http://blog.with2.net/link.php?268283

| | コメント (6) | トラックバック (1)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »