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2006.05.13

全てあるがままに

 もし、人間に『標準規格』と言うものがあるならば、僕は間違いなく規格外製品だ。自分がそんな感じだから、僕は基本的にどんなアイデアも行動も存在も否定する事無く、それをあるがままに受け入れる。
 それで不利益を被る人がいなければ、少しくらい他人と違っていたって、それはそれでいいじゃないか。
 僕はいつも、そう思っている。

 『壮健な健常者である事』を前提に全てが機能している日本社会において、加齢による身体機能低下をきたした人を相手にする、介護福祉という現場にいると、その身体機能低下を負い目に感じ、自己否定的になっている人と常時接する事になる。

 四肢のうちどれか一つ、或いは二つ以上を失った人。
 麻痺により、運動機能に著しい制約をきたしている人。

 自己否定的になっている高齢者は、大抵がこの二つのうちのどちらかだ。
 認知症がかなり進んだ人は否定する自己すら失っているし、発語能力を失った人には、その思いを他者に伝える機能それ自体が既にない。

 自立しての日常生活維持が困難になってしまった人は皆が、その事実に申し訳無さそうな態度を見せる。そして僕はいつも「それでいいじゃないですか。」的な、今のあなたでいいんですよ、的な事を言う。

 彼等、彼女達は、誰も傷付けていないし、誰も損ねていないし、欺いたりも搾取したりもしていない。
 それどころか、介護については僕にとっての先生ですらある。
 だったらそれでいいと、否定的になる要素なんてどこにも無いと思う。
 リハビリに励んで機能を回復させたり、残存機能の維持・向上に努めたり、失った四肢の代わりに残った部分と義手・義足でそれらをカヴァーしたり、それらだって、こちらはそうする事を勧めるけれども、強制はしない。
 する、しないは自分の意志で決める事だし、その決定は尊重されるべきだと思う。

 体調不良以外でリハビリを拒否する人にはまだ会った事が無いが、もし拒否するのなら、それはそれでいいと思う。

 職業上での、僕の基本姿勢はいつだって、
「そこに居る人を、そのまま丸ごと受け入れる」だ。



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