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2006.05.29

それは無駄なのか?


 『・・・能力主義と社会的役割の選別機能の高進、達成価値と生産的人間の再生産・・・発達診断、カリキュラムの規格化と画一化などを含む、管理教育の普及。こうした特長を持つ教育が(以下省略)』
(栗原彬著;人間学「現代の教育の特徴」より抜粋)

 高度に洗練された市場主義社会である日本では、学童の段階で市場経済システムにとっての、効率的で能率的な人間の選別作業が行われる。
 これについては20年ほど前に、一部の知識人達が、
 「12歳の成績で60年先の人生まで見通せてしまうシステムは、社会の閉塞と不安定化を招くだけではないのか?」
 と疑問を呈したりもしていたが、その直後から始まったプラザ合意以降の円高と過熱景気の前に、いつの間にかそういった声は掻き消えてしまったように記憶している。

 極西にある超大国の愚直な模倣者である日本は、あの国が辿った道をバカ正直にトレースし、大企業の利潤追求・最大化活動。国内工場海外移転による国内産業空洞化を、政府の支持基盤への見返りとして実行している。
 国内産業空洞化によって消失させられるのは、独占資本主義という経済的奴隷制度において、高待遇の奴隷とされてきた中産階級と、そしてそれ以下の少数派、つまり、非効率的、非生産的とカテゴライズされたマイノリティー達だ。

 中産階級は、それを占めるかなりの人が現政権を支持している、つまり、自分達がそれでいいと承認した訳なのだから、(僕は全然してないぞ!!)それはそれで仕方が無いとも思う。

 でも、そうではない少数派達はどうなのだろうか?

 確かに、効率という面だけを考えるならば、彼等は確かに効率的でもなければ能率的でもない。
 発達障害を抱えた人や、様々な機能障害・喪失、心身のDisabilityを抱える人達を、一部の特例を除けば、効率的で生産的な労働資源とする事は難しいだろう。

 現代日本的な、効率主義、能力主義、利潤追求社会にとっては、彼等は役に立たないのかもしれない。

 では、彼等は無駄な存在なのだろうか?
 この社会にいていけない存在なのだろうか?

 私はそうは思わない。

 そもそも、この利潤追求至上の効率社会で有能だとされた人々は、本当に有能な人なのだろうか?
 ビジネスエリートとされる人の中で一体何人が、金融資産を増やす以外に一体どんな、後世に残る様な事をしたのだろうか?

 反対に、様々な障害を克服し、後世に伝わる芸術作品を生み出した人は決して少なくない。作家となって多くの人に影響(もちろん良い影響だ)を与え続けている人もいれば、健常とされる人々が見過ごしがちな事象や現象に斬新かつ大胆な視点から光をあて、その表現で人を感動させる人も、同じ様に沢山いる。

 この、健常である事を前提とした社会で、ハンディキャップを負って生きる事はそれだけでも心身に苦痛を伴うものなのに、それらのバリアに抗いながら必死で生きている、それだけでも既に、壁に突き当たって苦しむ人達をinspireしていると言えるだろう。

 それでも、まだ彼等は無益で非効率で非生産的で、国家の福祉予算を食いつぶす無駄な存在だと言えるだろうか?

 もし言えるのなら、その理由を聞かせてもらいたいものだ。



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