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2006.05.02

合法的殺人

 このブログでも何度か書いたような気もするが、僕は死刑廃止論者だ。
 死刑という刑罰は、殺人に対する最高刑として下されるが、死刑それ自体が既に、合法的な殺人に過ぎない。加えて、そこには常に冤罪の危険性が存在し、また、犯罪加害者の更正と贖罪に期待したいという人道的観点からも、僕は死刑制度には反対している。

 そもそも、「殺したんだから殺されて当然だ」は、合理的な論理なのだろうか?「真珠湾攻撃で二千数百人のアメリカ人を殺したんだから、広島と長崎の25万人は殺されて当然だ。」は、合理的だろうか?

 また、ここに、高度に計算された手順である人物を、残虐な方法で殺した殺人犯がいたとする。上の論理が合理的ならば、この犯人は死刑になって当然だと言う理論が成立するが、そうやって残虐な方法で人を殺したのは、犯人の個人的要因に基づいた行為だったのだろうか?それに至った状況要因と言うものにも、目を向けるべきではなかろうか?

 「やられたから、やりかえせ。」は憎しみの連鎖を肯定する事になる。政府の仕事とは、国民を幸福にする事だ。ならば、暴力に暴力で報いるという行為を国家が率先してやる事には、幸福の追求という政府の本来の業務とは、反対のベクトルが掛かっているのではなかろうか?

 上記の理由から、私は戦争から極刑に至るまで、政府が行う全ての暴力行為に反対している。

 次に、その犯人は本当に犯人なのだろうか?
 現行犯逮捕以外は常に、冤罪の可能性が存在するし、何かの理由で、真犯人の代わりに罪を被って死のうとしている可能性も否定出来ない。警察史には冤罪史が山積みされているし、無実の罪で権力によって殺された人の数なんて、実数を完全に把握している人など何処にもいないだろう。
 また、何らかの理由で他人の罪を被って死刑になった人が、歴史上1人もいないなんて言い切れる人は何処にもいないだろう。

 最後に更正と贖罪についてだが、
 極刑になる事で、その犯人は犯した罪を反省するだろうか?
 殺した人に対する、償いの思いを持つだろうか?
 犯した罪に、悔恨の念を抱くだろうか?

 死刑に処された後、そいつが(もしそんなものがあるとして)地獄に行ってくれるのだとしても、どうせ地獄に堕ちるのなら、反省し悔恨し贖罪してからでも遅くは無いのではなかろうか?
 そしてもし、地獄なるものが何処にも存在しないとしたら、犯人を極刑にした後、その犯人に訪れるのは圧倒的な無。と言う名の、飢えも痛みも苦しみも悩みも、恥かしさすら無い、「完全なる平穏」なのだ。
 身勝手な理由で他人の命を奪った者に与えられる罰が
 「完全なる平穏」
 だとしたら、こんなに不公平な話は無い。
 極刑は、コスト面から考えたら最も安価な刑罰だ。懲役刑なら収監中の食費や雑費は、国民の血税から払われる事になる。懲役7年なら7年分の食費と雑費は決して安価とは言えない額になるだろうが、殺してしまえば必要コストは遺体処理費くらいだ。
 でも、死刑にされる犯人にとって、殺される事に対する恐怖はあっても、犯した罪に対する悔恨と反省、殺した被害者に対する謝罪の念が一体どれくらいあるだろうか?

 理想論が過ぎるかもしれないが、僕は人間の持つ善意に期待したい。
 生まれた時から悪魔的な性向の人間なんてどこにもいない(と僕は信じている)。成長過程で悪魔的人格を身に付けたり、欲望を制御する事を学び損ねたり、その能力を失った人間が罪を犯すのだ。後天的に身に付いた人格なら、後天的に矯正する事だって出来ると信じたい。

 生きる事は、それだけでも既に何らかの意味がある。僕はそう考えているし、この世に死んだ方がいい人なんて、存在してはいけない筈なんだ。

 もちろん、人を殺すことはいけない事だ。
 それは人間が、絶対にしてはならない事の一つだ。

 しかし死刑を肯定するという事は、死刑を言い渡す裁判官と、刑を執行する死刑執行人という、新たな殺人者を(合法的に)作り出すという事でもある。


 悲しい、そして悔しい現実だが、この社会には「貴様には死すらなまぬるい」と言いたくなるような罪を犯す、もはや人とすら呼べないような犯罪者もいる。そして、服役し出所後全く同じ、或いはさらに酷い罪を犯す(特に性犯罪者)者もいる。死刑制度が機能している現状でのそれらは、死刑制度が有効な犯罪抑止力としては機能していない事の象徴でもある。

 犯罪の苗床となった社会システムそれ自体を変え、そしてより強力で有効な矯正システムを作り上げない限り、残虐で凄惨な犯罪と再犯がなくなる事はないだろう。
 犯罪被害者遺族の心情を考慮した場合、Death penalty以外の刑罰など考えられない事件が存在するのも事実だが、そういう種類の犯罪者に対して僕個人的には、死刑ではない、死刑よりも厳しい刑罰が必要だと考えている。

 もちろん、死刑になる人もする人も、この世からなくなって欲しい。



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コメント

気になった主張を抜き出してみました。
1.犯罪抑止
 死刑制度だけでは無理、社会システム変革が必要
2.犯罪者矯正・更正
 きっとできるが、現状では更正しない者も存在する
3.刑罰費用
 死刑はコストがかからない
4.心情面
 犯罪者は悔恨と更正、贖罪して欲しい
5.国家犯罪
 死刑は国家が行う殺人である
6.刑罰
 更正しなかった者に死刑以上の極刑を望む

1には具体的な対処法が述べられていません。
6を望むのは2を期待していないからですか?
3に反論が無いので、死刑廃止論が揺らいでいます。
4は人それぞれで、主張しても同意は難しいでしょう。例えば被害者は、「奪われた命を返して」という叶わぬ願いが満たされないため生じるあらゆる憎悪を持ち、犯罪者の更正は関係ありません。またある人は、こんな奴はとにかく近所にいて欲しくない。またある人は、更正費用として税金収めるのはばかばかしい。またある人は、被害者が悪いんだから過失で無罪だ。と。
5は犯罪者の生存権の侵害と言えますが、他人の生存権を侵害し、今後も侵害する恐れの高い者の生存権を制限するのは、他者の生存権を守る行為とも解釈できます。犯罪者を生かして、善良な者(被害者含む)を殺す可能性は考慮されましたか。
6死刑でさえ抑えられない犯罪を減らすには、厳罰化では無理だと思います。1の主張を掘り下げて欲しかった。

切れ味鋭い主張を求めて。

投稿: 譲 | 2006.05.02 17:44

譲さん>
鋭い批判を有難う御座います。感情に任せて一気に書いた文章でしたが、もっと推敲が必要だったようです。

批評に対する当方からの回答ですが、僕が主張したかったのは、低俗な欲望を煽る社会・文化と、他者への共感を学ばせない教育・育児システム、そしてその社会に溢れる絶望感や挫折感、閉塞感、そう言った環境要因を変えないと、犯罪の完全な根絶には繋がらないのでは?と言う事です。
譲さんの4)と6)に対する批判は、確かに的を得ています。批判を受けた事で僕自身が、1)をもっと掘り下げて書きたかったと思っていますし、そしてもちろん、機会があれば、さらに僕の知識がそれを語るまでに追いつけば、その時は書きます。

鋭い批評を有難う御座いました。

投稿: mizzie | 2006.05.02 19:24

いっそ前科者には額に「肉」の刺青をいれるとか・・・。
性犯罪者は局部に刺青。きっと入れるのも痛いはずだし、そうとう恥ずかしいと思います。えっ、人権侵害ですって??昔から「下半身に人格はなし」っていうじゃないですか?!
刑が軽すぎるから、抑止力にはならないのでしょうね・・・。私は死刑賛成派です。じゃんじゃん死刑にして、どこかの国がやってるみたいに臓器バンクにすればいいんです。人を殺しておいて、タダ死になんてゼッタイさせません。

投稿: hana | 2006.05.02 21:03

hanaさん>
額に「肉」に、座布団一枚!!
性犯罪者は局部に刺青があろうが無かろうが関係なく再犯を繰り返すでしょうから、性器切除がより適切だと思われます。人道主義とは対極に位置する刑罰ですが・・・。

 これを書いてからも思索は続いていますが、死刑よりも軽い罰が相応しく無い重罪者に対して、再犯防止の為の治安強化は管理国家化に繋がるので、もう市民一人一人が賢く、高い道徳・論理意識を持つ以外に、死刑廃止前提条件が見付けられない、そんな思考の壁にぶち当たっている、そんな『頼りない死刑廃止論者』のmizzieです・・・。

投稿: mizzie | 2006.05.02 22:12

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