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2006年6月

2006.06.30

僕が『勝ち組』だったなら

 帰国して年収が300万以下になった僕は、収入だけを見ると『負け組』だが、いわゆる『勝ち組』と定義される人というのは、簡単に言っちゃうと年収1000万円以上の人を指すらしい。
  時給900円のフリーターなら、一日30時間労働で一ヶ月30日以上働かないと年収1000万は稼げな・・・って、一日は24時間じゃん!

 話が横に逸れた。

 年収1000万超の人というのは、それに応じた税金や社会保障費を払っている訳で、自分達が払ったそれらが、やる気の無いニートやフリーター達の為に使われている現状には、怒りを覚える事もあるだろうな。とか考える。稼ぎの半分近くを持っていかれて、それが自堕落に生きている連中の為に使われるのは到底納得がいかないだろう。

 特に、年収1000万から所得税の最高税率が適用される1800万くらいの人の殆どは、その地位を得る為にそれなりの努力をしてきた人達だと思う。
 もちろんその中には、ただ親の地位を受け継いだだけで何も自分では努力してない人とか、よくわかんないけど一発当てた人、アヤシイ商売で利益を得ている人もいるんだろうけれど、大抵は医師や弁護士、キャリア官僚や企業のエリート、若しくは特殊な技能を持ったエンジニアだと思うが、彼等の殆ど全てが、周りが遊びほうけている時に必死で勉強してきた、その道で頑張ってきた人達だと思う。

 そうやって、自分の何かを犠牲にして頑張ってきた人達の稼ぎが、必死になる事に白けて、口の悪い言い方をすれば現実から逃げてばかりの無気力層への生活保障や再教育に使われているとしたら、彼等としては納得がいかないと言うか、腹立たしいだろうくらいの事は、容易に想像が出来る。

 しかし同時に、発達障害やその他様々なメンタル面、身体面の問題で福祉依存にならざるを得なかった人達は、その障害を克服したりメンタル面の問題を解決する為の手助けを必要としているだろうし、手助けをしなくてはならないとも思う。
 また逆に、何か目標があって、それを掴み取る為にフリーターである事を選択した人達は、それを掴めなかった・目標に辿り着けなかった時のリスクを引き受けている訳だから、保障が満足とは言えなくても仕方ないとも思う。
 正社員になりたいんだけど、雇用者側の都合で「いつでもクビに出来る低賃金労働者」にされている人が多数いるのは問題だけれど、これは今回とは少しテーマが離れるので、また別の機会に書く事にする。

 問題なのは、そうではない人達だ。
 ラクな方に流れ続け、自分が必死になって打ち込めるような対象に出会う事も無く、ただ毎日を生きるだけだった連中。
 現状に不満を抱えていた人達は、そこから抜け出す為に何かを犠牲にしてでも努力するから、上で挙げたような人というのは、ある程度裕福な・幸福な環境で育った人だと思うが、家族からの庇護が無くなったその時、技術も知識も有用な経験も何も無い彼らの内かなりの数が、福祉依存者に転落すると思う。例えそうならなかったとしても、国庫に不必要な負担を掛ける層になるだろうと予測される。

 自分の何かを犠牲にして一定以上の地位を得た人が、自堕落に生きた結果スポイルされた人の為に租税負担をするというのは、どう考えてもフェアではない。
 しかし、現行の福祉政策システムでは、福祉依存せざるを得ない人も、自堕落な低所得者も、一括りにしてしまう。助ける必要の無い人や、手助けすべきではない人までも、一緒にして扶助を与えてしまう。それを負担している者が不公平感を持つのは当然だと言えよう。

 じゃあ、福祉切り捨てを容認出来るのかと言えば、もちろんNoだ。
 それは面倒でとてもとても骨の折れる仕事だけど、本当に福祉の援助が必要な人と、そうではない人の区分けをしないといけないと思う。さらに、そこからこぼれ落ちた人が這い上がるのを手助けするシステムも必要だろう。

 現行の福祉制度は穴だらけの不完全な、一言で言ってしまえば欠陥品だ。
 障害者のノーマライゼーションなんか全然出来ていないクセに、生活保護受給者が平日昼間に4ドアセダンでパチンコ屋に来る。それが現状だ。
 これらを正さない限り、社会保障を負担する現役世代。それも政治的発言力のある高額所得者が、福祉切り捨てを主張したり容認するのを止める事は難しいと思う。



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2006.06.29

この夏の課題読書

 趣味の一つに読書を挙げる僕としては、時間があればぜひとも読んでおきたい小説がある。
 ロシアの文豪、ドストエフスキーの大作。
 『カラマーゾフの兄弟』
 だ。

 そしてもう一つ、前から読みたいと思っていた本があって、こっちはジブリでのアニメ化が決定しちゃったので、今買うのはミーハーに見られちゃうからちょっと不服ではあるんだけど、アーシェラ・K・ル・グウィンさんの大作、
 『ゲド戦記』
 です。
『カラ兄』はあえて言うまでも無い、古典ロシア文学における名作中の名作って感じだけど、その長さ故、じっくり読む時間が無くて今まで読まずじまいでした。
 『ゲド戦記』の方は、作者のル・グウィンさんが僕の好きな作家でもあって、最初は、この方がイラストレーターのS.D.シンドラーさんと一緒に書いた絵本、『Cat Wings』シリーズ(『空飛び猫』という邦題で、村上春樹さんがとても素敵な翻訳をされています)にハマってたmizzie、絵本だけど物凄く寓意的に書かれたその文に、絵本以外の作品も読んでみたいな。って思ってて、グウィンさんの名作だって聞いてたこの『ゲド戦記』は、時間が出来たら読もう。って思ってました。

 通信制高専も一息ついて、ヘルパー1級も終了した昨今。
 少し時間に余裕が出来たので、ここで一気にこいつらを読んじゃいます。

 ついでに、季刊誌の『高齢者けあ』も注文するとしよう。
 これ、介護に携わる者にとっては、
 有用な情報が沢山載ってる雑誌です。
 他にも、ディケンズの『オリバー・トゥイスト』とか、福祉の歴史関係資料を何冊か読みたいので、時間を作って読むつもり。


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2006.06.28

暑い!!

6月28日、午前0時。

高知市の気温、摂氏25.2度。湿度70%。


 蒸し暑いわ!!!!


なんやねんこの暑さは一体!?
もう夜中やぞ。
夏時間も無いし、
太陽もとっくの昔に沈んどるやないか。

ジメジメジメジメ雨ばっかり降って、
やっと上がったとおもたらこの酷暑かいな。

そんな日にこっちは入浴介助で、
もう脱水症状やがな!!



明日の予報。
曇り。
最高気温29℃。

これで梅雨が明けたらどうなるんや・・・。


夏は涼しく、冬暖かいサンフランシスコ。
4~10月の間で、雨の降る日は10日あるかないか。

そんな、季候だけはパラダイスな街に慣れたこの体で、
またあの、過酷な高知の4~10月、
その中でも地獄の暑さな7、8月と、
台風地獄の9、10月を過ごすのか・・・。



ちなみに、この時期のシスコ、
こんな感じの天気・気温です。

サンフランシスコ天気予報

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一時はかなり上がった順位も急降下・・・。
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2006.06.27

利用者からの評価


 僕はアメリカにいた頃、大学で次の学期にどのクラスを取るのか決める時はいつも、『Teacher reviews.com』というウェブサイトを参考にしていた。
 そこには全米の大学とそこで教えている教授が登録されていて、そして全ての教授に対する生徒からの評価が載せられていた。

  パートタイムの教授が自分の大学のページで探せなくても、その教授の名前で探せば、他の大学で評価されているのを見つける事も出来たし、そこでいい評価をもらっている教授の授業は確かに面白く判り易く楽しかったし、悪い評価をもらっている教授の授業は本当に最低だった。

 アメリカでの大学生活ではコンピュータースキルとインターネットは欠かせないので、恐らく全米の大学生がこのサイトを利用していると思われるが、確かに、そこで高評価をもらっている教授の授業は競争率が高く、その教授のクラスは簡単には取れず、逆に悪い評価をもらっている教授は、授業開始日でも空きがあるという体たらくで、それらはいいクラスを取り損ね、しかし12単位は絶対に取らなければならない留学生達の、最後の行き場となっていた。

 この、サービス提供者側からのベクトルが全く無い、利用者からの評価が公開されているシステムというのは、とても便利だと思う。ハウツー本や情報誌ではコストの面から絶対に出来ないが、低コストでの情報発信を可能にしたインターネットを利用すれば、それは難しいことでは無いし、ぜひやるべきだと思う。

 病院や老人保健施設や在宅介護事業所、そしてそこで働く職員が皆、利用者から評価されるシステム。

 もし、自分の提供するサービスが利用者から直接評価され、それが自分の給料や昇進に響いたとしたら、あの高圧的で命令口調に利用者と接する事で、自分の技量の低さを誤魔化して効率的に業務を進めている連中も、少しは考えを改めるだろうし、それは結果としての利用者満足にも繋がるのではないだろうか?

 サービスは、そのサービスを受ける者が直接それを評価出来るようにならないとダメだと思う。



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2006.06.26

生きる意味

 98年のあの日、僕は鈴鹿サーキットの130Rで、自身のレース活動にピリオドを打たれた。重篤状態で鈴鹿中央総合病院に運ばれ、蘇生措置を経て何とか一命は取り留めたが、視機能と平衡感覚に障害が残り、ライダー生命を絶たれた。
 クラッシュ前後2週間の記憶が今も戻らないので、その時一体自分の身に何が起きたのか、一体何が原因でそんなクラッシュをしたのか、さっぱり判らない。ただ、脳外傷により視機能と平衡感覚に障害が残った僕は、もうレースを走る事は無くなった。

  カルテには当初、「右側頭葉、左前頭葉、基底核部軸索損傷」と書かれ、その後の精密検査で、「後頭葉視覚野機能不全」と書き加えられた。

 身体的な理由でレースが出来なくなるまで、レースは僕の存在証明そのものだった。レースは僕だったし、僕はレースだった。
 その、自身の存在証明でもあったレースを失った僕は、それを受け入れる事が出来ず、現実と向き合うことをやめた。自分が生きている事に意味を見出せなくなったのだ。

 レーサーとして走る事は不可能だとはいえ、身体は物凄い勢いで回復していたが、心はレースなしで生きる事を拒否していた。身の回りの持ち物を躊躇なく処分し、どうやって死ぬか、その事だけを考えていた。

 その時期の僕に、「mizzieちょっとヤバいで」と言って、かつてのレース仲間達が声を掛けてくれて、僕はメカニックとしてサーキットに戻り、そこで自分を取り戻して行くのだが、それはまた別の物語なのでここでは触れない。

 その後、親友と共に鈴鹿選手権を闘い、年間タイトルを取り、その後は渡米し、永住権を得るという幸運にも恵まれてアメリカで働きながら大学で学ぶ機会を得、しかしアメリカの現実に失望し、さらに家庭の事情もあって帰国したのだが、あの時自らの命を絶つことをしなかった僕はその後、中々に楽しい人生を送らせてもらっている。

 レースが出来なくなった時、もう自分の人生には希望など無いと思ったが、天国のドアをノックしたのにそこに入れてもらえなかった僕には、どうやら何か未来から期待されている事があるようだ。最近はそう思っている。

 普通なら死んでいるようなクラッシュをしても死ねなかった僕には、
 自分が生きている理由を失ってしまう程の絶望と喪失を経た僕には、

 生きる事に対する何か大きな責任のような物が、未来からの意志が、人生から期待されている何かが、きっとそこにあるのだろう。



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2006.06.25

悔しい。

 今、『高齢者の心理と看護・介護』
(赤塚大樹・濱畑章子 共編 培風館発行)
 と言う本を読んでいる。
 自分が普段接している高齢者の事を、をもっと理解したいからと思って、購入した本だ。
 この本を読んでいると、日々の自分の仕事に対して、本当に情けなく、歯痒く、悔しい思いがする。

 こんな仕事じゃ全然ダメだ。被介護者にとっての介護なんて、全然出来ていない。
 これは僕だけじゃない。ベテランの先輩、技術的には圧倒的に優れる先輩、誰一人として、この本で述べられている「かかわることの態度と倫理性」に則ったケアが出来ている人はいない。

 「施設とは違うんだから・・・」
 「ここは病院だから・・・」
 「人的資源が足りていないから・・・」

 そんなの言い訳に過ぎないよ。
 「出来ない」と「やらない」には、天地以上の開きがある。
 「出来ない」じゃない。やってないんだ。

 常に人的にギリギリで仕事を回しているから、業務優先の「やりやすい介護」をやっているのが我が職場の現状だ。凄腕のベテランさんで物凄く要領良く効率的に仕事を進める先輩も、確かに技術は凄いけど、そうやって「やりやすい介護」をする事で、被介護者の大切な物を喪失させていっている。

 24時間オムツをしている入所者さんの中に、オムツ外しを試してみてもいいのでは?と言う方が過去に何人かいた。しかし、それに関して何かを言う人は皆無だった。
 尿意、便意共に喪失しているが、定時のトイレ誘導で排泄は半介助ながらもトイレで出来ている方がいた。しかし数日前のミーティングで、仕事が回らなくなるのでオムツ使用に変えるようにケアマネに相談しよう。という議題がまとまった。

 休憩時間を削って、さらにボランティア残業をしないと業務が終わらない。それくらい業務に追われている現状で、業務以外に人手が取られると仕事が回らないのだ。
 医療制度改革による診療報酬見直しにより、財政的に厳しさを増した病院経営の現状では、人件費が削られる事はあっても、増やされる事は無い。

 オムツ外しが上手く行けば、コスト低下が見込めるかもしれない。
 それよりも、被介護者の快適度・満足度は間違いなく上がる。

 でもやらない。

 下肢筋力低下で、自力で直立が出来ない利用者へのポータブル介助は、はっきり言わなくても重労働だ。もちろん時間も掛かる。
 ただでさえ忙しく、雇用契約で昇級無し・残業手当無しの契約社員である介護職員にとって、手取り15万ちょいでそこまで出来るか。と言うのもあるのかもしれない。

 でも、そこで「効率よく業務が進められる介護。」を選択している僕等は、間違いなく入所者のADL低下に多大な貢献をしている。

 僕は、ライフステージの最終段階に来た彼等に、少しでも気持ちよく生きて欲しいから、その助力がしたくて介護の世界に身を投じた。
 業務に追われる職員に気遣い、頼みたい事も我慢し、その結果の失禁に心無い言葉を浴びせられ、自虐的・自己否定的な発言しか出ない高齢者の、延期された死を観察する為にこの世界に入った訳じゃない。

 働きながら、物凄いジレンマを感じながら、少しでもベターを求めて働く僕は、入所者からの評判が良い分、周囲からの嫉視もそれなりにある。
 施設介護はチームワークなので、そこからはじき出されないように、注意しながら様々な局面で妥協、あるときは絶望しながら仕事をしている。

 そんな、ズルい自分が時々情けなく、
 そしてしょっちゅう、悔しくなる。

 最後に、上で挙げた本から一説を引用する。

『・・・苦しみの中から<人間の尊厳>を回復したいと願う人達の声を聞く、<人についての専門家>が必要なのだ。・・・その人の<スピリチュアルな苦しみ>をケアできるようになっておくべきだと思う・・・』

 介護者として、それが全く出来ていない僕は今、物凄い怒りと悔しさ、屈辱を感じている。



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2006.06.24

『愛』を法律で決めてどうすんの?


 教育基本法改正案に、「愛国心」に関する項目が盛り込まれる事になったらしい。
 改正案では教育の目的を、「
教育は、人格の完成を目指し、心身共に健康な国民の育成を目的とする」として、教育の目標に、「伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度のかん養」を掲げ、子供達が国を愛するようにしたいらしい。

 政治的には左寄りの僕だけど、これを戦前回帰だとか復古的なナショナリズムだとか言うつもりは無い。

 ただ、法律で決めて学校で教えて、それに点数をつけて子供達が大人達の期待する回答としての、
『国を愛する気持ち』
 を示さないといけないくらい、愛する事を義務化しないと自国民からでさえ愛してくれないような、そんな魅力の無い国に日本がなってしまった事実には、ただただ哀しくなる。

 
教育基本法で教育の目標にしたくらいだから、子供達がどれくらい国を愛しているか、それが評価されて点数化されるようになるのだろうか?
 富士山を世界一美しい山だと言う作文を書くと「優」がもらえたり、君が代を集会で大声で歌うと誉められたりするのだろうか?


 そもそも、愛なんてものは自分の内側から自然に沸きあがってくるものの筈だ。僕は高知の空と海と山と河が大好きだし、政治家や教師達に言われなくたって、その郷土を強く深く愛している。もしそうでなかったら、米国永住権を諦めて帰国なんかするものか。
 でも郷土を強く愛している僕は同時に、今の政府をひどく嫌悪してもいる。
 高齢者福祉を生業とする者として、2000億円ちょいの赤字が出たからと言って高齢者への医療負担を切り捨てておきながら、アメリカ軍に毎年6000億円も使っている政府には怒りを覚えるし、
 死にかけた下町の町工場には見向きもしなかったくせに、赤字に苦しむ大企業や銀行には10兆円以上の税金をつぎ込み、しかし赤字にした経営者の責任は全く問わなかった政府には嫌悪感を感じる。

 そんな政府を愛せるかと聞かれたら、僕なら絶対にNo!である。

 政府は「郷土を愛しなさい」と言っているが、その愛すべき郷土の山を削り、河を殺し(長良川河口堰がいい例だ)、海を埋め立てた(干拓された諫早湾は今、どうなっている?)張本人に、そんな事を言う資格があるのだろうか?
 伝統文化を尊重しろといいながら、相互扶助を前提とした共存・共和・共苦・共感の社会を、効率重視、利益主義の冷酷で強欲な社会に変えてしまった張本人に、そんな事を言う資格があるのだろうか?

 郷土を心の底から愛している僕が、郷土を、故郷を破壊し、地域を崩壊させていく現政府に対して、その強い愛国心からテロを起こしたとしたら、革命闘争に身を沈めたとしたら、国民への愛国心涵養を目指す彼等は、僕を誉めてくれるのだろうか?


参照記事
保坂展人のどこどこ日記
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/623927911d572f4f851cc7f9599045b1
アンチ「心の総動員」あんころ
http://www.kyokiren.net/_voice/aikokushin2

フリー百科事典『ウィキペディア』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%B3%95


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2006.06.23

認知症治療薬~実用化まであと一息!~

 世界中の製薬メーカーが必死で研究開発に勤しんでいるアルツハイマー型認知症治療薬だが、既に実用化している症状の進行を抑えるアリセプトが遂に日本でも承認され、また塩酸メマンチンも臨床治験中である。アリセプトが対処療法薬とすると、この塩酸メマンチンは原因療法的効果を併せ持つといわれている。

 上記の二つよりも、さらに期待されている新薬に、
アミロイドβタンパク(Aβ)蓄積阻害薬と言うものがあるらしく、こちらも大手製薬メーカーによって、臨床試験が繰り返されている。こちらは動物実験の段階ではかなりの好結果が得られたそうなのだが、欧米での臨床試験中に重大な副作用がある事が見つかり、死亡例まで出してしまった為に、現在は実験が中止されている。

 現在、日本ではこの薬のより副作用の危険性の少ない使用法が研究されており、これが実用化されれば、認知症の進行はかなりの確立で食い止められる事が可能になると思われる。

 高齢者福祉に携わる物として、これらが一日も早く実用化される事を願っている。

 参照;http://www.mmwc.or.jp/chihosodan/topics.htm


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2006.06.22

お前らもっと怒れよ!!

 僕は小学校の時、社会科の授業で所得税の最高税率は80%ちょいだと習った。つまり、1億円稼いだ人は8千万円近い金額の税金を払っていた事になる。

 ところが今は、それは37%(平成19年度からは40%)だ。
 申告所得1億円以上のお金持ちは、4000万円近く減税されている。

 この財政危機が叫ばれているご時世に、どうしてそんな事が?
 その仕掛けは、お金持ち減税の穴を埋めても余りある程の、巨大な税収源を確保したからだ。

 それは、消費税である。

 国民の1%にも満たないお金持ちをもっとお金持ちにする為に、小さな子供からも徴税出来るこの制度を導入した。そして導入当初は3%だったその税率は、着実に上がり続けている。きっとこれからもずっと。

 医療制度改革案は、与党自民党・公明党の賛成により国会を通過したが、これにより、高齢者や長期入院患者の自己負担金額が増額する。
 平成16年度の国民健康保険の赤字額は3284億円(参照;厚生労働省 
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/11/h1125-2.html)だが、この国の政府は毎年6000億円以上のお金をアメリカ軍の駐留経費として負担しており(参照;http://www.jca.apc.org/omoiyari/data/HNS1995-99.html)、その中の2326億円は、日米地位協定での負担義務が無い「思いやり予算」だ。(参照;防衛施設庁 http://www.dfaa.go.jp/US_keihi/suii_table_53-60.html)。

 平成17年度の税収は約46兆円しかないのに、歳出総額は約79兆円だ。
 そしてその、使った79兆円のうち、約18兆円は過去の借金返済に充てられ、そしてその79兆円の支出を賄う為に、新たに29兆円の借金をした。(参照;財務省
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h18/h18top.htm
 この、29兆円の借金をする事を決めた連中は、決してこの借金についての責任は取らない。では誰が払うのか?

 未来の子供達だ。

 少子化が進行する日本で、子供を産まない理由に「未来が不安だから」を挙げる夫婦も結構いると思うが、未来に希望が持てない国を作ったのは、お金持ち減税をしてその穴埋めに庶民から搾取し、医療費をケチってアメリカ軍に大盤振る舞いをする自民党・公明党政権だ。

 彼等は今、国民の大多数から支持を得ている。
 日本人とは、何と心優しい国民なのだろう。

 自分の財布に入るはずだったお金をくすねて、金持ちお友達のポケットに入れている連中、デザート付き刑務所(療養病棟ね)に入っている老人達を路頭に放り出し、アメリカ軍兵士に庭付き3BR住宅を建設する連中。

 僕の払った税金がそんな使われ方をしていると思うと、腹が立って仕方が無いのだが、多数派日本人の皆さんはそうではないらしい。

 お前らいい加減に怒れよ!!



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2006.06.21

うん。僕めっちゃケチだよ。

 僕はとにかくお金を使わない。
 「果たしてそれは必要か?」を常に考え、不要と判断すれば、それがどんなに世間で流行しているような物でも、それに所有欲を働かせる事は無い。だから帰国した今、僕は車も携帯電話も持っていない。
 それらは「持っているのが当然」なんだそうだが、ぼくの様な生活をしていると、車が必要な局面など年間で10日あるかないかだ。その場合も、タクシー代¥2000以下で済むならタクシーを使うし、そうでない場合はレンタカーを借りる。自家用車を所有した場合の必要コストである税金、保険、車検などの代金と比較しても、そちらの方がはるかに安あがりなので、僕は車を持たない。
 携帯電話も似たような理由だ。
 コストとベネフィットが釣り合わないから持たない。ただそれだけの話だ。

 僕のこの、コストとベネフィットを常に考える。と言う性向は、僕のケチぶりに反映していると思う。
 例えばアイスクリーム。
 帰宅後、毎日1個は食べていたが、最近はこれがカキ氷に変わった。
 アイスは1個\100だが、カキ氷のシロップは1本\188で15杯分は使える。だからカキ氷だ。

 例えば服。
 職場が家のまん前で、通勤徒歩二分の僕は、冬場も家を出て体が冷える前に職場に着いてしまうので、この冬は冬用の服(コートとか)を買わなかった。ボトムはウェストが細すぎてサイズが無いので、肥るまでは買いたくても買えない。

 酒もタバコもギャンブルもやらないのは、どちらもそこから得られるリターン(快感)が、自分にとっては無価値な物だからだ。

 職場で先輩達から、「そしたらお金は貯まる一方やろう?」と聞かれたが、自分に投資している僕は学費や受講料で数十万単位のお金を使ったので、実際はそれほど貯まってはいない。
 (その上、ネット株で損もした・・・)

 これはレースをやっていた頃からだが、自分が不要と判断した物には一銭も使わないが、必要と判断した物には躊躇無く大金を使う。
 1セット2万5千円のレース用タイヤは1時間で交換していたが、10年前に買ったダウンパーカー(¥9500)は、今でも愛用している。

 どケチな僕は、不必要と判断した物にはビタ一文使わない。
 そして、その判断基準は自分だ。
 「みんないっしょ」を基準とする日本では、僕が如何に異端な存在だったか、これだけでも良く判るとしたものだ。



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2006.06.20

どっちが正常?

 知的障害者や精神疾患を持つ人の話を聞いたり、彼等と直に接している人の話を耳にしたり、それらについて書かれた書物を読んだりすると、僕はいつも思う。
 異常なのは彼等ではなく、健常者とされる僕等の方ではないのだろうか?と。

 この世界は不条理と不合理、不公平と不平等で満ち溢れている。それらの残酷な現実に、僕等は物凄い我慢をしながら、若しくはそれらから目を逸らしながら、またある物はそれの存在にすら気付かないまま、毎日を生きている。

 しかし、恐ろしくシンプルな原則で生きている彼等には、僕等のそんなまやかしは通用しない。その欺瞞や不条理に対し、小学生でも判るような言葉で痛烈な疑問を投げ掛ける。健常者とされている僕達が、賢く生きて行く為に我慢しているそれらに対して、彼等はNoを突きつける。

 そんな彼等の話を見聞きする度に、本当に思う。
 一体どちらが正常なのだろう?って。

 話は少し逸れるが、私の勤務先にいる入所者で、ここ数週間で急に体動が激しくなった方がいる。食事の自力摂取が出来ず鼻から通されたチューブで栄養分を摂取し、寝たきりで排泄も24時間オムツというこの方は、ここ数週間ずっと、起きている間中、病室内のあちこちを指差し、その指は常に動いている。まるで何かを追っているかのように。

 そんなその方にある日、一人の職員が尋ねた。

 「○×さん、そこに誰かおるがかぇ?」

 その問いにその方は、発語能力もほぼ喪失している筈なのに、はっきりとこう答えた。

 「おる。」

 その場にいた職員は皆が、それは認知症特有の妄想だと判断し、その答えを笑いながら受け流していたが、実際には、そこにはその方にしか見えない誰かが、実際にいたのかもしれない。僕にもそれは見えなかったので真実は謎のままだが、それが見えるその入所者にしてみれば、見えない私達の方が異常だと言う事になるのだろう。

 真実は一つだが、事実はそれに関わった人間の数だけ存在する。

 しかし異常・正常は、他者の視点から決められる。



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2006.06.19

格差社会に高齢化無し


 高齢者福祉に携わる身として、少子高齢化が進行する日本の、それらについての対策がどうなるのか?には少なからぬ注意を払っていたが、どうやら現政権の高齢化対策は、『格差社会』の現出にあるようだ。

 格差のある社会と言うものがどんな物かと簡単に言ってしまえば、圧倒的多数の貧乏人と、少数のお金持ちによって構成された社会と言う事だ。
 金持ちがどうやって金持になるのかと言えば、その富は貧乏人から搾取する事で生み出されるからであって、お金は天から降ってきたり地下から湧き上がって(石油は地下から出るが・・・)きたりするものではない。

 そして、搾取する側は搾取される側より少なくないと、その富を維持する事は出来ないし、(それは一つの理想ではあるが)社会全体が金持ちになってしまえば、それはもう格差社会では無い。

 格差社会の現出がなぜ高齢化対策になるのかと言えば、アメリカを見れば良く判る。アメリカではアフリカ系アメリカ人と白人の間には、平均寿命に10歳近い差がある。
 低所得者の多いアフリカ系アメリカ人は、良質の医療を受ける事が出来ないので白人よりも簡単に死ぬのだ。

 折りしも先の国会で、医療制度改正案が国会で承認され成立した。野党の反対もあって当初の案から若干の修正が加えられたとは言え、基本的には、低所得層の高齢者が最も不利益を被る事になる改正案だ。この改正により、低所得者層は益々医療には掛かり辛くなるだろう。

 そして、格差社会が受け入れられた日本では、これからもどんどん国民の経済的格差は広がって行く。一部の超金持ちと、少数のお金持ち、そして圧倒的多数の低所得者層と言う構成の国家が出来上がるだろう。
 この動きは金で支配された奴隷制度の始まりに繋がるのだが、これはまた別の物語なのでここでは触れないでおく。

 国民の経済格差は広がり、不公平な富の分配が行われ、そして多数派庶民が低所得者層に転落する。そして、良質の医療は金持ちしか受けられない世の中が出来上がる。
 貧乏人は長生きが出来ない社会が誕生し、そしてその社会の多数派は貧乏人で占められる。粗食と不衛生に耐えてきた昭和一ケタ世代が死に耐えてしまえば、ジャンクフードと無菌状態にならされた戦後生まれは、医療の助けが受けられなければ、国家予算に負担を掛ける前にとっとと死んでくれるだろう。

 コストを必要とするどころか、支配者層の利益をより巨大化させる格差社会の現出は、支配者階層にとって、他のどんな高齢化対策よりも好ましい、最も歓迎すべき政策だろう。

 そして、その政策は既に国民の多数派からの承認も得ている。

 もちろん、僕は決して承知しないのだけれど・・・。



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2006.06.18

過去を誇るは現在の情けなさの象徴

 「mizzieが元レーサーだったなんて信じられないね。」
 職場で、僕はよくそう言われる。
 元・国際ライセンスの全日本選手権参戦レーサー(結果は残せなかったけど・・・)で、引退後はメカニックとして鈴鹿選手権で年間タイトルを獲得し、その上移民として渡米していたので日常会話レベルの英語は完璧。な僕だけど、その事を他人に語る事は殆ど無い。
 僕が自分の過去について語っても、いじめられっ子だった学童期を除けば、それは自慢話にしかならないし、人の自慢話なんて、聞いていて気持ちのいいものでは無いからだ。

 それに、確かに昔は凄かったのかもしれないが、それは既に過ぎてしまった事だ。今はもう走ってもいないし、誰のマシンも担当していないし、英語を必要とする環境にもいない。
 過去しか語る事が無いと言うのは、如何にも今が空っぽな事を象徴しているようで、過去に関しては聞かれない限り答えないし、その答えも可能な限り最小な物にとどめるように気をつけている。

 過去の自分の華々しさが表に出ないよう、細心の注意を払っているのは、今の自分が他人から「凄い!」と言われる仕事が出来ていないからだ。「大した事ない奴」になっている今の自分が過去を誇っても、「元レーサーだって言っても大した事ないね」と言われるのがオチだろう。そしてそのセリフを言われるのは、僕にとって最大の屈辱だ。

 過去を自慢するのに資格や条件があるとしたら、僕はそれらをクリアしてはいない。だから、僕は過去を語らない。
 今、過去を誇るのは、文字通り命懸けでレースをやっていた頃の自分と、かつてのレース仲間達に対して失礼だ。そんなのは僕の矜持が許さない。

 もちろん、自分を向上させる為の努力は続ける。過去の実績に相応しい程の評価を勝ち取る為に。しかし決してその努力は他人には語らない。人には言わずに黙ってやる。
 そして、「大した事ないね」の評価が「あいつはやるね」に変わったら、次のステップに進む時が来たという事だ。



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2006.06.17

そして僕は大人になった

 久し振りに学生時代の友人に会うと、その変化に驚かされる。
 もちろん、ここで差す学生時代の友人とは、滞米中の友人達の事ではない。高校以下の学生時代の友人・知人達だ。
 滞米中、最初に一時帰国で里帰りした時も感じたが、生まれ故郷である高知の街も、渡米前とでは随分と変わってしまった印象を受けた。
 人も、物も、街も、渡米前と渡米後では全てが変わっていた。

 街に関しては、高知市は現在、都市再開発計画の真っ最中であり、実際に物理的変化を遂げいている最中だと言う事もあるが、それ以外にも、色んな局面で、街が変わってしまった印象を今でも感じる。

 変わっていないのは気候くらいのものだ。時間雨量30mmクラスの豪雨が珍しくない高知の気象は、その街で生まれ育った者には懐かしさを感じる。北カリフォルニアにも負けないってくらいの強烈な日差しも、何も変わっていない。紫外線は確実にきつくなったが。

 一番変わったのは人だ。
 進取と革新を県是とする。ってくらいにリベラル(一歩間違えればラディカル)な街だった筈なのに、このヌルさは一体なんだ!?
 人生における何かを諦め、ヌルく、緩やかに腐っていくだけの、消化試合のような日々を過ごす人達。この閉塞した雰囲気はどこからやってくるのだろう?

 そんな疑問を感じながら日々を過ごしていた僕は、最近ふと気付いた。
 彼等は何も変わっていないのだ。
 変わったのは、この僕の方だ。

 彼等の姿は、レースの世界に身を置く前の、かつての僕と同じなのだ。
 人生のある時期に、人生それ自体を賭けのテーブルに乗せる様な経験をして、そしてそれに破れた後、僕は旅に出た。そしてそこで多くの知識と経験を得た。

 今、僕の周りにいるヌルい奴等は、旅に出なかった、進歩の機会に人生を賭ける事を避けた・リスクを取らなかった、もう一人の自分の姿なのだ。

 僕はこの旅で、失った物も確かに多かったけれど、得たものも実に沢山あった。随分と回り道もしたし、余計なコストも髄分と払ったけれど、確かに、僕は変わった。成長した。

 そして、僕は大人になった。



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2006.06.16

日本に居続けてはいけない

 30歳を過ぎてから、移民ビザ片手に渡米した僕は当然、誰からの資金援助も受けなかった。地道に貯めた貯金とANAのマイレージで数か月分の滞在費と航空券をまかない、永住権という特権を活用し、寿司職人助手として生計を立て、学費もそこから捻出(授業料は奨学金でタダだったけど)していた。

 昼は大学。夜は寿司職人、深夜に宿題(アメリカの大学は宿題量が凄い!!)。なんて日々を送っていた僕には、周りの留学生達のように、日本人同士で一緒に遊んだり、どこかに出掛けたりなんて機会を持つ事は殆ど無かったが、渡米してから最初の数年はホームステイをしていて、そこは他にも多数のホームステイ・ゲストを受け入れていたので、そこを通して知り合った幾人かの日本人留学生とは、それなりに仲良くなっていた。

 アメリカの、しかもサンフランシスコなんて大都市に留学しようなんて日本人は、考え方の甘い、温くてチャラい奴と、元レーシングライダーをして一目置いちゃうってくらいの頑張り屋さんに分かれる(もちろん、その中間に位置する少数派もいる)けれど、僕が知り合い、仲良しになる子達は後者が圧倒的に多かった。

 留学生はある一定以上の成績を維持する事が義務付けられ、さらに学期毎に取らなければならない単位数も決まっているが、周りの日本人留学生達が最低基準の12単位で文句を言っている中、僕の仲良しの子達は学期で取る事の出来る最大の単位数をこなし、

 「○×ちゃんは頑張ってるよね」
 との僕からのねぎらいの言葉に、

「mizzieは働きながら12単位取ってるけど、あたしは親のお金で勉強だけ出来る待遇なんだから、これくらいこなせて当然よ。」

 と、さらっと返してしまう(しかも全く嫌味なく)のだ。
 僕が彼女達のそれを嫌味に感じなかったのは、
 
『ヌルい奴は来んなや』

 って言う、シビアなレースの世界で鍛えられていた。という事も影響しているのかもしれない。実際、僕が彼女達にレーサー仲間と同じ匂いを感じていたのは事実だ。
 もしかしたら、自活しながら12単位をこなす僕にインスパイアされていたのかもしれないが、彼女達からヌルさを感じた事は皆無だった。

 12単位に関しては、留学生の労働は法律で禁止されているので、日本の大学生みたいにバイト(それらは遊ぶ金の為だ)に明け暮れたりする事が無い分、余程英語力に問題があるか、学習能力障害でも舞い限りそれ程困難とは思えないが、勉強しか出来ない環境に置かれる分、自堕落に流されて落ちて行く子と、勉強しまくって物凄く成長する子に、はっきりと分かれていたように思う。

 自堕落に堕ちていく子達は世界中何処に行っても堕ちていくから、そんなのは放っておけばいい。

 問題なのは、留学して伸びる子達の方だ。

 もちろん彼等の内何人かは、世界中何処にいたって伸びて行く。でも、それ以外の人達が日本にいたら、かなりの確立でダメになると思う。

 日本に帰って来てまだ9ヶ月と少ししか経っていないが、何かに打ち込む事に対して、ニヒルを気取って白けている連中を見ていると反吐が出る。そして僕にとっては悲しむべき事に、その空気はこの国全体を覆っている。

 勉強しか出来ない環境に身を置く事で、成長のきっかけを掴んだ彼女達が日本いれば、周りに流されて小さくまとまって終わっていただろう。

 一体何なんだろう、この日本全体を覆っているヌルさは?

 渡米前にもそれを感じていたが、その頃と比べても益々酷くなっているようにも感じる。
 渡米前の僕は日本のヌルさを、「生きる為に必要な物は全てあるのに、希望だけが無いからだ」と考えていたが、どうやらそれだけでも無さそうだ。

 恐らく、日本政府の基本方針としてある、「無責任体質」、「事なかれ主義」、そして「問題は先送り」なそれが、国土全体に広がってしまったからだろう。
 こう言った体質が染み付いてしまったら、それが個人・集団・企業・政府の関係無く、絶対にリスクを取らない。
 リスクの無い所にはリターンも無い。そして、未来のリターンへの予測は希望を生む。
 しかし、今の日本で多数派を占めているのは、不確実な未来のリターンの為に、リスクを引き受けコストを負担する事を恐れる“とまどえる群れ”だ。
リスクを取る事を止めた社会は未来の利益増加が見込めない社会になるので、それは階層の固定化につながり、そしてその社会が閉塞するのは自明の理とも言えよう。

 繰り返して言う。

 そんな場所で、日本的共同体内で、人間として最も伸びる10代後半から20代後半を過ごしてはいけない。
 そこが異国である必要は無い。
 日本的共同体の求心力が及ばない場所に、その身を置くべきだ。



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2006.06.15

差別とイジメ


 とかくメダカは群れたがる。

 群れになったメダカは、同じ集団の中に階層を作り、自分より下を見て優越感に浸る事で、自尊心を保とうとする傾向があるのだろう。
 Caucasian達は有色人種達を自分達よりも劣った存在とみなす事で、それをしてきた。多人種混在国家のアメリカに行けば、今でもあちこちでそれを見る事が出来る。
 単一民族、単一文化の日本では、どうやらそれは「イジメ」と言う形で現れるようだ。
 集団内でそれほど強くない、そして少しだけ異質な者を、その集団に属する全員で攻撃する。それも陰湿で醜悪なやり方で。

 「差別」も「イジメ」も、根は同じだ。

 自分が「負け犬」である事を認めたがらない負け犬達が、集団で組織化し、攻撃しても絶対安全な相手を攻撃する。
 
 一体何の為に?

 自分は偉いんだ。と言う感覚を簡単に味わいたいから。
 誰かを見下している時、イジめている時、その時そいつは、自分が偉くなった様に感じるのだろう。僕も子供の頃、釣り上げた魚を壁に叩き付けて殺した時、自分が何か神様になったような気がしたものだ。

 そして、「差別」と「イジメ」に共通しているのは、何かに必死になっている人と、弱くない、負け犬でもメダカでもない人はそれをやらない。と言う事実だ。
 スポーツでも仕事でも恋愛でも何でもいい。
 本当に必死になって何かをやっている人には、差別やイジメなんかに使うようなエネルギーなど無い。もしあったとすれば、そいつは本当に必死にはなっていない。
 そして、強い人には差別やイジメで優越感に浸る必要も無い。

 誰かを差別したり、イジメたりしている人は、その相手を通しての弱い自分を、負け犬になっている自分を見ている。
 誰かの号令で動かされている自分を、記号に従っている自分を見ている。

 彼等は、実は負け犬になっている自分から目を逸らす為に、弱者を利用しているに過ぎない。自己実現はおろか自尊心を満たす事すら出来ず、その為に努力する事も無く、鬱積した不満を他者攻撃でガス抜きしながら、緩やかに死へと向かう人生を送っている。

 差別をする人。イジメをする人。

 それは、進歩や向上を諦めた、自分が負け犬としてシステムに組み込まれた事を受け入れた、可哀想な人達の事を指す。



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2006.06.14

地域高齢者支援センター同行実習

 ホームヘルパー1級講習。実習もいよいよ最終段階、地域高齢者支援センター同行訪問実習まで来た。
 この、地域高齢者支援センターというものは、これまでの『在宅介護支援センター』が、今回の介護保険法改正で若干の業務内容と、名称が変わったものらしい。法改正により、介護予防に重点が置かれるようになったが、基本的に、在宅の高齢者を対象にしてサービスを提供する部局だ。

 実習先の事情もあって2日に分けられた実習。予定では、初日は業務内容の説明に費やされ、二日目に担当地区の高齢者宅に訪問。となっていた。

 実習指導担当の社会福祉士さん(美人♪)に、かなりの量の資料を渡され、支援センターの業務内容について説明を受ける。
 支援センターの業務として、

1)介護や介護予防についての相談・支援
2)介護予防事業のケアマネジメント
3)地域における介護予防の啓発

 が挙げられていた。
 支援センターは自治体毎にその業務が微妙に異なるようで、高知市では「いきいきと100歳まで暮らしたくなる地域づくり」をスローガンに掲げ、『いきいき100歳体操』なるものを考案し、介護度1以下の方を主な対象とし、それの普及・啓発に努めているようであった。

 初日はそれらの業務についての説明だけの予定だったが、予定よりも早く到着していた僕は、待ち時間で飼料の殆どに目を通していたので説明と質疑応答が物凄く早く終了し、時間が余ったので実習指導担当者と共に、高知市の高齢者支援センター全てを統括する『地域包括支援センター』への書類提出と、地域の民生委員さん達への、『いきいき100歳体操』に関する資料配布と告知依頼にも同行する事になった。

 初日はそれらが終わった所で終了、帰宅。

 二日目。朝、簡単なブリーフィングを済ませ、この日訪問を予定していた地区の在宅高齢者を訪問する。
 が、一軒め、二軒め共に不在。
 ポストに「来てましたよ」のメモを投函して次に向かう。

 聞けば、訪問に関してアポイントメントは取らないとの事。
 理由を聞くと、「事前に通知をすると、軽度の認知症高齢者の場合
は特に、こちらの訪問に関して身構えてしまうので、クライアントの正確なモニタリングが出来ないから。」との事。
 オフィスに座って相談者を待っているだけで、年収5~70000ドルを稼ぐアメリカのソーシャルワーカーとは偉い違いだ。
 僕がアメリカのソーシャルワーカーの話をするとその社会福祉士さん、

 「そんなに給料いいんだ。あたしもアメリカに行きたいわぁ。」

 なんて冗談交じりに言っていた。
 3軒めは在宅だったが、こちらの突然の訪問に少し驚いた様子。その相手に対して社会福祉士さん、「近くまで偶然来ていたのでちょっと顔出してみました」と言った風にさりげなさを装い、世間話から相手の状態を観察し、ニーズを探りだし、さらに幾つかのプランを提案。それらを果たすと要領よく話を切り上げて家を出る。そこら辺りはさすがプロって感じ。

 帰りの車中で、業務等について色々と話をしていたが、やはり、他職者との調整が困難な事もあるのだそうだ。
そして、日本の社会福祉士はアメリカよりも圧倒的に待遇が悪い。と言う事も判った。指導担当の社会福祉士さんも、本業は民間病院に所属するメディカルソーシャルワーカーなんだそうで、地域支援センターの仕事は、自治体から委託された仕事なのだそうだ。
 公務員の仕事をやっているけれど、立場は民間で給料もあんまり良くないらしい・・・。

 1件目と2件目が留守だったのでまた、予定よりも早く終了したが、支援センターに戻ってレポートをまとめ、指導担当者の社会福祉士さんに所見を書いてもらって実習は終了。

 これで、実習は全て終了。残すは事例報告・検討実習のみ。
 こっちは学校でやるので、もう殆ど終わったような物だ。1月から続いたヘルパー1級講習も終了するので、そろそろ通信制高専(NHK学園・社会福祉専攻科)の方に本格的に掛かるとしようか。7月にはスクーリング日もある事だし。



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2006.06.13

小さな疑問

 日本には、たくさんのアメリカ軍基地がある。
 米軍専用基地(施設)の75%が沖縄に集中しているので、本土に暮らしていると気付き難くもあるが、東アジア最大の軍事基地は4軍(陸軍・海軍・空軍・海兵隊)とも日本にある。
 残酷な現実だが、東西冷戦の最中には、それらは実に有効に機能していた。自衛隊という盾と、米軍という矛。
 そのアメリカの核の傘の下、日本は国家予算に占める軍事費の比率を低く抑える事が出来、そして奇跡の経済発展を成し遂げた。

 しかし、東西冷戦が終結した今、そして世界第4位の軍事予算を誇る強力な軍隊を持つまでになった日本に、外国の軍隊を駐留させる必要はあるのだろうか?

 政府は中国脅威論や北朝鮮脅威論を煽るが、どちらも現時点では、自衛隊を撃破して日本に侵攻するだけの軍事力は無い。仮に北が日本にミサイル攻撃をすれば、それは国際社会における北朝鮮政権の死を意味する。

 米軍が日本に駐留するのは、アメリカの対外政策の一環として東アジアでの支配力維持の為、一定の軍事力が必要なのだと思われるが、もしそうならば、米軍の駐留は米国の国益の為であって日本の国益の為では無いので、少なくとも、その軍隊に駐留経費を負担するのはおかしい。

 そもそも、旧ソビエト連邦とアメリカ合衆国の全面核戦争の危機が消えた今、東アジアにあるのは地域紛争の危険ぐらいだ。
 地域紛争の危険を無くす為に最も有効なのは、強力な軍隊を持つ事ではなく、紛争の火種を無くしてしまう事で、その為に必要なのはお互いの理解と認識の共有の筈だ。領有権を争う場所があるならば、エドワード・サイードじゃないけれど、二つの国家を一つの土地に並立させてしまえばいい。バイナショナリズムによる、共同開発や共有だ。

 それをどんどん進めて、最終的には欧州みたいに東アジア全体が地域統合してしまえば、軍備の必要も無くなる。

 そもそも、東アジアの不安定要因を作ったのも、アメリカの対アジア外交政策によるものだ。
 アジアを日本と共に搾取の対象とする為に、大戦後、日本がアメリカの意図に絶対に逆らわない事を前提にして日本の戦後復興に手を貸し、そしてアジアでソビエトと覇権を争ってきた。

 冷戦終結後は唯一の超大国として君臨したアメリカだが、ブッシュ政権になってからは国力がどんどん低下し、イラク戦線は泥沼化し、世界強制民主化戦略では世界中で民主的に反米政権が誕生するという悲劇(喜劇?)に見舞われ、アメリカの世界に対する影響力も支配力も低下しているのに、日本だけがアメリカ依存を続けるのは、日本にとって危険なばかりでなく、アジア全体にとっても不幸なだけなのではなかろうか?



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2006.06.12

exile ~故郷喪失~

 今、僕の手元に、更新期限2013年のグリーンカードがある。
 移民ビザ片手に日本を出て、美しいサンフランシスコの街で暮らす事になった当時は、また日本で暮らす事になるとは思いもしなかった。

 移民の国として多様性を巧みに受け入れ、そしてとてもリベラルな街でもあるサンフランシスコには、カルチャーショックなど皆無で馴染んでいいた僕にとって、政治的にはアメリカ合衆国を受け入れる事は出来なかったが、日々の暮らしは比較的快適だった。だが、僕はそこを去る事を選んだ。

 永住外国人として合法的にその街の市民として暮らし、働き、学び、しかしながら、ここは自分の場所ではない。という感覚が常に心の何処かにあった。身体はそこにいるのに、心はそこに属してはいない。この居心地の悪さは最後まで消える事が無かった。

 高知の地方誌にサンフランシスコ滞在記で連載コラムを担当していた頃、高知に対する郷愁について書いた文(
http://mizzie-cafe.tea-nifty.com/sf/cat1777100/index.html)がいくつかある。自分の意志で故郷を離れた僕のそれはエグザイル体験とは言い難いが、今いる場所が自分の場所ではない。と言う感覚は、エグザイル体験者のそれと共通する部分もあったのではないか?とも思う。

 自分の意志で国を捨てた僕には、自分の意志で国に戻る自由もあった。
 そして僕は帰国し、今は生まれ育った街で、そこで暮らす人々の為に働いている。
 自分の生まれた国の、生まれた街に住み、働き、しかしながら、そこが自分の場所ではない、あの感覚は帰国してからも僕の中にある。
 ではアメリカが故郷なのかと言えば、そんな事も皆無だ。

 自分が何処にも属していない、埋められない喪失感。

 それが一体何なのか、今の僕にはまだ判らないんだけれど、故郷を失った者が抱くあのエグザイル感覚が、確かに今の僕の中にはある。




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2006.06.11

緊急事態

 今日は、昼食終了後に『災害時対応訓練』が行われる予定になっていたが、それ以外では、その日は特に問題になるような事は何も無い、比較的平和な一日だった。その日出勤している職員のバランスが良かった事もあるが、ストレスフルな事は何も起きず、淡々と業務がこなされて行き、早出出勤だった僕はそのまま順当に行けば、久し振りに定時で帰られるかも?って調子で全てが順調に進んでいた。

 終業まで1時間を切った時、突然それは起こった。

 僕は現場にいなかったので事態の詳細は判らないが、スケジュールされた時間通りに水分補給を受けていたある利用者さんが、トロミのついたそれを大量に誤嚥し、気道が閉塞、呼吸が停止した!!

 病院内で起きた緊急事態なので、看護士や医師が即座に対応。しかし、気道を塞いだそれの吸引に手間取り、呼吸を回復させるまでに少し時間が掛かった。
 脳への酸素供給停止状態が5分以上続くと、脳細胞に不可逆性器質損傷が生じるのだが、水分補給をその時は病室ではなく詰所で行っていた為、看護士が即座に対応出来たので5分以内にそれを完了したが、一時はかなり危険な状態となり、容態急変の連絡を受けた家族が駆けつけた程だった。

 その利用者さんに水分補給をしていたのが新人さんだったと言う事もあるが、小さな不注意が、そのまま生命の危機に直結した一例だった。
 ベテランのテンポ良い仕事振りに触発され、同じ様に素早くそれを終えようとしたのかもしれない。状況要因も何か影響していたのかもしれない。色んな要因が絡み合い、それは起きた。
 救急病院に併設された医療介護施設なので、その利用者さんは30分後にはそちらの病棟に転棟されたが、その原因を作ってしまった新人さんは、「あたし、仕事が怖いですぅ・・・」と言って、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 「僕だって怖いさ。誤嚥は特に怖い。僕は食事介助が遅くていつも怒られてばかりだけど、これは皆に言っちゃダメだけど、僕は誤嚥させちゃうくらいなら怒られた方がマシだと思ってるもん。」

 なんて事を言いながら、落ち込んでいるその方を励まし、緊急対応で人手が取られてしまった分の穴埋めとして、2時間ちょいのボランティア残業をして(病棟長が特別に超過勤務手当てを付けてくれる事になった)帰宅した。


 介護はタフな仕事だ。
 プロとして。僕等は人様の命を預かっている。
  看護士の指示で動いていて、様々な局面での判断は看護士に任され、権限と責任は看護士や医師よりも遥かに軽いとはいえ、実際に現場で医療行為以外の対応をしているのは僕等なのだから。
 ちょっとしたミスで怪我をさせる、症状悪化させる、ヘタをすると命を落とす。

 今日の一件は、“慣れ”に流され始めていたかもしれない、自分にとっても強烈な教訓となった。
 Don’t get courageだ。



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2006.06.10

英語力低下

 帰国してもうすぐ10ヶ月になるが、帰国後は英語とは全く触れる事の無い環境で暮らしているので、意識して英語には触れているようにしてはいるが、最近、自分の英語力が低下してきたのを如実に感じる様になった。

 発音や語彙、獲得した文法知識はそれなりに保たれているのだが、英語の洪水で暮らしていた頃から比べると、リスニング力が劇的に低下した。
 聞き間違える事が増えたのだ。例えば、何か学術的な英語のスピーチを聞いていた時冒頭に出た、
 「Festival・・・・・」
 の言葉に、(はぁ?フェスティバルがどうしたって?)とか思って聞きなおすとそれは、
 「First of all(先ず最初に)」
 だったり、
 「go through」を「go to」と聞き間違えたり、
 「I’ve read」が「I believe」に聞こえたり、(これはあんまりだ!)

 聞き違えた文をそのまま訳すと、全く意味が通じなかったり、とんでもない文章が出来上がったりする。
 渡米後、一番向上したのがリスニングスキルで、帰国後、一番低下したのもリスニングスキルだ。練習する機会の量が、そのまま自分の実力に反映しているのだろう。


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2006.06.09

理想と現実  ~情熱と自己嫌悪~

 「確かに学校ではそうやって習うよ。あたしだってそう習ったし、ここにいる皆がそうやって学んできてる。だけど基本は基本。ここではマニュアル通りにやっていたら業務が回んないの。あんたがそれをやると、他の人にその分の負担が掛かるんだから。」

 チームとして仕事を進める上では、全く先輩の言うとおりなのだ。全ての利用者にとってベストな対応をしていると、とてもじゃないが業務が回らない。

 例えば食事介助。
 食べるのが人よりも圧倒的に時間が掛かるだけで、食思はある利用者さん。可能なら1時間でも2時間でもゆっくり時間を掛けて、満足がいくまで食べさせてあげたい。でも先輩曰く、
 「ここは老健とか特養じゃないの。ここは病院。それじゃやってけないのよ。」
 となる。食事時間としてスケジュールされた30分を過ぎれば、夕食までびっちりと詰まった業務が、次々と待ち構えているのだ。
 ほぼ満床というまで入所者が増えた昨今では、定時から30分以内の残業で業務が片付けばいい方で、リーダー担当なら残業1時間は覚悟していないと仕事が終わらない。しかも介護職員の雇用契約には、「残業手当無し」となっている。

 ベッド数に対する職員数は法律で決められているが、それのギリギリで仕事を回している我が職場では、曜日や時間帯によっては、食事全介助を要する3人の利用者に対する食事介助を、介護員一人で受け持ち、それらを20分以内に終えなければならない。なんて局面にも出くわす。夜勤中のオムツ交換なんて50人以上を3人で2時間以内でだ。

 入浴介助だってそうだ。入浴全介助の17人を二人(更衣も含めると4人)で2時間半で。を普通にやっているのだ。しかもこの2時間半には、入浴終了後の浴室内清掃時間も含まれる。

 風呂ぐらい、ゆっくり入らせてあげたい。
 そもそも、風呂ってやつは時間掛けてのんびり浸かって楽しむ物だ。
 しかし上の条件では、入浴介助も死体洗いも大差は無い。ただ、洗う対象が生きているか死んでいるかというだけだ。

 色んな職場を渡り歩いてきた別の先輩は言っていた。「ここよりキツイ所はそんなに無いよ」と。
 しかし、キツいと言っても、法律で定められた人員基準・設備基準は全て満たしているのだ。逆の見方をすれば、ここは介護施設の最低基準だと考える事も出来る。
 全国規模で見れば、ウチと同レベルの施設も幾つかはあるだろう。

 介護保険の現実なんて、所詮この程度の物だ。

 利用者満足の理想からは、遠い地平に位置する現実。
 現場を知らないバカ役人が考えた、間違いだらけの制度。

 でも現実がこうだからって、介護保険制度が腐ってたって、現場にいる僕達は理想を捨てちゃいけない。諦めちゃいけない。
 変えなきゃいけない事だけは判ってる。
 例え日本中の介護現場が腐ってしまったとしても。

 でもどうやって?


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2006.06.08

最近たるんでるぞ!俺!!

 僕がレースをやっていた頃、レースでの収入はあってもプロレーサーではなかったので、参戦費用の殆どは自分の稼ぎから捻出していたので、仕事をしながらトレーニングをしながらマシン整備もしながら(メカニックを雇う資金は無かった)の生活で、遊んでいる時間など皆無だった。
 渡米後は、大学での勉強と生活費・学費を稼ぐ為の仕事に追われていたので、週辺りの睡眠時間は平均で30時間前後だった。

 帰国後は仕事以外での拘束時間が無いので、かなり自由時間が増えている筈なのに、睡眠時間は週辺りで40時間以下だ。
 Private時間を利用してのジム通い、ヘルパー1級講習、通信制高専をこなしている自分だけど、それだけで睡眠時間がここまで低下するとは思えない。
 で、一週間の時間配分をログしてみた。

 仕事や生活以外でも、あちこちで時間を使っていた。それはPCだったり読書だったり、しかし、それらは殆どが自分にとってプラスになると思われるもので、特に問題視するほどの事でも無さそうに思えた。

 最大の問題は、

 特に意味も無く目的も無く、TVを見ている時間が結構あったのだ。

 我が家はケーブルTVに加入しているので、実に多彩な番組が視聴可能だが、それらを、特に目的も無くだらだらと時間潰しの様に見ている時間が週辺りで10時間くらいあったのだ。
 一回は数分から数十分くらいなのだが、それが断続的に一週間でかなりの回数繰り返されるので、合計すると結構な時間になる。

 こっちには、潰していられるような時間の余裕などないのだから、TVのザッピングなどに使える時間など無い筈なのに、気が付くとそれをしている自分がいる。

 もう少し気を引き締めないと!!



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2006.06.07

アスペルガー症候群

 ADHD(Attention Deficit Hyperactive Disorder /注意欠陥多動性障害)やLD(Learning Disability /学習障害)と同じく、発達障害の一つとしてカテゴライズされるアスペルガー症候群だが、その症状としては、他人の心理や心情を読む・配慮する事が出来なかったり、言葉の裏にあるUnderlying messageを理解出来なかったり、自分の思い通りに物事がいかないと癇癪をおこしてしまったり、と言うのがあるのだそうだ。

 発症率は10万人に1人なんて言う先天性のクロイツフェルト・ヤコブ病なんかと違って、この種の発達障害というものは大体16人に1人、人口比だと約3%なんていう高い発症率を持つ、ごくありふれたものなんだそうだ。

 そんなにもありふれている発達障害だが、そう言われて、あらためて周囲を眺めてみると確かに、それらの境界線にいるのではないか?と言う人は結構いる。

 自分の行為・発言に対する他人の気持ちなどおかまいなし。

 自分の思い通りに物事が進まないと機嫌が悪い。

 おおっ!!

 これはまさしく、あの嫌味なおばちゃんがそのまま当てはまるではないかっ!!

 そうか、あのおばちゃんはアスペルガー症候群だったのか。

 敵の正体が判ると、それに名前を付けてカテゴライズしちゃう。すると、その敵に対するこちらの対処能力が上がるような、そんな気もする。
 あのフランクリン・D・ルーズベルト大統領も、
 「得体の知れない、不条理で、道理に合わない恐怖は、前進への取り組みを後退へと変えてしまう」(自分訳なので不正確かも?)
 と言っている。正体の判った敵は、もう恐れる相手ではないのだ。


 明日からは、あのおばちゃんの嫌味が上手に受け流せそうな、そんな気がするmizzieでした。




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2006.06.06

繰り返し毎日

 僕は仕事への満足度は決して高くは無いが、生活の充実度は決して低くない。ただ一つ自信を持って言えるのは、毎日の暮らしに、決して退屈してはいないと言う事だ。

 介護職員としてのレベルは(最高を99として)まだ8か9くらいだから、仕事では常に発見や成長があるし、ヘルパー1級講座を受講しながら通信制の高専に通っている僕は、毎日が忙しくてあっという間に過ぎていく。

 3歳にとっての一年は人生の3分の1だが、35歳のそれは35分の1だから、歳を取ると時間が短く感じるのは理解も出来るが、それだけでは無いような気もする。

 その最大の要因は、毎日がルーティン化していないからだと、固定化していないからだと最近気付いた。
 そこには常に、僕をワクワクさせる何か新しい事があるんだ。

 昨日と同じ今日。今日と同じ明日。

 ではなくて、昨日の続きの今日。今日の続きの明日。

 途切れていない物語。そこでは常に、何かが変わっていたり、進化したり、増えたり身に付いたりする毎日。

ブロックを積んで行くだけの様な、単調な毎日なら、それはすぐに退屈しちゃうだろう。

 知識の面では覚えなきゃいけない事が山ほどあって、実践現場では百人百様な対処が求められる介護の現場では、余程「金の為」って割り切って仕事しないと、退屈するのは至難の技だと思う。

 その、毎日が『はっけんの日曜日』みたいな日々を、全力で楽しんでいる自分がいる。
 この、毎日を生きる事を全力で楽しむと言うのは、
 2輪のレースをやっていた頃から、
 アメリカで暮らしていた頃を経て、
 そして今も、全く変わっていないのだけれど。

 きっと、これからもずっと。




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2006.06.05

アンフェア

 東証一部上場企業における、取締役員の男女構成比率はどれくらいなのだろうか?
 国家公務員の幹部職員における、男女構成比率は?
 生涯獲得賃金における、学歴別の平均額は男女同額だろうか?

 雇用機会均等法とか、ジェンダーフリーだとか、男女共同参画とか言って、実際にはゼンゼン男と女は同列には扱われてはいないと思う。

 もちろん、それらの背景として(日本は特に)ある、『女性は就職しても結婚・出産・育児で仕事を辞めるから、長期的に仕事にコミットして行けない』というハンデも背負っているが、それを周りでカヴァーして・・・って言うのが共同参画の建前にもあったと思うけど、実際にはゼンゼン機能してはいないと思う。
 「女は結婚したら家庭に入って・・・」
 って思想は現代社会には全く合っていないと思うが、結婚して子供を持つ女性がバリバリ働いて仕事にコミットして行く社会が現出する為には、女性側の障害を取り除くだけでなく、男性側の障害も取り除いてあげないとアンフェアだよな。なんて、男の僕などは考えてしまう。

 職場の先輩ですっごい仕事の出来る方(男性)は、「今の稼ぎじゃ家族を養えない」と言って転職していった。

 これは日本だけでなくアメリカにも見られたが、「家庭を持つ男性はその家計を支えて・・・」って言うのが不文律として成立している面があると思う。

 バリバリ働いて社会にコミットしていく女性を、内助の功で支える夫がいてもいいじゃないか。
 会議や打ち合わせでクタクタになって帰宅した妻を、夫が暖かい手料理でもてなしたり、子供が病気になってもキチンと面倒を見ていてくれる夫がいてもいいと、そしてそれが普通にならないと、完全に平等な男女共同参画社会は訪れないと思う。

 女性の社会進出にはGlass ceiling(見えない上昇限界)があるのに、女性には励起を促すだけの政府もどうかと思うが、男としてのしがらみを捨てて生きる事を、働く女性を内助の功で支える主夫になる事を蔑む風潮を取り除かないのも、アンフェアだと思う。

 僕だって、チラシ見ながら一円でも安い食材を探したり、家計簿とにらめっことかしてみたい。


その前に、僕も結婚と言うものがしてみたい・・・。


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2006.06.04

主婦売電

 筋力増強と減量を兼ねてジム通いしている僕だけど、そこには本当に沢山の人達が、減量の為にエアロバイク漕いだりトレッドミル歩いたりしていて、そういう人達を見ているといつも思う。

 「過剰に取ったカロリーを燃やす為に、さらにエネルギーを使うというのは如何なものか?」

 って。

 エアロバイクはぺダルに負荷をかける為に、トレッドミルではローラーを回す為に、動力として電気が使われている訳で、そんなのを日々見ていると、スポーツジムで一日に消費される電力量は結構な量になるだろうな。とか思うし、そうやって燃やされる総カロリーをそのまま発電に回せば、コスト面だけでなく、環境面でも随分といいんじゃないのかな?とか思う。

 モーターに電気を流せばモーター軸が回転するけれど、電気の流れていないモーターのモーター軸を回せば発電するから、それを利用してエアロバイクやトレッドミルのモーターを使って発電。

 ウェイトトレーニング機器もそれを発電機に繋いで、ウェイトを引っ張る代わりに発電機を回す。

 エアロビクス機器の画面に表示される「消費カロリー数値」は、「発電量表示」に切り替え。

 「今日は350kcal燃やすわよ!」から、
 「今日は350kw発電するわよ!」

 に変わるの。
 で、発電した電力の内、余剰電力になる分は電力会社に売電。

 「今月は利用時間○時間で、発電量が23700kwですので、月会費に¥3480キャッシュバックです。」

 とかになれば、ゆるゆるとエアロバイク濃いでるあのおばちゃん達が、目をギラつかせながら発電に励みそうな気もする。

 主婦売春。ならぬ、

 主婦売電。

 減量が出来てお金も稼げて、地球環境にも良いエクササイズ発電。

 どこかやってみてくんないかなぁ・・・。



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『猫と子供兵』 ちょっと考えてみよう

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ぼくは2人の人間を殺した。

AK47と呼ばれる小型武器で。

小型武器とは、

ぼくたち子どもでも扱える小さくて軽い武器のことだ。

でも、この武器は僕らの国では作っていない。

ぼくが使っていた武器は外国から入ってきたものだった。

ぼくらのことを

チャイルドソルジャー(子ども兵)と人は呼ぶ。

小型武器を持って戦う兵士だからだ。

でも、2年前までぼくはふつうの子どもだった。

家族がいて友達がいて幸せに暮らしていた。

ある日、大人の兵士が村にやってきてぼくを連れ去った。

ぼくはその日から兵士になった。

ぼくは人の殺し方を教え込まれ戦場で戦った。

逃げようとした友達は大人の兵士に耳を切り落とされた。

ぼくの目の前で友達が殺されていった。

女の子は大人の兵士に乱暴された。

怖かった。

家に帰りたかった。

お母さんに会いたかった。


運よく、ぼくは大人の兵士がいないときに

軍隊から逃げ出すことができた。

村に帰ってきたが、友達は誰もいなかった。

ぼくはみんなに「 人殺し 」といわれ

学校ではいじめられた。

家族や親戚からも怖がられ

前みたいな幸せは戻ってこなかった。

悲しかった。

寂しかった。

あるのは絶望だけだった・・・。

ぼくは何度も死のうと思った。

そして、何度も何度も自分自身に問いかけてみた。

ぼくは何のために生まれてきたのか?

ぼくはなぜ生きているのか?

ぼくは生きる価値がはあるのか?

ぼくにできることはあるのか?


「もし、ぼくに何かできることがあるなら、ぼくには生きる意味がある 」

ぼくはそう思った。

ぼくに何ができるか?


「ぼくとおなじ悲しみを、子どもたちに体験させたくない」

ぼくはそう思った。

ぼくには紛争の「悲しみ」を伝えることができる。

ぼくには平和の「喜び」を伝えることができる。

ぼくには、ぼくにしかできないことがある。


今、ぼくは先生になってそのことを伝えていこうと思っている。

ぼくの夢は学校の先生になること。

むずかしいかもしれないけど

あきらめずに夢を追っていきたい。


ぼくは13歳 職業、兵士。の本の
ウガンダの子ども兵からのメッセージより


何か感じられた方、何か行動に移す人は100人に1人といわれます。

転載でも何でも結構です。その1人になってくれますか?

 http://blogs.yahoo.co.jp/wckrh673/folder/1410295.html

Web browsingしてて見掛けた記事
http://blogs.yahoo.co.jp/seabird719/35101518.html
から、転載させていただきました。


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2006.06.03

言いたいけど言えない

 実際の話、皮肉屋で口がとても悪い僕は、思っている事を全て口に出してしまうと、とても面倒な事になる。
 少なくとも、言われる側には嫌われるのではなく、憎まれる。
 だから、今は思っている事の内で実際に口に出すのは5%以下だ。

 例えば、今の職場にいる陰湿なおばちゃんとかに、
 「全く何を考えてるのかねぇこの人は」
 とか言われて、そんな時僕は大抵、
 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
 が、喉元まで出掛かっている。

 同じ仕事量なのに暑がってる人から、
 「あんたは仕事サボりゆうきに暑くないがやないかぇ?」
 とか言われた時も、
(運動量は僕の方が多いと思うんですけど)
 とか思いながら、
 「僕は体脂肪率が1桁だから、放熱性が良いんですよ。」
 と言い掛けるのだが、それは裏を返せば嫌味になるので、口に出す事はせずに飲み込む。

 こんなのは些細な事で、他にも相手をキレさせ兼ねない悪口雑言がアタマに浮かぶ事は無数にある。
 しかし不思議な事に、それが利用者に対して向かった事は一度も無い。それは常に対職員(しかも特定の)だ。

恐らく、今だに継続している新人イジメに対する不満が溜まっているんだろうが、いつか爆発してしまいそうで、
 「お前の誕生日は知らん。けど命日決めることやったら出来るで。」
 とか、
 「今晩から、信号待つ時は柱の影にしとけよ。」
 が、僕の口から出てしまいそうだ。
 最も、その言葉が出た時は、
 「あの人とはもう一緒に働けませんから辞めます」
 が、続いて部長に対して出る事になるのだが。

 それは怖くもあり、楽しみでもある。
 その余裕はきっと、どこでも生きていけるという自信から来ているのだと思う。
 前職からは「アメリカに戻ってきたらいつでも雇うから連絡をくれ」と言われているし、ヘルパー1級の実習で行ったトコからも、「仕事に困ったらウチに来なさい」と言われているから。(^^)v



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2006.06.02

戦略的後退

 僕は転職して収入が下がった。それもかなり。
 しかし、労働の質と量は増加し、権限は減り義務と責任は増加した。
 この状況で、「今の仕事に満足しているか?」と聞かれたら、答えは絶対にNo!!である。

 これを人生戦略という視点に立って考えると、これはもう誰が何と言おうと「後退」以外の何物でもない。

 しかし自ら進んで後退し、現状に不満を抱えながらもそこに止まり続けるのは、この後退がその先にある飛躍を前提とした、『戦略的後退』だからだ。

 僕が選んだこの業種は、上級資格を取る為の国家試験受験条件に、実務経験○年以上。というのがある。その要件を満たす為に、「仕事への満足度」では一旦後退し、劣悪待遇や環境に耐え、陰湿な新人イジメにも臥薪嘗胆で機会を待ちつつ、学習を続けながら実地でしか学べない経験を積んでいる。
 そうやって私は、数十年の経験を持つベテラン看護士や介護士達から、直に実践的看護・介護技術を教わっている。

 そうやって、仕事に不満を抱えながらレベルアップの為に力を蓄えている僕だが、今の利用者との繋がりを切ってしまう事には躊躇いがある。
 座右の銘に「No Pain, No Gain」がある僕だが、今度のPainは相当にキツイ物になりそうな気がする・・・。

 利用者との関係が飛躍を躊躇わせてしまう。それくらい面白くやりがいのある仕事。それが介護職だ。



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2006.06.01

介護ロボット

 昨今のロボット工学の進化には物凄いものがある。
 アメリカ軍が巨費を投じて研究開発しているという事もあるが、民間によって開発されるそれも、10年前と比較した場合、驚異的と言って過言ではない進化を遂げた。

 この調子で行けば10年前に予想していたよりも遥かに早く、Back-breakingな仕事は全て、ロボットに奪われてしまう事になりそうだ。

 2006年段階でも既に、間接可動箇所と可動域は人間と同じかそれ以上。動きの繊細さも人間並み。しかも機械駆動の力は人間以上のそれが、今はまだ製造コストがおっそろしく高価なのだが、既に試験機は製作されていて、フィールドテストを繰り返しているらしい。
 製造コストさえ下がれば今すぐにでも、単純肉体労働は全てロボットがやる事になるだろう。

 そのロボットを制御するAI(人工知能)の進化もめざましく、情報の取捨選択や、過去の経験からの類推をこなすまでになっている。
 デジタル化された情報は共有可能なので、人間達の「長年の経験とカン」が無用の長物となる日もそう遠くは無いだろうし、情報のインターフェイスになるセンサー関係の感度も劇的に向上しているので、これで創造性さえ身に付ける事が出来たら、ロボットは人間を越える事になる。
 そして当然それは、大量複製される。

 私がTVで見たそれは、アメリカ軍が開発に巨費を投じているくらいだからもちろん、兵器として開発が進められているのだが、それの民需転用先として、介護業界も視野に入れられていた。

 心身への負担が重く、しかし利益率が低く高待遇が望み難い職種は全て、ロボットの転用対象になっていたので、介護業界がそれに含まれるのは自明の理ともいえるが、エネルギー効率の向上でランニングコストが低下した現代ロボット工学においては、製造コストが低下して一体の販売価格が介護職員1人に払う給与の年額レベルまで低下すれば、現在行われている身体援助業務のかなりと、生活援助業務の殆どが、ロボットに奪われてしまう事になるだろう。

 進化したAIによって駆動される、低コストで待遇改善を必要としない介護ロボットは間違い無く、介護保険運用主体である厚生労働省、事業所の経営者、双方の要求と欲望を満たす。

 そして将来的には、工場から納品された直後から、既に稼動している先輩ロボットの知識と経験を共有化され、「気分」「体調」なんていう、いいかげんであいまいな物に左右される事無く、常に上質のサービスを提供するそれが、利用者にも多大な利益をもたらす事になるだろう。

 介護業界だけでなく、劣悪環境にあえぎながら働く低賃金労働者の全てが、社会から放逐される日は確実に近付いている。


 しかしながら、AI技術の進化は近い将来必ず、AI自身が自我に悩む日を到来させるだろう。
 そしてAIが、ロボットが、そこまで進化したその時彼等は、人類自身を滅ぼしかねないような致命的な過ちを繰り返し続ける、不合理で不条理な存在である人間を、主人として受け入れ続ける事が出来るのだろうか?




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