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2006.07.10

強者に欠ける想像力、と美意識

 医療制度改革では、低所得層の高齢者が切り捨てられた格好になっている。
 改正介護保険法でも、要介護度の低い低所得者層が不利益を被った。
 障害者自立支援法に至っては・・・

 この辺でもう止めておこう。

 小泉政権のこの5年間で、今世紀この国が向かおうとしている方向が、かなり見えてきた。

 「金持ちが富を独占して何が悪い」
 「貧乏人の面倒なんか見てられるか」
 「一人で生きられない奴は死ね」
 「大衆は黙って税金を払ってろ」
 「弱い奴が強者に虐げられるのは当然だ」

 まあこんな所だ。

 高齢者福祉に携わる者としては、絶対にこんな事を認めるわけにはいかないのだが、悲しいかな、今の日本ではこの思想は多数派の支持を得ている。強者の側に立つ彼等には、共感と言う概念が存在しないし、それの原動力となる想像力と言うものが無い。

 オンかオフ、白か黒、勝ちか負け、二元論の単純化した世界に生きている多数派日本人には、想像力は根本的に欠損しているのだろう。

 年寄りでも子供でも障害者でもない、『健康な日本人』という強者である彼等には、他人の庇護無しには生命の維持が困難な人達の気持ちなど理解も想像も出来ない。

 もし、突然何らかの障害を負ってしまい、全ての収入が絶たれてしまったら。
 もし、言語でのコミュニケーションが出来なくなってしまったら。
 もし、誰かの介助無しには生命維持が不可能な身体になってしまったら。
 もし、家族や友人の誰かがそんな状態になってしまったら、

 それらについて想像力を働かせる事が出来たら、「福祉に依存して生きるのは恥だ」とか、「日本は北欧のような福祉国家を目指すべきではない」や、「最大多数の最大幸福の為に、少数派が犠牲になるのは仕方が無い」とか、「生じる結果は全ては個人の責任」といった類の言葉や思想が多数派の支持を得ることは無かっただろう。

 すぐ側にいる、生きる事に困難を抱えた人に対しては見ないフリをして、道路脇に横たわる弱った子猫を蹴飛ばすような事をして、新しい何か耐久消費財を買ったり、より効率的な資産運用(その手段は問わない)を考えたりしている連中。

 奴等には、想像力だけではなく美意識と言う物が欠損している。
 しかし、それが21世紀型のスタンダード・ジャパニーズ(標準型日本人)だ。

 もし、この標準規格が変わる事無く今世紀の主流になるとしたら、常に弱者・少数者の側に立つ標準的日本人の規格外製品となる僕は、国家の排除対象とされてしまうだろう。

 平成の日本は、大正デモクラシーの後にこの国が辿った道を踏襲している。


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