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2006年8月

2006.08.31

革新保守は困る

 昨年の郵政民主化法案に、小泉首相の出身派閥である森派から唯一法案に反対し、解散後は無所属で出馬し落選した、城内実と言う漢がいる。
 郵政法案では採決直前まで安部晋三幹事長代理(当時)から賛成に回るよう説得を受けつづけていたが、最後まで自分の信念を貫き反対票を投じた。
 郵政改革法案に反対しただけで、小泉首相に対立候補として片山さつき氏を当てられ落選した城内氏は今、静岡7区の選挙区内にある家賃6万円の一戸建てに家族と共に住み、後援会再結成の為、地道に活動を続けながら雌伏の時を過ごしている。

 政治的には左寄りで、お金大好き自民党とナンミョー集団公明党が大嫌いで、民主党候補が自民党候補と競っている時以外は共産党と共産党候補に投票する僕だが、もし自分の選挙区にこの城内氏がいたら、彼に一票を投じるか投じないか、かなり真剣に悩むと思う。

 この僕をしてそう言わせてしまう程で、この城内氏と言う革新的な保守主義者は、その政治姿勢も主張にも僕を賛同させてしまう物を持っている。

 政治姿勢だけでなく、外国暮らしの長かった氏は日本のテレビについても「その通り!」と膝を打ってしまうような事を言っている。実にいい事を言っているのでここにそのまま抜粋する。

「・・・外国で見えるのは、たとえば日本のテレビの事。非常に子供じみたというか、くだらない番組が多い。外国にはあまりない非常に低次元の番組を、よくぞ公共の電波を使って流しているなと思います。・・・私はテレビのせいで日本人がどんどん幼稚化しているんじゃないかと思っています。だから・・・」

 テレビについてはこんな感じだが、肝心の政治姿勢も実に気持ちのいい物を持っている。彼から国会議員という肩書きを奪った郵政法案だが、その反対理由はこうだ。

 「民営化法案で経営形態を分社化すると、郵便事業なんて赤字に決まってます。日本の地図を見れば、7割くらいが山間地で、離島もいっぱいある。これで郵便事業を黒字で経営できるわけがないんです。それを支えていたのが簡保と郵貯のサービスであり、それと一体化して全体で独立採算制と黒字で、国家公務員の身分を与えていますけど税金を1円も使わずに何とかうまくやってきたんです。特殊法人の無駄使いは、その金を集めて運用した大蔵省理財局が悪いのであって・・・何も郵政をばらばらにする必要はないはずです。・・・一番おいしいところだけ市場に出すと・・・つまり資本力のある外資が買う。」

 この城内氏、郵政法案審議で竹中平蔵から、「郵政法案について日本政府とアメリカは過去17回に渡って協議した。」と言う答弁を引き出してもいる。
 つまり、郵政法案はアメリカの要求に合わせてその中身をどんどん変えたと言う事実を、竹中氏自身から引き出した。
 この、竹中から「郵政事業はアメリカの利益に応じてどんどん変えた」と言う言質を取った城内氏の質問を取り上げたマスコミは、共産党機関誌の「赤旗」だけで、他のメディアは全てこの事実を黙殺した。

 郵政関係合同委員会にもマメに出席して勉強していたらしい城内氏は、特定郵便局とか郵便局労組とかの立場からではなく、国益を第一義に考えて反対に回ったと主張しているのだが、彼の言葉によると、

「上のレベルでは郵政民営化の結論は初めから決まっていたんです。・・・結局は、一部の有識者と外国の方々が決めたものだったのですね。そのからくりについては、不思議と新聞やテレビは取り上げない。」

 となる。
 そうして郵政民営化法案は国益に反すると言う立場から反対に回り、自民党を離党して無所属となり、片山さつき氏に敗れて落選した城内氏だが、民営化した郵便事業がどうなっているのか、国益に沿った動きを見せているのか、これから無集配局となってサービスの質を爆発的に低下させるであろう、過疎地域の郵便局がそれを如実に物語っている。

 国民の支持の元で改革路線を驀進する小泉自民党についても、彼は容赦なく

「今の改革は、要するに強い者がどんどん勝ち続ける。都市部の人達中心で、地方の生活弱者、いわゆる過疎地に住んでいる方とか離島に住んでいる方々にとってみると、もうお先真っ暗です。」

 と言って、小泉政権の格差容認政策を批判する。

 彼は自分の政治信念を、

 「私の信念は・・・日本の国益にプラスかマイナスか・・・日本の国民にとっていいか悪いか・・・今の国民だけではなくて、将来の国民の事も考えなければいけない・・・政治家はエコノミストになってはいけないんです。市場原理に反対しないと。市場原理に任せちゃうと資源配分がうまくいかないようなところに、何とか配分するように努力するのが政治家なわけでしょう。」

 と語る。
 不正と不公平を死ぬほど憎み、それらに対して常に強い怒りを覚える僕としては、こんな漢は応援・支持せずにはいられないのだが、離党したとはいえ自民党員だった城内氏は、保守系無所属になるのだ。
 保守を嫌うリベラル派の僕としてはとても困る。

 しかしリベラルを標榜する以上は、そいつが保守だからという理由で、自分と一致した意見を主張する政治家を否定する事など出来ない。
 もし僕が静岡7区の選挙区民だとしたら、対立候補に
志位和夫でもいない限り、迷わず城内氏に投票するだろう。

 次の衆議院選挙、静岡県民の意識の高さを見る意味も込めて、静岡7区の結果には注目するとしよう。

参照;通販生活2006秋号 取材・文:溝口敦 「人生の失敗」 より


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2006.08.30

大丈夫なのか日本?

 長野県知事選挙で、あの田中康夫知事が敗れた。
 当選したのは元・通産省官僚で、自民党議員だったが羽田孜議員と共に脱党。その後新進党解党で自民党に復党した村上仁氏だ。

 田中知事が、独善的な政治手法で県政を運営していた事は認めよう。

 人間的にも、彼が聖人君主であるとはとても言えない。

 だが、彼は既存の政治家とはかけ離れたやり方で、実にいい事を沢山している。

 無駄な公共事業見直しの象徴でもあった、『脱ダム宣言』

 5年連続で県の借金を減らし続けた財政改革。
(これがなかったら、長野県は財政再建団体に転落しかねない状況だった。)

 高齢者福祉や子育て支援の充実

 他にも小さな改革はいくつもあるのだが、これらだけでも充分過ぎる程の功績ではなかろうか?

 しかし、田中氏はその氏の独善的な手法や、狭量な政治姿勢、そして庶民にも痛みの伴う改革を行使しようとした事が、支持者離れを招いたと言われている。
(参照記事;http://www.asahi.com/politics/update/0807/001.html
        http://info.shinmai.co.jp/2006chijisen/

 しかし、その田中氏を破って知事のイスに座る事になった村井仁氏は、そんなにいい政治家なのだろうか?

 キャリア官僚→自民党議員

 と言う、政治家の常道を辿ってきた彼に、庶民感覚での、県民の目線での政治が期待出来るのだろうか?
 自民党と公明党、そして地元の建設業者団体や医師会の支持で、組織票の積み重ねで当選した氏が、県民からの税金を使って、支持団体への利益誘導をその第一義にしないという保証はあるのだろうか?

 財政再建の為に公共事業を抑制した田中県政に対し、「借金返済優先で必要な公共事業をしてこなかった」と批判し、借金をしてでも豊かになる事を優先させるべきと主張する氏が、氏の支持者である反田中の無党派層と、県建設業組合の要求を同時に満たす事が出来るのだろうか?
(参照記事;http://www.asahi.com/politics/update/0806/005.html

 また、この村井氏は自民党から議員に立候補して当選し、しかし羽田孜議員と共に離党。そして新進党解党に伴い自民党に復党し、郵政民営化法案に反対して再び自民党を離党しているのだが、この最後の自民党離党の原因となった郵政民営化法案、彼は当初賛成していたのだ。

 それが、持論であった「郵便事業と金融事業の遮断」が民営化法案では明文化されておらず、それが気に入らないから反対に回り離党し落選したのだそうだ。

 郵政民営化がアメリカ企業の利益確保の為に行われたという事は既にバレているが、こいつの民営化案は小泉の民営化案よりもさらに酷い。

 確かに、田中康夫氏は問題だらけの知事だが、良い事だって沢山した。

 長野県民はその田中知事よりも、「未来を犠牲にして今自分達が贅沢をする事」を選んだ・そしてこれからも選び続けるであろう男を知事にした。

 長野県民は、自分達の子供を絞首台に送る命令書にサインをした。

 オリンピックでのばらまき予算で借金まみれになった長野県財政を必死で立て直そうと奮闘していた田中氏と、彼を支持する長野県民には少しだけ期待もしていた。

 しかし今回の選挙で、この国の民主主義は衆愚政治に成り下がった事を、不幸にも証明してしまった。

 僕が帰国したのは失敗だったのかもしれない。


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2006.08.29

奴等を告訴しちまえ!!

 目の前で、我が子を乗せた車が水没して行く一部始終を目撃し、汚れた海中に何度も潜って必死で二人を救い出すも、最後の一人は救う事が出来ず海中に残し、さらに一度は助けた二子も次々と落命した、この母親がその心に負った傷の事を思うと、ほんとうに、いたたまれない、やりきれない思いに満たされる。

 恐らく日本中を悲しみと怒りで満たしたであろうこの事故は、またしても『飲酒運転』によるものだ。この世界に自動車が誕生して以来、ずっと繰り返され続けているのであろうこの「自己客観視能力」欠如によって起こされる悲劇は、現代科学で充分克服が可能だとmizzieは考えている。

 21世紀のMade in Japanガソリンエンジンは、空気中の酸素濃度、気温、湿度、気圧を測定し、燃焼室に送り込む混合気を最適のガソリン混合比率に出来る吸気システムが、殆ど全ての4ストロークエンジンに採用されている。
 ホ○ダなど、吸気と圧縮を同時に行う為、電子制御が至難の業と言われていた2ストロークエンジンですら、熟練のレースメカニックよりも速いマシンを作り出せるセンサーとソフトウェアを開発しているくらいだ。

 空気中の酸素濃度を測定出来る技術を汎用化している日本の自動車メーカーなら、飲酒者の呼気に含まれる炭化水素(アルコールも炭化水素の一種。もちろん酸素分子よりも大きく重い)濃度を測定するセンサーとそれを効率的に運用するソフトウェアなど、簡単に開発・実用化出来るだろう。

 運転者からのアルコールを検知するセンサーを自動車に内臓させ、車内からアルコールを検知したらエンジンが始動しないシステムを作ればいいのだ。

 運転者だけが飲んでいない時はどうするって?

 センサーの数を増やして、座席毎の空気中アルコール濃度で運転者の飲酒量を計測出来るソフトウェアを開発すればいい。

 車内のアルコール濃度差だけでは不安と言うのなら、現代の測定器技術は、採血無しに表皮から動脈血酸素飽和度を測定出来るのだから、ハンドルに動脈血のアルコール濃度測定センサーを埋め込んでしまえばいい。
 もちろん、車両一台辺りの製造コストは上がるだろうが、万単位で大量生産される市販車にそれを採用すれば、センサーの一個辺り単価は劇的に低価格化し、また市場が広まれば測定機器メーカーも開発が進んで、10年もすれば恐ろしく高機能化されるだろう。

 この、運転者の飲酒を検知するとエンジンが始動しないシステム、技術的には可能だと思うのだが、利益の最大化が至上命題である私企業と言うものは、そこに利潤へと繋がる物が無い限り、絶対にそれをしようとはしない。
 ガソリンエンジンと電気モーターで駆動するハイブリッド車も、世界的に広まりつつあった環境保護意識の高まりと、近未来における石油受給バランスの変化予測、そこに将来的な市場の拡大が見込めたから、ト○タはハイブリッド車の開発に巨費を投じたのであって、純粋に地球環境保全だけを考えていたとは思い難い。

 だから、僕はこの悲劇のご遺族が、加害者だけではなく国とメーカーも告訴して欲しいと思っている。

 今から20年ほど前、アメリカでバイクのサイドスタンドを上げ忘れたまま走り出し、コーナーでサイドスタンドが路面に引っ掛かって転倒、脊髄損傷(だったと思う)で後遺障害が残った青年がいた。

 訴訟大国アメリカ、この青年と、その事故に商機ありと見た弁護士は、青年の乗っていたバイクの製造メーカー(日本)に対し、

「サイドスタンドが上がったままでも走行出来るバイクでの事故は、製造者責任だ!」

 と言った訴えを起こし、スタンドを上げ忘れた青年の過失責任よりもそちらが重いと陪審員達は判断(もし、そのバイクがハーレー(アメリカンメーカー)なら、判決が変わっただろうが、それはまた別の物語なのでここでは触れない)し、メーカーは当時のレートで20億円近い損害賠償を支払わせられた。

「飲酒運転で事故を起こすのは、飲酒したドライバーでも運転出来る車を作ったメーカーに、製造者責任がある。」

 そう言って、その福岡市職員が運転していた車の製造メーカーを告訴するのだ。

 日本の裁判制度は陪審員制ではないので、弁護士の口先で無罪を有罪に、と言うのはほぼ不可能だが、日本の自動車メーカーは全て、その最大の消費地がアメリカなので、
「アメリカで同様の事故で告訴され敗訴するリスク」
を考慮すれば、それの必要性を認識するだろう。

 そしてさらに、僕は国も一緒に告訴して欲しいと思っている。

 国民の生命と財産を守るのは政府の義務だ。
 政府がそれを保障してくれているから、僕等は日本国民の義務である、『労働と納税の義務』を果たしているのだ。

 飲酒運転を可能にする車を公認したのは運輸省陸運局だ。

 ドライバーの血中アルコール濃度測定機能付き自動車の製造を義務化しなかったのも、運輸省陸運局だ。

 そしてもちろん、運輸省は日本の政府機関である。

 製造メーカーに飲酒者の運転を不可能にする装置の装着を義務付けなかった、つまりその法律を作らなかった日本政府は、『国民の生命と財産を守る』と言う義務を怠った。

 ご遺族には、ぜひその過失責任を追及して欲しい。

 遺族がやらないなら、遺族に保険金を支払う事になる保険会社に、国とメーカーを相手に損害賠償請求をおこして欲しい。

 僕は元レーシングライダーとして、自動車社会のエキスパートとして断言する。

 この世界には、現代の科学技術では、どうしようもなく防ぐ事が出来ない種類の事故も、たしかに存在する。

 しかし飲酒運転による事故は間違いなく、

『防げる事故』

 だ。むしろ、起こる方がおかしい種類の事故だ。
 製造メーカーと、それを監督する政府には防げる事故を防がなかった、予防措置を怠った過失責任がある。

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2006.08.28

福祉に払う金は無い

 脳梗塞等で身体機能に傷害を負った人にとって、リハビリは欠かせない治療行為だが、こんどの医療制度改革で、一疾患についてのリハビリは最長180日までとなった。しかし脳機能障害や脊髄損傷等で麻痺となった人が、失った機能を補う代替能力を獲得する為の訓練を、180日以内で終える事など不可能だ。

 小泉改革の本質は、戦後ずっと続いてきた『不公平な富の分配をさせないシステム』を、『金持ちに富が集中するシステム』に変える為の改革だから、医療保険制度における国庫負担を増大させる長期間のリハビリは、これを法律で出来ないようにして、国家の予算をもっともっとお金持ちの為に使えるようにするのは当然だとも言える。

 また、恐らく医療保険制度を改正して民営化し、アメリカの保険業界に売り飛ばしたい自民党にしてみたら、保険を引き受ける上でリスクとなる長期間に渡るリハビリを保険適用外とする事で、将来の保険制度譲渡先であるアメリカ企業の為の利益確保を、国民の福祉よりも重要視したと言う事なのだろう。


 このまま放って置いたら違いなく、世界第一位の充実度を誇る日本の国民皆保険制度は、充実度世界第17位のアメリカ式医療保険制度に乗っ取られる。

 悲しいかな、今の日本はそれでいいと国民が言っている訳で、不公平と不平に怒りを覚える僕のような人は少数派で、多数派日本人は自分もいつか金持ちになれると信じている様で、いつか自分が金持ちになった時の為に、こうやって金持ちの利益を最大化させる法案に賛意を示し、結果としてそういった法案が次々と国会を通過していく。

 しかしながら、この国の『超金持ちクラブ』の連中は、自分達の独占してきた権益授与組に新しい会員を加える意志などさらさらなく、多数派庶民がどう頑張った所でなれるのは豪華な成金が関の山だ。

 多数派庶民達はその現実には見えないフリをして、

 「一人一人は弱いんだから、みんなで協力してやっていこうよ」

 とか、

 「一番弱い人も皆で抱えて守っていこうよ」

 って思想をあっさりと切り捨てて、

 

 「弱い奴は死ね」

 とか、

 「自分の面倒も自分で見られない奴の為に金なんか払えるか」

 って思想でこの国を運営させている。
 だって国民がそれを望んでいるのだから。

 いつか、自分が他人の介助無しには生きる事が出来なくなるかもしれない。その事実に対する想像力があれば、そんな思想は絶対に受け入れられないのだが、何十年もかけて慎重に国民の低脳化・幼稚化を進める為に腐心してきた政府は、マスメディアを使って多数派国民をアホにする事に成功し、そうしてこれまで福祉や社会保障に使ってきた予算の大部分を、自分達の支持団体である大企業の為だけに使う制度に、国民の理解を取り付ける事に成功した。

 社会的弱者を切り捨てる事で成り立ってきた小泉改革は、下町の中小企業経営者を数えるのもイヤになるくらい自殺に追い込み、福祉依存者のかなりの部分に「とっとと死ね!」と言うような制度を押し付けてきた。
 障害者自立支援法施行に関しては、既に自殺者も出ている。
 (NHK教育 『福祉ネットワーク』 より)


 この国の為に命を捧げた英霊に感謝をしたいから靖国に行くというのなら、小泉は「強者の帝国」を作る為に自分の断行した、弱者切り捨て政策で強者を繁栄させる為にその命を捧げさせられた社会的弱者の慰霊施設を建設し、そこに毎年参拝するべきだ。

 話が横道にそれてしまったが、日本国民は福祉になんかお金は一円も払いたくないなんていう、恥ずかしい国民だ。そんな恥ずかしい民族で構成された国が国連常任理事国になったりするなんて、想像しただけでも恥ずかしい。



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2006.08.27

責任は取らない。

 「結局さぁ、この国は「ええじゃないか」の国で、その国民は「ひよどり越え」が大好きで、自分が責任を負うのが大嫌いなんだよ。」

 数日前、兄と第二次大戦における戦略論で議論していた時、上の結論に行き着いた。

 ひよどり越え(一ノ谷の戦い)、桶狭間、そして日本海海戦。

 これらに共通しているのは、数的劣勢、或いは形勢不利(厳密には日本海海戦が形勢不利だったとは言えないが)なのを、型破りな戦術で逆転し、勝利した戦いと言う事だ。

 しかし第一次大戦以降の近代戦においては、戦略的に優位に立てばほぼ間違いなくそちらが勝つ。
 第一次大戦の戦史を少しでも研究すれば、それくらいの事は簡単に判ったハズなのに、前線のユニット単位の士気の優劣が勝敗に影響したのは、部族間抗争時代に終焉しているというのに、さらにノモンハンで大失態を演じているというのに、この国の高級軍官僚達はアメリカ相手に開戦した。

 今どき、スポーツの世界だって精神論で勝敗が決定すると考えるバカはいないが、当時の帝国軍官僚達はその時点でもまだ、その理論で戦略的劣勢をひっくり返せると信じていたようだ。

 あえて言うまでも無い事だが、100発100中の砲一門と、100発1中の砲百門が打ち合えば、前者は全滅し、後者には99門の砲が残る。正規戦では数を揃えた方が勝ちなのだ。

 軍人の仕事とは戦争で勝つ事だ。
 そして、戦争とは敵味方の員数調整の事だ。
 敵よりも数的に多く兵力を残せた方が勝つ。

 その思想を基本に戦術や戦技を磨き続けていたであろう軍官僚なら、自分達が戦略的に圧倒的不利な立場にいる事は判った筈だ。
 しかし、この国は資源確保の為に東南アジアに進軍し、同時に真珠湾に奇襲(外務省の失態でこの奇襲は「だまし討ち」となったが・・・)を掛けてアメリカと開戦した。

 戦略的に不利なんだから、初めから勝ち目の無い戦だと言うのに、戦術面でも近代戦では絶対に犯してはならない過ちである、“情報不足の戦場への兵力の逐次投入”、つまり出し惜しみをして各個撃破され、各戦場毎に幾万もの兵士を無駄死にさせた。

 この、各戦場での見事なまでの部隊壊滅ぶり、戦史を見ると、日本軍が大敗した戦闘において、必ず関わっているとんでもなく無能な参謀がいる。

 ノモンハンでの壊滅にも関わっていたと言う、そんな無能な参謀が何度も同じ様な失敗を重ねながら、それでもロクに処罰される事も無く軍参謀として指揮を取り続けられた理由が、現代日本のキャリア官僚達の処世術と酷似していて情けない。

 この、情報収集もロクにやらず(と言うか全くやっていない)、戦場の現地調査もせず、机上で地図上に線を引いただけとしか思えないような、「ひよどり越え」の再来のような少数による奇襲で敵の大兵力を駆逐すると言う無謀な作戦を立て、精強な日本軍人を大量に犬死に(戦闘で死んだ者とほぼ同じくらい行軍中に飢え死にした者の方が多い)させただけでなく、その失態の反省も総括も一切無しで、失敗の原因を全て前線の兵士達の士気が足らないからと決め付け、また新しい戦場で似たような実現不可能な作戦を立て、兵を無駄死にさせたこの将官。


 こいつが何故、処罰される事無く指揮を取り続ける事が出来たのか?
 その背景はこうだ。

 前線で、壊滅の言葉すら生ぬるい負け方をしたこいつを処分すると、こいつの作戦を採用した司令官に始まり、こいつの作戦を承認した大本営全体に責任が波及する。

そんなのは絶対にイヤだ。
 作戦が成功した時の手柄は分け合うつもりだったが、失敗の責任なんか絶対に取りたくない。

 作戦の失敗は全て状況要因のせいにして(成功は全て作戦立案の妙となる)、こいつを不問にしておかないと自分達のクビが飛ぶ。(作戦立案と準備・運用の不備で数万人の戦死者を出し、版図を増やすどころか拠点を奪い取られて前線を孤立させているのだ。死刑にされても文句は言えまい)

 そうして、この味方殺し参謀は終戦まで兵卒を殺しながら生き延び続け、戦後は巧みに戦犯としての訴追を逃れてさらに生き延び、国会議員にまでなっている。
 自分達に責任が及ばないようにする為、こいつに責任を取らせなかった軍の高級官僚達は戦犯として裁かれただろうが、彼等の様な高級官僚は、戦争責任者としてだけではなく、味方を無駄死にさせた罪でも裁かれるべきだ。

 そして悲しいかな現代日本、この軍高級官僚の責任逃れ体質は、行政府のキャリア官僚達にきちんと、完璧な形で受け継がれている。
 出世が実績ではなく、年功序列と学閥で決まる所まで同じだ。


参照;『旧日本軍に関する研究』http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/index.html



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2006.08.26

カード不正使用

「わたくし、三井住友VI○Aカードのセキュリティ担当・・・と申しますけど・・・」
母から伝言板に書かれた「電話あり。折り返し電話するように」の言葉に従い、メモされた番号に電話をすると、私のカードが8月24日にアメリカで不正使用されたらしい。との知らせを受けた。被害総額は約3万円。

 8月24日は遅出出勤日で、夜勤の次に肉体的にハードな遅出、しかも入浴介助だった僕は帰宅してからもクタクタで、夕食を食べた後そのままフトンに倒れこんだので、その24日にアメリカで買い物をすると言うのは、如何にタフな僕と言えども不可能だ。

 これが不正使用だと判明した時点で、カード会社側は即刻今のカードを使用禁止扱いとして、新しいカードを発行してくれる事になり、不正使用分はカード会社側が負担してくれて、ネットのプロバイダ料とか毎月の引き落とし分はそのまま新カード番号で引き継がれ、地道に貯めたANAのマイレージも新カードに移行されるので、僕の金銭的負担はゼロなのだが、勝手に人の金で買い物をしていた奴がいると思うと、本当に腹が立つ。PCに登録した入力情報も更新しなければならないから面倒くさい。

 セキュリティ担当者さんの話では、不正使用先はアメリカだが、ネット通販を利用したのか、カードリーダーによる偽造カード現地使用なのかはわからないと言っていた。何処かでカードリーダーでカード情報を盗まれたのかもしれないし、僕はネット通販をかなり頻繁に利用し、その殆どがクレジットカード決済なので、どこかで僕のカード番号と有効期限が流出したのかもしれないし、電磁波盗聴を使って僕のPC画面と入力キー番号を盗聴されたのかもしれない。
 流出経路は不明だが、とにかく、僕のカード情報が盗まれ、僕のカードは不正使用された。僕は一応ゴールドカードなので使用限度額は恐ろしく高額なので、被害が3万円で済んだのは不幸中の幸いだろう。カード会社にしてみたらたまらないが。

 しかし、犯人はどうやって僕のカード情報を盗み出したのか?
 帰国してからもうすぐ一年になるので、滞米中に盗まれたのだとしたら、不正使用までの期間が開きすぎている。

 ここはやはり、国内で盗まれた情報をアメリカで使われたか、ネット通販でのカード使用から流出したか、自宅PCからの電磁波盗聴と考えるのが妥当だろう。

 しかし、国内でのカードリーダーによる情報取得に関しては、人込みを極端に嫌い、職場と自宅の往復で殆ど出歩かない僕からそれをするのは至難の技だし、電磁波盗聴の場合も被害額3万円では、コストに釣り合わない。
 ここはやはり、ネット通販での情報流出を考えるのが一番合理的だ。

 でも、僕はネット通販ではそれなりのメーカーでないと使わないし、セキュリティ保護の無い決済は

 ってちょっと待った!!!

 そーいえば、去年出会い系サイトをからかってた時、無料使用分を使い切った後も、そのままサクラに上手くのせられたままでお金を払ってメールした時、その決済をカードでしてたっけ。
 もちろん、セキュリティ保護なんか無しだ。

 可能性としては、そのサイトから流出した情報が不正使用された可能性が高い。流出していなくても、サイト運営者が破産して、顧客情報がヤクザ屋さんとか裏稼業の方に買われた可能性だって否定出来ない。

 もしその場合、それなりの被害がカード会社に報告されるハズだから、クレジットカード協会から公安に通報が行くだろうし、検挙されたらニュースにもなるだろう。

 少しの間は、報道にも注目しておく事にしよう。



でも、一番の被害者はカード会社なんですよ。ごめんね住友V○SAさん。
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外国人介護士

 私の住む高知県も遂に、3~5年後をメドにして、東南アジアからの介護士を受け入れる事が決定した。

 介護離職は全国どこでも見られる現象だが、全国トップクラスの高齢化率を誇る本県も例外ではない。その仕事のハードさの割には、待遇も報酬も社会的地位も低い介護業界が、恒常的な人材不足に見舞われるのはある意味当然とも言えよう。
 厚労省は、この介護離職に関しては’07年をメドに対策を講じるとアナウンスしていたが、政府の対策は介護職員の待遇改善ではなく、低賃金外国人労働者受け入れへと向かうようだ。

 この、外国人介護士に関しての問題点は、過去にhanaさんが過去記事『外国人介護士を受け入れるにあたって』(http://blog.goo.ne.jp/dookmaai/m/200604/1)で触れられてましたし、そこにコメントを書き込んでいる方々の意見も含めて、その問題点や取るべき対策についての論議は出尽くしていると思うので、ここでは敢えて触れる事はしません。

 hanaさんもご自身の記事で述べていますが、僕も基本的には意欲ある外国人介護士の受け入れには賛成です。介護職者は志の高い介護士と、なんとなく手に職を付けようと介護の道に入ってしまった者とに、かなりはっきりと分かれるようで、少し前にあった介護職員によるセクハラ発言事件に対する反応なんかをネットで見ていても、それは如実に現れています。

 そして僕の個人的見解としては、卒業すれば介護福祉士の資格が取れる専門学校が林立する中で、高校を出てそう言った学校に進みそこで資格を取り、介護の世界に入って来た人達には、後者が多いようにも思えます。

 逆に、ここに頻繁に訪れてくれている方々のように、それなりの人生経験を経て介護の世界に進まれた方には、意識の高い方が多いように感じるんですよね。

 僕の個人的な視点から見た時、多様な業種を経て、異文化にも触れてきて、俯瞰的な視点から自分も含めた全てを観られる、そんな方達と、偏差値の低いまま大学に行くよりは・・・って福祉専門学校を経て介護の世界に進む方達には、かなり温度差があるように思える訳です。そこにはもちろん例外もありますが。

 世界最先端の高齢社会になってしまったこの国で、慌てて作った間に合わせの介護保険制度。そこで生じた人材不足を補う為に介護職員を急増した結果、介護離職と職員の質的低下が起こった訳で、でも恒常的な人材不足で程度の低い職員が生き残り続けている現実は、過日のセクハラ事件とそれをネット上で弁護する同業者(それも多数)の存在が証明してる訳ですよ。

 本当に意欲溢れた外国人労働者が確保出来るのならば、そういった意識の低い職員は外国人労働者にその地位を奪われる事になる訳で、東南アジアからの介護福祉士受け入れはこの業界と利用者にとって、プラスになると思うんですよね。(施設経営者と厚労省だけにプラスとなった場合、僕の収入は確実にダウンするだろうけれど・・・)

 介護職員に語学力のある人なんか殆どいない(僕を含めたここの常連さん達は、介護業界では希少な例外だと思う)訳で、僕はタガログ語もタイ語も話せないけれど、とりあえず意思疎通は問題なく出来るって程度の英語力はある(スペイン語も片言くらいは話せます☆)から、そうやって日本の介護業界に入ってくる外国人労働者達に、何か役立てる機会もあるのでは?とか思っています。



介護職者はもっと志を高く持つべきだよな。って思う人はクリックしてね。
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2006.08.25

遺伝

 僕の外見は母親にとても良く似ているらしい。
  両親の知人は僕を見ると必ず、「まあ!お母様に似ていらして」的な事を言う。

 僕等親子は、外見だけでなく考え方とか行動パターンも似ている。

 どちらも超マイペースだ。

 唯我独尊と言っても言い過ぎではない。

 客観的に見ていると、僕等のやりとりはそれなりに可笑しかったりもする。

 過日の話。
 その時僕は、通信のテキストをやっていた。
 右手にペンを持ち、机にはテキストとレポートを広げ、左側にある机に置いたPCも使って、空欄を埋めていた。

 その時隣の部屋にいた母が慌てた声で、

 「ちょっと書くもの取って!」

 と言ってきた。こっちが今は勉強中だと応えると、「こっちだって急いでるんだから!早く!!書くもの取って!!」と来た。

 「あーもーうるさい!はい、かくもん。」

 そう言って僕は母に、孫の手を手渡した。

 別のある日。

 朝、髭を剃りながら「あ~髭剃りめんどくせ~・・・もうこの髭、永久脱毛したいわ。」

 と呟いた僕に向かって我が母は、

 「あたしゃこのマユを刺青にしたいよ」

 と来た。

 まったく、ものぐさな親子だ。


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非服従

 最近入所してきたばあさんは、めっちゃガンコだ。

 自分の中で「No」と判断した物は、絶対に受け付けない。

  とにかくこのばーさん、介護士の思惑通りになんか絶対にならない、めちゃくちゃ手の掛かる利用者さんなんだけど、俺はこのばーさんのその気位の高いトコが大好きだ。

 これがただ単に偏屈でひねくれてて我儘なだけなら、働いてるこっちだって笑顔浮かべながら(こんのクソババめ!)位は思うんだろうけれど、このばあちゃんが受け付けない事物は物凄く限定されていて、それ以外のことにはとても素直で、協力すべき所ではとても協力的だ。

 このばあちゃんが協力的な場面ってのは、それはトイレ誘導だったり、夜間のオムツ交換だったり、体位返還(って返却してどうするよこのバカ日本語ソフト!!変換だよ!)とかそういった事柄には、とてもとても協力的で、こちらへの態度なんかは可愛らしかったりもする。

 でも、それ以外の事だと、他の入所者を基準に考えたら物凄く些細な事でも、このおばあちゃんの中で「非」と決断が下された物は断固として拒否すると決めている様で、何があろうと絶対に受け付けない。こちらがあの手この手を尽くし、どんなになだめすかしても、それが命に関わると言う事が相手に判っている事でも、断固として拒絶する。

 ADL等に関しては自力で立つ事が出来ないが、痴呆もなく意識もはっきりしていて、精神面は至って良好な方なので、こちらもある一定以上の無理強いをする事は出来ないしやらない。

 例えば水分補給。

 プランでは一日1000ccを目安に。となっているが、病院から出るお茶もジュースも全く受け付けない。

 とにかく何を勧めても、

 「いや」

 「いらん」

 としか言わなくて、ほっといたら脱水症状になって点滴しなきゃ!だよ。
 ってトコまで拒否が続いていた。そんなある日、主任が職員用のコーヒーを試しに出してみたら、コーヒーが好きだった様で、それをゴクゴクとおいしそうに飲み干し、以後、コーヒーだけなら飲んでくれるようになった。しかしそれ以外の飲み物は、こちらが何を出しても完全に拒否だ。

 そして休み明け、出勤したらその方にだけ、3食にコーヒーが付いてくるようになっていた。

 専門用語で言う所の“全制的施設”に限りなく近い我が職場において、その身を犠牲にしながらも非服従を貫き、このばあちゃんは権利を勝ち取った。

 介護士の思惑通りになんか絶対にならない、このばあちゃんが俺は大好きだ。



非暴力非服従は権利獲得の最強アイテムだよな。って思うあなたはクリックしてね。
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2006.08.24

やっぱりさ、お前等今すぐ独立しろよ

 ホンの今さっきニュースで見たのだが、何でも東京は、日本橋の景観を復活させる為に、首都高速をその区間だけ地下に移設し、日本橋界隈の都市景観を美化させようとしているらしい。

 約数キロの区間を地下に移設するにあたり、概算で見積もられた経費はざっと5000億円。

 ふ~ん、そうなの?

 自民党政権を支持し続ける東京移民の皆さん、痛みを全て社会的弱者に押し付ける政策を支持して、医療や福祉、社会保障関係はどんどん切り捨てて、でも自分達の街の景観を美化する為になら、5000億くらいは使えちゃうんだ。


 この国にはさ、生産的な労働力にならないからって社会の何処からも受け入れてもらえなくてさ、時給150円で授産施設でほそぼそと働きながらさ、それでも、「仕事」を通じて社会とコミット出来る事に喜びを感じてる障害者とか公害病患者とかがいてさ、(参照:NHK教育 『福祉ネットワーク』 6月15日放送分)でもその人たちに向かって、「俺達には貴様等の為に負担するコストなどない。これからはお前等も施設利用料を払え」って言って、その微々たる収入から施設使用料を巻き上げる事に決めた(障害者自立支援法)んだよね。

 地方の社会的弱者には一円も払いたくないけど、自分達の街の景観美化には5000億円払えちゃうんでしょ。

 前にも言ったけどさ、もういいからお前等今すぐ独立しろよ。

 お前等がその気なんだから、もう俺達も東京移民が稼ぐ金も、払う税金もあてにしないよ。
 東京は東京だけでやってくれよもう。
 郵便配達をしながら、離島の独居老人の安否確認をやってた郵便局員は、手前等が諸手を挙げて賛成した郵政民営化法案のお陰で過疎地の1000局が無集配局にされちゃって、皆いなくなっちゃったよ。
 明日から、誰があのじーちゃんばーちゃん達の安否確認をするんだ?

 この際だからはっきり言っとくよ。

 お前等東京移民の理論で、この国の舵取りをされるのは迷惑なんだ。



異論あり。な東京移民はクリックしなくてもいいから反論のコメントをちょうだい。
それか左にある首相官邸のリンク使って小泉に文句を言ってくれ
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(男だってつらいけど・・・)女はつらいよ。

 そこにはGlass ceilingがあるとは言え、アメリカの女性達は日本の女性達とはかなり異なった待遇を勝ち取っている。
 そのフェミニズムの国から帰ってきた僕の視点から見ると、この国の女性はタイヘンだなぁ・・・って思う。

 一人の人間として会社では男と同等の義務を課せられ、しかしそこでは男達の期待する“女性社員像”を押し付けられ、帰宅すれば世帯収入にかなりの貢献をしながらも、家事も育児もそれに見合った応分負担がなされているとはとても思えない。

 さらに、

 この国ではとても強固な『女のシアワセ』って形があって、このシアワセを手に入れられない女は本人の意思とは無関係に“淋しい女”ってカテゴライズされちゃって、仕事してたって生きがいがあったってその人は不幸なんだと、この国のメディアは、マジョリティは、決め付けちゃう・押し付けちゃうみたいなんですよ。

 じゃあ、その“女のシアワセ”って一体何?


 いろんなメディアの情報を集合するとそれは、

1)自分の価値を証明するだけの仕事があって、

2)女として男から愛され

3)結婚していい母親になる

 って事らしい。
 どれか一つが欠けても完成しないドリームストーリー、“女のシアワセ”

 歌手の鈴木祥子さんは自身のエッセイで問い掛ける。

「欲望されなきゃ価値が無い。結婚しなきゃ意味がない。愛されなくっちゃ女じゃない。それは誰が作ったルール?」

 日本の女の子達って、女性達って、この誰が決めたのかわかんないルールで自分を縛り付けて、そのちっちゃな箱の中に自分を詰め込んで、期待(欲望)に応えなきゃって思い込んで、信じ込んで、愛されない事を恐れて、そうやって自分を殺していく。

 男の性的対象として欲望されなきゃ価値が無いの?

 結婚して、母親にならなきゃ意味が無いの?

 愛されなきゃ女としての存在価値は無いの?

 で、それらを満たした上で、自分の価値を証明するだけの仕事を持つ?

 幻想だよそんなの。



 そんな、ありもしない幻想を追い求めて、それに自分を合わせようともがいて、でもどこかで力尽き、現実に妥協しながら流されてゆく。

 この国の女性は“女”という、男達の利益を最大化させる為の、優秀な消費者としてしか存在を許されていない。

 僕には、そんな風にしか見えない。



 この国で女をやるのも、中々にタイヘンだよね。




 上でも少し触れている鈴木祥子さん、自身へのインタビューでも、
「・・・女が自信をもって、無力感をもたないで堂々と生きていける世の中、をつくるにはどうしたらいいんだろう・・・っていつも考えます。やっぱいまの社会って、女が女であることにどこかで引け目を感じ乍ら生きる、っていうふうにになっているから・・・。」
 と語られてますけど、その鈴木祥子さんのインタビューが読めて曲も視聴出来ちゃうブログのアドレスはここ。
http://lounge.ongen.net/special_ml/artist/shoko_suzuki/





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2006.08.23

一丁目のファーブル

 嗜好や興味と言うものは、広範化するか深化するか人によって違うのだが、僕の場合は深化するようだ。
 そんな僕はバイクでは国際ライセンスを得て全日本選手権に参戦するまでになったし、英語は永住権を得てアメリカで暮らすまでになった。

 そんな僕だが、子供の頃は昆虫にその興味が向けられ、カブトムシやクワガタから始まり、ハチや蜘蛛に至るまで、実に色んな虫(蜘蛛は昆虫類には属さないが)を飼ったし、夏休みの自由研究で提出した昆虫採集標本が子供科学展で入選したりもしていた。

 その頃獲得した知識の幾らかはその後も残っていて、高校生の頃も朗読で昆虫の和名・学名をよどみなく読む僕に、「mizzieくんは昆虫についての予備知識でもあるの?」と教師から言われ、「一丁目のファーブルとは僕の事です」とおどけたりしたものだ。

 今でも、僕はミヤマカラスアゲハとカラスアゲハを即座に見分けられるし、モンシロチョウとフタグロシロチョウの違いも一瞬で判る。道を歩いていても、普通の人なら「あ、赤トンボが・・・」となる所も僕の場合は「あ、ウスバキトンボだ」となる。さすがに「このウジムシめ!!」を「このニクバエの幼虫め!!」と言ったりはしないが。

 ただ、知識を深化させる事の最大のリスクは、それを実生活に役立てる局面がとても少ない事である。



もっと役に立つ知識を深化させろよ!って思ったらクリックしてね
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2006.08.22

避雷針

 夜勤。
 その日一緒に組んで仕事をする事になっていたのは、とても親切なベテラン看護士と、僕よりも後から入社した新人看護士の二人だった。

 どちらも、こちらのしんどさを理解してくれる看護士なので、ケアワーカーの一番忙しい時間帯にムチャを言う(人によっては平気でやる)事など皆無で、またこの日は容態急変者も無く、比較的順調に業務が進んだ。

 仕事にも大分慣れてきたので、数ヶ月前ならパニックになっていたような状況にも、咄嗟の機転で実害ゼロで切り抜け、「ふふ。俺もレベルが上がったな☆」なんて気持ちよく仕事を進めていた。

 そして終業前の最後の休憩時間、ベテラン看護士さんが僕に、

 「mizzieくんはお局様達に狙い撃ちされてるんだから、こっちが出来る事はやっといてあげるから、日勤の人が来る前に夜勤の仕事終わらせときなさい。そーしないとまた細かい事でいちゃもんつけられるわよ。」

 と有難いお言葉を賜り、そうして淡々と仕事を片付け、小さなミスもあったがなんとか切り抜け終業した。

 最後に詰所で手を洗ってペーパータオルで水気を拭っていると、僕の顔を見た看護主任さん、
 「ほら、ここにアイスノンをこんな風に入れたら偏って凍るきに使い難くなるろう?ここへこんな風に入れたらいかん。」
 と言ってきた。

(んな事言われてもアイスノン管理はナースの仕事じゃん。俺に言われても・・・)

 とか思っていたら、自分でもその事実に気付いたのか主任さん、すぐ横にいた新人ナースさんにその怒りの矛先を向け、ムスっとした口調で、
 「これを全部食堂の冷凍庫に移してきなさい」
 と言って新人さんに渡し、新人さんはその両腕に山のようなアイスノンを抱えて食堂へと歩いていった。

(いや、だからそれをそこに入れたのは新人さんじゃないんだってば・・・)

 って思いながら、新人さんが抱え切れなかったアイスノンを持って僕も後に続いた。

 あの時僕がそこにいなければ、主任さんはアイスノンを自分で移し変えるかしたのではないだろうか?(主任さんは、基本的にはキビキビと仕事をするやり手の看護士さんだ)

 「言い易い人」がタマタマ目の前に居たから言ってみたのだが、その指摘が的外れだった為に、その側にいた新人さんが避雷針になった。

 偶然そこにいたというだけで、雷に打たれてしまった新人さんには可哀想だったが・・・


 僕は悪くないよね?



そうさ、mizzieは悪くなんかないさ。って思ったらクリックしてね。

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いじめっ子にはわからない

 今から20年程昔、僕は無実の罪で土下座をさせられた事がある。

 友人達と釣りに行った帰り道、自転車に乗った僕等は突然、国産高級車に乗った男に道を塞がれ、「貴様等は今、すれ違いざまにわしの車を蹴った」と言いがかりを付けられた。

 そいつは僕が、僕と仲間の潔白を証明しようといくら説明しても全く耳を貸さず、土地の実力者らしいそいつの意図に逆らう事が出来ないのか、野次馬達も誰一人として僕の助けに応じる者はいなかった。
 電話一つ貸しては貰えず、警察を呼ぶ事さえさせてもらえなかった。
 携帯はおろか、ポケベルすらまだ普及していなかった頃の話で、まだ幼いと言っていいくらいに若く、知識も賢さも無かった当時の僕は、

「ここで土下座をしたら許してやる」

 と言うそいつの言葉に、その場を納める為に、仲間達を守る為に、悔しさに握り締めた拳に爪を突き刺しながら、唇を血が出るくらいに噛み締めながら、その瞼に屈辱の涙を浮かべながら、

「すみませんでした。もう二度としません。」

 と、額を地面にこすりつけながら言わされた。

 もう20年以上昔の事だから、小汚い中学生に言いがかりをつけて土下座させた事なんて、あいつはとっくに忘れているだろう。もしかしたら次の朝には覚えていなかったのかもしれない。奴は酒の匂いをさせていたから。

 でも、拳に爪が突き刺さる程の屈辱を味わされた僕には、その時の事は未だに忘れる事が出来ない。許す許さないは別にして、僕には多分、死ぬまであの時の事を忘れる事は出来ないだろう。

 人は、与えた痛みはすぐに忘れる事が出来るが、受けた痛みを忘れる事は出来ない。

 20数年前に僕が受けた屈辱と同等か、或いはそれ以上の屈辱を、僕等の祖先は韓国に対して与えている。

 小泉首相の靖国神社参拝に関して、中韓が猛烈に抗議しているのを、「過剰反応」だと、決して少なくない、恐らく多数派の日本人はそう言う。
 東アジア版ジャイアンだった僕達日本人には、東アジア版のび太くんだった朝鮮人が受けた、屈辱や痛み、悔しさを思い遣る事が出来ない。

 1910年8月22日。日本は韓国を併合し、植民地とした。

 彼の国から言語や文化を奪い、日本人としての名前と日本語の使用を強制し、日本がポツダム宣言を受け入れて連合国に無条件降伏をするその日まで、朝鮮半島出身の人達を徹底的に弾圧・圧迫し、差別した。

 在日朝鮮人に対する差別は、21世紀になった今日でもまだ、この国では見る事が出来る。それは悲しすぎる現実だが。

 僕がサンフランシスコで寿司職人助手をやっていた時、その寿司レストランを経営していたのは韓国系の方だったが、ごく稀に、オーナーのお母さんがお店に夕食を食べに来る事があった。
 オーナーのお母さんだから、こっちも程度のいいネタを使って、普通のお客さんよりも少しだけ気を遣って握った寿司を出す。その寿司を食べながらお母様、とても丁寧で発音も完璧な日本語で、

 「大変おいしゅうございました。どうもありがとうございました。」

 といつも言ってくれた。
 異国で、異言語・異文化の中で暮らしていて、そんな丁寧な母国語で感謝の言葉を頂くのはとても嬉しいのだが、僕は、母国語を奪われて日本語を強制させられたであろう韓国人と直に触れる事で、侵略者の末裔として、いつも胸に小さな痛みを覚えたものだ。

 僕らは35年間もの長きに渡って、朝鮮人から文化と歴史と言語を奪っていた。


 関が原で破れ、領地を奪われ主君を殺された土佐の長曽我部家臣団は、270年後に倒幕の志士となって明治維新を起こした。
 土佐の関が原は300年続いたと言われる所以だ。

 土佐人は270年間、主君を殺された恨みを忘れなかったから、35年間も文化を奪われるという屈辱を味わってきた韓国人達が、61年しか経っていないのに公式には謝罪をしていない日本を許せないのを、想像する事は出来る。
 また、無実の罪で土下座をさせられ、悔しさに唇を血が出る程噛み締めた、そしてその屈辱を20年後の今もまだ忘れる事が出来ないでいる僕は、彼等が受けたであろう屈辱と、その悔しさを61年間も忘れる事が出来ないでいるのにも、理解も共感も出来る。

 確かに、当時の国際情勢がそうさせた。と言う状況要因も見逃す事は出来ないけれど、また併合中、日本も少しくらいはいい事もしたのかもしれないけれど、日本は韓国に侵攻して彼の地を植民地化し、彼等から言語と文化を奪い取り、迫害・圧迫し、被差別の対象とした事実を、決して忘れてはいけない。

 アメリカの国際戦略に組み込まれる事で、日本は戦後の賠償責任を免除され、謝罪もろくにしていない。

 ただ加害者である僕等には、彼等に僕らを許すのか許さないのかを決めさせる権利は無いし、その僕等の国の首相が軍国主義の象徴を参拝する事に烈火の如く抗議する国民に対し、「あんなのはやり過ぎだから何とかしろ」と言うのは、それこそ内政干渉と言うのではなかろうか?

でも竹島は返してね♪


そしてこのお話は、過去記事のこいつへと繋がって行く。
http://mizzie-cafe.tea-nifty.com/sf/2005/10/__4256.html



相手の苦しみを思いやる、「共苦」って感覚は大切だよな。
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2006.08.21

古傷

 僕は峠小僧だった頃の分を除いても、バイクでの転倒は3桁で、しかもその3桁、左端の数字は2以上の整数。ってくらいたくさんのクラッシュを経験している。

 岡山国際(旧名称;T&Iサーキット英田)や鈴鹿を走っていた頃の転倒なんか、ウチの親がその映像を見たら気絶しちゃんじゃないか?ってくらいの激しい奴(6速全開でハイサイド)も何度かやっている。
 もっとも、レース専用コースと言うものは高速走行を前提に設計されているから、鈴鹿なんかあの長いコースで車速が100km/h以下になる場所が2箇所しなかいのだが。

 そんなフィールドであんなに沢山クラッシュを経験しているから、体中あちこちが傷だらけな訳で、靭帯は切ってる背骨は折ってる粉砕骨折はしてる脳外傷は負ってる全身合計で100針以上縫ってる、僕の体は内臓以外は全身ボロボロだ。

 脳外傷で脳機能に傷害が残っている僕は、目に映る景色が常人とは異なってるし、聴覚からの情報が記憶に残り辛いなんていう、様々な局面でハンデになりうる傷害が残っているし、背骨は腰椎部分で折ってるから腰痛持ちだし、鎖骨を粉砕骨折しているから“気をつけ”の姿勢を取ると左肩よりも右肩が下がっている。


 まぁ、そいつらとはもう随分と長い付き合いだから、こちらの方も慣れてしまったのだが、最近、新しい“古傷レパートリー”に悩まされている。


 普通に歩いていても、右膝の膝蓋骨がずれて膝が内転するのだ。

 一歩ごとの痛み自体はまだ軽いのだが、一歩ごとに痛むので結構、というかかなり辛い。しゃがんだ状態から立ち上がるときなど、「バキッ!」なんて音と共に膝に激痛が走る事もある。
 僕の右膝は靭帯を切っているだけでなく、もう数え切れないくらい捻挫したりくじいたりマシンから140km/hくらいの速度で放り出されて膝を地面に叩き付けたりしているので、どれが原因で今こんなに痛いのか特定が出来ない。
 サポーターで膝蓋骨を固定すると痛みが和らぐから、ちょっと高級なサポーターを買った方が良さそうだ。

 しかし入浴介助の時に困るなこれは・・・。


そりゃ随分と痛そうだな。って思ったらクリックしてね。

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健康、幸福に降伏する

 連休明け、出勤すると僕がここで勤め始めた当初からずっと、いちばん親切にしてくれていた入所者さんが、容態悪化で一般病棟に転棟になっていた。
 僕が最後に出勤した日の夕方に外泊から帰ってきたこの方、帰ってきた当初から体調が少し悪かったのだが、僕が終業して帰った後、血糖値が物凄く高くなって、熱発して食思もなくなりどんどん衰弱して、一般病棟に移ったのだそうだ。

 糖尿病を患っていたこの方は、食事制限で食べられる物が色々と制約を受けており、間食も規制されていたのだが、同じフロアの仲良し入所者さんからしょっちゅうお菓子を貰ってつまみ食いをしたりしていて、よくケアマネさんから注意を受けたりしていた。

 「外泊中に(好きなものを)食べ過ぎたんやろうねぇ・・・。」

 と職場の先輩は言っていたし、それは多分その通りなのだろう。

 でも、目の前にある美味しい食べ物をガマンする事が、人生における4大苦行の一つになっちゃう。ってくらいの食いしん坊なmizzieとしては、食べたいものも食べられないまま医療的監視の下で暮らしてきたこの方が、外泊中に食べたいものを食べてきたそれに、理解も共感もしてしまう。

 そこにあるリスクはきっと承知の上で、でも不自由な長寿よりもリスク覚悟の自由を選んだのだとしたら、それは本人にとってはそれで良かったではないか?とも思える。
 僕だって、「甘いものを食べたら死んじゃう」という状況で、Zanze’s cheese cakeのBlue berry cheese cakeを目の前に置かれたらきっと食べる。Saori sweetsの大吟醸チーズケーキなら迷わず食べる。

 強制的節制から開放されたこの方は、その反発?で美味しい物を沢山食べてきたのだろうが、でも、その食べてる間はとても幸せだったと思う。

 “医療“を冠に掲げる施設側にしてみれば、糖尿病を持病に持つ入所者の糖のコントロールに失敗した、と言うのは、許し難い失態になるのだろうが、しかし”健康“と”安全“に、個人の幸福を奪ってまで固執する価値が、果たしてあるのだろうか?

 そんな事を言っている僕は、福祉には向かないのかもしれない。



いや、お前は福祉で生きてく素質はあるぞ。
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2006.08.20

脳味噌ウニ化現象

 僕は時々、自分でも訳が判んなくなるくらい、変な事がアタマに浮かぶ事がある。ロジカルの対極に位置するそれらは、突然僕の意識下に飛び出してくる。

例えば突然アタマに浮かび上がる、やる気ナッシングなこの言葉。


 チヂレ麺のところてん

他にも、TVCMを視てたら、

 キシリトール入りガム わさび味

ハンバーガショップの看板に、

 カバ焼きウナギバーガー

『辛子マヨネーズ』の袋を見て、

 辛島ヨネ‘s
 (ヨネさんの所有物だ!買えねえ!!)

他に、新聞・社会面を見てても

 ウラン、イラン濃縮開始
 (ああ、イランが縮んで行く・・・)

 って感じで、短いセンテンスのワケワカンナイ文章が突然アタマに浮かんでくる。
 時々、次々とアタマに浮かぶそいつが止まらなくなる時もあって、自分ではその状態を「脳ミソがウニになってる」と表現する。

 ほらまた、

 当たりつきサバ、種無しピーナツ、プリントTシャツ「免停」、土方のじーちゃんばーちゃん達がたむろする、『老人土建施設』、ダンサーによる訪問タンゴ、トロピカルな訪問サンゴ、職場早起き夜襲、マグロのおどり食い、etc. etc.
(これらを映像化して想像してみて下さい)

 食べ物の事が多いのはきっと、僕が食いしん坊だから。



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2006.08.19

やらない事をやる、選ばない事を選ぶ

 僕の基本的行動基準として、「やらなかった事を後悔するよりは、やった事を後悔する方がいい」と言うのがある。ただこれには前提条件があってそれは、

“自分で決める事”

 である。

 「他人の助言に従って」は絶対にやらない。全て自分で考慮し、判断し、決断する。その代わり責任も自分で取る。

 「迷ったらやる」のが僕だけど、「迷いがあるうちはやらない」を選ぶ人を批判したり否定したりはしない。どちらも、自分で決断を下しているからだ。

 色んな情報を集め、熟慮し、やらない事を選ぶ時、その人は「”それをしない事“を(決断)している」と言うことになる。

 「流行りだからなんとなく」
 「みんながやってるから自分も」
 「やる事を薦められたから」

 で始めた事で後悔するというのは、僕にとっては「やらなかった事を後悔する」のと同じだ。そうじゃない、やらない事を決めた人と言うのは、「薦められてやった事を後悔するよりは、自分で判断した”やらない事に決めた自分“を後悔するほうがマシ」と決断した人の事だ。

 二つの選択肢がある時、やらない事を決めた人は、選ばない事を決めた人は、「”それをしない方”をする事にした、“それを選ばない方”を選ぶ事に決めた」人だと言える。

 それが自分の判断で決めた事なら、そしてその責任を背負う覚悟が出来ているのなら、その決断はもっと尊重されていいと思う。
 やらなかった自分を、選ばなかった自分を、過小評価してはいけない。


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自分を過小評価しないでね

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2006.08.18

宗教について考える

 中東は相変わらず、宗教の違いも背景に含ませた戦争をしている。

 レバノンでの闘いは難航したが何とか停戦合意が成立したので、戦火が止んだ状態が一日でも長く続く事を願っている。しかし宗教と言うものは、

 右の頬を張られたら、左の頬を差し出せ。

 と説いておきながら(現実に争っているのはユダヤ教とイスラム教なので、この教義は適用されないのかもしれないが・・・)現実世界では、

 右の頬を張られたら、左の頬を蹴飛ばせ。

 を行っている。
 イスラエルなんか右の頬を張られたら、左の胸を突き刺してる。

 宗教について調べていて判ったのだが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教は、僕等日本人のような多神教を信仰してきた民族にとって、理解し難い理論で生きている


 例えば多神教である仏教には、薬師如来や大日如来など、沢山の種類の神様がいて、それは宗教の多様性を受け入れる素地にもなっているのだが、一神教の場合はそうでなく、自分達が信じる唯一絶対の神がいて、それ以外の神を信じる者は自分達の信じる神を冒涜する邪教の徒と言うことになり、それを廃する事は正義になるらしい。
 実際、戦国時代に織田信長が比叡山を焼き討ちし、僧兵もろとも信徒達を虐殺した時、当時の日本に宣教に来ていたローマ・カトリックの宣教師は母国に、「ノブナガは素晴らしい事をした」と報告していたそうだ。
(参照 『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』井沢元彦:著 徳間書店 刊)

 そんな難しい事はどうでもいい。
 どうして宗教に入れ込んだ人というのは、あんな風にある面で横柄、ある面で傲慢、ある面で他人の事などおかまいなしになれるのか?

 「正しい教えを信じて正しい神に従って正しい事をしているあたしは、とにかく正しい。」

 盲目的に自己の正当性を信じる彼等は、相手の意図などお構いなしに、自分の信仰を他人に押し付けてくる。

 いや、だから俺はいらないって。

 異教徒は地獄に堕ちますよ。

 あんたの神は恐喝をするのか?

 確かに、全てを神に委ねてしまえばラクチンだろう。
 色々なソースから判断材料を集め、熟慮して決断し、その決断に対して責任を取るというのは時間も手間も掛るし疲れる。


 じゃあ、全部神様に任せちゃおう。

 それでうまくいかなかったら?

 それはあなたの信仰が足らなかったという事です。


 実にイージーだ!!

 ただ、神様を信じてさえいればいい。
 そこには自己責任も自立も自尊も努力も苦労も皆無。面倒ごとは一切無し。
 いい事も、悪い事も、全ては神の思し召し。土の塵で作られた人間などが介入するなど神に対する冒涜だ。
 下賎な人間は、黙って神の意図に従ってさえおればよい。

 全くイージーだ。全てを神に委ねて放棄する。

 宗教には利点が数多くあるのも事実だ。
 本当に弱りきってしまった者達に、心の支えを与えていると言う現実がある。
 宗教と言う自分軸を拠り所に、難局を乗り越えたり、公共に自己を捧げたりする人がいるのも事実だ。

 それは俺だって認めるよ。でもあんたの勧めるそいつはいらないって。

 生憎だけど俺は、何かに全権委任してただついてくだけってのが嫌いな性分でね。全てを委ねて迷いなく突き進むよりは、躊躇いながらでも自分で考えて決めていく方を選んだんだ。

 そんな俺は地獄に堕ちるって?

 じゃあ、地獄に堕ちた皆で組合を作ってストライキでもやるよ。


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2006.08.17

明日は我が身 ~破綻した夕張市~

 「夕張メロン」や「夕張炭鉱」で知られる、あの夕張音楽祭なんてイベントが催されていたりもする、小学校高学年以上の日本人なら誰でも知っているであろう位に有名な街、夕張市がこの度、『財政再建団体』となった。

 財政再建団体というのを物凄く判り易く説明すると、その自治体の収支の均衡が崩れた結果、借金が物凄く膨らんで返済が極めて困難(って言うかほぼ不可能)な状態になり、自治体独自での借金返済が出来ないので、自治権を放棄して国の指導・監督の下で借金返済をするようになった地方自治体の事だ。

 もっと簡単に言っちゃうと、財政再建団体になった夕張市は、地方自治体として破産したという事だ。


 財政再建団体になると、自治体はその自治権を国にゆだねる事になるのだが、そうすると借金返済の為に国が助けてくれるのかと言うと、そんな事は全くない。

 財政再建団体となった自治体では、国家の(厳密には総務省)指揮、指示、監督の下で、大幅な歳出削減策と歳入増加策が実施される事になる。

 具体的に言うと、歳入増加策としては地方税の増税、保育料、住民票などの交付手数料、水道料、公的施設などの施設使用料が国基準の最高額近くまで増額される。
 歳出削減としては投資的経費(学校や道路建設など)が抑制され、環境、教育、福祉事業への予算が、基準の最低値近辺まで引き下げられる。
 つまり、財政再建団体になると、住民の公費負担額が上がり、行政サービスの質は著しく低下する。

 財政再建団体となった夕張市の市民はこれから、国が策定した財政再建プランによる公費負担増と行政サービス低下を受け入れ、財政健全化が達成されるまで自治体行政失敗の尻拭いを強要される事になる。

 ああ夕張市民もタイヘンねぇ・・・。なんて、この話は決して他人事ではない。

 地方自治体の借入金残高は2004年度で既に204兆円(その金額は一般歳出額の約3倍、GDP比の40.7%に相当する)に達し、2003年度の地方財政白書(総務省)によれば、地方自治体の歳入に占める公債依存度は14.5%に達している。一般に、財政に占める公債依存度が15%を超えると警戒ライン、20%が危険ラインと言われ、14.5%は全国平均値なので、20%を超えている自治体は全国に相当数が存在すると思われる。

 今自分が住んでいる街が、自分の知らない内にある日財政再建団体になるかもしれない。その可能性は殆ど全ての地方自治体に存在する。

 実際、私の住む高知市は歳入に占める地方債依存度が12.2%と辛うじて警戒ラインを下回っているが、高知県の黒潮町では20.7%と危険ラインを超えており(参照;高知県企画振興部市町村振興課)、ここも、いつ財政再建団体に陥ってもおかしくはない。
 全国規模で見れば、このように危険ラインを超えた財政運営をしている自治体は相当数が存在すると思われる。

 公務員の行政の失策の責任を住民が負わされると言うのは、一見アンフェアに見えるが、建前上とは言え民主共和制の政治システムを持つ日本において、行政の失敗に住民が責任を負うと言うのはある意味、理にかなってもいる。
 日本国籍を持つ市民には、行政府の行動を監視する権利がある。
 選挙権もある日本国籍保持者は、投票行動によって政治のあり方を選ぶ義務がある。
 財政再建団体に陥った自治体を、直接に運営する地方議会議員と首長を選んだのは、その行政区に住む住民なのだ。
 自分達が選んだ議員・首長の失策に、住民が責任を負うのは当然とも言えよう。

 行政府の失政に文句を言う資格があるのは、野党に投票した者だけだ。無投票は、当選した候補に投票したのと同じ意味を持つ。
 投票率50%の選挙で過半数を得て当選した候補は、全体の4分の1の指示しか得ていない。投票率が現状並みに悪ければ、全体の25%の利益代弁者が全体を支配出来るのだ。
 そうして、その2割ちょいの支持しか得ていない連中がやりたい放題をやった結果、この国はこんなひどい国になった。でも、それを政治家のせいにするのは国民の責任逃れ以外の何者でもない。

 財政再建団体に陥った自治体は、住民の支持を得てその政治を行って来た。無関心は、民主主義の国では「それでいいよ」の意思表示と同義となるので、行政は公債依存の予算を組み続けてきた。自治体が借金まみれになったのは、住民がそれを望んだ、或いは否定しなかったからだ。


 そしてもうひとつ、日本人が忘れてはいけない現実がある。

 平成18年度予算における、この国の公債依存度は37.6%


参照
みずほリポート「地方債制度改革における論点」 みずほ総合研究所

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ささやかな抵抗 学校編

 中学校の頃、現国の授業で「俳句を詠め」と言うのがあった。
 当時の僕はふざけて、
「夜の街 水の女は 同級生」
 と言う川柳を詠んだ。もちろん返却・再提出だ。

 ダメ出しの理由について、「中学生らしくない」とか、そう言った類の反応を予想したが、教師は私の予想に反し、「季語が無い」と言ってきた。川柳ではなく俳句なのだから、季語を詠みこめ。だそうだ。

 (そーか、季語さえあればいいんだな。)
 で、僕は、
 「夏祭り 桜稲刈り 雪だるま」

 という句を詠んで、再提出した。
 これはきちんと受理された。

 今思い返しても、中々にいい先生だったと思う。


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2006.08.16

行かせたい靖国、行かせたくない靖国

 日本ネオコン友の会(仮称)の主要メンバーである濃い済(誤字)氏が、日本の終戦記念日でアメリカの戦勝記念日で韓国の開放記念日である8月15日、靖国神社を公式参拝した。

 中韓は早速烈火のような抗議声明を出し、韓国の盧武鉉大統領も、かなり強い口調での非難と抗議の声明を発している。
 まぁ、彼の場合はここでありきたりな抗議しかしてなかったとすると、支持率が低下気味の政権が危機に陥るので、徹底的に強気に出るしかないという国内事情もあるが。

 退任前のご褒美で、アメリカと中東を訪問した故意炭(誤字)氏は、アメリカ訪問時にブッシュ大統領から直に、「対中関係を悪化させるような事のないように」的な事を言われておきながら、自身の公約にこだわって、8月15日に靖国神社を公式参拝した。

 首相任期終了直前に公式参拝をしたのは、自民党の支持母体でもある(財)日本遺族会と、戦友会等(遺族会と合わせた総数約2000万人)への公約を果たす為、言い方を変えれば選挙対策と票固めが最大の理由だと思う。直接的には、自民党は遺族会の持つ数百万票を手放したくなかったのだ。投票率が低下し続ける昨今において、彼等の票は重要だ。

 「アジアは一つにまとまるべきだ!」と、「一般庶民を大量に無駄死にさせた奴等を崇めるなんて出来るか!」と言う理論で靖国神社には否定的な僕だが、この国では僕のような意見は、異端となりつつあるようで、「国の為を思って戦場で散った命に、現代に生きる我々が感謝と鎮魂を願い、不戦の誓いを立てるのに、諸外国に文句を言われる筋合いは無い!」と言った意見が増えつつある。

 日本ネオコン友の会(仮称)の主要メンバーとして、この国をもっともっと右傾化させて、特権階級の利益最大化を狙う小泉としては、もう笑いが止まらない所だろう。

 ーあの戦争は、負けて当然の戦争だった。

 これは僕の一貫したスタンスだ。
 確かに、前線の兵士達は本気で祖国の為、国民の為を思ってその命を犠牲にしたのだろう。

 それだからこそ、僕は思うのだ。

 本当は全然、国民の為では無い戦争だったのに、その戦争で無駄死にさせられた彼等を、その彼等に「死んで来い」と命令した連中と共に、そして戦前の軍国主義教育の象徴だった靖国神社に祀り、彼等に感謝を捧げ鎮魂と不戦の誓いを立てると言って、そこに公共の利益を第一義に行動する事を仕事とする、一国の首相が行く。と言うのは、ちょっとおかしいのではないか?と。

 「お国の為」と信じて戦場で散った同胞達には、もちろん感謝と慰霊と不戦の誓いをしなければならない。先の大戦で死んだ300万人以上の同胞の命は、とてもとても貴いものだ。
 これに異論をとなえる日本人はおるまい。

 しかし、彼等は本当にお国の為には死なせてもらっていない。

 先の大戦、主な戦場は沖縄以外は全て外国だ。

 先の大戦で、純粋に国土を守る為に死んだのは沖縄戦の戦死者くらいのもので、それ以外は殆ど全て、外国にあった日本の占領地を巡る戦いか、戦争中に獲得した拠点を巡る戦いで戦死している。

 戦争指導者達の戦争遂行プランとして行われた、どこか遠い外国での戦闘で命を落とした者が殆どなのだ。

 大東亜共栄圏とか、八紘一宇とか言った耳障りのいい宣伝文句で騙されて、時の権力者の欲望充足と外交政策失敗の尻拭いをさせられ、さらに軍の高級官僚が立てた机上のプランで、実現不可能な作戦に投入させられ遠い異国で無駄死にさせられた人達なのだ。
 それが如何に不毛で無駄な戦いだったか、興味があるならポートモレスビー攻略戦やガダルカナル攻防戦、インパール攻略作戦についての戦史を調べてみたらいい。


http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/responsibility.html#newginia
http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/responsibility.html#gada
等を参照

 その事実には目を背け、ただ、英霊に謝意と鎮魂を祈る。と言うのは欺瞞だ。

 もちろん、過去の戦没者に対する慰霊施設は必要だ。
 時の権力者達に巧妙に騙されていたとは言え、祖国の、国土の、家族の為を想って命を投げ出した若い同胞達が数百万人いたのは事実なのだから。

 ただ、それが靖国である必要は無いし、靖国であってはいけないと僕は思う。

 あの戦争で命を散らせた、享年が今の僕よりも一回り以上年下だった兵士達は、物心ついた頃から軍国教育を叩き込まれ、

『国家の為に死ぬ事は尊い事で、戦死すれば軍神として靖国神社に祀られ、それは日本人としては栄誉である。』

 と信じ込まされていた人達なのだ。

 つまり、靖国神社とは軍国主義国家日本を象徴する、庶民に権力者の為に命を差し出せるシステムのシンボルなのだ。

 その、庶民が権力者の為に命を捧げるシステムの象徴に、300万人の日本人を犬死にさせた、アジアで2000万人を殺した責任者達が祀られている。

 そこで過去の戦争を、犯した過ちを悔い、慰霊と鎮魂と不戦の誓いを立てるというのは、ちょっとおかしいのではないか?

 極東軍事裁判で裁かれた戦争責任者が合祀され、彼等の分祀を拒んでいるのは靖国神社だ。
 政教分離の原則から言っても、一国の首相が特定の宗教団体を詣でると言うのは問題ありなのだが、神道から離れ、慰霊の為の特殊法人となり、宗教法人ではなくなる事を拒み続けているのも靖国神社だ。(ちなみに、靖国神社は神社本庁他の包括宗教法人には属さない単立神社である)

 本当に先の大戦の犠牲者に慰霊と鎮魂を捧げたいというのならば、戦争責任者を除外した慰霊施設を無宗教で作ればいいのだ。そうすれば、慰霊はして欲しいけど家族を死なせた責任者と一緒に祀って欲しくないと言う遺族からも、先の大戦で自国民を殺された周辺諸外国からも、理解が得られよう。

 分祀を拒否し続けている靖国神社は反対するだろうが、政府と一宗教法人と、どちらが力が強いのかくらいは誰が考えても判ると思う。

 そこでもう少し考えて欲しい。

 何故、国は靖国にこだわるのか。

 誰が、一番の利益を得ているのか。

 誰がこの先、新たに利益を得る事になるのか。


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2006.08.15

アクセス解析 経由サーバー編

 niftyのアクセス解析機能は物凄く細かい所まで判るので、見ていて面白いからここ数日はずっと、時間がある時はそれを見ている。

 アクセス時間とかアクセス数とか滞在時間とかは見てても・知っても面白くも何ともないんだけど、「生ログ」と言う、訪問者毎のデータを見ていると結構面白い。

 こいつを見ると、このブログにやってきた人が何日の何時に、どういった経路(検索サイト経由か、他のHP or ブログ経由か、ブックマーク登録によるURL直接入力か)でここに来たのか、どのページを見ていたのか、検索サイト経由の場合はその検索ワードは?なんて情報から、使用OSと使用言語、どの街にある、どのサーバーからアクセスしているのか、なんて事まで判ってしまう。

 個人が特定出来ないようにと、そこら辺りの配慮はきちんとされているのだが、そのデータを見てると「あ、○×さんだ。」とか、「これはきっと△★だろうな」なんてのから、「こんな人まで見てくれてるんだ」って事までが実に良く判る。

 英語で記事を書くこともある僕のブログには、海外から来てくれる方も結構いて、日本国内からのアクセスの場合はどこの県からアクセスしてるかは表示されるんだけど、県名表示が無い場合は、アドレスの最後、.ne.jpの「jp」に当たる部分を見て推測します。

 海外アクセスの場合は、僕の記事が英語で書くから英語圏の方がメインになるのは当然ですが、そう言った海外アクセスの彼等のPCの使用言語で、海外の日本人からのアクセスなのか、現地人のアクセスなのかも推測出来ます。
 海外アクセスにはアメリカやカナダ、オーストラリアの様な英語圏の国々だけじゃなくって、韓国(海外アクセスではアメリカの次に多い)や中国、フランスやドイツやポルトガルからのアクセスもあって、それはこちらとしても嬉しかったりします。

 で、そう言った海外アクセスの方達のアクセス経路を見ていて気付いたんですけど、海外のgoogleとかには翻訳機能もついているから、その機能を使って?英語記事にアクセスした海外アクセスの方が、他の日本語記事に訪れてくれてたりもします。(アクセス解析でその方の移動履歴を見ると、英語記事→日本語記事→google→日本語記事となっている)

 自分の書いた日本語記事がどんな風になっているのか、興味があった僕はアメリカのgoogleから検索を掛けてこのブログをhitさせ、さらに翻訳機能を使って英語に翻訳された僕の記事を読んでみた。

 英→日の無料の翻訳ソフトって、「なんじゃそりゃ?」な翻訳をしてくれますが、それは日→英も同じな様で、googleの翻訳機能で英訳された僕のページは、ちょっとそれは・・・って英文に訳されています。それじゃ記事の意味はある程度日本語が判って、何を言おうとしてるのかが推測が出来る人じゃないと判んないって。

 また日→英の翻訳ソフトには『々』を訳す事が出来ないようで、英文の中にポツンと、「々 」って表示されていました。

そーえいば最近は英語記事書いてないな・・・。
そろそろやっとこうかな?

PS
 アクセス解析の接続サーバー、nevada.eduや、stanford.eduarmy.mil(げっ!米陸軍!!きっと英語でアメリカをけなしまくる記事を書いたからだ!!)、とか、フランスやシンガポールからなんて海外アクセスの他に、『衆議院』なんてのもありました!!


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2006.08.14

おバカさん国家大日本帝国

 終戦記念日(ちなみにアメリカでは戦勝記念日)が近いので、ちょっと過去の戦争について調べてみた。

 大日本帝国軍の戦略構想とその戦術。

 軍事はシロウトの僕が見ても、呆れる程のおバカさんぶりである。

 今の基準で考えても、おっそろしく遠い所まで兵を進めているのだ。
 その拠点にその規模の兵力しか投入しないでおいて、兵士の休養はどうするつもりだ?戦死・負傷兵の補充は?武器弾薬以外の、食料とか医薬品とか兵士の衣服とか雑用品とか、補給は一体どうするつもりだったんだ?
(現実は、現地調達をしていたようだ)


 世界地図に描かれた、日本軍の進軍した勢力図を見ていると本当に馬鹿だと思う。開戦当時の海軍大将は、「開戦から半年は戦果を挙げる事も可能だが、長期戦は維持できない」と言っていたらしいが、その大将がブーゲンビル島で戦死した後どうなったかは、歴史が示す通りである。

 当時の日本の軍事力は、装備と兵力だけでも世界の5大国に数えられていた(ちなみに今も、予算だけなら世界第4位だ)くらいなので、それを集中させてまともにぶつけておけば、戦術的にはアメリカも苦戦を強いられただろう。

 しかし、おバカさん国家大日本帝国は、戦線を拡大して兵力を分散した。
 艦艇の総トン数が世界第3位の国が第1位の国と戦争をするのに、その艦艇を幾つもの艦隊に分散させて各戦場に派遣するのだ。
 戦力で上回っているんだから、後は各個撃破すればいい。
 例えこっちの戦意が低くて状況が悪くても、兵力が3倍もあれば楽勝だ。

 その条件で、なぜ兵力を分散した?
 さらに、なぜ兵力の出し惜しみをした?

 そうして、兵力の分散と逐次投入をした日本軍は、分散させた各地で各個撃破されて兵力を失い、補給路を断たれて戦争継続が困難になり、自国民が飢えるまで資源を枯渇させて戦争に負けた。

しかし、前線展開図を見ていると、戦略的に負けている戦争に、絶対に勝てない戦術で挑んだとしか思えない。

 戦争を美化したい、敗戦の事実に自尊心を傷つけられたくない日本人達(日本ネオコン友の会 /仮称)は、敗戦の原因を物量の不足と科学や情報の技術差に収斂させたがる。

 しかし、敗戦の原因は開戦した事なのだ。
 あの戦争は、負けるべくして負けた戦争だ。

 ボロボロになりながらも、かろうじて“勝ち”の形を繕った日露戦争の後、壊滅の言葉すら生温い程の被害を被ったノモンハン事件(兵力の3割が損耗すれば壊滅と言われるが、ノモンハンでの日本軍兵士損耗率は7割!!)までの間の日本に、一体何があったのかはまだ良く判らない。

 ただ、中国に覇権を求めて出兵した辺りから、日本中が焼け野が原になる伏線はひかれていたような気もする。

 我が兄に言わせると、「いや、ロシアと戦争をした時からだ。」となるらしいが。

参照記事
日本陸軍における責任



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2006.08.13

「死ぬ」という事。

 クラッシュ前後の記憶が無いので僕には判らないが、僕は鈴鹿サーキットで一度死に掛けた事がある。
 心停止状態で僕が鈴鹿中央総合病院に運ばれた後、鈴鹿サーキットから僕の実家に、「息子さんが事故にあわれて、ただ今重篤状態で病院に運ばれています。すぐにこちらへおいでて下さい。」との連絡を受け、取るものも取りあえず高知から鈴鹿まで向かう道中、両親は奇跡を祈りながら車を走らせたのだそうだ。
(そして奇跡は起きた)

 また、僕は決して少なくない知人・友人を、サーキットで亡くしている。
 ほんの小一時間前にスターティンググリッドで健闘を誓った友が、処置台の上で冷たくなっているのを見るのはとても辛いものだ。
 死んだレース仲間の内、最も仲の良かった一人には葬儀だけでなく斎場まで他のレース仲間と共に同行したが、小さな骨壷に入った息子を抱えた彼の父親を見た時、「絶対に親よりも先に死んではならない」と固く誓ったのを覚えている。

 事故や災害などでの突然死ほど、残された者に傷跡を残す死に方は無い。長生きした後とは言え、心筋梗塞で突然にこの世を去った僕の母方の祖母の場合でも、母や叔父・叔母は深い衝撃を受けていた。

 病院勤務という立場上、短い間だがいくつもの死を見て・関わってきた。休み明けに出勤すると、自分の担当だった患者さんが亡くなっていて、遺体処置やエンゼルメイク(死化粧)を同僚と共に施した事もある。
 ゆっくりと死んで行く人達が殆どなのが療養型医療介護病棟なので、死は日常の中にある。静養室で心電図等のモニター機器に繋がれた、「そう長くは無い人」を見るのにも、すっかり慣れてしまった。

 でも、僕だって誰かが死ぬのを見るのは嫌だ。

 終末期医療に関わり、また心理学に強い興味を持つ僕は、「死」を宣告された末期癌患者の、死を受容するまでの心理的変化等に対する知識もあるが、自分が、家族が、死を宣告された時、周囲は、自分は、それにどう対処すればいいのだろうか?



 「はっきり言います。持ってあと3ヶ月です。」

 もし自分が、家族が、余命が幾許も無い事が判ったら、はっきりそう告げて欲しいと思う。癌などの場合は最後の数日はベッド上、臨終寸前は意識不明だと思うが、まだ自力での生活が維持できる能力がある内は、好きなことをさせて欲しいし、好きなことをさせてあげたいと思う。その為にも、自分が、家族が、余命が幾許も無い事を知る事は大切だし重要だ。

 「やらなかった事を悔いるくらいなら、やってしまった事を後悔しよう」
 をモットーとしている僕は、オートバイレースも死にかけるまで(と言うか死ぬまで)やったし、移民ビザを取ってアメリカでも暮らしたし、とにかく「やってみたい!」って思った事は結婚意外は全部やってきた。
 だから、もし家族が余命を宣告されたとしたら、後悔しないくらい家族孝行したいと思っている。

 僕はおばあちゃんっ子だったクセに、父方の祖母がパーキンソン病で入院した時、死ぬまでに一度しか見舞いに行かなかった。当時がレースで忙しかったという事情もあるが、この事実は今でも、僕を後悔の念に駆らせる。

 あんな思いは二度としたくない。



 人は、必ず死ぬ。

 金持ちも、貧乏人も、乞食にも、君主にも、平等に死は訪れる。
 だから、死ぬ時は納得ずくで死にたいし、死なせてあげたいと思う。
 周りが納得してから死にたいし、周りを納得させてから死なせてあげたいと思う。


This article is inspired by

http://www.biwa.ne.jp/~s5009/saito2/okaachiyan

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2006.08.12

アクセス解析

 僕の使ってるブログはアクセスカウンターが付かないみたいで、更新は毎日してるけどコメントもTBも全く無い記事とか結構沢山あるから、

「見てる人いるのかな?」

 ってずっと前から思ってた。

 でも、帰国してからは

それなりに時間も出来たし

(アメリカの大学は宿題がスゴい上に、僕はセルフスタディとして過去のエッセーテスト問題を入手し、ほぼ毎日1500~2500単語くらいの論文を英語で書いていた)、ネットは常時接続定額の光ファイバー接続だし、書きたい事が次々とアタマに浮かんでくるしで、更新は頻繁、多い時は一日に4回もしてた。

 うん。我ながら無駄な労力を使っとる。
 そう思っていたが、元々が「書く事」が好きな性分なので、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつづっておりました。

 が、こないだniftyのブログにはアクセス解析機能なるものがある事を知り、ちょっと自分のブログのアクセス解析って奴を覗いてみた。

 結果。

 総アクセス数、11000弱。

 一日の平均アクセス数 127

 一日の訪問者数 100人前後

 あらまぁ!!そんなに沢山の人が来てくれてたのねん♪
 この方達が皆、下に貼ってるブログランキングのアドレスをクリックしてくれたら、ブログランキングで間違いなく「介護・福祉ランキング」のトップ3に入っちゃうんだけど、それが出来てないって事は、僕の記事はまだまだ面白みには欠けてるって事なんだろうなぁ・・・。

 もっと精進せねばっ!!!

 ランキングの話は置いといて、niftyのアクセス解析機能はかなり細かい事まで解析してくれるので、それらのデータを見ていると結構興味深かったりもする。

 介護ブログのクセに政治について語ったりもする僕だけど、ページ別のアクセス数では、介護系の話よりも国際・政治・経済関係の記事がよく見られている事が判る。過去に最もアクセス数の多かった記事が、あのブログの女王、眞鍋かをり嬢にトラバした記事だった。ってのはちょっと複雑な気分だったけど・・・。

 で、さらにアクセス解析を見ると、僕のブログを訪れた人がどこを経由して訪れたのかも判る仕組みになっている。これもやはり、かをリ嬢のブログ経由で訪れている人が最も多かったのだが、ブックマークに登録してくれて、直接そこから来てくれている人も結構いる。訪問者の約25%はそう言った常連さんだ。(感謝♪)
 しかし、グーグルなどの検索サイト経由で来る方も結構いて(検索ワードが何だったかも判る)、そしてそう言った方の殆ど全てが、僕か書く硬い政治的な記事にやってくる。
 過去一週間、単独で最も長い時間見られていた記事は『Don’t quit』だが(なぜ?)、2位と3位を広島と長崎の原爆について書いた二つの記事が占めている。

 カタい記事は反応が無いので減らそうかな?とか思ってたけど、予想以上によく読まれているようで、こっちも記事の書き甲斐があろうってもんだ。

 時間別、曜日別アクセス数なんかもわかるんだけど、週末は皆さんPCの前に座って・・・なんて事はあんまりしてないようで、土日のアクセスが最も少ない。時間帯は満遍なくアクセスされてて、早朝4~6時とかのアクセスもあるんだけど、こっちは多分、シスコ滞在時の友人知人達だろう。

 思ったよりも随分と沢山の人が見てくれていたこのブログだけど、リピート率はかなり悪くてたったの5.9%。最も総計3000人弱なので、約150人が何度も訪れてくれている事になる。

 面白かったのが、訪問者が使っているプロバイダ。
 niftyとかsonetとかdionとかyahooとか一般のプロバイダに混じって、会社のサーバー経由で来てる人が結構いるのだ。
 しかも東証一部上場してるような有名企業。
 来てくれるのはととても嬉しいんだけど、、、仕事サボっちゃだめじゃん(笑)
 他にも大学生?慶応とか大学関係のサーバー経由もいて、でも僕はCCSFやSFSUには友達がいるけどUCSFには知り合いがいないから、誰か日本人留学生か、英語記事にやってきたアメリカ人のどっちかだと思うけど、大学経由も結構ありました。
 政府関係も地方自治体のサーバー経由はあって、「こら公務員!仕事サボってるんじゃない!」って感じです。でもここに来るのは歓迎だよ(矛盾)

 アクセス解析してみたら意外な事が沢山判明したこのブログの訪問者達。これからも、いつでも何度でも遊びに来てね!!

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2006.08.11

靖国神社参拝 Vol.2

 過日の記事で僕は、「日本の総理大臣は靖国神社に参拝すべきではない」と書いた。

 この記事にはアクセス数も結構あって、このトピックに関心のある日本人は決して少なくは無いんだと思われる。また、コミィさんからのコメントで、靖国神社の存在意義のようなものを知る事も出来た。

 僕の個人的見解としては、周辺諸国のコンセンサス、というか同意が得られるまでは、国家元首は靖国神社には公式参拝をするべきではないと考えてる。
 アジアは一つにまとまって白い侵略者どもに対処していかなければならないのに、こんな事で内輪もめをしている場合では無いのだ。

 今世紀に入ってから急速にその勢力を拡大しつつある『日本ネオコン友の会(仮称)』の皆様方は、周辺国の反発に対して「内政干渉だ!」とか、「言いたい事は言うべきだ!」とか言っているけれど・・・、

 先の大戦、確かに僕等はチャーチルとルーズベルトの挑発に乗せられたのかもしれないけど、そして僕等はひどく傷つけられたけれど、同時に沢山の人を傷付けた。

 だから僕は思うんだ。僕等はあの沢山の人達を傷付けた罪を、一生背負って生きて行くしかないんだと。

 「これは私の心の問題だ」なんていくら主張したって、何も解決なんかしない。

 英霊達に不戦の誓いを祈る事で、やってしまった過去が魔法みたいに取り消されるとでも思ってるのかって。

 生きている間中ずっと、死ぬまで、死んでも、それを感じ続けること。痛いって思い続ける事が、命を捧げた彼らの為に僕等が出来る事だって。

 アメリカで暮らしてた時、一番意見が一致するのも、一番反発しあうのも、いつだってKoreanの連中だった。

 それで僕は思ったよ。俺達って兄弟みたいなもんだって。

 もうちょっとだよ。

 受け入れられたら、おたがいを。

 もっといい関係になれると思うけどな。俺達って。

 仲違いしてる場合じゃないと思うんだ。

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ゲド戦記

 映画の『ゲド戦記』を観てきた。

 原作がとても面白い作品だったので、ジブリがゲドをやる。と聞いた時、それなりに期待もしたし、原作への思い入れがある分、2時間のエンターテイメントにまとめる事には少し不安もあった。

 あの長編の原作を、スタジオジブリが2時間でどうやってまとめるのか、それを観たいという思いもあり、仕事が休みだったその日、何年ぶりかに映画館に足を運んだ。

 作品としては、とてもよく出来ていると思う。

 監督が伝えようとしているメッセージもきちんと伝わってきたし、感情移入も出来たし、思わずウルウル来ちゃいそうな所もあった。

 ただやはり、2時間で『ゲド戦記』の世界を全て伝える事は出来なかったようだ。原作の長さは『ロード・オブ・ザ・リング』と殆ど同じくらいの大作なんだから、それを2時間で全て伝えようなんてのは如何にジブリと言えども不可能だ。

 映画の『ゲド戦記』は、小説の『ゲド戦記』から登場人物と世界観を借りて、別の物語を作っている。くらいの気持ちでいていいと思う。

 原作は本当に面白く、深い作品なので、映画をきっかけに小説を手にとってくれる人が一人でもいれば、それで充分だ。
 少なくとも、小説版『ゲド戦記』が持つ、メッセージの幾つかは伝わっていると思う。

 原作者のアーシェラさんはとても意図的に寓意的に物語を書く方なので、ゲド戦記に登場するキャラクターが象徴しているであろう物事の背景なんかを考えると、とても深いし考えさせられるし読み応えがあるので、映画版で面白いと思った人は、ぜひ小説版も読んでみて欲しいと思う。(ちょっと長いけど)

 映画版はジブリの作品だから、小さい子供も観る事を前提にしているからだと思うが、原作で書かれている事の幾つかは映画では語られなかったりもするが、原作で書かれたそれには、色々と考えさせられたりもする。

 例えば、映画版ではテルー(テハヌー)は比較的綺麗なキャラとして描かれているが、原作のテルーはその顔に他人が思わず目をそむける様な醜い傷を持ち、その傷は幼少時に親からレイプされ、生きたまま焚き火に投げ込まれて殺されかけた時に出来た傷で、その時死に掛けていた所を偶然通りかかった村人に助けられ、そしてテナーに引き取られるという設定になっている。

 そんな凄惨な過去を持つテルーが、その心の傷の深さと顔に負った傷の醜さ故に、ごく一部の人にしか心を開かず、しかし魔法使い以外で唯一のドラゴンと言葉を交わせる人間となり、そして物語の最後では、どのドラゴンよりも美しい金色の竜となり、風と自由を選んだドラゴンと共に人間界から去っていくというのは、ある意味象徴的ではある。

 また原作のテルーに、当時アメリカで問題になっていた、チャイルドアビュース(児童虐待)の被害者が重ねられているであろう事は、想像に難くない。

 ゲドだって原作では顔の傷はもっと醜く描かれていて、そのゲドが青年期に負った顔の傷もまた、何かを象徴しているといった感じで、この作品はシンボリズムで満ちている。

 そんな感じで、原作には映画が描ききれなかった、描かなかった事が沢山ある。『ゲド戦記』自体が大人が読む事を前提に書かれたファンタジーなので、ある程度の人生経験を重ねた大人が読むと、それなりに考えさせられる事が沢山ある良書だ。

 映画版のゲド戦記はその作品性だけでなく、小説版のイントロダクションとしても、とても良く出来ている。
 ジブリの作品は海外でも高く評価されているので、あれが伝えようとしているメッセージが、アメリカでも広く知られるのだと思うと、期待をせずにはいられない。

 個人的にはスタジオジブリには、向山貴彦氏の『童話物語』を映画化して欲しいんだけど・・・。


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この記事がイマイチでも原作のゲド戦記は面白いよ!

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2006.08.10

再会

今日は夜勤明け公休日なんだけど、目が覚めたら15時だったのでまた複数更新する事にした。あの「しょこたん☆ぶろぐ」には負けるが、カタギの僕としては良くやってると思う。


 「あら?同い年だったんですか!もっとお若いかと思ってましたよ。」
 
 過日に、職場に出入りしている業者さん(女性。ちょっとタイプ♪)から、こんな事を言われた。

 僕は外見が実齢よりも10歳程若く見えるらしいので、僕の実齢を聞いた人は大抵、この言葉を言う。
  アメリカにいた頃は、ただでさえ若く見えるアジア系なのに、そのアジア系からも若く見られるというベビーフェイスだったので、カウンターに座った白人の客がウェイトレスに、

「あのスシボーイは一体幾つなんだい?」

 と聞き、実齢を聞いた後、僕に小声で、

「その若さを保つヒミツは何?」

 なんて聞かれる事も何度かあった。
(そーゆー時は笑顔で、「これを沢山食べる事です♪」と言ってウニを勧める。 ←売上げがチップに響くので)

 他人から若く見られる事もだが、僕個人としては久し振りにあった学生時代の知人とかが、おっそろしく老けているのに驚かされる事がある。
 街角で立ち話をしていても、歩道を一緒に歩いていても、絶対に同い年同士には見えない。
 会社の上司と部下か、ひいき目に見ても再会した部活の先輩と後輩だ。

 学生時代の知人以外でも、この歳になって実際に会う以外で再会する機会が随分と増えた。

 レースをやっていた頃の友人・知人は、バイク雑誌やテレビで見掛ける。
 ネットも、ブログとかじゃなくて公式ファンサイトで再会したり出来る。
 かつてのライバル達が活躍しているのを見るのは、それなりに気持ちがいい。

 見上げたら誰にも見える一等星になっているアイツが、まだ小僧だった頃に勝ったりもしてる僕は、ヤツが世界チャンピオンになる日が来る事を心の底から願っている。もしそうなれば、

「俺、昔あいつに勝った事あるんだぜ」

とか、一度も勝てなかったけど仲良しだったアイツなら、

「俺はあいつに昔メシを驕ったりしてたんだよ。」

 って自慢出来るから☆

 ただ悲しいかな、レース仲間以外でマスメディアを通じて再会する時は、「あっちゃ~・・・。」ってなる事の方が圧倒的に多い。

 飲酒運転で捕まったとか、いつのまにかヤクザになってて、罪を犯して刑務所に行ってしまった奴もいる。

 こんな風に、事件や事故で知人の名前を見るのは悲しいものだ。よく有名になると知り合いが増えると言われるが、それがマイナスイメージでも有名人になると確実に、自分の事なんか殆ど知らなかったような奴でも、「うわ!あいつこんな事やっとるわ!!」って自分の事を強烈に思い出してくれる。

 その事件以降にそいつに会えば、
「あの中学生買春してつかまった○×」とか、
「あの飲酒運転で人はねて市役所クビになった○×」とか、
「部屋でマリファナ栽培してた○×」とか、
 そう言ったネガティブな烙印が死ぬまでついて回る事になる。

 去年、出会い系サイトをからかってやろうとして、男と女で二重登録をした時、女で登録したプロフィールに、「mie 19歳学生 彼氏なし こういう所は初めてなのでキンチョーしてます!ステキな人に逢えるといいな♪」なんてふざけて登録していたが、(過去記事を見てね♪)これで登録したフリーメールのアカウントには今でも、結構な数の男からのメールが来るのだが、これにいつか知り合いが送ってきたらどうしよう?なんて、ちょっと不安でも楽しみでもある。

 人から後ろ指を指されるような事をしてはいけない。
 いつ、どこで、誰が見ているか、それは誰にも判らない。

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それでもここで生きて行く

「お前、何でアメリカからこんな国へ帰ってきたんや?」

「兄ちゃん、日本がもう駄目やって言うのは判る。でも兄ちゃんにもその気があるなら、一親等までは『家族呼び寄せ制度』があるから、兄ちゃんもアメリカの永住権は取れるぞ。申請から交付まで10年くらい掛かると思うけど。」

「俺は英語が話せんからいらん。」

「そうか。」

「しかし、お前が英語勉強して、永住権取ってアメリカに行った時は、正直、上手い事やりやがったなって思ったよ。この国は警察国家になって、右傾化はどんどん進んで、文化的にも荒廃して低俗化してるし、他人には無関心になって、権威には消極性と服従しか示さないし、貪欲と個人的利益追求は美徳になってるし、もうこの国は駄目だよ。何でお前こんな国へわざわざ、アメリカから帰ってきたんだ?」

 数日前、僕は兄からそう言われた。

 確かに、日本の現状は酷いものだ。渡米前も酷かったが、帰国したらさらに酷くなっていた。
 生まれた国を離れて異国で暮らしている時、住み慣れた街から遠く離れる事で、生まれた国のいい部分がよりはっきり見えたのは事実だ。そこにアメリカに対しての絶望や、その他の要因が重なり僕は帰国を決意した。

 しかし実際に帰国してみると、離れたからこそ見えてきた、この国のいい面を全力で廃棄しようとする、昨今のこの国全体を覆う空気には辟易させられたし、権力者に対する消極性と服従しか示さない一般大衆のお陰で、この国は今や、権力者や支配者達のやりたい放題になっている。

 金持ちはメディアで偶像化され、個人の利益追求と貪欲はこの国でも美徳となった。
結局見た目がいいモンが得。
正義を決めるのは数、力、金。
本当に、ミもフタも無い価値観の国になってしまった。
全く最低だ。

「だろう?何でお前は帰ってきたんだ?」

「今の日本の模範例になってるのがアメリカな訳じゃん?どうせどっちもダメなんだし、それだったら選挙権の無いアメリカで、政府ぐるみの第三世界搾取の為に税金払ってるよりは、選挙権もある生まれた国の方がまだマシかな?って思ってね。」

 その場は適当に言い繕っておいたが、確かに、兄の言うとおりだ。
 この国の国家を構成するエリート達の為に、その身を犠牲にする価値はマイナス∞だ。

 でもでも、

 ここは僕の生まれた国なんだ。
 その事に腹を括って、日本人として生きて行く。

 権力には道義と不屈を。
 他者には誠実と情を。
 社会には使命感と矜持を。
 文化には理想と高潔を。

 絶滅危惧種になってしまった『古い日本人』を、強者の王国の専制君主達に、奴隷化された賃労働者達に、この身を持って示してやる事にしよう。


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靖国神社参拝

 8月。
 日本人にとってこの月は、過去の戦争に思いを馳せる月でもある。
 61年前の夏、この国は戦争に負けた。
 2000万人以上の人を殺し、300万人以上が殺され、国中を焼かれて戦争が終わった。
 自国の利益しか考えない極東最強の軍事国家だった日本は、同じく自国の利益しか考えない世界最強の軍事国家であるアメリカに、こてんぱんに打ちのめされて負けた。

 覇権国家の利害が衝突し、結果として戦争になった訳だが、政府の外交政策の失敗で自国が危機にさらされ、当時のエリート達が拘った「国体の護持」の為、武器を取らざるを得ない状況に追い込まれ、そして戦場で命を落とした兵士達が祀られているのが、靖国神社だ。

 300万人超の自国民を殺された日本だが、アジアで2000万人以上を殺してもいるので、国家元首が靖国神社に参拝する事には、周辺各国からの反発がある。自国内の不満を逸らすため外側に敵を設定し、それをスケープゴートにして不満を逸らす事で政権の安定を図っている国に、わざわざそのスケープゴート役を演じてやる必要も無いと思うが、若い命を散らせた英霊に対し、感謝の念と不戦の誓いを祈りたいと思う気持ちは理解できなくもない。

 ただ、靖国神社にはA級戦犯だけではなく、憲兵も合祀されている。
 自らの良心に従い反戦平和を唱えた人々を捕らえ、拷問し、殺した奴等も一緒に祀られているのだ。

 本当に、過去の戦争を悔い、戦争被害者への謝意と鎮魂を願うのならば、そして不戦の誓いを立てたいのなら、靖国神社はそれに相応しいとは言えないのではないか?
 いきなり徴兵され、愛する者達から引き離され、異国の地で果てた同胞と共に、その、

「異国の地で死んで来い」と命令をした連中が祀られ、さらに戦争反対を唱えた人を弾圧した連中も祀られているのだ。
 これでは、「日本は過去の戦争を悔いず、美化している」と、周辺諸国から非難されても反論のしようが無い。

 本当に過去の戦争を悔い、不戦の誓いを立てたいのならば、靖国神社ではなく「ひめゆりの塔」に行くべきではないのか?




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日本は太田中将が死ぬ前に大本営に伝えた遺言を無視してるよな。
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2006.08.09

いいことをしよう!!

 加齢による身体能力の低下により、他人の介助無しには生きられなくなってしまった高齢者は殆ど皆が、自己否定的な発言を繰り返し、内気に、陰鬱に、自虐的になっていく。

 申し訳無さそうにこちらからの介助を受ける、そんな方達に僕はいつも、

 「○×さんはそれを受ける権利があるがやき!もっと堂々としちょってえいがちや!!」

 と言う。さらに、

 「見てこの街!60年前は焼け野が原やったがで!!今の日本は世界で2番目のお金持ちな国やき!○×さんらあが頑張ったき、こんなにえい国になったがで!!もっと堂々としちょってえいがちや!」
 とも言う。

 確かにそうだ。
 今、介護施設で介護を受けている方達というのは、70歳以上の方が殆どだ。1940年代以前に生まれ、子供時代か青年時代に戦争を体験し、その後の戦後復興を支えてきた世代なのだ。
 彼等には、加齢による生活能力低下をサポートしてもらう権利も資格もある。


 でも、その後の世代はどうだ?
 復興した後、豊かさを享受し「消費は美徳だ!」と言って欲望充足を追及した世代。
 政治活動をお遊びにしてしまい、政治に対する無力感を永続化させた全共闘世代。
 好景気に乗って享楽の限りを尽くし、後のツケを全て僕等以降の世代に押し付け、逃げ切りを図っているバブル世代。

 世界人権宣言に批准し、憲法で基本的人権と生存権を保障する日本では、彼等にも生活能力低下に関する保障を受ける権利は確かにある。

 でも、それを笑顔で自信を持って語れるかと聞かれたら、それは僕にとって、とてもとても難しいと思う。
 もっとも、権利意識だけは高いあの世代の連中は、躊躇なく自分達の権利としてのそれを主張してくるだろうけれど・・・。


 僕等も後の世代に、

「地球をめちゃくちゃにしやがったクセに」

 とか、

「財政再建を全部俺達に回して逃げやがったクセに」

 とか言われない様に、『いい事』をして生きなきゃダメだな。
 そんな風に思う。

 ゲド戦記(全巻読み終えました!面白かったです!!)じゃないけれど、どんなに小さな事でも、何かを変えるとそれは全体に影響を及ぼす。
 行動は常に、全体への影響を考えて行わなければならない。
 いい事にはいい結末が、悪いことには悪い結末が用意されている。

 少なくとも、子供に自慢できないような事をするのはやめよう。


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勤労貧困者

ああもうっ!!
夜勤明けでカフェインも切れてやっとこさ眠くなってきたのに、
汗でベトつく体を何とかしようと思ってシャワー浴びたら目が覚めちゃったよ・・・。

そんな時に限って、頭に「語られたがってるお話」が浮かんできちゃったりするんだよね。

って事で、久し振りの同日複数更新です。

書き溜めてる記事もかなりたまって来たから、これからどんどん放出するよっ!(^^)

~~~~~ んじゃ、本文はこっから ~~~~~


 平均所得の半分以下の所得しか無い人は、相対的貧困層と呼ばれるらしい。
 日本の世帯辺り平均年収は約580万円だから、もし僕が実家暮らしをやめて単身世帯となると、相対的貧困者となる。
 厚生労働省が決めた、単身者の最低生活保障水準額は数万円上回っているが、アメリカだったら福祉サービスの支給対象となる金額のすれすれ。って所にいる。
  職場の看護士達から、「mizzieくんはマジメなのが取り得だよね」と言われるくらいに一生懸命に仕事をしている、利用者様のハートはがっちりだぜいっ!!てくらいに利用者からは愛されてる僕も、もし一人暮らしを始めたらその瞬間から、相対的貧困者だ。
 週40時間働き、心身ともにフルに酷使し、帰宅しても靴の紐を解く力もないくらい、冗談抜きに“馬車馬”の様に働いている僕は、貧困層に所属するのだ。
 何でも、僕みたいな人の事を、“勤労貧困層”と呼ぶらしい。

 そんな言葉が存在するくらいだから、今の日本には僕の様に、フルタイムで働いても貧困線すれすれ。ってくらいしか収入を得る事が出来ない層が、それなりの数存在するという事になるのだろう。
 フリーターだニートだと、勤労意欲の無い若年層を攻撃しておきながら、勤労意欲に溢れ、手に職を付けてフルタイムで働いても、貧困線すれすれの収入しか与えられないとすれば、就業・勤労に対してモチベーションを持つ事は難しいと言わざるを得ない。
 『超金持ちクラブ』に入り損ねた若い連中が、自分達が負け組になる事を受け入れるくらいなら、「俺は、いつか、何かをやるぜ」と根拠無き自尊心を抱きながら、宙ぶらりんのままでい続ける事から抜け出そうとしないのにも、多少は理解も出来る。

 誰だって、制度を呪いながら輪廻転生を待つような人生なんか送りたくは無い。

 政府は色々と法律をいじくって、労働者が低賃金ですぐ解雇されるシステムを作り上げた。派遣社員の雇用契約に昇級や賞与の文字を見付ける事は困難だし、福利厚生も派遣の受け入れ先企業には考慮する義務が無い。
 そうして、莫大な人数の労働者が、中産階級から低層の労働者階級へと転落した。
 僕は派遣ではなく、年限契約の契約社員待遇だが、年契約なので昇級も賞与も無いし、雇用側の都合で、翌年の契約更新をせず解雇する機会は、更新年度毎に可能だ。
 (こちらもスキルアップに励み、レベルアップ、待遇アップのチャンスがあれば掴めばいいのだが、利用者との繋がりが自分の人生の一部となり兼ねない程、clientsとディープにコミットして行く介護の世界では、一旦築き上げた人間関係をたやすく切る事には躊躇いを感じる)

 介護の世界は金銭以外での充実感ややりがい、達成感がある(それも物凄く!!)からまだいいが、それ以外の職種で勤労貧困層が増えるのは問題だ。
 まじめに働いても報われないシステムの中で、低賃金で面白くも無い仕事にこき使われている層の不満は、一体どこに向かうのか?
 この層の不満が社会不安に直結するであろう事は、想像に難くない。

 また低所得者が増えるという事はどういう事かというと、生活必需品以外に使える金額がとても少ない層が増える、つまり国家としての購買力が低下すると言う事だ。
 購買力が下がるだけじゃない。生計の維持以外に使える余剰資金が減るという事なので、教育、医療、保健、そして貯蓄に回される資金が減少する。
 教育レベルの低下は生産的な技術者や専門職者、労働者の質と数の低下につながる。
 医療と保健に使える金額が減ると、簡単に医療を受ける事が出来なくなるので、傷病者が重態化しやすくなる。すぐに医療を受ける事が出来る社会では、軽度の時点で治癒されるので傷病時もすぐに社会復帰出来るのだ。また医療・保険業界全体のパイが減るという事なので、医療業界、保健業界にとってもマイナスだ。
 そして貯蓄額の減少は、預貯金に回った資金は金融機関を通じて社会に再投資されているので、それが減額する事によって、市場に流通する資金が減少する。

 大企業の利益を最大化差せる為に、労働者から権利を剥ぎ取り、中流から下流に突き落とした政府だが、長期的視点で見るとそれは、日本それ自体を下流に突き落としかねない。

 責任は後へ。
 問題は先送り。

 この国の主流派を占める政治家の特徴だが、どうやら彼等はこの国を殺したいらしい。
 もっとも、民主的に、合法的に選挙によって国民から選ばれた彼等には、それを責められる理由は無いのだが。
 国会議員は正当な・公平な選挙によって国民から選ばれ、
 国民から信託されて政治を行っている。
 彼等に全権委任状を与えたのは国民なのだ。

 野党に投票した者以外には、国政に文句を言う資格は無い。
 無投票も当選者への投票と同義だ。社会に文句を言うな。


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mizzie@ドーピングちゅう

 僕は夜勤時、必ず職場に持参するアイテムがある。
 準夜勤が無い我が職場、夜勤は16:30時から(僕は大抵15時には職場に入る)仮眠時間を挟んで翌朝9時までなのだが、僕はこのアイテムのお陰で、夜勤帯の業務が終わったあと、日勤帯にトラブルがあった時などに11時くらいまで日勤を手伝っていく事もある。

 職場では、「mizzieは夜型人間(昼間はちょっとトロいので)」とか、「まだ時差ボケが取れてない(ちなみに帰国したのは昨年9月)」とか言われているが、その真相はこのアイテムに依存しているからだ。

 そのアイテムとは、

 『エスタロンモカ錠』

 である。一粒辺りコーヒー2杯分のカフェインと各種ビタミンを含有するこの錠剤を複数、仮眠が明けた直後に服用する。
 僕はレースが出来なくなった精神的ショックで鬱と睡眠障害に悩んでいた時期があって、今もベンゾジアゼピン系の睡眠薬(ロヒプノール)を処方されているが、僕はこのエスタロンモカとロヒプノールを使い分ける事で、かなり意図的に睡眠をコントロールしている。

 とりあえず、こいつが効いているうちは、僕が眠気を感じる事は無い。僕が日勤の時に夜勤の他の職員が、
 「もう疲れた」とか、
 「8時半過ぎたらフラフラになるよね」とか言っているが、僕は全くの平気で、日勤の午前の仕事を全部やってもまだ余力があるくらいだ。

 だがしかし、カフェインもベンゾジアゼピンも耐性を生じる生理活性物質でもあるので、常用していると服用量が同じならば効力が低下する。
 ロヒプノールも、初めてこいつを処方された時は、服用量が4分の1錠でも死体の様に爆睡していたが、今は同量なら効き始めの効力が弱い。
(半錠以上服用すると起きてからも眠気が残るので、翌日がオフの時しか半錠以上の服用はしない)
 エスタロンモカは、効き目が切れるのが早くなってきた。カフェインの分解にはシトクロムP-450(体内に侵入した毒や薬を分解する酵素の一種)と言う物質が使われるのだが、どうやら僕の肝臓は、こいつの分泌量が普通の人よりも多くなり始めているのかもしれない。
 カフェインも、ベンゾジアゼピン誘導体も、ヘロインやシンナーの様に精神的な薬物依存を引き起こす物質の一つなので、使わずに済むならばそれに越した事は無い。

 筋肉増強剤と同じで、自然界に存在しない方法で体をコントロールしようとすると、そこには大抵ネガティブな副作用がついてくる。

 最近は耐性が生じた?エスタロンモカ錠が効かなくなってきたから、さらに強力なエスタロンモカ・ドリンクに切り替えようかと思っている。
(懲りてないんかお前は!!)

 
へへ、そろそろ薬が切れてきたぜ。

左手の親指が左側についてやがる。
『両右手の男』たぁ俺の事かい?

今度は壁からドラえもんかよ。
しかも大山のぶ代の声してやがるぜ。


眠くてアタマが回んねぇや・・・。


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昔、ドリンクのエスタ・・・を2瓶一気に飲んだ知人は、
胃をやられてそのまま救急車で運ばれていきました。

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2006.08.08

~長崎 2発目の原爆~ それは必要だったのか?

 原爆投下が、日本のポツダム宣言受諾を早めたのは現実だ。だからと言って原爆投下を肯定する事は出来ないが、事実は事実として、受け入れる事も必要だろう。
 形ばかりとは言えども、そしてその戦力はゼロに等しかったとは言え、当時の日本軍に“本土決戦”の為の作戦や指揮系統、部隊編成があったのは事実だ。
 そしてアメリカ政府は公式見解として、「本土決戦によって予想される日米双方の犠牲者を救うため、原子爆弾によって日本の抵抗意志を砕き、降伏に導いた」と主張している。

 しかし、日本はそのかなり以前から、ソ連を通じて戦争終結への工作を盛んに行っており、原子爆弾投下がポツダム宣言受諾の直接の要因になったとは考え難い。
 過日の記事にも書いたが、アイゼンハワー将軍は対日戦勝利に原爆は不要と公言しており、戦略的勝利の為に原爆投下を決断したとは考え難い。

 百万歩譲って、原爆投下に戦争終結を早める効果があったとしても、長崎に2発目の原爆を投下する必要はあったのだろうか?あるとすれば、その意義は一体何処に?

 これについてネット上を少し調べてみて、怒りで血が沸くような項目を見つけた。
 アメリカが極東アジアでのイニシアチブ確保の為、抗日戦でのソ連参戦の日本降伏への寄与度を下げる為に、日本の降伏を急がせようとした。
 と言うのは既に知っていたが、その他に見た原爆投下決定の理由として、
1)巨額の予算を投じた原爆開発計画を、原爆の実戦使用無しに、その威力を示す事無しに終えた場合、議会への説明に苦慮するから。というのが一つ。
2)もう一つが、原爆の実戦使用での威力を確認する為の実験。と言う理由である。

 長崎への二発目の原爆投下は、この『実験』という側面が強いと思われる。
 実際、広島に投下された原爆はウラン型だが、長崎に投下された原爆はプルトニウム型である。この二つは材料が異なれば起爆システムも異なる。
 また、デルタ状の地形に街が広がる広島と、すり鉢状の地形に街がある長崎に投下する事によって、その地形による効果の違いを見たかったと言うのもあるのだろう。

 使用する材料も違えば、起爆方式も異なる二つの原爆を、地形の異なる二つの街に投下し比較する事で、米軍は原爆に関する豊富なデータを得た。

 米軍の資料では、二発目の原爆は小倉に投下予定だったとなっている。
 しかし、原爆を積んだ爆撃機が天候不良で小倉の爆撃目標を正確に掴む事が出来ず、そうしているうちに益々天候が悪化し、残燃料の関係から小倉への投下を断念。第二候補地であった長崎に投下したとされている。
 記録では、燃料の残量との関係で他の目標に投下する事が難しく、目標を長崎に変更し、燃料の関係で投下目標を正確に定める事は出来なかったが、それでもとにかく投下したとある。
 残燃料の関係で小倉から長崎に変更された訳だが、他にも大都市である福岡と、軍の基地がある佐世保も候補地だった訳で、二発目の原爆はある意味、落とせるのならどこでも良かったという事も言える。

 つまりアメリカ軍は、政府は、日本と日本人を使って核兵器の人体実験をやった。

 天候不良と爆撃手の不手際で、小倉の代わりに原爆を投下された不幸な長崎市では、7万人以上の貴重な人命が奪われた。

 アメリカ政府は、戦略的には不必要と前線の将軍が下した核兵器を、ソ連へのデモンストレーションと、議会への予算措置の説明と、軍の実験とデータ収集の為に長崎と広島に投下した。

 そこには、歴史的必然性も戦略的必然も皆無だ。
 大枚はたいて作った新兵器だから、とにかく使おう。
 実地実験とデータ収集もやろう。
 黄色いサルなんか殺したってかまうこたないさ。

 原爆投下の真実は、所詮こんな所だろう。
 お前、それでもまだ「アメリカが好き」って、親米派でいられるか?

参照;
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2006.08.07

悪魔のリサイクル

 これは書くネタが無くなった時に、放出しようと思って書き溜めていた記事なんだけど、6日にNHK特集でこれについて語られていたので、タイムリーだから今日、記事とてしてUPさせる事にした。


 軍隊と言う、殺人と破壊を生業とする機関がやる事は、リサイクルまで悪魔的だ。リサイクルだけれど全然エコロジーじゃない。

 非常に高い貫通力を持ち、強固な装甲も突き破るので対戦車兵器としてとても優れた特性を持つ兵器に、ウラン濃縮課程での絞りカスを原料とする、劣化ウラン弾頭と言う物がある。リサイクルって廃棄物の再資源化の事だから、原発燃料や核兵器製造でのウラン濃縮課程で発生する廃棄物を使う、この劣化ウラン弾頭は、軍産複合体によるリサイクル品だ。

 この劣化ウランと言う物は、

IAEA(国際原子力機関)のオフィシャルウェブサイト
でも、「毒性がある」と明記されており、放射線被害は論拠とするには充分とは言えないが、これが実戦使用されたイラクやコソボ、ボスニアでは、白血病の罹患率が上がったと報告されている。

 劣化ウランには焼夷性があり1200℃で発火する(それ故、武器としての価値も高い)が、この発火は熱核兵器のそれとは全く異なるので、劣化ウラン弾頭は現時点では『大量破壊兵器』の核兵器にはカテゴライズされていない。
 しかしながら、上で挙げたウェブサイトでも、劣化ウランの燃焼時の灰や塵には低レベルではあるが放射性物質が含まれ、それらは着弾点から半径数百メートルに飛散し、そこを低レベルだが被爆させる事が指摘されてもいる。また、放射能による毒性以外にも(と言うか、劣化ウランの場合はこちらの方が深刻)、重金属としての科学毒性も指摘されており、その貫通力だけではなく、“(軍隊だけでなく)外国を”攻撃する兵器としては、とても優れた物だと言えよう。
(自国領内を放射能汚染させようとする国軍は存在しない。軍隊を自国領内防衛にのみ使用する事を前提とするドイツや日本のような国では、貫通弾頭にはタングステン鋼を使用する)

 ウラン濃縮課程では必ず発生する廃棄物である劣化ウランは、放射性廃棄物であるが故に、廃棄にもそれなりのコストを必要とする。
 じゃあ、兵器として再利用しちまおう。
 対外遠征部隊でしか使用しないんだから、化学毒性とか放射能汚染の事なんか知るもんか。どうせ汚染されるのは他所の国だ。
 軍隊の仕事とは戦争に勝つ事だ。
 人道上の問題とか関係あるか。

 悪魔のリサイクルとは、廃棄物を資源化してどこか遠くに再廃棄する事を差す。


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2006.08.06

無関心が生み出す、無責任な殺戮

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上の写真の犬と猫は
すでに保健所で殺されています


と、言われたら驚くでしょうね


犬や猫を飼うとしたら
ペットショップへ行きますか?
それとも保健所へ行きますか?


年間
  犬は十万匹以上
  猫は二十万匹以上

殺されています


保健所に持ち込まれる犬猫を分別すると

野良猫・野良犬が約二割で
飼い猫・飼い犬が約八割です

殺処分とは
炭酸ガス(二酸化炭素)を用いたガス室で
窒息死させることです

殺処分でかかる時間は様々で
子犬・子猫の場合は
  三十分以上
苦しみ続けて死ぬこともざらです


バッグも犬も服も猫も
ブランド品じゃなければ嫌なのでしょうか?
写真の子達の様に、綺麗で可愛ければ保健所で貰われて
殺されずにすんだのでしょうか?


地域にもよりますが
数の多い猫は毎日、
犬は週数度に分けて殺されています


以上を踏まえ
この事実だけは覚えておいて欲しいのです


毎年、四十万以上の命が人の手で絶たれています

・・・つまり・・・


十年で四百万匹以上殺されているのです



教育とは
自分の持っている【知識・考え】を次の世代に託すことの様に思います。
それが文化の継承や国の発展につながっている気がするんです


この事実を多くの人が知ることで
・・・少しだけでもなにかが変わるかも知れない・・・
そう思って記事にしました



断りのコメントも傑作もトラックバックもいらないので
少しでも同調してもらえたならば
【転載】して、色々な人へ知らせてください


よろしくお願いします<(_ _)>

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アメリカから帰国して広島を想う

 1945年、8月6日。
 61年前のこの日、アメリカ空軍のB29爆撃機、エノラ・ゲイ号が投下した原子爆弾によって、一瞬の内に数万人の広島市民が生きたまま焼き殺された。

 爆心地直下では熱核兵器特有の高熱で、屋外にいた人は生きたまま皮膚が炭化し内臓等の内部組織が
高熱で蒸発した。丁度爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま惰性で走り続け、吊革につかまったまま焼け死んだ乗客や、コントロールレバーを握ったまま黒焦げになった運転士の死骸が乗っていたらしい。

 爆心地直下では、風速440m/sの暴風(大型台風の約10倍!)、350万パスカル(1㎡辺り35トン)の爆圧、3000~4000℃の熱線、放射線は1c㎡辺りで高速中性子が1兆2千億個、熱中性子が9兆個、103シーベルトのガンマ線、141シーベルトの中性子線を受けた。また爆心地から5km以内で放射能を浴びた被爆者は、急性放射線症を発症した。

 半径2km以内の木造家屋は一瞬で全壊し、熱線による自然発火で発生した火災により、辛うじて生き残ったものの瓦礫の下敷きになった生存者達は生きたまま焼け死に、彼等を助けようにも助けられず、逃げるしかなかった人達は、その後もPTSDに悩まされ続ける事となった。

 爆発後に発生した火災で、広島市は爆心地から半径3km以内の家屋は9割が焼失。死者数は同年12月までに、9~12万人に達したと推定(実数は把握出来ていない)されている。
(参照;
フリー百科事典ウィキペディア


 61年前の今日、人類最悪の同族殺しがアメリカ人の手によって広島市で行われた。

 渡米当時はまだ、アメリカ好きだった僕をして、広島と長崎の事を許す事は出来ないとアメリカ人に対して公言するほどだったが、アメリカで歴史を学んだとき、アメリカでは日本への2発の原爆投下は、完全に正当化されて教えられている事を知った。
 広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号はスミソニアン博物館に展示(しかし、その原爆で市民が10万人以上も殺された事は、どこにも触れられていない)されているし、その機長だったティベッツ大佐は国民の英雄で、アメリカでは一般人はおろか知識層の中にさえ、「原爆投下は、多くのアメリカ兵の命を救った」と考えている人がいるくらいだ。

 しかし、ヨーロッパ戦線を勝ち抜いたアイゼンハワー将軍は、「対日戦勝利に原子爆弾は不要」と大統領に進言しているし、アメリカの科学者達も、「原爆の威力をデモンストレーション(どこか砂漠か無人島で試す)するだけで、戦争終結には充分だ」と主張している。
 しかし、トルーマン大統領はその進言、忠告を聞き入れず、8月6日に広島へ、さらに9日には長崎に原爆を投下し、二つの街を死の町へと変えた。
 二十万人以上の市民を殺し、生き残った者達の体と心に、癒える事の無い深くて暗い傷を負わせた。

 トルーマン大統領の日本への原爆投下決断に関して歴史学者達は、アメリカが戦争終結後の国際戦略を優位に進める為だったとか、トルーマン大統領が人種差別主義者だったとか、色々な説を述べているが、とにかく、1945年の8月6日、広島に原爆は投下され、投下した爆撃機の機長、ティベッツ大佐には米軍の最高勲章である栄誉十字章が贈られ、他の12人の搭乗員には銀星章が贈られた。



 61年前。この国は多大な犠牲を払った後に、戦争が如何に不合理で不条理かを学び、以後、不戦の誓いを立てて今日に至っている。
 8月は、僕等がこの人類の負の遺産に想いを馳せ、恒久の平和と不戦を英霊達に誓う月だ。

 最後に、原爆投下の候補地を挙げておく。
 これらの街に住む人も、もしかしたら原爆被害者になっていたかもしれない。
 全ての日本人にとって、広島・長崎は決して他人事ではない。

第一次候補
 東京、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、山口、下関、八幡、小倉、福岡、長崎、佐世保

その後の追加候補
 新潟

最終投下目標
 広島、小倉、長崎



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2006.08.05

『地デジ』という名の低所得者イジメ

 2011年7月24日。日本のテレビ放送は全てデジタル化され、アナログ放送しか受信出来ないテレビでは、テレビが見られなくなる。
 以降は、地デジ対応テレビか、地デジ対応チューナーが無いと、テレビを見る事は出来ない。

 高齢者福祉に関わる者の一人として、これを看過する事は出来ない。
 この国の政府は、また低所得者イジメをしている。

 地上波テレビのデジタル化は、欧米でも進行しているが、あちらでは低所得者にはチューナーを配ったり、国費補助を行ったりして、買い替えが困難な層にも対応した。
 が、悲しいかな『強者の王国』ニッポン、地デジ化を強力に推し進めてきた総務省からは、買い替えに対する低所得者保障や補助の話は一切無い。

 現在、地デジ対応テレビは一台が安い物でも10万円前後、チューナーは5万円程だ。
 年金しか収入が無い独居高齢者世帯に、このコストを負担する余力があるだろうか?

 現実はこうだ。

 65歳以上人口が53%と言う過疎・高齢化の町、福島県昭和村で行われたアンケートでは、テレビ買い替えに出せる費用が「5万円以下」と回答した世帯が53%、「10万円以下」と回答した世帯を含めると70%を超えたらしい。

 独居だけでなく、高齢者にとってテレビはその一日において、接している時間がとても(恐らく最も)長い対象だ。
 しかし、総務省が進める地上波テレビの完全デジタル化は、低所得の高齢者層を視聴者から締め出す事になるだろう。

 もちろん、これからの5年間で地上デジタル放送対応テレビの低価格化もいくらかは進むだろうが、低所得者層への補助無しに、強制的に買い替えをさせるだけのメリットは何処にあるのか?
 総務省は多チャンネル化やデータ放送、インターネット経由の視聴者参加など、サービスの多様化を強調するが、
 多チャンネル化は既に、提供するソフトの枯渇による番組内容の質的低下(魅力あるプログラムが限られているのにチャンネル数だけが多いので、放送に価する番組が無い)を招いているし、
 データ放送も、「あれば便利」だけど、なくても別に困らない。
 インターネット経由の視聴者参加番組にしても、そのネット回線使用料は誰が払うのだ?

 テレビ放送がデジタル化する事のメリットは、低所得の高齢者には殆ど関係が無い事ばかりだ。
 その自分達には殆ど関係が無い事への対処を強制され、それに応じなければ、テレビは2011年7月24日以降は見ることが出来なくなる。しかもそれに対応する為のコストは全て自己負担、それも決して安くない金額だ。

 私は高齢者では無いが、その私にとっても地上波テレビがデジタル化される事のメリットには全く魅力が無い。そりゃ画像が綺麗になったりする事は、ならないよりはマシかもしれないが、その為のコスト負担なんか強制されたくない。
 しかも、デジタル波の放送基地局は殆ど全ての市町村では、アナログ波の基地局とは違う場所に設置されているので、アンテナも新たに設置する必要がある。つまり、デジタル対応のアンテナを立てなければ、地デジ対応のテレビを買ってもデジタル放送は視聴出来ないのだ。テレビのコストだって負担したくないくらいなのに、アンテナにまでお金を払うなんて絶対にイヤだ。
 (共同住宅(アパートやマンション)が対応した場合、恐らく居住者は強制的に負担をさせられるだろうが。)


 テレビが壊れたから仕方なく買い替え、とかなら地デジ対応型を買うかもしれないが、地デジを見るためにわざわざテレビを買い換える気なんかさらさら無い。どっちにしても2011年の7月24日以降もテレビを見たいのなら、アンテナの新規設置とチューナーの購入が必要になるのだが。

 地上波放送を強制的にデジタル化する事に、どんなメリットが、一体誰にあるのだろう?と思っていたが、その答えが8月1日の高知新聞記事に出ていたから、ここにそのまま抜粋する。

 ・・・なぜ性急とも思える政策を推し進めるのか。ある家電メーカーの社員は明快に答えた。「一億台を越すテレビが入れ替わることで、200兆円以上の経済効果が予想されている。景気対策以外ないですよ。」

 まただ。

 この国の政府はまた、私的企業の利潤の為に公共の補助金を提供し、金持ちの為の福祉国家を維持するために大規模な経済介入をしている。
 今度は、公共の資金(つまり僕等が払った血税だ)を提供するだけでなく、直接僕等にコスト負担を強いるような政策を打ち出してきた。

 わかった、もういいよ。

 テレビなんか、もぅ見てやんない。
 どうせCMばっかりだし番組はつまんないし。
 僕は情報収集は全部ネットでしちゃうから、もうテレビいらない。
 低所得層のじーちゃんばーちゃん達には、2011年7月24日からはラジオに切り替わってもらって、情報が音だけになる分、想像力を働かせてもらって、脳の活性化のリハビリをしてもらう事にしよう。



政府の進める企業連合優遇政策には嫌悪感しか感じないんだけど、ただ文句を言うだけじゃない、『行動するブロガー』になる事にしたmizzie、皆にも行動を共にする事を願います。と言う訳で、


「低所得独居高齢者から文化的な生活を奪う事になり兼ねない、テレビの地上波放送デジタル化への完全移行に強く抗議し、年金所得以外に所得のない低所得独居高齢者への配慮の為、地上波テレビ放送のデジタル化に伴う、デジタル放送用アンテナ設置、テレビ本体の買い替え・デジタル受信チューナー購入代金に対しての、低所得者に対する政府の補助、保障を強く求めます。」

の文をコピー&ペーストして、↓のリンク先に投書して下さい。
首相官邸 ご意見募集

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2006.08.04

ここに来ちゃダメだ!!

 最近、政治・国際ネタが続いたので、今日は久し振りに介護関係の記事を。


patient (名)患者、病人《古》受難者、犠牲者
client  (名)依頼人、顧客、福祉サービスを受ける人

 ヘルパー1級の実習先だった老健で、1級の実習と言う事で、そのフロアで最もADLの低い方を僕が介助させてもらったのだが、指導担当だった介護福祉士さんが、
 「この○×さんも、一年前は食事も自立だったし生活全般にADLもっと高かったんだけど、体調崩して療養病棟に入院して、帰ってきたらこんな状態になってたんだ・・・。」
 と、悲しそうに話していた。
 指導担当をするくらいだからこの介護福祉士さんも志の高い方で、老腱の雰囲気や利用者との関わり方を羨ましがる医療介護施設で働く僕に、「でも、僕はこれでもまだまだダメだと思っているよ。」と言っていた。

 もちろん、完璧な対応なんてものは存在し得ないけれど、理想を追う事を止めてはいけない。

 その介護福祉士さんの仕事への姿勢から、僕が学んだのはそれだ。

 しかし、自分の職場である医療介護施設の現状を鑑みるに、老健や他の施設から、「入院して帰ってきたらADLがごっそり下がってた。」と言われるのも無理は無いと思う。
 病院自体が病気を治す事に主眼が置かれているとは言え、今、自分達がやっている介護が、自立支援とは遠い地平に位置している事は、残酷だが事実だ。

 ケアマネが立てたケアプランには、もっともらしい事が書かれているが、業務に追われる現場では、プランに完全に沿ったケアが提供できてはいない。

 そうして、排泄は介助があれば自立していた人が、オムツ使用になる。

 自分でお箸を使って食事の出来た人が、自助具と介助が必要になる。

 かろうじて経口摂取可能だった人が、経管栄養になる。

 『寝たきり』じゃない。『寝かせきり』だ

 もちろん、様々な病気が緩やかだが進行し、様々な身体機能が緩やかに失われて行く過程にいる人が殆どなので、それは遅かれ早かれ訪れたのかもしれないが、在宅復帰を目的とした老健や特養とは異なり、『病気の治療』が主目的の医療介護施設では、自立支援よりも治療に重点が置かれる、と言う現実もある。

 しかし、ちょっとした誤嚥性肺炎やリューマチ治療などで短期入院してきた人でも、自立支援となるような介護や訓練が殆ど行われないので、その短期の入院期間中、ほぼ確実にADLは低下を余儀なくされる。

 人生の終末期を、病院で過ごす事は可能な限り避けるべきである。

 症状の進行を遅らせたり、特定の疾病を治癒する事に主眼が置かれるのが病院だ。
  そこでは、人間として本来なら与えられて当然の様々な権利が奪われ、逆に、あってはいけないような物事を課せられたり与えられたりもする。

 そこでは、個人の尊厳は守られているのか?

 いいや、全く。

 病院に来た人はpatientとして扱われ、決してclientとしての待遇をしてはもらえない。
 時々、patientが『患者』としてではなく、古英語である『受難者』にされていると感じる時もある。

 それが、医療介護施設で働いている僕の実感だ。

 繰り返して言う。
 終末期を病院で過ごしてはいけない。


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2006.08.03

「もし」を考える

 7月28日の記事で、「もし余命6ヶ月と宣告されたらどうするか?」を一人で黙々と考えていた。と言う記事を書いたが、一人で空想遊びの一環として思索を巡らせている時、僕はよくこの「もし」を考えるという事をする。

 歴史やシミュレーションゲーム好きでなくても、歴史の「もし」を考えるのは結構面白いと思う。もちろん僕もよく考える。

「もし、本能寺で信長が死ななかったら」とか、
「もし、関が原で小早川秀秋が裏切らなかったら」
みたいな有名な出来事じゃなくて、もっとマイナーな「もし」。
例えば、

「もし、平治の乱で源氏を破った平清盛が、子供だった頼朝を伊豆に流さず一族皆殺しにしていたら?」とか、
「もし、種子島に漂着したポルトガル船が、流れ着いたのが種子島ではなく薩摩だったなら?」とか、
「もし、アヘン戦争に勝ったイギリス軍が、アメリカよりも先に日本に来ていたら?」とか、
「もし、レイテ沖海戦で謎の敵前退却をした栗田艦隊が、アメリカの偽情報を見破っていたら?」とか、
「もし、橋本龍太郎が95年に財務省の圧力に負けて消費税増税をしなかったら?」とか、
「もし、911テロ直前に暗殺された北部同盟のマスード司令官が、暗殺されずに一命を取り留めていたら?」なんて事だ。

 既にアイデアが出尽くした感もあるメジャーな「もし」と違って、こういったマイナーな「もし」には、想像を働かせる余地がふんだんにある。だからそれなりに面白い。

 こーゆー歴史の「もし」じゃなくて、もっと破滅的で突拍子も無い「もし」を考える時もある。

 「もし、神様の様に何でも創造出来るとしたら?」
 理想主義な黒魔導師のような、壊滅的思考を抱く事もある僕は、これが出来るなら創造してみたいものがある。それは、

 超強力な致死性ウィルスの発明

 まるでHIVの様に、発症後の致死率100%

 感染から発症までの潜伏期間は60年以上
 感染後のウィルスは形態変化が劇早で、免疫が効かず治療法、予防法も無し。
 潜伏期間が長く、通常は感染しても発症前に寿命を終えるが、
 感染後、形態変化したウィルスに再感染する度に、発症までの期間が半減、しかし10年以上短くなる事は無い。
 伝染性はとても弱く、血液・体液感染のみ
 潜伏期寒中は無症状。しかし発症後は1~2週間の劇症期間の後、苦痛にのたうって死ぬ

 これがどーゆー事かと言うと、
 体液感染なので、注射器回し打ちとか、性交渉以外では感染しない
 感染したウィルスと形態変化した亜種が遭遇すると発症期間が短期化するという事はつまり、複数のパートナーと性交渉を持つ、つまり浮気してる奴は発症確立が上がり、相手の人数が多い程危険性が増す。
 もし、お互いが生涯一人のパートナーしか持たなければ、その二人は発症しない。

 潜伏期間と亜種と接触後の発症準備期間が長いので、浮気性な奴等はウィルスを撒き散らし続ける。しかし10年以上短くなる事は無いので、10年後に爆発するように仕掛けられた時限爆弾のようなものだ。
 今もしこのウィルスを僕が世界中に撒き散らしたとしたら、潜伏期間中ずっと、自己中な快楽主義者達が、せっせとウィルスを撒きちらし続けてくれる。
 そしてある日を境に、爆発的に発症し苦しみのたうって死亡する感染者が続出。発症後短期間で死に至り、治療法も予防法も無い致死率100%のウィルスなので、感染経路と発症過程が解析される頃には、地球人口は劇的に減少しているだろう。

 そして死んで行く事になる多重感染者は、道徳心と共感力、想像力に欠ける、モラルの低い快楽至上主義の連中だ。あの手の方たちは地球に巣食うガン細胞のようなもので、ほうっておけば宿主を殺してしまいかねないので、この機会に一度大規模な駆除・間引きをしておいてもいい。

 理想主義の黒魔道師のような性向を持ち、かつ、純愛派の恋愛至上主義者でもある僕としては、ちょっとやってみたい危険な事でもある


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2006.08.02

ヒズボラはテロリストなのか?

"Is Hezbollah terrorists?"

         As a non-Arabian and non-Jewish, non-Christian and non-Muslim, ethnical and religiously neutral Japanese, I think that “Is Hezbollah terrorists?”

         Few years later from
Iran revolution, Hezbollah established in Lebanon by Iran’s support. From the day, they’ve fought the war of liberation to Israel forces due to Israel dominated to Southern Lebanon and they want to eliminate islaeli's occupation army. In addition, the targets Hezbollah attacked them mostly military installations or government facilities like embassy. Unlike central/south American terrorist groups supported by the U.S., Hezbollah didn't do mass-killings to the general public citizen.

         I guess what Hezbollah are the guerillas who fight a war of liberation, not terrorists. They fight against the militarily overpowered occupation army.

         Hezbollah take two soldiers away became the beginning of this conflict. Hezbollah took to soldiers, not citizen. However,
Israel didn’t respond Hezbollah’s request that release people of Hezbollah in Israeli prison, nor negotiate with Hezbolla. On the contrary, Israel started militarily attack to Lebanon. As a result, missiles fly around Lebanon and Israel
border line.

         First of all,
Israel dominated to Southern Lebanon
by military forces.
         Then, Hezbollah established holding up freedom from foreign military occupation own country.


          Hezbollah took Israeli soldiers away for taking own soldiers back from Israeli prison.       
           However,
Israel rejected request of Hezbollah, then Israel started air attack to Lebanon first.

           Which country made cause first?       
           Which country took arms first?

           Hezbollah hold up their theory and fight for eliminating interference from
Israel. I think that Hezbollah isn’t terrorists. Are they guerillas of independence? If they so, I think that Hezbollah who got wide and ardent support by Lebanon people has the right to fight as the freedom fighter.



 キリスト教徒でもイスラム教徒でもない、アラブ人でもユダヤ人でもない中立な立場に立つ日本人の一人として考える。
 「ヒズボラはテロリストなのか?」と。

 イラン革命後、イランの支持で組織された軍隊であるヒズボラだが、彼等はレバノン南部を占領していたイスラエルからの開放を掲げて闘争を繰り広げてきた訳で、また彼等が標的として攻撃した対象は軍施設や大使館など政府関連施設が殆どで、アメリカの支援を受けて活動していた中南米のテロリストグループの様に、不特定多数の民間人を虐殺したりはしていない。
 圧倒的な軍事力で自国を占領する支配者に対して、武力闘争を行う彼等は、テロリストではなく、自由の為に闘う解放闘争ゲリラなのではなかろうか?

 今回の紛争のきっかけとなったイスラエル兵拉致も、ヒズボラが拉致したのは軍人であって民間人では無い。拉致した兵士とイスラエルが収監しているヒズボラ兵との交換に応じなかったイスラエルが先制攻撃をして、それへの反撃でミサイルが飛び交っているのだ。

まず、一番最初にレバノンに軍事侵攻をかけたのはイスラエルだ。
自国を武力で支配する外国軍からの解放を掲げて、ヒズボラは組織された。
イスラエルが収監した仲間を取りもどす為、ヒズボラはイスラエル兵を拉致した。
ヒズボラの要求を突っぱね、レバノンに空襲をかけたのはイスラエルだ。

火種を撒いているのはどちらだ?
先に手を出したのはどちらだ?

軍事強国イスラエルからの干渉を排し、自分達の主張を掲げて闘うヒズボラは、テロリストではなく革命ゲリラ戦士ではなかろうか?
もしそうなら、レバノン国民からの厚い支持も得ているヒズボラには、Freedom fighterとして闘う権利がある。


な~んて事を日本語で言っても誰にもわかんないだろうから、英語で書くことにした。イスラエルを支援するアメリカに気遣って日本は見てみぬふりだけど、一市民レベルでは注目してる、中立の立場で見てる人もいるよ。ってのを中東に向けてアピールしちゃおう。


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米国産牛肉

 米国産牛肉が輸入再開された。

 賢い消費者達は、アメリカのいいかげんさ、ずさんさをしっかり認識したので、街頭インタビューなんかでも「買いません。怖いですから。」なんて声が聞こえたりもする。

 しかし、安い牛肉にはそれなりに需要があるので、外食産業は顧客に知らせる事もないまま、米国産牛肉を使うだろうし、一部の消費者達も、その安さ故に米国産牛肉を購入する事になるだろう。街頭インタビューでも、「買います。怖いけど安全だって保障もされたし。」との声も聞かれる。
 政府の言う事が信頼に足らない事を、彼等はまだ学習出来ていないようだ。

 街頭インタビューとか、視聴者の声とかTVで見てて、僕はいつも思う。

 どうして僕に聞いてくれないんだろう?

 って。

 そこで聞ける市民の答えっていつも、ありきたりで毒にも薬にもなんなくて、面白くない事この上ない。突拍子も無い答えとか、ぶっとんだ答えとかも聞かせて欲しい。僕なら絶対にそうするのに。

 例えば・・・。

 「アメリカ産牛肉の禁輸が解除されました。あなたは米国産牛肉を買いますか?」
 と聞かれたらこうだ。

 「僕はテロ支援国家の商品は買いません。」
 中南米の反米政権に抵抗するテロリストグループを、アメリカがCIAを通じて支援し続けてきたのは特に隠されてきた事でも無い事実だが、それがマスメディアで語られる事は無い。

 だから僕が言う。
 世界最大のテロ支援国家はアメリカ合衆国です。

 ってか、こんな答えは放送でカットされるか・・・。

 じゃあ、

 「米国産牛肉の飼料穀物として、サハラ以南アフリカの作物がアメリカの多国籍農業企業によって買い上げられ、結果として現地で食料不足の飢餓が起きているので、アフリカの貧困と飢餓の撲滅を願う意思表示としても、米国産牛肉は非買します。」

 だめだ、これも長すぎて放送出来ないや・・・。

 結局テレビって、本当に知らないといけない情報は決して知らされないし、知らせようとしても知らさせないように出来てるんだよね。



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2006.08.01

憲法9条を世界遺産に!!

Let's make the constitution of Japan Article 9 to World Heritage!!

”The constitution of Japan, Article 9"

         Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renunciation war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
         In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


         I think the constitution article 9 has universal value, and should make common property for human. Because of the reasons, the article 9 has the right to register to the world Heritage List based on World Heritage policy. In additoin, unfortunately, the Article 9 has already become a dead letter recently. Perhaps the Articl 9 will disappear in near future by Japanese right-wing politisians. Terefore, we must pass down this sublime ideal to future.



【世界遺産】1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)に基づいて、世界遺産リストに登録された遺跡や景観そして自然など、人類が共有すべき普遍的な価値をもつものを指す。
(参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 この基準に従えば、憲法9条には世界遺産に登録される資格がある。
 先の大戦で300万人以上の死者を出し、2000万人以上の人を殺してきた日本と言う国は、その経験を元に不戦の誓いを立て、国家の最高法規で、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、または武力の行使を永久に放棄する事を明記した。

 戦争の放棄が、人類が共有すべき普遍的な価値を持つものである事に異論のあるものは(一部の政治屋と軍産複合体以外には)何処にもおるまい。
 だから、憲法9条は世界遺産に登録される資格がある。



 話は変わって昨今の日本政界は、自民党次期総裁選の話でもちきりだ。下馬評通りならば恐らく、安部官房長官が次期総裁となるだろうが、彼の歴史観や政治姿勢から推察するに、日本は今後も右傾化が進み、憲法9条もなし崩し的に形骸化され、内政も日本は警察国家への道を驀進し、国民投票法案が自民党の思惑通りの形(少数の賛成意見で可決する)で成立し、このまま彼等の思惑通りに事が進めば、ひょっとしたら憲法改正があるかもしれない。

 2006年の現代においても既に『遺産』と呼んでも差し支えが無い程に無力化・形骸化しているが、憲法9条が今後さらに無力化・形骸化するであろう事は想像に難くないし、憲法改正があれば間違いなく、その崇高な理念は永久に地上から抹殺されるだろう。

 だから、まだ建前だけでも生き残っている今のうちに、憲法9条は世界遺産に登録申請しておくべきだ。



 日本が既に「戦前」となっている事には、少なからぬ人達が気付き始めていると思うが、このまま大衆に変化が無ければ近い将来、まず間違いなく憲法改正と日本の再軍備があるだろうし、徴兵制も復活するかもしれない。

先の大戦で300万人以上の国民を殺され、またアジアで2000万人近くを殺してきた日本だが、どうやら、また誰かを殺したいらしい。

 自分に関係の無い庶民や外国人を殺したくてたまらない、悪い日本人に釘を刺す意味も込めて、日本国憲法第九条を世界遺産に登録しよう!!

   


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