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2006.10.11

Farewell song

 療養型医療介護施設なんていうものは、ダイレクトに終末期医療に関わってくる。僕も勤務11ヶ月で何人見送ったか忘れてしまうくらい、人の死に関わってきた。
 もちろん、回復したり受け入れ先の施設(老健とかグループホームとか)が見付かって退院していった人もいるが、退院した人の殆どは、葬儀社の寝台車に乗って自宅へと帰って行く。

 勤め始めの頃は、見送るのは関わりの浅い人ばかりだったので、悲しみとか何か感情の起伏を生じさせるような事は無かったし、レースの世界にいた事で「人の死」に慣らされていた僕は、その事実を淡々と受け入れていた。

 しかし勤務も半年を過ぎると、それなりに親しくなる入所者も出てくる。
 「じーちゃんばーちゃん達のハートはがっちりだぜぃ!!」
 な僕にとって、それなりにショックを受ける事もあった。

 でも、僕はそれを絶対に表には出さない。

「全ての人に平等に」

 は僕がいつも心掛けている事だ。
 他の職員がイヤがるような偏屈な人や我侭な人にも、可能な限りフラットな心情で接するように心掛けている。
 死に対してフラットな感情で接すると言っても、戦場で殺した敵兵の耳朶を切り取る兵士の様に無感情で、という事ではなく、それなりにしんみりしたり胸に痛みを覚える事はもちろんある。ただそれを表に出さないだけだ。

 人は、必ず死ぬ。

 それが3分後なのか30年先なのか判らないだけで、その時は必ず訪れるのだ。

 
自分に訪れるのは150年くらい先にして欲しいとは思っているが…。

 亡くなった入所者さんが院を去る時、それ用の出入り口からの見送りで深々と頭を下げながら、胸に一抹の寂しさを覚えながら、

 (さよなら・・・)
 って心の中で呟く。そして寝台車が視界から消えてから、また僕は仕事に戻る。そして淡々と仕事をこなして行く。

 しかしそれは不可避な事だと知りながら、その時が自分の夜勤中には訪れない事をいつも願っている、弱虫のへなちょこ介護職員mizzieでした。

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コメント

老健勤務のとある人と知り合ってスグの頃、介護の仕事をしているとはじめて聞いたとき、特に深く考えることなく無神経な私は「利用者さんが亡くなったときはどう思うの?」と聞きました。彼はちょっと笑ってこう応えました。
「自分の居場所に帰ったんや、と思うようにしているよ」
それから数年たち、私も介護の仕事をするようになりましたが、今となっては「自分の居場所に帰っていく」利用者たちを見送ることにも慣れ、同時に永遠の別れを「帰っていく」と表現した彼の気持ちも理解できるようになりました。
施設や病院は決して「終の棲家」ではない。けれども諸事情で最期を迎えることになる人も大勢いる・・・その方々が笑顔で「帰って」行けるようなケアをしていきたいと思いました。

投稿: hana | 2006.10.12 13:44

hanaさん>
「自分の居場所に帰っていく」
また一つ、いい言葉をhanaさんから教えてもらった気がします。

 その人が時をめぐり終えたその時、笑顔で帰って行けるようなケアを。

hanaさんにはいつも、進むべき道を照らしてもらっていますね。
これからもよろしくです先輩っ!!
(^^)ゝ (←敬礼してる)

投稿: mizzie | 2006.10.12 14:06

皆さん、本当に大変な、そして素晴らしいお仕事をされていると思います。尊敬します。

私の祖母は、床ずれをずっと気づいてもらえず、ものすごい痛みに襲われて亡くなったそうです。
違う院で、死期を早めた要因となったと聞かされ、
祖母の死後、そのことを母達が何度も訴えましたが、ケアしてくれた院は否を認めず。
泣く泣く遺品を持って院を去っていった記憶があります。

なんだかお話がそれちゃいましたが・・・
「全ての人に平等に」って言葉、
私もいつも胸にしまっています。

改めて、いい言葉聞かせていただきました。

投稿: りぉちん | 2006.10.16 03:08

りおさん>
介護、看護の職に就く者として、「じょく創(床ずれの事)作るは介護者の恥」と言うのがあります。
24時間看護可能な入院患者にじょく創を作ったその院は、はっきり言って「ダメ病院」です。今なら医療訴訟ものです。

現場の職員は常に理想を追い求めているけれど、、、
患者にじょく創を作ったその院には、同業者としても弁護する気はおきません。

投稿: mizzie | 2006.10.16 23:14

どんなに痛かったろうと思うと
今でも切ない思いに駆られます・・・。

投稿: りぉちん | 2006.10.17 04:12

仕方のないことだとは、重々承知なのですが、自分が関わってきた人達の笑顔が、もう二度と見れなくなるとか、その人が好きだったものを見たりすると、どうしようもなく切ない気持ちになりますよね。
以前働いていた職場では、亡くなった人の傍で、遺産について家族がずっと話しているのを聞いて、すごく嫌な気持ちになったこともありますし。

だから私は、切ない気持ちになると、その人が無事に空まで行けるよう、そして空での生活が穏やかであるよう、心が落ち着くまで祈るようにしています。
祈ることは、目には見えないことですし、人によってはたいしたことはないと思われるのかもしれないですが、でも、誰かが思ってくれてるだけで、人にとっては嬉しいことなんじゃないかなと思うのです。
自責の念にかられたときは、そんな風に日々を過ごしたりしています。

…と、なんだか真面目臭くなってしまったのでこれにて。
ちなみにわが家にバトンを置いていますので、よかったら取りに来てくださいね。

投稿: かの | 2006.10.17 17:53

りぉさん>
家族にそんな思いをさせた、その時点で医療人として失格ですその病院職員達。
満足なケアを受けられずに亡くなってしまったおばあさんの分も、りぉさんは人生を楽しんで下さいね。
香乃さん>
終末期医療に関わる以上、ある程度の覚悟は決めていましたし、私情が表に出ないよう、極力そういった感情を抑えて仕事をしています僕の場合。
金に群がる家族に関しては、老人施設では必ず耳にする話でもあり、腹が立つとか哀しくなるとか通り越して、空しくなってしまう事は僕にもあります。

香乃さん家に置いてあったバトン、確かに受け取ってまいりました。僕んトコで止まっちゃいましたけど、どーもすみません。

投稿: mizzie | 2006.10.17 21:18

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