« 美味しいもの探検団 ランチ編 | トップページ | 病院で死ぬと言う事 »

2007.04.30

自己嫌悪

その日が夜勤だった僕は、出勤するのに気が重かった。

(ああ、今夜は行きたくねぇなぁ…)

って、出勤直前も、通勤途上も、ずっとそう思っていた。

その前日、先週から容態が悪化して静養室に移っていたとある患者さん、一昨日から衰弱度合いが増し、もういつ逝ってもおかしくない。と言う状態になっていた。

呼吸は促迫し、脈も弱くなり、酸素マスクにつながれた顔面に生気は無く、その瞳からは既に生きる力を感じる事が難しかった、と言うかほぼ不可能となっていた。

重症患者が、日勤帯で息をひきとる事は珍しい。大抵は、夜勤中にそれがやってくる。順当に行けば、自分が夜勤のその日、容態急変が起こる可能性がとても高かった。

臨終のその時。

モニターに繋がれている場合、その兆候は完全に予測出来る。それまで一定だった脈拍数が、ゆっくりと落ちて行き、そして完全にゼロになる。
医療機関ではその兆候が現れた時点で、即座に主治医へと連絡が行き、看護師達は救命措置に入る。僕等、介護職者はその補助をしつつ、家族に連絡を取り、事務室へ事の次第を伝えて準備を整える。

救命措置と、それに応じた投薬等の処置で、”その時”を幾許か遅らせる事は出来る。しかしそれも長くて数日、通常は数時間くらいだ。

容態急変、主治医(夜勤中は当直医)・事務室・家族等への連絡、そして死後の処置。その他一連の事々を、夜勤中に行うのは正直辛いし激務だ。夜勤帯での容態急変があった場合、通常業務のうちの幾つかは、終える事が出来ずにスキップされる。仮眠時間なんかどこかに行ってしまうのは普通だ。

実務16ヶ月目となり、死亡退院は十数人経験してきたけど、幸か不幸か夜勤帯での容態急変には当たった事が無い。それはなぜか、僕が休みの日に起こる事が圧倒的に多くて、休み明けで出勤すると、誰かがいなくなっている、という事が何度もあった。

しかし今度ばかりはそうもいくまい。このまま行けば、まず確実に僕が貧乏クジを引く。

その確立はとても低かったとは言え、自分の夜勤中は、特変事項無く生き続けて欲しかった。が、前日の状態では、それはとてもとても難しい注文と言わざるを得なかった。

そんな事をぼんやりと考えていたその時、

夜勤中に食べる夜食を買いながら、スーパーのカゴにオニギリやスナック菓子を放り込みながら、心のどこか奥深くで、出勤したら既に逝った後である事を期待していた自分に気付いたその瞬間、僕は自分が酷くみすぼらしい、人間性の小さな矮小な人間に思えた。

それに気付いたその時、僕は自分が嫌いになった。

自分が凄く汚らしい、卑怯な猥雑な存在に思えて、そんな自分を責め苛みながら職場へ向かい、頭の中で容態急変時の対処をシミュレートしながら更衣室で制服に着替えて介護病棟のフロアに下りた。

 

静養室は空になっていた。

 

聞けば、前日日勤者が帰った後、夕方6時頃にその時が訪れたらしかった。

心のどこかで、一瞬でもそれを願った自分を嫌悪し、容態急変を乗り切る事で贖罪をしようと思っていた僕は、その機会が永久に失われたという事実に、さらに気を重くして夜勤をする事となった。

医療介護病棟は、嘘偽り無く、終末期医療とダイレクトに関わってくる職場だ。
在宅、通所、グループホーム、老健、特養、そう言った場所で見きれなくなった患者達が、ここにやってくる。入った人の殆どが、死亡退院で退院して行くのだ。

そんな、介護業界の一番底にある職場だから、常にその時が訪れる可能性を抱えているし、実際にここで最後の時を迎えて行った、多くの人を見てきた。

だから、それはいつも覚悟してやっているんだけど、自分がその時に直接関わる事になりそうだったその時、それが自分の出勤前に終わっている事を望んでいる自分に気付いたその時、僕は酷い罪悪感と自己嫌悪に襲われた。

 

俺って、こんなに自分勝手でズルい人間だったんだ・・・。

それを自覚した事は、僕の心に傷跡となって今も残っている。
これからは、その傷の痛みを感じながら、その痛みを受け入れて生きていかなければならないのだろう。

今日のmizzie、自己評価はDマイナスだ・・・。

 

 

今日も最後まで読んでくれてありがとう。
ついでに、一日一回の応援クリックお願いします。

人気ブログランキング

ブログランキングもだけど、ワンクリック募金もクリックしてね☆

|

« 美味しいもの探検団 ランチ編 | トップページ | 病院で死ぬと言う事 »

コメント

落ち込んでるところ悪いんですが・・・この記事は喝です!!私がmizzieさんの上司なら説教ですよ!!
旅立ちを見送るのも介護職の大切な仕事です。
職員の忙しさや手間なんて、命と引き換えにできるレベルではありませんし、同等に考えることではありません。
「忙しいからイヤ」「仮眠ができなくなるからイヤ」・・・そんなことを思うのなら、介護職は辞めた方がいいです。というか辞めてください。なにより利用者が気の毒ですし、介護職という仕事全体としての質も下がります。
mizzieさんのことですから、お気づきかと思いますが、私達介護職は、利用者の日常に寄り添い、本人の出来なくなってしまったこと、失ってしまったものをかわりにちょっと手伝う影のような存在です。利用者あっての職員なんです。それ以上でもそれ以下でもありません。
私達はどんなに頑張っても、どんなに努力しても、その人本人には成り代わることが出来ないし、ましてその利用者の「死」という瞬間は見送ることしか出来ません。今まで散々手を煩わしてきた利用者だって、その旅立ちの瞬間は自分ひとりでその痛みや苦しみ、悲しみ、未練を引き受けるのです。そこには介護職員は介入の余地がないのです。どんなにケアしたって、そのときにできることは「死」という得体の知れない大きなものの前では無力に等しい。地球上の誰もが行ったことのない別世界にたった一人で旅立っていくのですよ!!
それを「忙しいから・・・」とは何事ですか!!!
そんな職員にケアされる利用者さんが気の毒です。キツイこと言うようですが、辞められたほうがいいと思います。この仕事は「やりがい」なんて耳障りのいい言葉で全てを乗り越えられるほど、甘いものではありませんから。


って、偉そうに言いましたがこれも誰もが通る道・・・もうこんなこと、思ったり考えたり、ましてや不特定多数のみるブログに書いたりしないでくださいね。ゆっくり考えてみてください。mizzieさんには期待してますので。

投稿: hana | 2007.04.29 08:00

hanaさん>
この事に関しては、自分でも本当に酷く落ち込みました。そして今も自分を責めています。
実際の話、仕事で時々ラクな方へ逃げたくなる事があるのは事実ですが、この時僕が逃げようとしたのは、介護職者として以前に、人間として逃げてはいけない方向だったんです。
心のどこかでそこに逃げようとした自分がいた事に気付いた時、本当に自分が情けなく、そして嫌いになりました…。

ただ忙しいだけならいいんです。仮眠時間がてなくなったって何とかなります。だけど、
それが容態急変、エンゼルケアを含んだ死後の処置や、その他「死」に関する事々に、心のどこかで腰が引けていたんだと思います。
医療介護は、毎日、『死』という絶対に勝てない敵を相手に闘っているみたいに感じる時があります。その、「自分ではどうにも出来ない」と言った無力感が、僕から仕事へのモチベーションを減じさせてしまったようにも思えます。


この記事は僕と言う一人の人間のエゴや汚い・醜い部分を晒している記事な訳で、hanaさんからご指摘頂いたように、公的な場所に公開するのはどうか?と言う思いもありましたが、一人の、キレイごとだけじゃない、時々弱音を吐いたり、手に負えない事にビビって逃げだしそうになっている、そんな一人の生身の人間の記録として、削除はせずに残しておく事にしました。


まだまだダメダメな、へなちょこ介護職員mizieですけれど、hanaさんにはこれからも先達として、不肖のオイラにご指導ご鞭撻を下さりたく、宜しくお願い致します。m(__)m

投稿: mizzie | 2007.04.30 11:19

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/8531/14853485

この記事へのトラックバック一覧です: 自己嫌悪:

» 警備員の仮眠時間について考えよう [警備員の仮眠時間について考えよう ]
無給でいいの? [続きを読む]

受信: 2007.05.01 22:49

« 美味しいもの探検団 ランチ編 | トップページ | 病院で死ぬと言う事 »