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2007.06.24

貸与は奨学金とは呼べない

奨学金:(返済を要しない)Scholarship;(返済を要する)Student loan
[研究社 新和英中辞典より抜粋]

Scholarship / AmE noun {C} an amount of money given to sb by an organization to help pay for their education
[OXFORD Advanced Learner's DICTIONARYより抜粋]

僕はサンフランシスコで暮らしていた頃、州政府からCal Grantと言う奨学金を受けていた。授業料の全額と、取得単位数に応じた学費補助金がもらえるこの奨学金、毎セメスター12単位~13単位取ってた僕は、年間で$3200ももらっていた。アメリカ市民か永住資格者しか受給出来ない奨学金で留学生は受けられないので、留学生待遇の友人達からは随分と羨ましがられたものだ。

この奨学金は受給に年収制限があって、正確な事は覚えていないけど確か、年収が$16000以上の人は受給出来ない。基本的に、「学ぶ意欲があり、しかし経済的理由で高等教育が受けられない人」の為に支給される奨学金で、寿司レストランで働いて学費と生活費の全額を自力で稼ぎ出していた僕は、この奨学金には随分と助けられたものだ。
家庭の事情でCity College of SanFranciscoは中退してしまったんだけど、僕は総額で$30000以上の金額を、州政府から与えられていた事になる。「与えられた」と書いたのは、僕が受給していたCal Grantは贈与型の奨学金で、日本の奨学金のように利子を付けて返さないといけない。なんて事は無いからだ。

僕は奨学金と言うものは、学ぶ意欲はあるが経済的な理由で学べない人材に、学ぶチャンスを与えるものだと思っていた。ところが日本ではそうじゃない。

日本には、政府の外郭団体が運営する奨学金があるんだけれど、驚くなかれ、この奨学金、支給額は最高でも月額5万円と少々。しかも、支給された全額に利子を付けて返さないといけない。

こんなの、どう贔屓目に見ても奨学金なんて言えない。良く言って、低利の学費貸し付け制度だ。しかも支給額は年額で60万円ちょい。大学に行くには日本もアメリカも4年間で1000万円ほど掛かるそうなんだけど、これだと支給されるのは必要額の24%でしかなく、残りは自力で用意しなければならないのだ。奨学金と言うものは『経済的理由で学べない、学ぶ意欲ある者』を助ける制度であるはずなのに、利子を付けて貸与する、しかもその原資は先に貸与された者が返済した返済金。だなんて、これで奨学金なんて、ジョークにしては性質が悪過ぎる。

日本も、もっと贈与型の奨学金を充実させるべきなのだ。奨学金と言うものは”与えられるもの”であって、「オラオラ、カネが無ぇんだろ?貸してやるからイロ付けて返せよ。」なんてアコギな事をやるものではないのだ。
大体、本当に奨学金を必要としている様な人にとって、月額5万円程度なんて焼けプルトニウムに霧吹き。程度の効果しかないのだ。
僕の父方の従兄は、学生支援機構の奨学金程度では大学進学に必要な学費を親が用意出来なかったので、進学を諦めて就職した。
母方の従姉妹は、受給可能な奨学金全てに申請し、しかし認められた全てを受給しても学費と生活費を賄う事が出来ず、昼間は大学、夜はバイトと言う苦学生生活を送っていた。
(この従姉妹は去年卒業した。Bachelor Degree取得おめでとう!)

貸与型の奨学金は、卒業後に貸与を受けた金額に利子を付けて返済しなければならない。そして、そこには罠が隠されている。

借金を抱えた人間と言うものは、失業を極端に恐れる。返済が一度でも滞ってしまうと、信用保証組合か何かのリストに名前が載って、以後、融資を受ける事がとても難しくなってしまうのだから。
だから、働くしかない。働き続けるしかない。どんなに理不尽な要求や不条理な命令を押し付けられようとも、失業の恐怖はそれを債務者に受諾させてしまうのだ。
上司に、会社に、組織に、どこまでも従順な社畜の出来上がりだ。貸与型奨学金には、こんな罠が隠されている。従順な賃労働者以外欲しくない日本経団連をパトロンに持つ自民党が、贈与型の奨学金を拡充しないのはそんな所にも理由がある。と僕は個人的に考えている。

バイトとコンパとセックスとリクルート活動しかやらないと酷評される日本の大学生だけど、贈与型奨学金の受給条件に『高い平均成績(GPA3.0以上が望ましい)を維持する事』を義務付ければ、4年間きっちりみっちりしっかり勉強してくる、向学心の高い優秀な若い人材育成する事が出来るだろうし、そういった学生が一定数存在すれば、彼等を見て我が身を振り返った日本の大学生が、僕が上で書いたように酷評される日本の大学生が、少しはイイ方向に変わってくるかもしれない。

そしてそれは日本と言う国全体にとって、大きな利益をもたらす筈だ。
贈与型奨学金の拡充には、こんなメリットが隠されている。

もっとも、健康で知識があり自信に満ちた大衆と言うのは支配社会層にとって最も支配しづらい大衆となるので、これを現実化する為には、経団連によるカネでの大衆支配を目論む自民党や、信徒をメディアや公安に忍ばせ、陰然とした国家支配を目論む創価学会を母体とする公明党が政権にいる限り、それが現実化する事はほぼ不可能だろうが。

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