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2007.08.25

偽善かもしれない

介護はやりがいのある仕事だ。
受け取る報酬はとんでもなく少ない(国は、介護従事者の推定生涯獲得賃金総額を明示すべきだ)が、そこには確かに、充実感と達成感がある。僕もこの仕事を2年近くやってきて、それこそビリビリくるくらい心が震えるような経験をした事もあるし、そんな仕事ってそうないと思う。だから僕は、今もこの仕事を続けている。介護よりもラクに稼げる仕事なんていくらでもあるし、その気になればいつだってそっちに行くことが容易に出来ると言うのにだ。

誰かの手助け無しには日常生活を維持出来なくなった高齢者達は(一部の例外を除いて)殆ど皆が、そうなってしまった自分に物凄い負い目を感じながら、僕等に気を使いながら、遠慮・感謝しながら、申し訳なさそうに日々を送っている。そうやって日々、陰鬱になっていくじーちゃんばーちゃん達に対して、時にはピエロになっておどけながら、また時には教師のように諭しながら、ネガティブになった思考をポジティブに焼き直しながら、僕はそう言った人達と接している。発語能力を失い、言語によるコミュニケーションが不可になった人達を介助している時に心に痛みを覚えるのは事実なんだけど、基本姿勢としての『要介護者の心に寄り添って』ってのは失くさないようにしていたいと思っている。

僕は、人生の最終章を、陰鬱に・申し訳なさげに過ごしているジジババ達に、その一方的な思い込みを逆から見たり横から・斜めから、下からみた視点を提示して、笑顔を引き出すのがダイスキだ。
もしかしたら、それは気休めにしかなっていないのかもしれないけれど、でも、ネガティブに沈んでいくその沈降速度を一瞬でも遅らせる事が出来たのなら、それでいいと思っている。だから、それに直接関わっていけるこの仕事がダイスキだ。

『介護』は、福祉は、奉仕精神をベースにしてやっていく職業だと言う(世間の・社会の)思い込みがある。如何にそれが未来の無い、つまり昇給も賞与も無い、生涯獲得賃金が東証一部上場企業正社員の三分の一以下の不安定職業だったとしても、福祉の仕事に就く者は、自己犠牲と献身を捧げるのは当然。と言った思い込みがある。
(その「思い込み」には、支配者側によって「刷り込まれた」トリックがあるのだが、それについて書くととても長くなるのでここでは触れない。)

福祉は奉仕。
低賃金は当たり前。

Go fuck the slogans!
僕は「介護」と言う職業を通じて、色んなバックグラウンドを持った人を笑顔にするのがダイスキだ。でも「やりたいこと」を仕事にしているからと言って、待遇改善や地位向上を求めてはいけないなんて事はないんだよね?
確かに僕のやっている事は利他的行為だ。自分の技術と知識と時間を使って、誰かの役に立つ事をしている。でも、利他的行為は自己犠牲と献身だけでしかやっちゃいけないの?

利他的な事を利己的な動機でやっている僕は、偽善者なのだろうか? 

 

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