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2008.02.04

タマにはバイクの話もしよう。 チョー不公平なレースの世界 編

「ねえmizzie?」

「何?」

「あたし達に子供が出来たとしてさ、その子がもしmizzieみたいに「僕、バイクレーサーになる!」とか言い出したらどうする?アタシはmizzie絶対に、いい指導者になれると思うわ。」

「そう言ってこない事を願うよ。もし「レースやりたい!」何て言ったらさ、レースのネガティブな部分を全部教えるつもりだよ。それでもやりたい。って言うなら協力はするけど、悔しいけど今の僕の経済力じゃ、レースの世界に進んでも屈辱感を味わって挫折するだけだよ。」

「そうなの?ねえねえ、もしかしてmizzieって、レース嫌いなの?」

「いや、僕はモータースポーツは大好きだよ。・・・何て言うのかな?すっごい複雑な心境なんだけど、僕はレースを深く愛してるけど、その不公平さを強く憎んでもいる。僕のレースへの感情は愛想入り混じってるんだ。」

 

 

そうなのだ。

 

僕の知る限りでは、モータースポーツはこの世界で最も不公平なスポーツだ。参加者の経済力が、その競技の優劣に強く影響している。

一言で言ってしまえば、レースでの強さは金で買えるのだ。

 

 

僕は、80年代のバイクブーム終盤に出て来たバイクファンだった。レーサーレプリカブームから始まったバイクブームはあっという間に燃え上がり、バブル景気での金余りも影響して、バイクレースが大盛況になっていた。
今のレース環境しかしらない人には信じられないだろうが、当時は鈴鹿選手権なんか予選がF組とかG組とかまであって、各組上位3~4台くらいしか、決勝レースを走る事が出来なかったくらいで、練習走行の走行予約にしても、キャンセル待ちが一桁ならラッキー。なんて状態だった。

日本人GPライダーが誕生し始めた頃でもあり、当時のノービス(現・国内ライセンス)ライダー達は、「俺達も、GPまで行けばバイクでメシが食える!」って本気で思っていた。実際、90年の鈴鹿グランプリにワイルドカード枠(主催国出場枠)で出場し、世界の強豪を相手に見事優勝した上田昇選手は、そのままGPフル参戦が決定、そしてヨーロッパのチームと契約してプロレーサーとなり、引退後はバイク番組の解説なんかをやっている。

当時、バイクレースをやっていた多くの若い連中は、上田選手、坂田選手と言ったプライベート出身ながら実力で這い上がっていったレーサー達に憧れて、そして自分の夢を追いかけ、その人生を賭けのテーブルに載せていた。

しかし現実は残酷だ。

大きな川を遡るようなロードレースの世界、最初は調子良く上っていけた者も、上れば上るほどきつくなる流れに、次第にその力が尽きて行く。そして手漕ぎボートで遡っていた自分がふと横を見ると、エンジン付きボートで上っている奴がいる。運転手付きリムジンで川沿い堤防を悠々と遡っている奴もいる。『これで食いたきゃ、源流までやって来い』なレースの世界では、その源流まで行く手段に規制が無いのだ。

貧乏人な、一般市民な自分が流れの緩い場所を探しながら懸命に手漕ぎボートで必死で遡っていたその時、アッパーミドルなご子息達は、エンジン付きボートで自分が苦労して遡った過程を楽々上ってゆく。超金持ちなご子息なんか、川に入りすらせずに、シートにゆったりと腰を据えて、源流までの最後の激流まで体力と気力を温存していられるのだ。

少し例えがわかり難いかもしれない。現実はこうだ。

レースの世界には、純正部品だけで構成されたマシンに乗る奴(マシンにしか乗れない奴)と、一般市販されているスペシャルパーツを組み込んだマシンに乗る奴、そして、年間で数台しか作られない、一台数百万から数千万円の、メーカーが作ったキット車に乗る(事の出来る)奴がいる。どノーマル車、チューニング車、ワークスキット車だ。

どノーマルだと、レース専用250ccマシンが一台200万円弱。

地方選手権だとこれでも充分な戦闘力があるが、全日本選手権だと、どノーマルだと予選を通ることすら難しい。トップチームがフルチューンしたスペシャルマシンだと、チューニング費、スペシャルパーツ代がノーマルマシンにプラスされるので、総額で250万円から500万円くらい。マシンによっては、その倍くらい掛かっているマシンもある。全日本選手権レベルだと、殆どのマシンがこれくらいだと思っていい。
そして、年間数台しか製造されない、そしてごく一部のライダーにしか供給されないワークスキット車。これは僕が現役だった90年代後半の話だが、一台の値段は2000万円を越えていた。もちろんこのワークスキット車は、それはもうとんでもなく速い。同じ排気量なのかと疑いたくなってしまうくらいに速い。速いだけでなく高価なキット車だが、この2000万円はリース代金で、シーズンが終わったらこのマシンはメーカーに返却しなければならない。このマシンに乗っているライダーは腕ももちろんいいが、それにも増して潤沢な資金力を持っているか、或いは有力なスポンサーを持っていた。

この、金額に10倍近い差がある、そして戦闘力に著しい差があるマシン達が、同じカテゴリー、同じレースを走っているのだ。これを不公平と呼ばずして何と言おう?

マシンに関してこんなにも不公平なレースの世界だが、不公平なのはマシンだけでは無い。タイヤだってオイルだって一部のライダーにしか供給されないスペシャルがある。そしてそのスペシャルを使えば、ラップタイムが劇的に上がるのだ。

こんなにもハード面で不公平さがあるレースの世界だけど、ソフトに関しても不公平だらけだ。とにかくレースには金が掛かる。練習するにも金が無いと練習走行をする事すら出来ない。サーキットを走るには走行料を払わないといけないのだから。
そして練習をすればガソリンとオイルとタイヤを消費するし、パーツはどんどん消耗する。今はどうなのか知らないが、僕が現役だった頃、鈴鹿サーキットを一時間練習すれば、ガソリン代、オイル代、タイヤ代、消耗パーツ代、サーキット走行料で、大体一万円くらい掛かっていた。練習1時間で10000円。それがレースの世界だ。(もちろん4輪だともっと掛かる)

鈴鹿に住んでいるなら話は別だが、高知に住んでいる僕が鈴鹿や茂木に行くには当然遠征費が掛かる。高速代、燃料代、食費で、大体一回鈴鹿に行けば5万円くらいが飛んでいた。当時は無茶苦茶に働きまくっていたし景気も良かったから稼いでいたので何とかなったが、それでも鈴鹿を月に一時間練習出来たらいい方だった。

ところが金持ちはそうじゃない。

それこそ、年間500時間くらい練習してる奴もいたし、親の経営する会社をスポンサーにして、親の会社からレース費用を全て負担してもらい、本人は仕事もせずに年中レースと練習。なんて羨ましい奴もいた(それも複数)し、経済力の差。と言うものを、僕は12年間のレース活動中に、これでもか!と言わんばかりに見せ付けられた。

僕は国際ライセンスに昇格してからは、その費用の殆どをチームから負担してもらっていたが、それでも年間300万円以上はレースに使っていた。しかし、年間数千万円を平然とレースに使う人はザラにいたし、そんな世界で、中流家庭出身の自分は随分と悔しい思いをしたものだ。

金属加工業から介護職に職が変わって、当時よりも収入が劇的にダウンした今の僕には、自分の子供にストレスを感じる事無くレース参戦をさせてやるのは不可能だ。だから僕は、もし自分の子供が「レースをやりたい」と言っても、自分の果たせなかった夢を叶えようとしてくれていても、それを喜ぶ事は決して出来ないだろう。

 

 

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