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2008.04.01

尊厳

僕は超が付くくらいの猫好きなので、

ななか:「mizzieは”猫好き”って言うよりも、猫そのものよ。」

姫の見解は置いといて、猫好きな僕は本屋さんに行けば必ず猫雑誌を読むし、時々はそう言った雑誌を買ってくる事もある。(ホントは猫飼いたいんだけど、今は新築なので壁とか床を傷付けられたりしたらイヤなので我慢している。)そうして買ってきた猫専門誌を読んでいて、あるコラムに目が止まった。そのタイトルは、

「猫の看取り方」

南里秀子さんと言う方の書いたこのコラムは、筆者の、猫の終末期看取り方についての考えが書かれていた。僕が子供の頃、「猫は死期を悟ると死に場所を探して姿を消す」と言われていたけど、都市化が進み、完全室内飼いのペットが増えた昨今、飼い主は猫の死と真正面から向き合わなければならなくなった。
ペットも人間と同様に、高齢化が進み、医療の進歩で簡単には死ねなくなった。その現状に、この筆者は「ペットにも、クオリティ・オブ・ライフが問われるのでは?」と問い掛けている。

猫も人間と一緒で、衰弱すると栄養の経口摂取が出来無くなる。そうなると、猫も点滴で栄養補給をしたり、強制給餌(人間の経管栄養みたいなもの?)という方法が取られるらしい。しかしながら、自由である事を存在基準にしているとしか思えないような、独立独歩を地で行く猫にとって、点滴中動けないのは相当なストレスだろうし、プライドが毛皮着てるような猫にとって、強制給餌は屈辱以外の何物でもないだろう。

過去に、強制給餌による延命治療の果てに、全身を痙攣させながら息を引き取った猫を看取ったこの筆者は、その後飼う事になった高齢猫(ネコエイズキャリア)が衰弱した時は、医者に診せる事はせず、自然に逝かせる事を選択した。摂取と嘔吐を繰り返し、自力摂取が困難になったこの猫は、自らの意思で食事を摂る事を止め、少しずつ衰弱して行き、そして飼い主である筆者がうたた寝した一瞬の隙に、静かに息を引き取った。延命治療の果てに、苦しみながら息を引き取った猫を看取った次は、自然に任せて尊厳死させる方を選んだ筆者だが、筆者の苦悩は、延命治療最前線、終末期医療とダイレクトに関わる医療介護施設勤務のmizzieにとって、とても共感出来るものだった。

僕等、医療・福祉従事者は、「生きたい」と思う人には、「治りたい」と望む人には、全力でその人を支援する。可能な限り力を貸す。自己犠牲だって惜しまない。だけど、
その人が望んでいるのが「逝きたい」だった場合、僕等は全くの無力だ。無力どころか、その人の望みを全力で阻止しなければならない。
僕等の仕事が「利用者意思の尊重」を建前とし、「顧客満足の追求」が至上命題である事には変わりない。しかしながら、相手の望むものが「尊厳を保ったまま逝きたい」だった場合、その為に出来る事が何も無いと言うのは、苦痛以外の何物でもない。

ペットの世界でさえもQ.O.L.を言い出しているというのに、現実の人間社会では、それを追い求める事すらままならない。チューブを介した強制摂取と、下剤・導尿剤・浣腸を使った強制排泄で、いつまでもいつまでも間延びされた終末期治療が続いて行く。そこには”尊厳”なんてカケラほども見当たらない。

でもこれが、この国の終末期医療の現実だ。
選挙に行かなかった皆が間接的に支持している事になる、
自由民主党が決めた残酷な現実がそこにある。

 

 

 

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