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2008.04.09

STRANGERS FROM A DIFFERENT SHORE

"STRANGERS FROM A DIFFERENT SHORE"

CityCollege of SanFrancisco(CCSF)、その
『AsianAmerican Studies 20 ”
Asian American Experience: 1820 to Present”
って言うクラスで使うテキスト、と言うか教科書だ。

カリフォルニアのコミュニティ・カレッジで、4大編入コースを選択した場合、アメリカ史は必修なんだけど、若い、歴史の短いアメリカ合衆国はアメリカ史だけだとやることが無さ過ぎるからなのか、はたまた移民国家であるアメリカではメインストリームであるアメリカ白人史だけを必修にしちゃうとマイノリティーから不平が出ちゃうからなのか、この『AsianAmericanStudies(アジア系アメリカ人史)』と、『AfricanAmericanStudiesアフリカ系アメリカ人史』のどちらかを履修すれば、必修であるアメリカ史は履修したとみなされる。

移民国家アメリカの歴史は、白人による有色人種差別史でもあるので、このASAMとAAMの二つ、有色人種で被差別人種である日本人の僕にとって、とても興味深く面白く、かつとても辛い、痛い科目ではあった。
余談だけど僕が取ったこのクラスの教授だったウェスリー教授は、沖縄移民の3世で、アメリカ人だけど米海兵隊普天間基地の、名護市辺野古移設反対運動に参加したりもしていた。

このアジア系アメリカ人史によれば、僕達日本人は中国人や朝鮮人、インド人や東南アジア諸国民と同じく、アメリカ国内では徹底的に差別されまくっている。南北戦争で北軍が勝利してアフリカ系を奴隷として使えなくなったアメリカ白人は、新たに移民としてやってきた中国人や、明治維新後に移民としてやってきた(これは日本の明治政府が行った棄民政策でもあった)日本人をCheep Labour(低賃金労力)としてこき使う事で、支配者として裕福な暮らしを維持させた。例えば、アメリカ横断鉄道の完成記念写真には白人の姿しか写ってはいないが、あれの工事で現場で働いていたのは中国からの出稼ぎ労働者が殆どだし、ハワイのサトウキビ農場で、農場主が出入り業者に送った注文物品リストには、小麦粉やバター。肉類や衣服、肥料や農機具などと一緒に「日本人労働者」と書かれてもいる。

19世紀までは徹底的に差別されていたアジア系移民だけど、明治維新後の日本は富国強兵政策が一定の成功を見て、日清戦争に勝利し、日露戦争でボロボロになりながらも一定の戦果を挙げて、列強の仲間入りを果たしたので、日本の国力を侮れなくなったアメリカは、日系移民には一定の特権を与えていた。
アメリカ国内の日系移民も、それはもうめっちゃくちゃに苦労を重ねて頑張っていて、当時は有色人種だと移民一世にはアメリカ市民権が得られないんだけど、アメリカ生まれの二世達はアメリカ市民権が持てたので、自分の子供達の名義で土地を買ったりして農場を経営したり、(当時の法律では有色人種の移民には白人との結婚と土地所有が認められていなかった)身を粉にして働いて子供達を大学に行かせたり、日系移民一世は、
それはそれは読んでいて涙が出るような苦労を重ねているのだ。

そうやってアメリカ国内で地位向上に腐心していた日系移民だけど、全ては1941年12月7日(日本時間だと12月8日)に劇的変化を起こす。

大日本帝国連合艦隊による、真珠湾攻撃だ。

日本とアメリカは交戦状態となり、敵国市民である日系人は、一人の例外も無く『軍事的必要性』の元、苦労して得た土地・家を追われ、砂漠の中に作られた強制収容所に隔離される事になる。日本人強制収容所は「アウシュビッツよりはマシ」っていうレベルで、それはそれは酷い場所。だけどそんな状況に置かれても日系移民とアメリカ市民権を持つその子供達は、その状況でも団結して与えられた状況でベストを尽くしていた。ちなみに同じ敵国市民だったドイツ系、イタリア系アメリカ人達は、「白人だから」と言うただそれだけの理由で、日系人とは比較にならない好待遇で管理されていた。
日本とアメリカが交戦状態になった時、他のアジア系移民たちはどうしていたのかと言うと、軍国主義だった日本がアジアでやっていた悪行に心痛めていた中国系移民や朝鮮系移民、フィリピン系やその他のアジア系移民はこぞって、祖先の故郷を守る為。と言って、アメリカ軍に志願していた事を付け加えない訳にはいかない。帝国主義の道をひた走っていた昭和初期の日本は、他のアジア諸国、特に中国と朝鮮にとっては悪党以外の何物でもなかったのだから。

強制収容所送りになった日系移民だけど、アメリカ政府はただ収容するだけじゃなくて、収容所送りになった日系人達を軍事的に利用しようと考えた。日系だからと収容所にぶち込んだアメリカ生まれの二世達は、日本語に堪能な優秀な情報将校になり得るのだ。

そうして生まれたのが、日系人だけで構成されたアメリカ軍部隊、442連隊だ。最初はヨーロッパ戦線に投入された(対日戦だと寝返る危険があったので)442連隊だけど、日系二世兵士達はその全員が自分達の武勲でアメリカ国内での日系差別を払拭してやろうと、家族の劣悪待遇を改善させてやろうと、白人部隊が尻込みするような戦場で、圧倒的優位のドイツ兵が恐れおののくような奮闘を見せ、その自己犠牲をいとわない奮戦ぶりに、「日系兵士なんか捨て駒さ」と考えていた白人将軍達はあえて過酷な戦場に442連隊を投入し、しかし442連隊は物凄い犠牲を出しながら、白人部隊が2ヶ月掛けても落とせなかった拠点を1週間も経たないうちに陥落させたり、敵中に孤立して救出が絶望視されていた、白人達の連隊を救出したりもしていた。
そんな戦闘を繰り広げていたものだから、442連隊の兵士損耗率は激しくて、その死傷率はなんと314%。つまり、最初に編成されたときの兵士に加えて、後から補充された兵士も次々と負傷・戦死して、連隊構成兵士数よりも多くの兵士達が戦死したのだ。

この日系人連隊はローマ解放最大の立役者なんだけど、ローマ解放直前にアメリカ軍司令部から「転進せよ」との命令を受けて新たな戦場に投入されて、ローマ開放の栄光は後から来た白人部隊に持って行かれたのは有名な話。

アメリカ陸軍最大の武勲を立てながら、一度も表舞台には立たせてもえらえなかった442連隊だけど、武勲を立てているのは事実なのでもらった勲章の数はアメリカ陸軍で最高で、教科書によると議会栄誉勲章が1つ、47の殊勲十字勲章、350の銀星章、810の銅星章、3600以上の名誉戦傷章を得て、『勲章連隊』なんて別称もあるくらいだ。

 

日系アメリカ人の歴史だけじゃなくて、アジア系アメリカ人全体の歴史について書かれている、
『STRANGERS FROM A DIFFERENT SHORE

その最終章は、60年代の公民権運動を経て、公の場での差別が禁止された多民族・多文化混在の国であるアメリカ合衆国、それは日本人を含めた全ての被差別人種の苦労とか苦心とか奮闘の結果、現在の待遇を勝ち取ったのだ。って書かれていて、そして、これからのアメリカ合衆国が、世界がどうなるのかは全て、これからの僕達の生き方に掛かっているんだと結ばれている。
人種や文化には優劣なんかなくって、「自分達こそが最高!」なんて考え方がいかにみっともない、恥かしい、根拠の無いものかと言う事を教えてくれる、とてもためになる良書です。そしてこんな本を教科書として使う、アメリカの大学教育システムは、とてもよく出来てるな、なんて事を考えたmizzieなのでした。

 

 

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