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2008.05.01

教育格差

自民党が安部政権時代に強行採決した教育基本法改正案とか、この国の教育システムはどんどん酷くなっているんだけど、根幹が腐敗したり破壊されたりしている一方で、周囲や枝葉末節も随分とヒドイ事になっているらしい。

数日前の高知新聞で読んだんだけど、何でも、とある定時制高校で沢山の保護者たちが事務室の前に並んでいいて、しかし、その親達は決して教師の説明を聞く為に並んでいたのではなく、彼等は授業料免除手続きの為に並んでいたのだ。
子供の受けられる教育の質が、親の経済力で決定されているのは僕が子供の頃から全く変わっていないが、教育が多様化して進化した21世紀、教育の進化・洗練は激しく進んだが、その恩恵に預かれるのは一部の富裕層子息に限られていて、中・低所得者層の子供達は、低質化した公教育に依存するしかなく、その殆どは成長しても、低賃金で使い捨てられる非熟練労働者にしかなれない。

この国の学歴偏重主義は、昭和が終わって20年が過ぎた今も、全く変わってはいない。しかし、一流大学に進む為にはそれ相応のコスト負担が求められる(進学塾、テキスト、家庭教師、その他諸々)のだが、日々の暮らしを維持するのが精一杯な下層市民に、そのコスト負担はほぼ不可能だろう。結果、低所得層の子供達はその人生のどこかで、「自分はこの社会では絶対にはい上がれない」と言う冷酷で惨酷な現実と直面し、人生の挫折を味わう事になる。アメリカだと、そうやって挫折を味わった若者の所に、軍隊のリクルートがやってくるのだが、最近は日本でも、高校を中退した子供の所に自衛隊からの勧誘が来るらしい。

21世紀に入って、教育はどんどん洗練されて進化し、物凄くハイレベルで質の高い教育を提供する学校も現れた。しかし、そんな上質の学校には、全ての子供達を受け入れるようなキャパシティーは無く、ごく一部の子供しかその恩恵には預かれない。そして日本のような自由競争社会では、そう言った良質の教育を受ける事が出来るのは、潤沢な教育資金を準備出来る、富裕層の子息に限定される。
全ての問題は全員を受け入れられないシステムにあるのに、それを個人化して「それはお前の努力が足りないからだ」と言って、システムからこぼれ落ちたのはそのこぼれ落ちた個人の自己責任に収束させる、ネオ・リベラリズムの連中がよく使う言葉が、教育現場でも見られるらしい。

現実問題として、成績上位の高校に進むには、年間\1,000,000~の塾等の教育費用が必要らしいのだが、世帯所得400万以下の低所得層には、そのコスト負担は不可能だ。つまり、低所得層に生まれた子供達は、この社会では絶対に這い上がれないのだ。

全ての子供には平等に教育を受ける権利があると憲法で保障されていると言うのに、その権利を行使するには高価なコスト負担が求められる。そしてそのコストは、低所得層はもちろん、中所得層にとっても厳しいものだ。しかしそのコスト負担をせずに公教育だけに任せていたら、自分の子供達は搾取され使い捨てられる非熟練労働者にしかなれない。

 

この国は、いつからこんなヒドイ国になってしまったんだ?

こんな国にしたのは一体誰だ?

 

 

それは、

 

 

 

自民党・公明党に投票した日本人と、選挙に行かなかった日本人と、行かせられなかった僕達だ。

 

 

 

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