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2008.08.10

カウントダウン

「入院54名、重体患者1名、当直医は・・・、」

夜勤。申し送りで重体患者のディティールが伝達される。申し送りを終えた僕はすぐに当該患者のカルテを開き、緊急時連絡先、担当医PHS番号をメモに書き写してから、相棒の夜勤ワーカーQRさんと共に、夜勤業務へと入る。この日が夜勤ナースだった戦爆さんも、処置台を押してバイタル・吸痰処置・内服薬注入へと向った。

夜勤業務、まず最初は吸痰用吸引瓶の洗浄・消毒だ。僕は吸引瓶を載せるカートを押して各病室を回り、痰で一杯になった瓶を集めて回る。重体患者として申し送られた@#さんの病室に入ると、カーテンで仕切られた@#さんのベッド横で、戦爆さんがバイタルを取っている。その時が迫り、脈拍がとても弱くなっている@#さんはもう機械式ではバイタルが取れない(センサーが反応しない)ので、水銀式血圧計でバイタルを取っている。僕はその横で心配そうに見ている家族さんに挨拶をして、血で真っ赤に染まった痰で満たされた、ガラス製の吸引瓶を吸引器から取り外し、カートに載せて病室を出た。

担当医、当直医、戦爆さん、ベテランワーカー、全員の見解は『今夜がヤマ』だ。実務33か月、一度として容態急変に当たった事の無い僕も、遂にそれを経験する時がやってきたようだった。さすがの僕も今回はそれを「当然ある事」として受け入れ、その為にそれなりの準備をしてもいた。急変時対応マニュアルを再確認し、必要物品の在庫確認もして、緊急時連絡先やその他の連絡すべき人・施設等の連絡先を全て自分のメモにすぐに使える状態で書き写し、同時進行で通常の夜勤業務をこなす。新人の相棒ワーカーQRさんも僕と一緒にそれらを整え、夜勤ナースの戦爆さんは、処置と記録、当直医への連絡でテンテコ舞っている。

夕食の食事介助を終え、夜勤者が食事休憩に入る。そこでナースとワーカーが情報交換と伝達事項の確認をして、その後は休憩時間終了まで雑談。でも話題は@#さんに関する事が多い。

「たぶん今日の引き潮で逝くと思うから、いつそうなってもいいように準備はしておきなさいよ。」

「@#さん、延命治療はしないんですよね。」

「そうよ。だから(人工呼吸器の)挿管もしないし、蘇生措置もしないわ。」

「逝くに任せる。って事ですか?」

「それが家族の希望なの。」

「でも、本人にとったらそれの方が楽ですよねきっと。延命治療したって死期が間延びされるだけにしかならないんだし。」

なんて会話を交わしながら、休憩を終えた僕等は業務に戻った。@#さんは出勤時からずっと重体状態のままで、酸素マスク越しに弱々しく呼吸をしていて、そしてその心臓は、今にも止まりそうなくらいに微かに鼓動を続けている。
20時過ぎ、それまで満ち潮だった潮目が変わり、潮が引き始める時間になった。もし今夜@#さんが逝くのなら、そろそろその時が来るはずで、時計はまるで臨終へのカウントダウンを刻んでいるかの様だった。

担当医から「今夜がヤマです。」と告げられていた事もあって、家族は日中からずっと@#さんの側につきっきりで、そして「何かあれば、すぐにナースコールをして下さい。」と伝えてはいるのだけれど、状態が状態なので僕等も通常の3~4倍の頻度で@#さんのベッドを巡視する。既に自力排泄能力を喪失している@#さんには尿道カテーテルが留置されているが、カテーテルにつながれた採尿バッグには1㏄も尿は無く、その為全身に浮腫が生じていて、その四肢は痛々しく膨れ上がっている。それを見ながら僕は、恐らく、@#さんの肺と心臓以外の殆どの臓器は、もうその機能を停止しているのだろうと推測した。

恐らく今夜、長くても2日以内にその時が来るであろう事がかなりはっきりと予測出来た@#さん、もうケアワーカーが関わる処置は殆ど施されていなくて、3日前までは2時間毎の体位変換がルーティンに組まれていたのに、もう体位変換も必要な時だけとなって、そして排便は無く尿もカテーテルを介して採尿されるので、僕達ケアワーカーがやる事は、尿バッグから尿を採取し、計量して捨てるだけ。になっている。潮目が変わった20時から臨戦態勢で構えていた僕等だけど、戦爆さんは医療処置と記録で忙しく立ち回っているんだけれど、23時を過ぎても、僕等の出番は訪れなかった。

23時から、仮眠前の最後の業務を済ませ、そしてその日は僕が先に仮眠に入る事になっていたので、僕は荷物をまとめて仮眠室に入り、2時までの仮眠に入った。仮眠中に容態急変となってもすぐに起こしてもらえるように構えてはいたし、熟睡なんかもちろん出来ないんだけれど、出勤時からずっと、通常よりも煩雑になった業務で忙しかったので、とにかく体を休ませる。

1時50分。少し早めに仮眠室を出て、僕は詰所に入る。

「@#さんどうですか?」

「変化無しよ。2時からアタシ仮眠だけど、仮眠室で寝ないでスタンバってるから、何かあればすぐに起こして。mizzieはとりあえず上の階を巡視してきなさい。」

戦爆さんからそう言われて、僕は院内PHSをポケットに突っ込んで巡視に回る。そして2時5分。巡視を終えた僕が詰所に戻ると既に戦爆さんの姿は無く、誰もいなくなった病棟は静まり返っていた。

引き潮が終わり、潮目が変わって潮が満ち始めるのは2時12分。

(今夜は持ちこたえたのかな?)

僕は詰所のイスに腰を下ろし、業務日誌を開いた。その瞬間、ナースコールが突然鳴り響いた。

「はい。どうされました?」

「母の呼吸がおかしいんですけど・・・」

「すぐお伺いします、お待ち下さい!」

僕は詰所を飛び出し、@#さんの病室に駆け込む。@#さんの枕元では息子さんが心配そうに立っていて、僕が駆け付けたその時はまだ、@#さんは微かに息をしていた。が、今にも消え入りそう。

「@#さん、@#さん!」

耳元でその名を呼ぶ。人間の五感の中では、聴覚は最後まで機能すると言われている。僕の声に反応して、@#さんの口元が微かに動いた。何かを言おうとしているようだが、もちろんその声は聞き取れない。まだ微かだが息があるのを確認した僕は時計を見て現在時刻を記憶して、戦爆さんを起こすべく仮眠室に向った。

戦爆さんはナースコールを聞いた時点で仮眠室から出て、すぐに出られる状態で詰所にいた。エプロンのボタンを止めながら僕に状態を聞く。

「さっきのコールは@#さんね?」

「はい。もう呼吸が止まりそうです。」

僕からの報告を聞いた戦爆さんが僕を連れて@#さんの病室に飛び込んですぐに、@#さんの呼吸が止まった。戦爆さんは詰所に戻り、医局に連絡を入れる。

「はい、はい、今、@#さんの呼吸が止まりました。すぐに来ていただけますか?」

連絡を受けた当直医が、1分もしないうちに駆け付ける。家族の希望が「延命治療はしない」なので、医師もナースも蘇生措置はしない。ただ、死亡を確認して、そして静かに見送る。
高知県の郡部出身な@#さんは、重篤状態になった時点でご家族が葬儀社の手配もしていて、枕元で詰めていた息子さんは、家族と葬儀社に電話をするべく、詰所の電話を借りてどこかにダイヤルしている。遺体への死後処置までケアワーカーの出る幕は無いので、僕等は戦爆さんの指示に従いスケジュールされた時間よりも早く、通常業務を始めた。仮眠から叩き起こされて眠そうな顔をしたQRさんと共に、僕はカートを押して業務に掛かる。

全てがほぼ予測された状態でその時を迎えた@#さんは、その全てが完全に段取りされてもいて、そしてその時を迎えた今、全てが厳粛に、かつ粛々と執り行われてゆく。死後処置は未経験のQRさんに死後処置を教えるからと言って、戦爆さんとQRさんが二人で死後処置とエンゼルケアに、そして僕は全ての通常業務を一人でこなす事になって、静かに、黙々と業務をこなしていった。死後処置を終えた後はエンゼルケアも戦爆さんがご家族と共にする事になって、処置から離れたQRさんは3時半には通常業務に戻り、そして4時前に葬儀社がやってきて、死装束に着替え、死化粧を整えた@#さんを葬儀社のストレッチャーに載せるべく僕が呼ばれ、僕は葬儀社社員と共に、顔に白い布が被せられ、小柄だったのに浮腫で膨れ上がり、ずっしりと重くなった@#さんを抱えてストレッチャーに載せた。

死亡退院した患者様が搬出されるエレベーターに乗った、@#さんと息子さんに深々と頭を下げる。呼吸停止の報せを受けて病院に駆け付けた長女さんと次女さんにも挨拶をする。長女さんと次女さんは、僕等がご家族の細かい注文にも誠実に対応していたので、その職員の労をねぎらい、そして丁寧にお礼を言って亡くなった@#さんの荷物を片付けに、病室へと入って行った。そして僕等は再び、通常業務へと戻った。

 

 

僕が臨終に立ち会うのは実務33か月目にして初めてだったけれど、「延命はしない」との家族からの希望と、そして全てがほぼ完全に予測された中での臨終だったので、蘇生措置も何もない、容態急変とは言い難い急変対応と死後処置だった。蘇生措置と延命措置で体をビクビクと痙攣させたり、いつ終わるとも知れずに苦痛が延長されるのを見る事もなく、ゆっくりと呼吸が弱まり、呼吸数が低下し、そして静かに停止するその様は、とても厳粛で静粛だった。

 

 

 

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