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2008.12.07

昨日のエントリーに対するコメントへの回答

12月5日のエントリーについたYUKOさんからのコメントだけど、それについての回答がとてもとても長くなりそうだったので、新しくそれについて書く事にした。YUKOさんからの質問はこんな感じ。

”・・・一つ目。mizzie さんにとって、「かつての古き良き日本」ってどんなんだろう?
「古き良き日本」が私にはわからない。
取り戻す対象がわからない。
どの時代にも支配層があり、支配される者がいた。富む者も貧困も、つまりは格差があった。金は金を呼び、貧困は貧困を呼んだ。古き時代と今の大きな違いは、生まれてくるものと死んでいくもののバランスと、情報くらいのものだと私は思っているのだ。”

上でYUKOさんが言っている過去と現在の違いは、それはそれで的を得ている。確かに、支配層と被支配層はホモサピエンスが社会生活を営むようになったごく初期から存在していた。マクロ的に、俯瞰的に眺めた場合、彼女の言う通り、かつての日本と今の日本の違いは、情報の送受信量とそのシステム、様々なテクノロジーくらいになってしまう。

僕が5日のエントリーに書いた「古き良き日本」は、僕が子供の頃、昭和40~50年代の地方都市には、高知には、確かに存在したものだ。それは瑣末事なのかもしれないが、しかし、確かに、それは昔の日本にはあった。そして今は完全になくなってしまったものだ。

それは一体何だろう?

「廉恥」、「矜持」、「高潔」。
この3つの言葉はもう、この国では死語になってしまった。
他にもある。
「無私」、「使命感」、「道義」、「誠実」、「理想」、「清廉」。
どれもこれも、21世紀の日本では死語になってしまったか、忌み嫌われる言葉になってしまったものばかりだ。もちろん、昔の日本人が皆、こんな人ばっかりだったとは言わない。昔の日本にも醜悪な人はいたし、強欲な奴もいた。だけど昔の日本では、そいつらが陽のあたる場所を歩くなんて事はなかった。すくなくとも、僕の周りにはいなかった。多数派の土佐っ子は、苦しんでいる人がいたら助けたし、困っている人がいたら手を貸した。貧しくとも高貴な魂を宿している人・高い理想を掲げる人はいたし、他者を思いやり、温かい心遣いの出来る人はたくさんいた。

かつての日本は、国全体で集めた資本を、自由主義経済に任せていたら決して資本が行き渡らないような場所に、税金を通じて再投資する事で、国全体に平等に資本を行き渡らせた。強い人、富める人の資本を、半強制的に弱者に分配させていたのだ。

しかしながら21世紀日本。

自分だけの利益を最大化させる為に、法律を変えさせる。労働者を使い捨てパーツとして、都合良くこき使って都合が悪くなったら切り捨てる。それは労働法が改正される前の昭和日本では許されなかったし、それをした経営者はそれなりの非難をされただろう。だけど21世紀日本では、それは素晴らしい事だとされる。それをやった経営者は「企業の利益向上に貢献した」と言われ、株式相場では高く評価され、それをやらない経営者は株主から批判されたりマーケットからそっぽを向かれる。利益を至高とし、利益こそ王。とする独占資本主義の世界では、他者を踏みつけ弱者を蹴落とす事は素晴らしい事とされるのだ。

都市部の連中は「俺達の金をなんでイナカの連中に?」なんて言って、自由主義経済に任せていたら資本が行き渡らないような所は、干上がるに任せて干上がらせて、そこに自分達の近くにはいて欲しくない迷惑施設を押し付けるようになった。自分達は裕福な家庭に生まれて、潤沢な資金を提供されて上品な私立学校で充実した教育を受けておきながら、貧困に苦しめられて教育どころでは無い家庭に生まれ、貧相な公教育しか受けられず、スタートからハンデを背負わせただけでは無く、この超学歴社会の日本で這い上がるチャンスを与えられなかった連中を、「努力しなかったお前の自己責任だ」と言って切り捨てる。人は自分が生まれる環境を選ぶ事が出来ないのに、金持ちの家庭に生まれるか貧乏人の家庭に生まれるかなんて運だけなのに、あいつらは貧乏人の家庭に生まれた不幸も「自己責任だ」と言って切り捨てる。

日本語では、それを表すのに「高潔」とか「矜持」、「廉恥」や「誠実」という言葉は使わない。少なくとも、僕の知る日本語では使わない。僕がアメリカで暮らしていた間に、日本語が変わってしまったというのなら話は別だが。

”二つ目。私もどちらかというとアンチ自民だけど。政権が変われば何かが大きく変るだろうか?政権を変えたければ何を基準に変えればいいのか?
自民党で、いろんな事が失敗したから違うところにしよう!と言っても実際じゃあ、どこになれば何かが変るのか?そこがわからないから投票率はあがらないんじゃないだろうか。
アメリカのように、大統領が変ればいろいろなことの方針ががらりと変わるなんてことは日本じゃありえない。
 そもそもそれは、いつも自分が悩んでいる事なので。マニフェストなんて共産以外はほとんど五十歩百歩。どこに投票すれば何かが変るのかまるっきりわからない。”

どこがやっても変わらない。変わったとしても何が変わるのかわからない。だからと投票になんか行きたくない。変わらないんだから行くだけ無駄だ。

この理論は、一見すると一理あるようにも見えるかもしれない。しかしそこに、民主共和制の罠と危険が潜んでいる。
確かに、マニフェストなんてどこもそう変わりは無いように思えるかもしれない。YUKOさん自身も、共産党以外はどこの政党も五十歩百歩だと言っている。どこも大して変わり映えしないのなら、どこがやっても同じなんだから投票になんか行くだけ無駄じゃないか。そう考える人が殆どなんだろう。そして、殆どの有権者が投票棄権する。

しかし、この民主共和政体を採用する国では、投票棄権は当選者支持と同義になってしまうのだ。例えば消費税が230%になろうが、国民年金が「毎月米1合」の現物支給になろうが、医療費が全額自己負担になろうが、徴兵制が復活して日本がアメリカに宣戦布告しようが、選挙に行かなかった奴はそれを支持したと言う事になるのだ。
この国は、民主共和政体を取る国民主権の国だ。憲法には明文化されていないが、全ての国民には政治を監視する義務があるのだ。

全ての国民が政治家と政府を厳しく監視して、彼等が国民全体の幸福に反するような事をしないか注視していなければならない。そして彼等にその兆候が見えたら、即座に選挙で彼等に「No!」を突き付けなけらばならないのだ。そうしないと、彼等は国民の幸福よりも自分だけの欲望充足を追い求めるようになる。
具体的には、選挙ごとに彼等のマニフェストを十分に吟味し、さらに、彼等が任期中にどんな事をしてきたのかを詳細に点検・総括し、彼等に国政を信託するに足るか、チェックした上で投票行動で意思表示をしなければならないのだ。もし、それをしないで投票棄権をやっていると、強固な支持基盤を持った政治家だけが、国会議員となるようになってしまう。どんな事をしても・どんな事を計画しても・何もしなくても、自分達が国会に行けるのならば、政治家が自分の快楽だけを追い求めたり、自分達に便宜を図ってくれる個人や団体・集団の為だけにしかならない政治をするのは当然だ。

YUKOさんは、共産党以外はどこも五十歩百歩で、どこに投票すれば何が変わるかなんてさっぱりわからない。と言っている。
もう答えは出ているじゃないか。
共産党以外どこも同じで、何が変わるのかわからないのなら、

じゃあ、共産党にやらせてみたらいい。

それでもダメなら、また別の政党にやらせてみたらいいのだ。共産党に悪いイメージしか無くて、共産党が政権を取ったらこの国がソビエトみたいな暗黒の帝国になってしまうんじゃないのか?って危惧するかもしれないけれど、アメリカにとっての最大の軍事同盟国である、アメリカにとってのアジアからの搾取の為の橋頭保である日本が独裁社会主義国家になったら、テキトーに難癖つけて、アメリカがちょっかい出して政権転覆させちゃうからその心配は無用だ。

 

 

僕が『古き良き日本』を懐かしんでいるのは、ノスタルジーに過ぎないのかもしれない。古き良き日本なんてどこにも無くて、幻想を見ているのかもしれない。

だけど、

民主共和政体の国に住む国民は、政治を監視していなければならないのは真実だと思う。「誰がやってもおんなじさ。」なんてニヒルを気取って、現実に目を閉じて、真実に耳を塞いでいても、物事は決して良くなったりなんかしないし、問題も絶対に解決なんかしない。それどころか、次に目を開けた時には、事態はもっともっと悪くなっている。僕等はそんな世界に住んでいる。

村上春樹氏も氏の小説の中で言っている。

「君が目を閉じ、耳を塞いでいる間にも時は刻まれているんだ。コツコツコツと。」

事態はどんどん悪い方向に進んでいる。
この国は疑問の余地もないくらいに、間違った方向に進んでいる。8年間、間違った方向に進み続けたアメリカは、一人の若いアフリカン・アメリカンを選ぶ事で、その舵を切り直そうとしている。

今度は僕達の番だ。

さあ、選挙に行こう。

あの傲慢でデブのヤンキー連中にさえ出来たんだ。崇高な魂を宿しているはずの極東のサムライである僕達に、出来ない訳がないじゃないか。

 

 

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コメント

「廉恥」、「矜持」、「高潔」
「無私」、「使命感」、「道義」、「誠実」、「理想」、「清廉」

ちょっとうらやましいかも。
私の幼い頃、そういう人は周りにいなかったし、私が「自分が差別される側」であることにいやおう無しに気がつかされたのは小学校に入る前だった。

もっとも、今はそれも自分の勉強だったと思っているけどね。
だからこそ、弱者の涙や痛みが理解できる。完全でなくても。
国も、自分の痛みを理解して、良いほうに還元できるといいのに、と思う。

共産党に関しては・・・どうなんだろう。
私の父は共産主義にのめり込んでいる人だったけど、権力に反対する事に酔っているだけで、利己的でいいかげんだった。そしてその周りに集まる人もね。
だから余計にそう思ってしまうんだけど。
まぁ、一度やらせてみるというのは確かにありかもね。

選挙に行こうは賛成です(^^)

熱い答えをありがとう。

投稿: YUKO | 2008.12.14 13:57

YUKOさん>
昔の高知は、そして恐らく田舎街にはきっと、
「金こそ全て」なんて奴はいなかったはずだと思います。
いつからこの国はそんな、恥も外聞も無くて、金と数と力が全て。なんて言う恥ずかしい国になってしまったんでしょう?

他者を思いやったり、他人の痛みを共感したりする事が「弱虫のする事」になっちゃったのは、一体いつからなんだろう??

そう言った、昔はあったけれど今は無くなってしまったもの。に対する、ノスタルジーが僕の中にあるのは事実です。

共産党に関してですけど、あの党がベストだとは僕も思っていません。ただ、今最もマシな事を言っているのが彼等である事も事実ですし、彼等が政権を取る事は恐らくこの先30年は無いと思います。
ただ、
彼等が国会に議席の3割を占めるくらいの勢力になれば、他の政党も彼等の主張に耳を貸さざるを得なくなると思います。
そしてそれは、この国の中・低所得者にとって決して悪い事では無いと、僕は考えます。

とにかく、選挙に行って、自分達の存在を政治家達に知らせる事。それだけが、この国を正しい方向に導くんだと、僕は思います。

投稿: mizzie | 2008.12.14 23:54

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