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2011年11月

2011.11.27

I strongly request to the U.N.

My country[Japan] has 54 nucleur bombs. Those nucleur bombs are installed all over the country but Okinawa islands. In fact, those 54 nucleur bombs are never firing to other countries, never be used for  threaten neighbor countries. Therefore, Japan Govrnment, politicians of the perty in office, and power companies such as TEPCO have frequently insisted that "Japanese nucleur power plants are perfectly sefety!!"

っていう簡単な文を書くのに、滞米中なら3分も掛けずにさらさらと書いていたのに、今はそれの何倍も時間が掛かってしまう・・・。
自分の英語力の低下ぶりには愕然としてしまうし、はっきり言って落ち込みます。

最初はね、この国の政府と政治家とテクノクラートと経済界は腐ってて、自己の利益最大化、退官後の天下り先確保、賠償の最小化なんかの為に、数百~数千万人の市民とその(まだ生まれていない分も含めた)未来の子供たちの命を危険にさらしている。こんな腐ったエリートと経済人が支配する腐敗した経済大国に、国連は平和維持軍を派遣し政府と政治家と官僚をこの国から可能な限り早く排除してくれ!って内容の記事を全文英語で書こうと思ってたんだけど、自身の英語力低下故に、先ほど挫折して書く事を中断させてた次第です。

だれか続きを(英語で)書いて下さい。

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2011.11.25

だって40歳にもなれば

先週末からずっと、焼ける様な痛みと鈍痛が組み合わさった、『痛さでのたうち回る程ではないけどずっしりと長時間痛み続ける』と言う腹痛に悩まされていた。

薬局でヤクザ医師、じゃねーよこのバカ日本語ソフト!薬剤師に相談して、「消化不良でしょう」と言われて消化薬を飲んでも効き目無く、別の薬局でその事について相談して「胃酸過多でしょう」と言われ鎮痛剤とガスターを処方され、今度は症状が若干の回復を見せ、とりあえず一日3回ガスター服用で様子を見ていた。

そしたら数日前の夜、突然、超強烈な腹痛に見舞われ、もう夜も遅かったが、高知市で最も設備が整い、質のいいスタッフを集めている高知最大の総合病院まで、自転車漕いで急患で駆け込んだ。(僕は余程の事が無いと救急車を使わない)

夜遅かったので内視鏡検査が出来ず、異常部位特定とか詳細に判る事が無かったけれど、触診と問診も結果、「恐らく、胃潰瘍か十二指腸潰瘍でしょう」と言われ、来月早々にも上部消化管の内視鏡検査を受ける事になってしまった

そりゃね、男も40歳になればあちこちダメージ抱えてる所も出てくるよ。

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2011.11.19

まるで北朝鮮みたいだ・・・

この間は久しぶりの平日休みだったので、Jr.を連れて公園に行ってた。

初めは高知龍馬空港のRwy14側にある『トリム広場』と言う公園に行こうと思っていたんだけれど、昼食後に親子で午睡してたら寝過ごしてしまったので、自宅から15kmと言う位置にあるトリム広場に行くのはあきらめて、高知市内にある児童公園に行く事にした。

ただ、せっかくの休みなんだから、いつも行ってる近所の公園ではなくて、自宅から約2kmの場所にある、まだ訪れた事の無い公園に行く事にした。

ソコは15年程前に都市再開発計画で、計画区画から整備区画へと昇格、商業地としてではなく住宅地として整備されたその辺りには、新規の賃貸住宅がいくつも建って、高知市で働く若い家族とか単身者が急増した地区。

 

その公園、Jr.は妻と共に何度か訪れた事があるようだが、僕にとっては初めての場所。ただ、未知の、未開の、未経験の場所に行く事がダイスキな僕だから、当然の様に不安も恐れもなくその公園に乗り込んだ。

「・・・・・?」

入国するなり、その公園はイキナリ雰囲気が違う。何かが違う。決定的に違う。

平日昼なのに、子供達とそのお母さん達が結構な数いる。近くでは、学校をサボって来たのであろうと思われる女子高生達が、かなり過激な、非正規的はやり方でブランコで遊んでいる。
女子高生達がブランコを占拠してはいるが、その他の遊具(すべり台とか)では、小学校中学年位の児童からJr.(2歳4カ月)よりも幼い小さな子供達が、きゃあきゃあ言いながら遊んでいる。
公園の中央付近に置かれたベンチの周囲では、4~5人のお母さん達が小集団を形成して井戸端会議に没頭中。

「こんにちは。」

すべり台で遊ぶJr.をさりげなくSuperviseしていた僕は、Jr.の後からすべり台にやってきた子供(2~3歳)の後ろから現れた、その子の母親らしき人に挨拶する。と、その母親は僕の事をギロリと睨みつけ、「ふん!」と言った素振りでそっぽを向いてしまった。

「・・・・・。」

基本姿勢としての「世の中には(天使級から悪魔級まで)色んな人がいる」と、「なんとかなる」、「それがどうした」を行動規範としている僕は、冷淡を通り越して悪意に満ちた対応をされても、それでメゲる事なんかは皆無だ。

(・・・あの母親、あそこまで意地クソ悪げに振る舞うんもなかなかめんどいで・・・)

などと思いながら僕はJr.へのSuperviseを続けた。
何度も何度もすべり台を滑って遊んでいたJr.だけど、今度は少し年上と思しき女の子がやってきた。控え目な性格であるJr.は、後から来たその子に並んでいた順番を譲る。

「じゅ~んばん。あの子が滑ったらJr.も行こうね。」

と言って横を見ると、Jr.が順番を譲った子の母親らしき人が立って自分の子供を見ている。

「こんにちは。いいお天気ですね。(^^)」

「・・・・・。」

天気の話題から切り出した僕を、そのお母さんもさりげなく黙殺する。そのお母さんだけではない。その公園にいた7~8人ぐらいの母親達はその全員が、僕の事をさりげなく、しかし冷淡に黙殺し続けているのだ。目が合えば会釈ぐらいはしようと思っているのに、その隙すら与えない。

少人数で固まっておしゃべりに熱中している母親達の集団も、僕が近くを通っても微動だにせず(自分の子供達すらそっちのけで)、自分達の会話に没頭している。介入のチャンスすらない鉄壁ディフェンスだ。

(なんなんだこのアウェーな空気感は?ここは北朝鮮か??)

見知らぬ他者への姿勢は「Hospitality(親切にもてなすこと)」を基本としている僕だけれど、この公園にいる(恐らくここをホームとしている)母親達にとって、見知らぬ他者に対する姿勢は「Hostility(敵愾心)」が基準となっているようだ。僕とJr.にとってここはホームではなくアウェーな公園だから関係無いけれど、この辺りに新しく引っ越してくる事になる人は苦労する事だろう。

母親達の態度はホスタリティーに満ちているが、子供達にはそんな事は関係無い様で、新参者のJr.をつまはじきにしたり集団でいじめたりする事も無く(もっともそれには控えめで温厚なJr.の性格も多大に影響しているが)、子供達は子供達同士で仲良くやっている様だった。
その公園をホームとしている子供達が、僕やJr.がホームとしている公園(空港側のトリム広場と近所の公園)にいる子供達の10倍はSelfishな子たちばかりだったのが、一人の父親として多少気にはなったが。

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2011.11.08

ブログ更新頻度低下

最近はブログの更新を全然やってないオイラだけど、「書きたい・表現したい・意見を主張したい」って思いは相変わらず持ち続けてる。ただ、ネットで個人がどんなに主張しても、声高に理想論を語っても、

この国のメインストリームには届かない。だって彼らはネットへのアクセス手段を持たない・持とうとしないから。

この広大なネットの大海では、自律的・自発的に動かないと何も起こらない。何かに興味や好奇心や疑問を持ち、それらについての情報を得る為”自分の意思で”行動を起こさないと何も始まらない。それがネットと言うメディアの真髄だ。
しかし情報源をマスメディアに依存する事で、メディアを駆使して世論を操り大衆操作を行ってきた少数特権層にとっての”とまどえる群れ”でしかなかったこの国の多数派には、操作された情報をまるでヒナ鳥の様に口を開けて受け入れ飲み込む事しかしてこなかった彼らにとっては、検索ワードを自分で考える事すら困難だ。(というか、めんどくさいからやらない)

だから僕は最近、自分の「書きたい欲求」を、新聞の読者投稿欄に投書する事で発散している。文字数500文字。と言う縛りのある新聞の読者投稿欄は、過激な事を書いても掲載されないし、政治的に偏り過ぎている事を書いても掲載はされない。程々に中立的で、誰かを攻撃したり傷付けたりする事無く、情報源が信頼に足るものでないと、新聞と言うメディアでは取り上げてはもらえない。
ただ、”掲載されるコツ”が掴めてきて掲載率が上がり、新聞の編集部から「掲載謝礼の事もありますので、mizzieさんの投稿は月1回しか掲載しません」と言われる位の常連投稿者となった昨今では、職場の同僚や勤務先である医療法人・社会福祉法人の利用者や患者さん達からも、「今月も載っちょったね。見たで!」とか、「よう勉強しちゅうねえ」的な事を言われる事が増えた。そしてそうやって僕に声を掛けてくれる人のほぼ全員が、「次も期待しちゅうきねぇ」と言ってくれる。毎月僕の投稿が載るのを楽しみにしてくれているのだ。

そしてここが一番重要な所なのだが、新聞の読者投稿欄をよく読んでいる人と言うのは、圧倒的に高齢者が多い。つまり、ネットにアクセスする事がほぼ皆無な人がメインだと言う事なのだ。ブログを初めてから約9年。総アクセス数こそ24万少々でしかないが、これまで、それなりの数のネットユーザー達がこのブログを訪れてくれているんだけれど、ここに来る手段を持たない人達がたくさん、新聞の投書欄によって僕の意見に耳を傾けてくれている。

で、新聞の投書欄を使って意見を主張している僕だけど、最初はただ意見を主張するだけだったけど、最近は、読んだ人がそれについて考えるような文を書こうとトライしている。

自分の知っている事や、おかしいと思う事などを、「・・・・は絶対に間違ってる。だって・・・が・・・なんだから!」と言う感じで書いて掲載されて、それを読んだ人達が、「そうやね~、mizzieさんの言う通りやね~。」とか言ってくれてた。でも、そこで同意や共感を得られても、それは3日もすれば忘れられてしまうようなツルンとしたものでしかない。と言う事に気付いてしまったのだ。
僕の初期の投書はそれを読んだ人達にとって、昼間のワイドショーで垂れ流されている芸能ゴシップや、自分とは関係無いどこか遠くで起きた自分とは無関係な人達の身の上に起きた悲劇的な事故や災害のそれと大差ないのだ。その時は共感や同情を得られても、それは見た者の心に引っ掛かる事は無く、そしてすぐに忘れられてしまう。大量に生産され消費され廃棄される、マスメディア情報と同じなのだ。

だから最近の僕は、ある一つのテーマについて投書する時に、そのテーマについて複数の視点からみたメリットとデメリット、リスクとリターンを例示し、それについての結論は書かず疑問形で終わる様にして、それを読んだ人が自分でも考えてみる様な書き方をした文を、投書するようにしている。

ただ、これを500文字でまとめ、かつ論点を外す事なく狙った所に読者の思考が辿り着く様に、そして投書の掲載・不掲載を決める編集者に掲載を決意させるだけの文章を書くと言う作業は、僕程度の文章力と語彙しかない者にとっては、とてもとても難しい。

 

ブログネタ: ブログ、どのくらい更新してる?参加数

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