« 年越し蕎麦は食べない | トップページ | 憲法9条にノーベル平和賞を! »

2014.01.03

靖国神社公式参拝がダメな理由

安倍晋三総理に続き、新藤総務大臣までもが靖国神社を参拝した。

政府関係者の靖国神社公式参拝が批判の対象となる理由として一番判りやすい単純な理由は、それが『政教分離』の原則に反しているから、であるが、それだけでなく靖国神社は「戦死者の死を悼む場所」などでは決してなく、「戦死を称える場所」なので。 

だから、周辺諸国や、私の様なpolitically leftな人達からは批判されるのです。

靖国には空襲などで死んだ民間人は祀られていません。
軍人でも戦地で病死した者は祀られていません。
それらは「国の為に闘って死んだ名誉の死」ではない、国家にとって役に立たない死とみなされ、祀ってすらもらえないのです。

人はだれでも死にたくないのだし、殺されるのはもっといやなはずです。親しいものが殺されたら悲しいし、二度とこういう悲劇はいやだと思う。それが自然の感情だと思います。

しかし国家は、戦争遂行の為には「国の為に喜んで命を捨てる」人間を作り出そうとします。そうしないと外国まで行って戦争なんか出来ないからです。そのために愛国教育が必要となります。同時に、戦死を悲劇ではなく栄誉と感じさせるための宗教装置が必要となります。それが靖国神社なのです。靖国神社では戦死者=英霊神にたいする接し方は「痛ましく悲しい死」ではなく、「褒め称えられるべき死」とされているのです。

ここで注目すべきは、「国のため」ということ。戦死者の遺族の素朴な感情は「国のせい」で死んだのだから国が何らかの償いをすべきだ、というものでしょうが、しかし靖国を通じて戦死が名誉とされることにより、「国の利益の為に立派に死んだ、名誉だ、ありがたいことだ」に変質させられるのです。
実際、戦死者遺族への年金は、補償金・賠償金という性格ではなく、『恩賞』なのです。靖国神社は戦死者の死を悼む場所ではない。戦死を顕彰し、見習うべきだと教える宗教施設なのです。

「不戦の誓いを新たにする」場として、靖国ほど不似合いな場所はないでしょう。戦死者を褒め称えず神と祀らず、全戦争犠牲者(相手国も含め)を静かに追悼すること、慚愧の思いを新たにすることが不戦の誓いであるはずです。なのになぜ、靖国では戦死者だけが祀られ、戦地で病死した兵士や空襲で死んだ民間人、原爆被害者は祀られず、先の大戦で多くの若い有為の人材を死地に送ったA級戦犯が祀られているのでしょうか?

先の大戦では、実に多くの日本人が戦場でその命を散らせました。形はどうであれ、彼らが今を生きる私達の為に犠牲となったのは事実なのですから、彼等に対する慰霊と鎮魂、感謝を捧げる施設は必要だと、共産党員の私でも思います。
しかしながらその施設は、「国家の為に死ぬ事」を正当化し美化する装置でもあった靖国神社は最も相応しく無い施設なのです。

|

« 年越し蕎麦は食べない | トップページ | 憲法9条にノーベル平和賞を! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/8531/58873595

この記事へのトラックバック一覧です: 靖国神社公式参拝がダメな理由:

« 年越し蕎麦は食べない | トップページ | 憲法9条にノーベル平和賞を! »